ヒトが病気になる理由。医学が人間を治せない理由。【前編】 (仮題)  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
「病は気から」とも謂われるように
人は、気の持ちようで、ほとんどの病気がなんとかなる。
と、こんなことをいきなり云われてみても
既に重病や何かに感染したことによる結果で床に伏せっている人には
意味がないし、通じない。
んで、病気の「気」、病の気というものが、いったい何なのか? 
人間には、産まれる以前から、
そして産まれて育って、やがてその肉体が寿命を迎えるまでに
全身の筋肉という身体の中に血液というものが循環している。
これは、女性の生理のとき以外は、本来、
表側からは目に見えないように流れているんだけど
どうして流れているのかは、これまで明確に答えられる者もいなかった。
でも、何千年も何万年も前から、この先も、おそらく、ずっと
人間が人間の形をして生きて、生かされている限りは
全身の筋肉、細胞の中に血液が循環している。
そこには、この自然界に生命が生かされているエネルギーとして
言葉としては、俺はもうあまり遣いたくないんだけど
「気」というものも、血液と一緒に流れている。
肉体と心が常に同時にあって生きている限りは
その肉体を動かす動力、
筋肉の中にあるすべての血管内に流れる血液を流す動力、
生命の源。
そういう「気」というものも、心や魂、精神や
生きている人間の声や音を聴く能力と同じように、
決して、生身の人間の目で、肉眼で、ハッキリと見えるものではない。
ところが、何万年も何千年も前から、
人間の身体の中には血液と気が循環していた事実がある。
そしてその気と血の循環により、人はこの地球上において
様々な大自然の気をバランスよく取り入れて生きて、生かされてきた。
人間は誰もが、そのように精巧に創られているはずだった。簡単に云うとな。
 
いま現時点で、自分が生きて生活している場所では
朝になる以前に太陽が東の方から昇ってきて、その空に顔を出す。
そして、誰がその陽の光りを浴びようとも、その恵みを
満足に受けられない人も、受けられる条件が整えられている人も 
やがて、日も暮れて、西の方へ沈む太陽が見えなくなると
夜を迎える。するとほとんどの人間がそれなりに健康である場合は
やがて、眠くなり、たとえ眠くならなくても、
自然界が静まり返る夜になると、無意識のうちに
昼間、自分が使って動かしていた肉体を休めようとして、休む。
これは、この本来の道理は、誰にも変えられないはずだった。人間である限りはな。
 
