実は、ヘルシンキまでの旅は、自分の中ではまだプロローグにすぎなかった。



どういうことかというと、もともと今回の旅はバルト三国から始めようと思っていたのだけど、チケットの都合上なかなか適当なものが見つからず(もちろんアエロフロートなどはあるんだけど)、それだったら北欧も少し見ちゃおうかな、ということで立ち寄ってきただけだった。


もちろん、それぞれ魅力的な国だったし、新しい発見(旅行中は新しい発見ばかり)もたくさんあって、結果として北欧の街を見られて本当によかったと思う。


ただ、やはりエストニア のタリンに着いて、「いよいよ本当の旅が始まるんだ」と強く思った。



ヘルシンキからのタリン行きの船は、いわゆるホバークラフトのような高速船で、ヘルシンキを出航して5分ほどたつと、船体が水面から浮き上がったようになりスピードを上げる。


リンダライン


窓ガラスにあたった水しぶきが太陽の光を反射してまぶしかった。



バルト海を航行している最中にふと思った。



世界中の空が何の隔たりもなくつながっているように、このバルト海も世界中の海とつながっていて、能登のばあちゃんちの目の前の鄙びた漁港にも、滞在中何度も足を運んだシドニーのサーキュラーキー の埠頭にも、船で一夜を過ごし、石灰質の岩々が作り出す景観が美しかったベトナムのハロン湾 にも、若者でごったがえすお台場の海岸にも、気の遠くなるような時間をかけて進んでいけばいつかは辿り着くことができるんだ、なんて思っていたりした。



太平洋、インド洋、ペルシャ湾、地中海、なんて言い方があるけど、考えてみれば、海は一つ。

それを地域によってをいろいろな呼び方をしているってだけの話。


どっかの国同士では、同じ海を別々の言い方で呼ぶこともあるしね。

「日本海」、「東海」なんかがいい例。

でも、やっぱり海はみんなのもの、海は世界中をつなげているんだ。



………、なんて言い切れたら本当にいいんだけど、実際のところは海にだって見えない境界線が引かれていて、日本でだって間違えて他国の領海に入ってしまったりなんかして、相手国のネイビーに拿捕されてしまった漁船のニュースをしばしば目にすることがある。


フィンランド出国ゲート

(目に見える境界・ヘルシンキのパスポートコントロール)



みんないつだって見えない境界を意識していなきゃいけないんだ。

これはなにも国境線に限ることじゃなく…。



そこで暮らしている魚なんかは、毎日のように国境を行ったり来たりしているのにね。

人間だからダメみたい。

 


………、旅をしている最中はこんなことばかり考えている。

一人旅は感傷にひたってしまう時間が多くてダメだね。



まあ、でもこうしてフィードバックできる機会があることを考えると、そんな妄想も強ち無駄ではなかったのかも。


日本で暮らしていたらこんなこと考えないでしょ?


海の向こうはフィンランド タリン港

タリン港 海の向こうはフィンランド。

写真左下の船でやってきました。


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ヘルシンキでの一つ目の宿は、とっても綺麗で清潔感のある二人部屋。


いくらドミトリーといえど、北欧はやはり違う。

これで一泊19.5ユーロなのだが、北欧ということを考えればきっと安いといえるのだろう。


どらごんぼーる なぜかドラゴンボール


この部屋で同室となったのは、スウェーデンのマルメという街に住んでいる、おじいさんといってもいいくらいのフィンランド人だった。


彼の名前はティモ(かわいい名前!)といい、親切でフレンドリーだったし、食べ物をいろいろくれたりもして、とってもいい人だった。



この日は、旅に出て初めてデジタルカメラのデータをCDにした。

インターネットカフェならば大してお金はかからないのだけど、手近なところに見当たらなかったので、たまたまあったFUJIFILMで焼いてもらうことにした。


そこで10ユーロ。

一枚のCDに10ユーロ(1400円くらいかな)も出すのは最初で最後の経験だろうな。


ヘルシンキのマクドナルド マクドナルド



ところで、誰かユーロっていう字の記号はどうやったら出せるのか知ってます??

あの、Cに横線が二本入っているようなやつ。

ドル=$、円=¥、なのにユーロ=??

わからない~!



 その後、週末のエストニアの首都、タリン行きの船のチケットを買い、それからヘルシンキの街をぐるぐるしてた。


港の魚売り


デパート、スーパー、教会、港、駅の地下街、マーケットをざっと眺め、メインストリートを散歩していると、ばったり同室のティモに出会った。

言葉にしてしまえば簡単に聞こえるけど、特定の一人と街中で出会うってのはそうよくあることではない。

仮にも一国の首都で。


そんな偶然もあって、彼の知っている8ユーロで食べ放題という店で夕食を食べようということになった。

いきおい、飲みに行こうかという話になって、またまた彼の知っているこじゃれたアイリッシュバーに。



彼はフィンランド語、スウェーデン語、フランス語、を話すことができて、英語も相当流暢だった。さらに少しのドイツ語を話せるという。

自分なんて母国語以外の一ヶ国語を話そうとするだけで、こんなに苦労しているのにな~。いいな。


考えてみれば、一つの共通言語を話せるってのは素晴らしいことだ。

こうして、国も母国語も年齢も全然違う人と仲良くなることができるんだもん。

スウェーデンやフィンランドで出会った人々は複数ヶ国語を話せる人ばっかりで、日本語とわずかな英語しか話せない自分なんてたいしたことないな~って思った。



ま、でも、大事なのは気持ちですよ、気・持・ち!



