今年もまた12月8日がやって来ました。
私にとって、絶対忘れる事の出来ない日。
私がこのブログを始めるキッカケとなった方の命日なのです。
もう、あれから6年も経ったのですね。
あの夜、私は彼が亡くなった事も知らずにお友達とカラオケを楽しんでいたのでした。
忘れられない夜
ブログなどには全く縁遠かった私を、彼がこの世界に導いてくれたのです。
ブログを始めるキッカケ
ここまで来た経緯は、自分でも不思議としか言いようがありません。
ブログを始めるようになって変わった私の人生。
沢山の出会い。
これらは全て彼のおかげであり、彼には本当に感謝しております。
彼は盲目のダイバーでした。
沖縄や九州にお住まいの方の中には、2005年頃にCMカットで放映された彼のドキュメンタリー番組をご覧になった方が、もしかしたらいらっしゃるかも知れません。
美ら海水族館の尾びれを失ったイルカのフジも出て来ます。
彼は沖縄の美しい浜辺で、娘さんにガンである自分の余命をそれとなく告げていました。
結局、彼は残された期間よりもずっと早く、脳幹出血で突然に亡くなってしまいましたが。
それも、彼が計画して来たシナリオだったんだと今なら分かります。
私をずっと導いて下さり、ありがとう。
2013年の命日
最愛の彼はガンでしたが、その為に私たちは出会えました。
その当時私は、大きな病院の外科病棟に勤務していたからです。
外科病棟のほとんどの患者さんはガンの方でした。
悲しみを乗り越えて
「原発・核」もそうですが、どうも私のもう一つのテーマは『ガン』にある気がするのです。
1ヶ月も悲しんだ逸見政孝さんの死から、私は動き始めました。
それまで平和で平坦だった人生に自ら別れを告げたのでした。
そして、沢山のガン患者さんと出会い、お見送りをする中で、ガンは抗ガン剤治療や放射線治療では絶対に治らない事を目の当たりにしました。
『ママが生きる証』や『ママとパパが生きる理由』のことも記事にしていますが、みなさん病院での治療を最優先させています。
逸見政孝さんと同じく、悲しい結末になっているのは、放射線治療を受けているからだと考えます。
ご自分の免疫力を落とすやり方は、自然に身体に備わっている治そうとする力、治ろうとする力を無くしてしまうのです。
病院に命を預けてはいけません。
病気は自分で治すんだ、という気持ち。ガンと仲良く共存していくんだという気持ちで、身体が喜ぶことをしてあげて下さい。
ガンは、身体の中に溜まった汚れたものを一ヶ所にまとめて、塊にしたものなのです。
身体の為に良かれと思ってやってくれていたのです。
そうと知れば、ガンと戦うのではなく、感謝して共存していく気持ちが持てると思います。
そんな優しい気持ちで探せば、人それぞれ自分に合ったものが、きっと見つかるはずです。
カッピングで血液をきれいにしたり、お水を変えたり、ヘンプのCBDを食べたりする事も有用だと思います。
今はネットでいくらでも探せる時代です。
生きたいと強く願えば、きっとその人が求めているものに導かれていくと思います。
今日は、いつもの命日の記事とは違う内容になりましたが、これはきっとガンであった彼からのメッセージでもあると感じます。
世の中から病気で悲しむ人々をなくしたい。。
それは、彼と私の共通の永遠のテーマなのでしょう。
彼の想いを受け継いで、これからも頑張りたいと思います。