自然界の日の出と日の入りは一秒の狂いもなく、
どこにいると何時何分に日の出があり、何時何分に日没があると
完全に、パーフェトに決められている
決して、人間が決めたことではない。
そういう陽の流れ、地球の自転と公転の中で
この地球上には大気があり、空気があって、酸素があり、青空があり、
雨や雪、曇り空、強風の日や、
人々が過ごしやすく穏やかな日の天気のいい日、晴天があってもなくても、
人間は大地の上で、陽の流れと共に生きて生かされている。
そして、澄み切った空を仰いで、澄み切った空気を吸うことができる。
これは紛れもなく、完全なる天の恵み、太陽、光、熱、空気、空…という“天の気”。
それが汚れていても、いなくても、どこで破壊されていても、いなくても
肉体を持って生きている人間は当然の如く、空気を吸って生きている。
そういう日の出と日の入りに従い、口で息を吐き、鼻から吸った空気を
肺という臓器に取り入れて、全身の細胞、全身の筋肉に
血液の循環を通して酸素を供給している。そういう人間という生き物は
朝になると、東の空に太陽が昇るか昇らないかという瞬間、
この日の出の時に、それまで大量に肝臓に蓄えられていた血液が
徐々に、足の方から体内へ送り出されてゆく。
そしてそれまで、人間として正常に眠っていた人は目が覚めて
起きあがることができる。
こういう道理もある。
それは、肝臓という臓器が心臓へ血液を送り出すと
心臓という臓器の鼓動(Beat)が、
全身の筋肉の中に網の目のように張り巡らされた血管へ血液を送る。
その血管には、静脈があり、動脈があり、脈打つ場所が27箇所あり、
男も女も人間の、365箇所の関節を覆う筋肉の中の、
細胞と細胞を連結する細胞核の隅々まで、目に見えぬほどの細かい血管があり、
その長さは(成人にして)およそ地球を2週半も周るほど長い。
その、長い長い血管の全体に、ひと巡りするの血液。その循環する速さ、流れるスピードは
もしもどこか一点を基準とすると、24秒毎に一巡りするほどの凄まじい速さで
人間の筋肉を動かす血液という燃料が回っている。
その血液と一緒に「気」も循環している。
また、気が回らないと血流そのものも速度が落ちたり、滞ったりもしてしまう場合もある。
気と血の関係については別のページの、
http://ameblo.jp/badlife/entry-10017382306.html  September 23, 2006
http://ameblo.jp/badlife/entry-10017555338.html  September 27, 2006
などで、いくらか詳しく書いてきたけど
今この世に、現実の世界に生きている人間という生命ある物体は
決して目に見えることだけで動いて生きているわけではない ので
この時点で、今の時代だけに限定されて出来あがり、
意識的にも存在してしまっている人のカタチをした疑わしき者のうち、
目に見えないことを何も信じたがらないような頭の堅い科学者の言ってることは
もう相手にする必要もない。それは既に、一部の者の考察が世間に氾濫したモノでしかない。
さもなきゃぁ、一年中、サッカーゴールの中に入れておいて、
みんなでボールを蹴ってやって、ボールが見えなくなるまでシュート練習でシゴイテやりゃぁいい。
そのうち、成せば成る」とか、「やればできる」の嘘や苦しみ も判ってくるかも知れない。
そして
そういう一年、365日の人の生活、人間の営みの中では
一人の人間の体内で常に血液を増幅している肝臓という臓器の
全身の筋肉が動いて生きるために必要な血液を出し入れする、その量は
一日24時間、自然界の日の出・日の入りに従って調節される量があっても
肝臓に蓄えられていた血液が送られる心臓という臓器によって
頭の天辺から足の爪先まで24秒間に一回転させるという、
そのような凄まじいスピードで、24時間休みなく、
成人にして、一日に およそドラム缶40本分もの量の血液を体内に送り出していることになる。
そのようにして人間の肉体、全身の筋肉、60兆という数で構成されている全細胞は
生きて、生かされている。
すべての臓物の動きも、人間の脳の活動も、その中にある。
それを誰が、何者が、意識する・しないに拘わらずともな。
そのようにある血液の流れ、日の流れ、歳月、細胞の分裂、人の肉体の成長と老化…。
それも、何千年何万年とつづいて今日まであったことで
今なお、この瞬間にも実際に“在る”ことであって 
昨日や今日とか、学者の頭や学問の教え、
あらゆる宗教や何かの思想 とか教育指導により決められたことではない。
人が結果的に、この世に産まれ出でて形になったあとで造作した、
そういうモノ(学問や教育や宗教や思想)がないと今未だ生きられない人も、生きられる人 も、本来は、
陽が沈む頃になると、それまで全身に回り、循環していた血液は再び、
徐々に肝臓へ還ってゆき、やがて眠くなり、完全に寝静まる頃には
必要以上に、その筋肉に血液は循環しないように創られている。
その道理。人が「酸素を吸う」「血液が流れる」という生きるための絶対条件は
必要に応じて、それぞれが何か食物を食べて、便も、尿も、
食べたカスは正常に排出するという、この、
「食べる」という絶対条件は、「必要以上のモノは出す」ということと共に在る道理でしかない。
水も、どんな野菜も樹木も、あらゆる動植物が大地の上に生命を育んでいる中に 
自然界から受ける恩恵、地の恵み。大地の気。その“地の気”を受けて、
そういう大地と天空の動きがある中で、何千年も何万年も前から、
人間は本来、自然界の汚れていない物を食べて生きて、生かされてきた事実もある。
そのように生きている人間の肝臓と密接に関わる眼球、目玉、眼で、
何か自分の目の前にある食べ物を「食べたい」「美味しそう」と想うことも 
あるいは、脳よりも先に、体中に流れる大量の血液を常に蓄えている肝臓が
全身の筋肉細胞を活かし、動かすために
「あれを食べたい」「これを食べたい」と、そのように考えることにも重要な関わりを持っていて 
人は、自分が食べたくて、その時に身体が要求する物を口に運ぶ。
しかもその、人間がこの世に生かされていることの絶対条件である「食べる」ということは
単に結果的に「食欲」という本能的に備えられた能力であるばかりか、
本来、この地球上にその生息を許され、食べるという行為と消化作業を繰り返すことの道理、事実には常に
春夏秋冬の季節の移り変わりと、その時期、その季節、その時間、その瞬間の、
五臓の状態と密接に関わっている事実もある。
そしてこの事実も何万年も何千年も変えられるべきはずのことではなかった。
人は、この自然界の中で、寒に向かって温を食べ、温に向かって寒を食べ、
その季節ごとの食物も決して、人間の知識や開発、経済の追求などのために汚れている物ではなかった。
寒いときは、土の中に実る物を煮て食べたりしながら身体を温める。
暑いときには、葉の部分や土よりも外側で実る物を食べて、身体の水分代謝を調節してきた。
そういう自然の移り変わりに従い、その恵みや自分達の生活、人間の営みの理に適った食生活の中では
冬にトマトはなく、夏に大根などもなかった。
余談になるけど、たとえば、
   個性のない下手な役者のことを「大根役者」といいます。
   でも、この言葉の語源は、大根(だいこん)が
   バラエティーに富んだ食べ方ができる長所をもじったもの。
   何でも無難にこなす器用な役者のことを表現したものだったのです。
   大根は、「大根おろしに医者いらず」とのことわざがあるように、
   大根おろしはさまざまな面から体によい食品です。
   