21時ごろになるとあたりも暗くなってきて、その頃には自分も何杯かのカールスバーグによって酔っ払ってしまっていた。


帰りはストックマンという大きなデパートの前の乗り場からトラムに乗って帰った。

同じ部屋だから行き先も一緒。



宿でたまたま出会ったおじさんと一緒に飲みに行くなんて、日本じゃなかなかできない経験だもんな~。

こういうことがあるから一人旅っていい!


ヘルシンキではいい思い出がいっぱいだった。


フィンランドの女子大生  


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こういうスタイルの旅行を続けていく上で、次に行く街で宿がとれないかもしれないと不安に思うことがときどきある。


ヘルシンキ大聖堂  ヘルシンキ大聖堂


そういう意味で、ヘルシンキ市内の図書館でインターネットをしている最中に、そう高くないお宿を紹介しているいくつかのサイトを見つけたことは、今後の旅の大きな助けになった。



例えば、Budget Accommodationhostelsclub



次に移動する日が土曜日の予定だったので、きっとそう容易く空いているベッドにありつけないだろうなと予想はしていたのだけど、ウェブ上でいとも簡単に次の宿をブックできて、なんだか拍子抜けしてしまった。


その方法もとても簡単で、特別なことはなにもなく、チェックイン日、滞在日数、人数などの基本的な情報を入力して、希望と合致するところがあれば、あとはクレジットカードの情報を入力するだけ。



クレジットを使うことに少しの不安はあったけれど、週末に歩き回ることなく、一つ目の宿に必ず泊まれるという安心感はかなりのものがあった。


ヨーロッパ全域の宿を網羅しているサイトもあったので、ここから先の旅で、その街への到着日が週末にさしかかるときには何度かお世話なることになった。




ヘルシンキでのある一日、スオメンリンナ島という世界遺産に指定されている場所に行った。


正直これといってみるものはほとんどなかったのだけど、島の雰囲気はとってもよかった。

せんたくもの


洗濯物がこんなに絵になる場所なんてそうそうないんじゃないかな。

どこかの絵本に出てきそうな感じだった。


ほのぼの


この写真じゃよくわからないけど、実はバイクのところには全部で五人もいる。

何をしているのかよくわからなかったけど、子どもたちはみんなすっごく仲がよさそうだった。


感動できるような見所は別段なかったけど、心を和ませることができたので、「来てよかったな」と思えた。



9月に入ったばかりなのに、最高気温が11℃というヘルシンキの一日でした。


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スウェーデンからフィンランドまではフェリーで向かった。

 

この区間はシリヤライン、バイキングラインという2つの豪華フェリーが競合しており、自分はそのうち時間的に都合のよかったバイキングラインに乗ることになった。


 出港のとき


その船の中で杉崎くんという変わった日本人と会った。


デッキの上で彼に声をかけられ、少しの間それぞれの旅行について話をした。


話を聞くと、彼はUSA、メキシコ、キューバ、パリと回ってきたという。

キューバでの葉っぱ天国の話を本当に嬉しそうに話す、ちょっと変わった面白いつるっぱげだった。


バイキングライン船内  


その後部屋に戻ると、同室のロシア人とイギリス人の会話に強制参加させられ、したくもないブッシュ批判を延々とすることになった。


自分にとってそこまでアツくなれる話題でないことと、彼らを言い負かすだけの会話力がないのと、眠たさでそのときは話半分だった。



でも、自分がトルコまで旅をするつもりだというと、丁寧にもこれからの旅行プランを計画してくれた。

それによると、どうやら自分はバルト三国を早いうちに通り過ぎるべきらしい。

ラトビアに住んでいたというその経験から、バルト三国には見るものが何もないので旅路を急ぐべきだというのだ。


興味があってわざわざ来た地でそんなことをするつもりは毛頭なかったけどね。

もちろんアドバイスは嬉しかったけどさ。



ただ、一本のワインを分け合いながら話したあの時間は自分にとって無駄なものではなかったな。


ワインはすぐに無くなっちゃったけど、記憶にはこうして残っているんだからね。


バイキングライン&シリヤライン


朝になって、「昨日の夜はオーケストラを楽しめたかい?」なんて洒落たことを聞かれたけれど、一晩中オーケストラを聞かされるのもラクじゃない。


それがまた「いびきのオーケストラ」だったりすると余計ね。



ああいう、ウィットに富んだ表現っていうのは人を和ませることができるんだなぁって感心したのを覚えてるよ。


ストックホルム二日目の午後、時差ぼけの頭を奮い起こし、再び街へ繰り出した。

 

