昨日のブログに関してのコメントで、大きな気づきを得る事ができました。
私は、2年前まで大学病院の外科で、看護助手をしていました。
外科はガンの方がほとんどで、亡くなってしまう方も大勢いらっしゃいました。
助手は、患者さんのベッド周りをお掃除したり、検査にお連れしたりして、患者さんと接する時間が割と多くありました。
それで、長期入院の患者さんとは、たいてい仲良くなっていました。
でも、放射線治療でどんどん体力がなくなって行く患者さんを見るのは辛いものでした。
だいたい危なくなって来るのが分かります。
夜中に亡くなる方が多く、朝出勤して白い予防衣と救急カートが出ていると、それは亡くなった方がいた事を意味していました。
どなたが亡くなったか知ると、ショックでしばらく茫然自失になりました。
助手は死後処置も手伝います。
まだ温かい身体の方もいらっしゃいました。
我慢出来ずに、泣きながら手伝った事も何度かありました。
ナースは平然としていましたが、私は患者さんの「死」に慣れる事は出来ませんでした。
人前では泣けないので、亡くなった部屋の消毒をする時に、一人泣きながら掃除をしました。
ある患者さんは、自分の死が近い事を悟っていて、わざわざ家族に売店でお菓子を買って来させて、かすれた声で、お礼を言って、私に最後の挨拶をするのです。
側にいる家族も、辛いのをこらえているというのに、私は不覚にも涙を我慢する事は出来ませんでした。
また、腹水が溜まって、横になるのも辛く、ベッドに座ってじっと痛みに耐えている患者さんもいました。
その方が亡くなった時、その姿が焼き付いて頭から離れませんでした。
どんな気持ちで死を覚悟していたんだろう、と。
処置に入れなかったので、一目会いたくて昼休みに霊安室に会いに行きました。
不思議に怖くはありません。
顔にかけてある白い布を外し、頬をなでながら泣きました。
患者さんは、一旦退院しても、戻ってくる事が多かったです。
随分弱々しくなって痩せて戻って来ても、覚えていてくれた時は嬉しかったです。
その方の家族が、ナース室で私を呼んでいました。
「おじいちゃんが○○さんに会いたい会いたいって、家で何度も言うから」って。
そんな患者さんが亡くなったと分かった日は、力も抜けてしまいました。
何か取り留めもない文になってしまってごめんなさい。
とにかく、私は、数え切れないほど多くの患者さんとお別れして来たのでした。
まだ、思い出しては、泣けて来ます。
昨日のコメントにもある様に、魂は永遠だとは前から分かっていました。
生まれ変わる前に自ら決めた課題を終え、肉体という服を脱ぎ捨てて、光の世界へ帰って行くと。
そこまで分かっているのに、どうして悲しいのか。
そして、引っ越す為に病院を辞めた後、私にはさらに最大の「死」が待ち構えていました。
愛する人の突然の死でした。
2ヶ月も会えずにいたのに、お別れも言えず、覚悟もできていませんでした。
私はその後、前世療法をやってみて、彼とは前世でも死に別れている事が分かりました。
彼が亡くなってから、ずっと一人で暮らしていたのでした。
だからかも知れません。
「死」というものを、頭では分かっていても、受け入れられないのです。
でも、今回の事で悟りました。
もう、いいかげんトラウマを手放しなさいよ…と言うメッセージなんだと思います。
故人は悲しんでいないのです。
むしろ、病気や苦しみ、痛さ、身体の不自由さから解放されて、自分で決めてきた宿題を片付けたと、喜んであの世に旅立っているのです。
私も、良かったね、辛い現世でよく頑張ったね、お疲れ様でした、と元気に見送らなければいけないんです。
私に与えられた宿題のひとつは、大切な人々の「死」を乗り越える事だったんですね。
だから、こんなに沢山の人たちとの別れを経験させられたんですね。
でもこれは、「この世」での別れに過ぎません。
同じ宇宙で魂は生き続けているんですものね。
1日に亡くなった利用者さんが、私に教えてくれた様です。
まさに、それは新年の始まりの日。
私の人生も今年は何か今までと違っていく様な気がします。
天の計らい、全ての事に感謝します。
皆さん、ありがとうございました