http://bt.jmam.co.jp/koyomi/life_food/200511f.shtml より引用。
などというもっともらしい知識、学識、世間常識とは別に
大根役者という者は、「スグに降ろされる」という残酷な意味でしかない。
世の中には、自分に合うことと合わないことがある。
合わないことを無理にやらせているのが教育。
均一に、一定にしてしまって、食べたい物も食べたくない物も関係なく
知識にしても、必要以上の物を、のちのち、その人にとって害になる物を
平気で無理矢理に詰め込み押し込んで、
その身体にも心にも害になる物を出せない状態にまでしているのが
栄養学、学校給食、教育、美容やダイエットを薦める必要以上の美貌。
そして医療も、現代医学も、「これが身体にいい」「健康にイイ」と謳っている者ほど
それが最早、人々の生活にとっては毒でしかない。
また、どんなに旨い大根おろしだけを毎日喰っていても、
今の時代は、『秘密のアッコちゃん』に出てくる大将のように元気な子供にはなれない。
なぜなら、教育によって破壊された母体を増やし続けている世の中、人間の社会では
そこに人間が産まれる前も、産まれたあとも、育つ場所がちがう。

それでも人間には、その時期、その季節、その日、その瞬間、その時の体調によって
それぞれに、自分の身体の中の五臓が要求する味を好んで食べている事実もある。
甘い物が食べたい人は、自分が満足するまで、甘い物を食べたいし、食べる。
それは人間の臓器。心臓・肺臓・肝臓・腎臓・脾臓という五臓のうち、肝臓が要求している。
そして、人間は口の中に運んだ物を自分の舌で味わうことができる。
このときに舌で感じた味を「美味しい」と判ることも「不味い」と思うことも
すべてが心で思い感じることであって、そこに直接的に関わっているのは
人間の脳よりも先に、全身が筋肉で出来て創られている肉体そのものを通して心が、
その味に喜んだり、不快に思ったりしている。
ところが、両手の小指や中指、あるいは小腸に何らかの異変や異常があるような人には
自分の口の中に入れた食べ物の味を舌で味わい、感じることができない人もいる。
だから決して、何か食べ物を食べて「旨い」「おいしい」と感じることも、
甘い、辛い、しょっぱい(塩気)、苦い、酸っぱいという五臓が要求する味、五味【ごみ】が判ることも
脳味噌や脳神経や遺伝子が中心になって在ることではない。
心臓が絶え間なく血液を循環させている全身の肉体を動かす心が感じていることだ。
しかも、何か目の前に食べ物があってもなくても 
誰が、何者が、何を「食べようかな」と想像しようとも 
人間の身体は「食べたい」と思った瞬間から既に、
その食べ物の消化作業を始めている。
人間の臓腑のうち、胃が消化作業を行うためには、
口の中には唾液が分泌され、肝臓は胃に血液を送る。
膵臓は必要に応じてインシュリンを分泌させ、膵液も送る。
胆嚢は胆汁を分泌して、胃は胃酸や胃液を分泌させる。
そのようにして 人間の身体の中(胃腸)に整えられる消化作業の準備も
誰が意識しようとしまいと、
誰の何の指示や指導で、誰がインシュリンや胃酸を体外から摂取、取り入れようとも
本来は、お腹全体の筋肉の中で、人間が生きるために進められる消化作業であって 
140億の細胞で構成される脳ミソの指示や脳神経を通る信号が先にあるものではない。
人間の、からだ全体でやっている事実。誰もが。本来ならな。
ところが、…省略あとは自分の身体に訊いてくれ。)
   
