自分の命か 子どもの命をとるか
「余命一年」妊婦の生きた証
まずは、「ご主人が出された本」のあらすじをご紹介します。
★★★★★
結婚3年目で授かった命―。
希望に胸ふくらませる小学校教師の妻が妊娠5ヵ月で受けた検査で、末期の乳がんが見つかった。
医師からは、肝臓への転移も指摘され余命1年の宣告を受ける。
最適な抗がん剤を投与すれば、羊水が減ってしまうリスクは避けられない。
「自分の命」を優先すべきか「新しい命」はどうなるのか、究極の選択を迫られる夫婦。
だが、アメリカで報告例があった治療と出産を同時に進めるリスク覚悟の療法を、日本ではじめて受けることにより、副作用に悩まされながらも、2010年12月、無事男児を出産した。
しかし、病魔はいっこうに衰えない。
さらなる肺、脳への転移と治療法をめぐり対立する妻と夫、病院と家族。
それでも絶対に諦めない妻には、わが子に託したい〈ゆめ〉があった。
その舞台は、小さいころから親しんだ実家近くの神社で行われる泣き相撲の土俵に長男を立たせること。
2011年は9月25日に開催される。その日まで、いかなることがあっても命の火は絶やせない―。
がん宣告から最期の日まで、妻と夫と最愛の子の14ヵ月の物語を、一周忌を前に夫が綴る。
<がんを宣告された日の妻の日記。2010年8月5日>
「生きる証として書きます。正直、死というものをまだ受け止められない。でも、死と直面した私より残される家族が心配。残されるほうが辛いと思うから。
赤ちゃんはどうなるのかな? やっとできた赤ちゃん。泣いたから治るわけじゃない。でも、涙が出てくる。
でもでも、少しでも長く生きられるように頑張る!私の今の一番の幸せは、大好きな人たちと一緒にいることです。生きる!!」
ひとつの体に「絶望」と「希望」が宿る運命は、この日からはじまった。
<転載終わり>
小学校教師をしていた小松美恵さんは、2007年26歳の時に、7歳年上の武幸さんと教会で結婚式を挙げました。
ところが結婚3年目、待望の子どもを授かると言う幸せの絶頂期に、突如末期がんと診断されてしまったのでした。
抗がん剤などの治療をめぐっては、母体を優先させるか、子どもの命を優先させるのかと苦しい決断をしなければならないのでした。
やはりご主人としては、奥様を救いたいという想いが強くありました。
それに対し、美恵さんは当然の事として子どもの命を救いたいと願い、夜中になってもなかなか結論が出なかったようです。
美恵さんが綴っていた日記にも苦悩が見えます。
「先生から赤ちゃんは諦めた方が、と話をされた。赤ちゃんはエコーで見ると日に日に大きくなっている。だから辛い。だけど辛いけど。。。赤ちゃん、ごめんね。」と、一時は美恵さんもお子さんを諦めることに同意をしたのでした。
しかし、すぐに美恵さんは考えを改めました。
「生きた証が欲しい。自分がこの世に生まれた意味・証しを子どもを通じて残したい」と強く思うようになったのです。
そしてそれからは子どもを産むことに迷いはなくなりました。
しかし、美恵さんの治療薬は日本ではまだ妊婦に投与された例はなく、胎児へのリスクが懸念されていました。
乳がんの進行具合と胎児の状態をにらみながらの投薬治療は、まさに綱渡りのような毎日でしたが、美恵さんは希望を捨てませんでした。
そして、余命一年の宣告から4ヶ月目の2010年の12月に、無事2504gの元気な男の子を出産できたのです。
名前は「遼雅(りょうが)」くん。
「これから先のことを考えると、不安で泣いちゃうときもあるけど、今日赤ちゃんを抱っこして、離れたくないって思ったんだ。」(美恵さんの手記より)
この日からのママとしての生活は、不安な中にも美恵さんに笑顔をもたらしました。
しかしガンは、立ち去ってはくれませんでした。その頃ガンは、彼女の脳や肺に転移していたのです。
週の半分は起き上がれないような日々で、脳への転移は右半身のマヒを起こしていました。
それでも美恵さんは、遼雅くんを抱きしめるために懸命のリハビリを続けたのです。
しかし。。。
2011年9月22日、美恵さんは30歳でこの世を去りました。(念願だった泣き相撲の25日の目前!)
