【桐壺146-②】古文解釈~逝く祖母の悲しみ
【古文】
年ごろ馴れ睦びきこえたまひつるを、見たてまつり置く悲しびをなむ、返す返すのたまひける。
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【これまでのあらすじ】
どの帝の御代であったか、それほど高い身分ではないのに帝(桐壺帝)の絶大な寵愛を勝ち得た妃(桐壺更衣)がいました。しかし、周囲の反感の中、更衣は、3歳の皇子を残して病死してしまいます。皇子(光の宮)は、祖母北の方のもとに引き取られましたが、その年の冬に、帝のもとで育てられることになります。翌年の春、一の皇子が、皇太子に立坊。悲しみのうちに、祖母北の方は、お亡くなりになります。光の君御年6歳。
今日は、「逝く祖母の悲しみ」のお話です。
(※今回のイラスト訳はこちら→ )
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光の宮の祖母(光バァバ)がお亡くなりになります。
光の宮の悲しみも、ひとかたならぬものでしたが、
光バァバのほうも、本当につらかったことでしょう。
今日は、そんな光バァバの想いです↓
年ごろ 馴れ睦び きこえたまひつるを、
【年ごろ】
…長年の間、数年来
(※「年ごろ」についてはこちら→ )
【馴れ睦ぶ(なれむつぶ)】
…なれ親しみ仲むつまじくする、親密にする
「きこえ(きこゆ)」は謙譲の補助動詞。
「たまひ(たまふ)」は尊敬の補助動詞。
このように、謙譲と尊敬が混合されて用いられることが、古文ではよくあります。
2方向の敬語と言います。
これについてはまた後ほど^^
ところで、また主語が書かれていませんよね;;
なぜ、主語が「光バァバ」だと分かるのでしょうか…?
それは、次の節を見てから考えましょう↓
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見たてまつり置く 悲しびをなむ、
「たてまつり(たてまつる)」は謙譲の補助動詞。
その敬語を外したら、「見置く」ですね☆
【見置く】
①前もって見届けておく
②方策を講じておく
③見たままで放置する、見捨てる
光バァバの死に関する文脈で、「見置く」とは、何をどうすることでしょうか?
さあ。
ここまで見てきて、「馴れ睦ぶ」「見置く」の主語や目的語が判断できるんですね!
年ごろ 馴れ睦び きこえたまひつるを、見たてまつり置く 悲しびをなむ、
訳)長年 仲むつまじくし 申し上げなさってきたのを、見捨て申し上げる 悲しみを、
前述では、すでに、光バァバの死が描かれていました。
なのに、また死に際の場面に戻っています。
(;゚;∀;゚;)
…こういう時間的経緯の矛盾は、以前、桐壺更衣の宮中退出の場面 でも出てきましたよね;;
これを、現代文のように、時間経緯に追って読んでしまうと、現代の読者は大いに戸惑ってしまいます><
では、どうすればいいのか…?
何度も言うようですが、古文目線!
(σ・∀・)σ
文脈の主語と、敬語に着目して読み進めることが大事です。
ここでは、この文脈の主語が「光バァバ(の死)」であること。
作者紫式部が、
■誰に対して「馴れ睦ぶ」のか
■誰を「見置く」のか
ここに謙譲語を使って、敬意を表していることから、
この一文の主語を判断します!
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返す返す のたまひける。
【のたまひ(のたまふ)】
…おっしゃる(「言ふ」の尊敬語)
「のたまはす」ほどの高い敬語ではないので、
主語が帝よりも低い人物であることがわかります。
「光バァバ(の死)」という文脈から、主語を判断します。
【古文】
年ごろ 馴れ睦び きこえたまひつるを、見たてまつり置く 悲しびをなむ、返す返す のたまひける。
【訳】
長年 仲むつまじくし 申し上げなさってきたのに、見捨て申し上げる 悲しみを、繰り返し繰り返し おっしゃっていた。
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■【年ごろ】
■【馴れ睦ぶ(なれむつぶ)】
■【きこえ(きこゆ)】
■【たまひ(たまふ)】
■【つる(つ)】
■【たてまつる】
■【見置く】
■【悲しび】
■【なむ】
■【返す返す】
■【のたまふ】
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あいでした