人が食べることも、眠ることも、
翌朝は、目覚めることを誰とも約束を交わしたわけでもないのに平気で寝て
朝になって起きあがって動き出すことも 
そのように精密に、そのように精巧に創られている人間の顔には、
目鼻や耳が決められた位置と場所に二つずつ、
口の中には、一人にたったの一枚だけの舌もあって、
両手も両足も、左右それぞれに五本ずつと決められた指も付いていて
右の手は右の方に在って右の格好をしていて
左の手は間違っても右には付けられないし 
心臓は心臓として、肝臓は肝臓として、
自然界の日の巡りに従って動いている。
正常に産まれた人間の腰にある腎臓は、誰もが二つ、
腰椎の四番目と五番目の両脇に位置していて、
常に、全身の筋肉に流れて使われた血液を掃除、濾過【ろか】している。
その時に出た、身体にとって必要以上の物はすべて膀胱へ送られ、
膀胱は尿道を通して、
人間の排尿というのは、その延長線上にある尿道筋肉の中を通って
身体の外へ排泄される。
その仕組みには常に、腰にある腎臓という臓器支え、陰としての働きがあり、
膀胱は、あらゆる内臓の下の方へ位置していても常に、
陰の支えを補う形で全身に流れる血液や全身の細胞の水分量も調節している。
しかも、腎臓と膀胱を繋ぐ大切な管の幾つかは
人間の耳。音を聞く、「聞こえる」ということが判る能力にも関係している。
そして、人が一人、一人とは限らず、本来は、すべての人が
産まれて間もなくして二足歩行で大地に立って歩くように創られている、
特別な脊椎動物としての霊長類である限り、
人間の背骨がある背中側の筋肉は、腰にある腎臓と、その表裏、
その腎臓と親と子の関係にあたる膀胱と、一生の間、密接な関わりにある。
それは、
    