美恵さんと遼雅くんが共に過ごせたのは、わずか9ヶ月でした。
しかし、美恵さんは遼雅くんに「ある物」を残していたのでした。
それは、最愛の息子さんに宛てたビデオレター。
それには、小学校入学から社会人になるまでの遼雅くんの人生の節目、節目に見てもらう事を考えたメッセージが込められていました。
亡くなる2週間前に撮ったものでした。
<結婚する遼雅くんに向けてのメッセージ>
『遼雅、遼雅の奥さんになる方、ご結婚おめでとうございます。
家族になるって本当に素敵だなって思うよ。
他人同士だったけど、一つになるって本当に本当に素敵だなって思うよ。
大変なことも、泣くことも辛いことも、いっぱいあったけど、遼雅なら、、、
遼雅ならば、やって…やりぬけない事はないでしょう。。。」
美恵さんの死から一年。
武幸さんは墓前に一冊の本を捧げました。
それは、最後まで母親としての人生を貫いた美恵さんの闘病記を夫・武幸さんが綴ったものでした。
- ママが生きた証/講談社
- ¥1,365
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出版にあたって、武幸さんは美恵さんとある約束をしていたそうです。
「周りの人に色々と勇気づけられて妻は子どもを産む事ができた。
子どもを産んだという事が自分にとっての幸せなので、ガンで苦しんでおられる方の為に、少しでもメッセージを伝えられたらなあと思っています。」
日本で初めての治療例となったこのケースは、学会にも報告されて今後の治療に活かされると言う事です。
余命を宣告されたからと言っても、何かを諦めて生きるのではなく、本当に自分らしく生き抜く事を貫いた美恵さんの強い想いは、多くの女性の希望となっていつまでも心の中に生き続けていく事でしょう。
★★★★★
本のレビューのひとつをご紹介します。
<当たり前の日常こそが宝物>
「当たり前の日常こそが、かけがえのない宝物であることに気づかされました。
私は主人公の「ママ」と同じ2010年12月に男児を出産しました。
自分が妊娠中に感じた様々な期待や不安を彼女に重ねて読み進めました。
本来なら、この先に訪れるわが子との対面に胸を膨らませ、幸せいっぱいのこの時期に、彼女を含めそのご家族はどれほど辛く苦しい思いをしてきたことか。
もし、自分に同じ状況が訪れていたらどうしていただろう。
やはり、彼女と同じ選択をしていたのではないか。主人を含め家族はどうだっただろう?
そんなことを考えさせられる作品でした。
著者であるご主人の言葉は淡々としていて読みやすい文章で語られますが、ときにどうすることもできないご自身への葛藤と悔しさ、そして奥様への慈しみと愛情に溢れています。
そして、母親として最後まで懸命に生きようとする奥様の姿に、涙なしでは読み進められませんでした。
家族揃って笑い合いながら今日という一日を迎えられるということは、実は奇跡なのかもしれません。
息子に寄り添い、成長を見守ることのできる幸せに感謝しながら、登場人物の息子さんの健やかな成長をお祈りしています。」
<転載終わり>
さらに、ご主人の小松武幸さんの経歴を見て驚きました。
「青山学院大学法学部在学中から放送作家の活動を始める。現在『報道ステーション』などを中心にスポーツ番組、スポーツ中継を手がける。」とありました。
やはりお二人の出会いは必然で、それぞれにご使命を持たれていたんですね。
最愛の人の肉体がなくなる事への別れの辛さは私も充分味わいましたが、美恵さんは今もご家族と共にいらっしゃると分かります。
遼雅くんはお母さんの分まできっと逞しく成長していく事でしょう。
美恵さんが命をかけて遺したこの本は、多くの方たちに読んで欲しいと思いました。