仏壇と便所。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   sub title: たとえ今日 死んでも喰いを残さないように。
   
   
見た目以上に中身が危ノーマルな部分もリヴァーシブル可能な俺はともかく 
奥さんは、プロのコピーライター なんだけど 
都内在住時期のかつては千趣会やJLDSの谷口社長の下でも働いてて
一度に何億ものカネが動くような大手企業の広告業務の仕事をやってたこともあった。
そういう関係で友人・知人、その他サワヤマのお尻合い(競り合い?)の方々には
資産家や財産家も多く、青山に住んでる人とか、無形文化財の歌の先生とか、
んまぁ様々に…。なのに、俺のようなアホな男に まんまとひっかかってしまったためか 
味噌も醤油もサランラップもボックス・ティシューも 
今週の農協より、あっちのスーパーの方が¥12安い!
などという、人生において非情に無駄なことに頭を回す時間を過ごすことが多い破目になっちまったな。
田んぼや山岳地域の畑はあっても大地主でもないので
自分たちが自給自足で喰うための米や野菜を作るのみ。
年間を通して農業での収入なんてのは、やらない方がマシな苦労でしかない。
俺は俺で家の仕事(?…まとまったカネにならんので仕事ではなく作業
「ちっとも手伝わない」ようなレッテルを貼られてはいるけど
何か書いてるもんでメシが喰えてるわけでもないので
これも単なる趣味でしかない。
趣味と実益? 
好きなことやって、それがカネになるなら、それほど価値のあるもんはねぇよな。
他人様に何かを奉仕、提供、お喜びになってもらえる以前に 
人それぞれ生きていて、生きるために必要な心のヨリドコロってのは 
何かしら形あるモノが形のない心に関わってる…よな。
それが独りの人間に「まったくない」となると 
それほどサビシイ人生もねぇずら。 
よぉ!、全国の痴呆症アルツ…認知不全ボケの老人のみなさん 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10014887424.html  July 18, 2006
http://ameblo.jp/badlife/entry-10017931895.html  October 03, 2006
http://ameblo.jp/badlife/entry-10013364666.html  June 09, 2006
   
人間、自分の魂で遣い動かす肉体を
トイレへ行くにも風呂へ入るにも、それこそ 
火葬場で焼かれる棺桶に収められるにも
最期の最期まで自分の力で運び動かすためには
どんなことがあっても途中で
「まぁ、いいやいいや…」
「こんなもんだろ。あとはどうでもいい」

というような、そんな考え方になっちまうと
人間として生きてることが嘘、ニセモノになっちまう。
この世に生きるってことは
最近の多くの戦争体験者が怠けた面して
喰って飲んでクソこいて寝るだけのだらしのないもんじゃねぇんだよ。
最近の俺は
「もしも今日、思いもよらぬことで死んでも、悔いを残さないように…」
ということを心がけて生きるようにしてる。
って、心がけてるだけで実践が伴うかっていうと、そうでもないけどな。
生きるってことも、なかなか大変だよな。死ぬより大変 。たぶんな。
明日、もしかすると肉体を失うことになっちまうかも知れない。
どこで、いつ、誰の身に何が起こるかは判らない。
今はもう、そういう時代。今まで通りではない。
その覚悟は恐怖とは別だ。
腹をくくって今日を満足して生きる。
なかなか難しいぞ。自分にも自分の周りにも、余分なモノが多過ぎて。
http://ameblo.jp/badlife/entry-10019346988.html  November 03, 2006
   
そういう意味で、昨日は
俺が“働いて得たカネ”というモノを使って
家族そろって外食へ出かけた。
子供の喜んだ顔、喜ぶ顔を少しでも多く 
自分が生きている時間に見ておきたい…という勝手な思いでな。
   
佐渡には都会に溢れかえってるようなフランチャイズの、ふぁみレスなんてないんだけど 
ローカルな個人経営の食堂…、
「一応、ファミリーレストラン」という飲食店も何軒か…ある。
ピザとかラーメンとか焼きそば、パスタ、ハンバーグ、カレー、サラダ、お子様セット、
フィズ、カクテル、ソフトドリンク、その他デザート…
メニューには、そういうものが文字だけで印刷されてて 
店の入口には鍋焼うどん はじめました!」という貼り紙もあったりする。
なんの店? ファミレスだよ。ハミダシ・レスではない。
んで、そういう店に昨日は家族4人で行った。
家族はすべて俺の「扶養」不要?ということになってて、5人なんだけど 
昨日は4人。
要するに、婆さんだけは、自分が子供の頃から外出・外泊を避け 
世間の人様の方々とツラを合わせることを嫌って生きてきた人間 
(そんな根性のお陰か、アルツハイマー博士の名前を譲り受けても
ボケまくってシャバを徘徊するようなこともない。幸いに…。)