    naizoukasui&yohoro  red&blue2006
   
たとえ このような体型であったとしても、
    
    konron7  
   
このように、この図に示した緑色の線の流れにある通りに
人間の腰にある腎臓と膀胱は、両足の小指の爪の生え際から、
両足の側面を伝わって、外クルブシ、アキレス腱、脹脛【ふくらはぎ】
両膝の裏側、太腿の裏の中心、尻の線…弛んでいてもいなくても、
尻と両脚の境界線にできる皺の中心を通って、
エンゼルのクボミ腰下のえくぼ?ができる場所の脇(仙骨の上、両側)
腰の骨と、21の突骨のある背骨、共に、その人の手の指で
二本分の両脇を真っ直ぐに上へ辿って、背中の肩甲骨のほぼ中央から、
頚椎の両脇、首筋、後頭部、目玉の反対側。そして、頭上を
うなじからも真っ直ぐにのぼって、両方の目の上マブタの筋肉までつながっている。
人間が生きるために必要な燃料もエネルギーも、
その血液と気が規則正しく流れ、循環する道筋が、
このように決められた線に沿って在る。確実に。
そしてこれは、いつの時代に体系付けられた学問よりも先に
何千年も何万年も前から、それこそ俺が、この世に、今の時代に誕生する以前から
世界に生きた人類が生息した、この自然界の中に決められていた事実だ。
最初から在る。この世に。自然界に。
そして人は本来、全身の筋肉が、変形も変質も変色もしないはずの、
どこもかしこも醜く曲がったり、そこに流れる血液が滞ったり、細胞が腐敗することもなく
膝の裏も、腰も、背筋も、きちんと伸ばして、
両肩の筋肉のつくりも均等に均衡が保たれていて
その上で、子供も大人も老人も、男も女も、たとえ時々、
どこかで、何かの間違いだったのかどうかは別として
性同一障害という問題などで悩む人も、そのことに軽やかな人も、
人間という生命は、自分の肺で精一杯、空気、酸素、天の気を体内に取り入れ、
産まれるときには吐いて、鼻で吸うという道理の元に、呼吸をしている。
その人間の呼吸は、この世に生きる生命として、すべての細胞も、
全身の骨格を覆う筋肉も、中にあるあらゆる臓腑の動きも、
すべて生きて成長して、やがて、その肉体の完全な消耗として
正常に寿命を迎えるまでは、一瞬たりとも休みなく、
自然界の空気を出し入れしている肺という臓器の仕事、職責・職能。
他の臓器は、心臓も、肝臓も、腎臓も、子宮も卵巣も…、
決して、自らの力では呼吸、酸素供給はできない。
この天の気を受けることができる素晴らしい臓器である人間の肺は
常に、大腸と親密な関係にある。
肺は、生きるために必要なものや酸素を使い終わってから
それを二酸化炭素として口から吐き出し 
人間の顔の中心についている鼻の二つの穴から見事なまでに
正常に空気を吸い込む。
このときに人間の身体は、お腹の筋肉が動くようにも創られている。そしてとくに
その中に何メートルもある大腸が動く。
するってぇと、大腸の延長にある肛門筋肉にも正常に血液が循環して
肛門筋肉が美しくひらき、便が必要に応じて身体の外へ排泄される。
朝昼晩に3食を毎日、規則正しく、誰がどこで何を食べようとも食べまいとも
身体の中で消化された滓【カス】は、どんな時も、いついかなる時も
本来は誰もが、そのように瀉せる【しゃせる】仕組みに創られている。
太陽と、空と、大地の中、
自然界の光り、熱、空気、酸素、水分の恵みを受ける肉体においてはな。
   
ええっとぉ、大丈夫? 
ここまで読んでて疲れた? 疲れてない? 
大丈夫だよね。今日は。
 
いやダメだろ、このテンポでは、どこの店の心も店舗展開できはしない。
まぁ、「拡まらない。」 ちゅうことだ。
    
  以下俺自身に対して 
   
「オマエが書いているように、
人間の創られ方の基本の事実が、この自然界において どんなに素晴らしくあっても
これでは万人に通じないし、浸透はしないし、
誰かが自分自身の何かに気づくためのキッカケにはならない。
そして、そういうことをオマエに何か云ってこれる人も
今はもう、この時代の、この世の中にはいなくなってしまった。
おそらくな。」
   
どうすりゃいいのか? 
   
