解雇。人生最大の悲しみ、衝撃、絶望…。何も考えられない。
今日、ホンジュラスサッカー協会から突然、呼び出されました。
そこで告げられたのは……
「解雇」。
僕のU-20ホンジュラス代表でのW杯出場を目指した挑戦は、あまりにも突然、幕を閉じました。
解雇の理由は…到底、納得できるものではありませんでした。しかし、上が解雇と言う限りは、単なる雇われの身である僕にはどうする事もできない…。ただただ、その決定を飲まざるを得ませんでした(僕の契約はまだ残っていました。その契約を突然、破棄された形です)。
昨年2月にホンジュラスに7年ぶりに帰還してから、今日までの1年8ヶ月間…。「ホンジュラス代表の一員としてW杯に出場する」という人生最大の夢実現のために、ここまで突っ走ってきました。数え切れないほどの紆余曲折、修羅場に道を阻まれ続けながらも、1つ1つ壁を乗り越えて着実にステップアップを果たし、やっとの思いで「2190日目」の夢が実現し、「U-20ホンジュラス代表GKコーチ」にまで辿り着きました。7月にはU-20W杯中米予選も突破。GKも3試合連続無失点を達成するなど、予選突破に大きく貢献。プロとして必要な「結果」は出していました。U-20代表GKコーチ就任から9ヶ月間、地道に指導してきたGK技術やプロ意識なども着実にGKたちに浸透し、来年1月に行われる最終予選に向けて自分の頭の中には「GKの強化プラン」が完璧に描けていました。
全てが、イメージ通り…。
最終予選まで、あと2ヶ月半。さあ、これから…。
そう思っていた矢先に、全く予想だにしていなかった解雇通告…。
この1年8ヶ月間のホンジュラスでの挑戦の中で、「解雇通告」を受けたのは、これが「3度目」。そのどれもがあまりにも突然かつ不可解なもので、特に1度目のレアル・ソシエダでの解雇の際は「33年間の人生の中で最も大きな衝撃」を受けました(2度目のパリーヤス・オネでの解雇は→『解雇の理由【後編】』)。
しかし今回の解雇は…それすらも遥かに超越する衝撃を僕に与えました。今日の午後、協会幹部から解雇を告げられた際は、本当に頭がパニック状態に陥り、あまりの悲しみ、衝撃、絶望で、涙が出そうになりました。全く現実を受け入れられない…。目の前で起こっている出来事が信じられませんでした。
今、僕は、34年間の人生の中で最大の悲しみ、衝撃、絶望に包まれています。
過去の2度の解雇の際は、それでも「絶対にホンジュラスで夢を実現する」というモチベーションが下がる事は決してありませんでした。そしてその強い気持ちに導かれるかのように、不思議と解雇後にオファーが届き、結果的に僕はこうしてステップアップを果たして、ここまで辿り着きました。
ところが今回は…。過去の2度の解雇の時とは異なる心境に包まれています。
ホンジュラスでいろんな事があり過ぎて、僕の中でホンジュラスに対する気持ちが自然消滅しかけているというか、「もう、ホンジュラス、エエわ」「一旦、ホンジュラスを離れたい」という気持ちが自分の中に出てきたのです。もし仮に今、ホンジュラスリーグのチームからオファーがきても、正直「やりたい」と思える心境じゃない…。こんな心境に陥ったのは、この1年8ヶ月間の中でこれが初めてです。
僕は今回のU-20W杯出場に、人生の全てを懸けていました。それがこうして何の前触れもなく、不可解な形で閉ざされてしまった…。自分はこれから、どうすれば良いのか?頭に思い浮かばない…。全く、何も考えられません。
協会で働き始めてから、やっと貧しいホンジュラスである程度の貯金が貯まる収入を得る事ができるようになり、安定した生活を送れるようになっていました。大きな幸せを感じながら毎日を生きていました。…しかし、その収入も今回の解雇をもって、今月末で終了します。
あまりにも突然、全てを失う事となりました。
あまりにも突然、天国から地獄に突き落とされました。
これから一体、どうすれば良いのか…?
これから一体、どうやって食っていけば良いのか…?
今は何も、考えられない…。
ただ、1つだけ自分の中で、今、やりたい事がある。
それは…。
「一旦、日本に帰国して、家族に会いたい。日本で一旦、何もかも忘れて、1ヶ月はリフレッシュしたい」
もう、1年8ヶ月間も日本に帰国していません。家族の顔も見ていません。家族の声も1回しか聞いていません。
日本に帰りたい…。