なので、家族間でも協調性というものがまるでない、
勝手な人生の歩み方を貫き通してクタバルつもりでいる…んだろうな。今のままでは。
そういうことを夫(爺さん)も娘も娘婿(一応、息子にあたる)の俺も、
同じ人間として許せないんだけど 
俺の子供(一龍)だけは、はじめっから
「おばあちゃんは、ああゆう人なんだ」という認識なのか? 
別に気にはしてない。
だよな。自分の人生じゃねぇんだ。他人だ。
親であっても他人。自分と他人の区別 。これも大事な、生きるための知恵のひとつだ。
どこでどうくたばろうが、のたれ死のうが、かまうこたない。ほっときゃいいんだ。
気にするだけ、気にかけて何か世話するだけ時間の無駄。
電車の中で擦れ違う、どこぞの国とかの外国人 でかまわねぇだろ。
うちの婆さん、妻の母親は、自分の父親が 
侵略・殺戮合戦の戦争 で満州から帰って来て間もなく 
佐渡の港町のどっかに女をつくって家を出て依頼、おそらく両親を憎んで生きてきた。
「おめぇら自分の親族山の田舎に住み暮らしてて魚ひとつマトモに喰えやしない」 オバケ 
などと言われたことを根に持って、食卓で魚料理を喰う毎に憎たらしげな口を叩いては
口の中の魚の骨を貪ってた。
最近は、見事なまでに道楽ボケ単なる穀潰しな道楽で惚け、痴呆、認知症にナッテルという意味になったので 
そんなクソな想い出まくら台詞(寝言)も ほざけなくなったけど 
あんなふうに何十年も成長が止まってりゃ、人間の魂に成長も発展もありゃしねぇよ。
自然界の道理に従って肉体は老化しても 
それをコントロールするはずの精神に向上がない。まったくもってして何十年間も。
独り娘として、いずれは
先祖の墓の横に適当に設けられた無縁仏 の墓石の穴蔵へ収まるつもりでいたかも知れない。
それをすべて覆したのが、うちの爺さん。妻の父親だ。
そういう大いなる愛情に助けられた人生でありながらも 
農作物を育てて生活するという農家に産まれていながらも 
今はもう、あらゆることに有り難味や感謝はない。
何をするにも立ち上がってトイレの前へ立ってから忘れてる始末。
便座に座っても何をしてるのか忘れちまう。
クソや小便をこいても、次ぎの動作が思い浮かばない。
ここ数ヶ月は、そういうことが焼香状態にある。
んでだなぁ、(俺もこんなこたぁ書きたくもないけど書く日常にある事実なので。)
うちの、水洗ではないトイレがある場所ってのが 
便座に座ったときの目の前の壁の反対側が仏壇になってるわけよ。
婆さんはボケていながらも、毎朝、
その仏壇に飯粒を備えることを欠かさない…ように家族がさせてる。手取り足取り。
気分の問題なのかも知れねぇけど 
俺が朝、仕事へ出かける前に、そのトイレ踏ん張ってるとき 
壁の向かい側には仏壇で手を合わせてる人がいるわけ。
『8時だよ全員集合!』の舞台劇のように横から見た場合? 
もしくは、壁やフスマや戸をすべてスケルトンに想定した場合? 
なんかヘンじゃない? 
便座に座る人と、仏壇に手を合わせる人が向かい合わせになって 
息して自分自分の生命活動をしている。
一方は、先祖供養の慰めの施しを丁寧に、
もう一方は、この世で生きるために必要ない物を排泄中。
笑ってる場合ではない! 
俺は毎日、神聖な酒づくりに携わってる人間だ! 
   
なんか、縁起わりぃんだよな、家の造りそのものも。
まぁいいけど。
水まわりは勝手にブッ壊して何かあるのも嫌だしな。
   
あ~あ、こんなこと書く予定じゃなかったんだけどな。
   
   
   
   
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つづきはまた明日にしとこぉ。
   
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