正直、俺も孤独だよ。 …とりあえず、そういう意味ではな
   
だから、もしも…
もしもでなくても、ここまでを読んでみて大丈夫でない人は、
少し休んでみて。
眠りたかったら眠ってもいいよ。
ぐっすり寝て休んでね。
大丈夫。約束はできないけど、明日また目が覚めて起きあがれる頃には
今よりも身体は楽になってると思うよ。
今日はね、読んでくれている人が、そういうふうになれることを願って書いてるの。
今、これを。
だから安心して休んでね。
俺は休まず、つづきを書く。
今の人類が人類の道理を取り戻せるようになるために。
馬鹿だねぇ。そんなこと想い願いながら文章を書いてる奴なんて
インターネット上にいるわけないよな。
でも、最早、神も仏も人を救わない時代、
人間は自分で自分を救うしか手立てはないんだ。
このページへ辿りついた人も、未だ知らない人も、
俺そのものが何様なのかどうかを疑問に思いながらも
自分そのものを表現する言葉を吐く暇を突きつけてきたりする小汚さを残す以前に
自分自身が今、何なのか? 
ここが重要だ。
世界を変えるには自分を革えるしかない。
その世界は拡く、とても大きく広々としていて、
そこに生きるには、人間の一生、ヒト一人の人生は、あまりにも短すぎる。
たった独りで生きるにはな。
だから、自分自身が今、決して、独りだけで生きてるって思わなきゃいい。
自分独りだけが勝手に産まれて勝手に生きて勝手に死んで逝くような世界は
どこにもない。
産まれるときも必ず、押してくれる人がいて、ひっぱってくれる人がいる。
そうやって生かされて、この世に誕生してからも、常に自分自身の周りには
何をやるにも、押してくれる人がいて、ひっぱってくれる人がいることになってる。
それが、本人に見える・見えない、判る・判らないは別としても
今まではそうなっていた人間の世界がこの自然界にあった。
最近は、それが、その道理が、非常に判りづらくなって
誰もが指導者であり、先生であり、必要以上の知識で、
あらゆる情報バカになってしまい、メディアに操られながら、団栗の背比べをやってる。
そうやって、自分独りが何かできると思ってる人が多くなってきた。
実際に今も、男であろうと女であろうと、その区別までもなくなるほど
解ったフリをして、解ったつもりで、解る顔つきをして
決して首【コウベ】を垂れることなく、突っ張って生きている。
自然界の稲穂であるなら、そんな稲は軽すぎて中身がなく、
引き取り手もないし、誰も食べない。絶対に売り物にならないクズ米でしかない。
肥料をやり過ぎて必要以上に出来あがってしまった稲は、
丈も長くなって、決して地の上に安定はしていない。
フラフラとしていて、ちょっとでも風が吹けば、スグに倒れてしまう。
せっかく一年の歳月をかけて稲作を手がけたことも
すべてが無駄になるどころか、大変な損害を蒙ることになる。同様に、
小学校から中学校へあがって、高校へ進学し、大学も出て
社会へ出てからも沢山の本を読んで、毎日のように新聞も読んで
それほどまでに努力をして、それほどまでに知識を身につけても
それが何か自分自身が生きるために、どこまで役に立っているのか? 
決して、今まで通りの世の中ではない。
できる者はできるし、できない者はできない。
そのハッキリとした事実。人間の創られ方の違いを素直に認められるなら
人は自分自身の力で生きて行けるはずだし
周りの目を気にすることもなく、堂々と自分自身として生きて行けるはずだ。
「独り」とか「孤独」とか、ロストだとかなんだとか、
現代人は今、様々に、そういう言葉で自分を飾ることを流行らせ
勝手に独りで生きているつもりになっている人が多い。
どこが独りなのか? 
これほどまでに地球上に人間の数がありながら。必要以上にも。
   
…ああ、この「必要以上にも」というのは、俺が云ってはいけないことだな。
創った側と創られた側にも区別が必要だ。
俺は常に、自分自身を棚にあげる苦しさを抱えながら、
創った側の意思を言葉に変えてしまう。
ごめんなさい。なんの指導者でもないのにね。
   
このように、俺でさえすら、ひとつとして何も立派ではない。
初体験の相手は男だし、…ああ云っちまったよ。)
かつては、人類を呪い潰して、世界中のすべてを破壊してから、
その手で自分を殺して死んでやるという目的で生きていた。
真剣にそう考えていた。
それが今は、そんな頭の変な野郎から一転して、
結婚もできて、子供もいて、家族もあって、
稲作もやってるし、そういう米づくりのあとで酒を造る手伝いまでやってる。
嘘だろ。
でも嘘じゃない。こうやって生きてるし、あんまり真面目ではないけど
税金も納めるモノは収めて、選挙にも必ず行くようになった。
NHKの受信料まで払ってる。
朝昼晩に3食のメシを喰って、出すモノも出す。
これからはもっともっと、人間でありたいと思う。どこまでも。
どうしちまったのか? 
どっかの半島の小さな国のサングラスの狸オヤジに並ぶほど
世界中を敵に回すような顔つきと考え方で生きていた野郎なのに
なんで俺は今日ここまで、子供の笑顔が何よりの宝だと思える人間に戻れたのか? 
簡単だよ。
「決して独りではない」
そのことに、自分自身で気づいたからだ。
「あなたは、決して独りではない」
「人間は独りでは生きられない」
他人に言われたってダメだ。
自分自身で、心の底から、そのことに気づかない限りは。
    
それに気づけばいいだけのこった。
俺が気づかせるわけじゃない。
読む人も、これを次に自分の解釈で誰かに伝える人であっても 
自分のことは自分自身で気づくべきだ。
俺はその気づくきっかけを提供するだけでしかない。
誰かの何かの病気や、どんな症状も治せないし、治す係り…そういう役割ではない。
ただ、今の俺の頭ん中にあることを
なるべく、順序良く伝えてゆくだけのこった。
誰も読まなくても構わないよ。
それでも俺は、紙や電話回線を通したネットのデータ上ではなく、
俺が今こうしてキーボードで打ち込んでいることの重要な部分はすべて
この先、何万年も何億年も続いてゆくはずの人類にとって
石に刻まれるほど伝え残したいと望んで書いている内容だ。
あのぉ~、それは今こうして俺が書いてる事実であっても
決して俺が書いてるわけじゃない。
俺は俺の今のこの、ヘンチクリンな肉体を通して
何者かの意志に使われて書かされているだけのこった。
俺じゃない。
そんなこと云うとアホで、馬鹿だし、たいていは常識的に通じる話ではないかも知れないけど
そういう奴もいるんだよ。この広い世の中には。
俺の名前を紙に書いて消しゴムで消してみても無駄だ。
Take me down !  
誰が否定しようとも、俺は俺として今、確実にここに存在している。
自然界が味方である以上、人は、この存在に限らず
誰か何者かの他人を否定・非難・批判しようとも
その本人 自らが、いずれその生命を圧迫する ことになる。
…ああ、ごめんね。これはちょっと云いすぎかもな。なおさら通じない。
ああ? 驕り高ぶり? 誰のこと?  
俺という人間は、そんなに利口でもないし、タイソウな存在でもないよ。
頭もわるい。だから額にバンソウコウも貼ってるよ。
人が数日もせずに覚え、体得できることでも、自分が慣れるまでは何ヶ月もかかる。
たいしたことはない。
今年、41歳の1966年うまれだ。西暦ではな。
どこにでもいる野郎と変わりない人間。一応な。
ただねぇ、最近は、特定の誰かに向けてとか何者かに対してではなく 
すべての生命の未来へ向けて、伝え残さなきゃならないと感じてることが多いだけだ。
あとはない。
…ほとんどない。
そのうち、まったくなくなる。
…ああ、こういう云い方でも通じねぇよな。
でもいい。今日はもう既に、ここまで読んでくれた人もいる。
ありがとう! 
君のお陰だ。あなたのおかげで、今日の俺は生きていられる。
ここだ。
大切なのは、この感謝する気持ちだよな。
奉仕するとか、権利や主義の主張より以前に
人間が常に怠ってはいけないのが、すべてにおいて、
何事に関しても感謝するという気持ちを持つことだ。
意識してもダメだ。それが素直に、自然にできないと
無理が祟るし、自由ではいられなくなる。
そのために自分が この世に創られて生まれて果たすべき義務も
その職責も職能も、なにも遂行…まっとうできなくなっちまう。
どんな憎悪も、争いも、憎しみ合いも、非難中傷や干渉も束縛も、
差別も、比較も評価も、批判も暴力も、飢えや貧困も、病も老化も、死も、
すべてにおいて自己を孤独や心身症から解放できない自分自身に問題がある。
責任ではない。どんな罪であっても金の力や死で償えることはない。
本来の自由へ自分で自分を解放できない問題点。
それはすべて、生きて動いて生かされている生命として
その肉体の管理と、それを動かす心、魂、精神の落ち着かせ方の問題。
それは自分次第でどうにでもなる。
気づきゃぁいいだけのこった。俺も含めてな。
んまぁ、あんまり深く考えず、この先へ進んでくれ。
魂を足踏みさせて、生きて成長すべき時間にある命を無駄遣いしてる暇はない。
   
    どちらかへ、つづく。 
   
     ☞ http://ameblo.jp/badlife/entry-10030385270.html
   
     ☞ http://ameblo.jp/badlife/entry-10030387599.html