ストックホルム一の観光名所であろうガムラスタンに行くために。

 

 

ガムラスタンは、ちょうど今宿泊している船の対岸にあるのだが、そこに行くには歩道に沿って入り江をぐるりと周り、こちら側とガムラスタンの島を結ぶ橋を渡らなくてはいけない。

 

視聴者から眺めるガムラスタン

 

そして、

いざそこに着いてみると、街の美しさに圧倒されてしまった。本当に。

 

 

狭い石畳の路地の両側にそそり立つ中世を思わせる格調高い建造物。

進むほどに次々と現れてくる、映画の場面にでてきそうな狭い坂道。

街並みとうまく調和したいくつものオープンエアーのカフェ。

そして、北欧の街にいるという実感!

 

ガムラスタンのカフェ        

 

どれをとっても最高だった。

ガムラスタンを見るというだけでも、ストックホルムに来る価値は十分にあると思った。

 

ガムラスタンのベンチ

 

 

 

ここが「魔女の宅急便」の舞台なんじゃないかと、まことしやかに囁かれているのが理解できるような気がした。

 

この街はほんとに気に入ったんだけど、唯一ネックになるのがその物価の高さだった。

 

例を出すと、

地下鉄3駅=30Krona(約450円)

バス代4停留所=30Krona(約450円)

バナナ一キロ当たり=20Krona(約300円)

 

水道水が飲めるのが嬉しかった。

 



スウェーデンの人々は当たり前のように英語を話し、英語のサインもたくさんあって旅行者としてはとても動きやすい国だった。


地下鉄の駅で、これからどうしようかと考えていると、とても親切な人がいて声をかけてくれたりした。

自分はただ、出口を探していただけなのに、「そこに行くにはこう行けばいい」とわざわざ地上に出て、手とり足とり教えてくれた。

 

その人の英語もとても流暢で、そのレベルの高さに感服したと同時に、こういうことがあると、自分も日本で道がわからず困っている外国人がいたら助けてあげたいなと思った。

 

 

ほんとにいい街だった!

 

 

 

こうして、再び訪れなくてはいけない街をさっそく一つ増やしてしまった。

ストックホルムに来て気付いたこと。


それは、イェーテボリにヘッドオフィスを持つ車会社、VOLVOの走っている数が明らかに多いこと。


日本では高級車のVOLVOも、ここでは国産車。

やはり、値段のほうも少しはお手ごろなんだろうか、なんて考えてみたりする。



それはそうと、空港でのドタバタの後、ストックホルムでの滞在地を予定通りアフ・チャップマン に決めた。


アフ・チャップマン遠景


ここは世界でも珍しい船の中のユースホステルで、日本にいるときから「旅のはじめの宿はここにしよう」と決めていた。


船がまるごとユースになってるなんて聞いただけでも、わくわくしてくる。


飛び込みで泊まれるかどうかが唯一の不安要素だったが、駅のツーリストインフォメーションから難なく部屋を確保することができた。



夜になって船のデッキで日記をつけていると、対岸にある教会が20時の鐘を鳴らすのが聞こえた。


鐘の鳴るほうに目をやると、20時だというのにまだ少し明るく、それが入り江を挟んだ対岸にあるガムラスタン の夜景をより鮮明に映し出していた。


そう、夜になるとここは最高の夜景スポットになるんだ!



まだ夏だというのに、この日の冬を思わせるひんやりと身に凍み入るような寒さがなんともいえず気持ちよかった。


旅のはじめにこの地を選んだことは大正解だったな。


ガムラスタンの夕べ



その夜、同室の韓国人がやたらフレンドリーだったのには、正直閉口してしまったが…


もしかしたら、旅行の神様がいて、旅を盛り上げるためにスパイスを注いでくれているのかもしれない。


そうでも思わなきゃ、いきなりこれじゃ滅入ってしまう。


スウェーデン 、ストックホルムのアーランダ空港 に着き、バゲッジクレームで荷物を待っていると空港職員から声を掛けられた。


「あなたの荷物はここに来る途中にどこかへいってしまった」


正直、スキポールでの乗り換えがギリギリのタイミングだったから、いやな予感はしていた。

バゲッジクレームに一人残される…

う~ん、困る。

とりあえず電話で宿の予約だけでもしておこうと思い、お金をおろし電話をしてみたが、つながらない。

しょうがないので、インフォメーションで市内と観光案内のパンフレットをもらい眺めておく。

その後の職員の話によると、やはりアムステルダムで荷物は見つかり、次の便でこちらにやってくることになった。

…2時間後。

見るも無残な姿で我が愛しのリュックは登場した。


盗難防止のためのカバーは乱暴に剥ぎ取られ、いくつかの物がなくなっていた。

金銭的価値のあるものはほとんどなかったのだけど、折りたたみ傘とコンパスが無くなってしまったのがイタい。

職員に問いただしても、「この状態で送られてきた」と宣うのみ。


もちろん保険会社に問えば相当金額の保証は受けられるのだけど、今はそんなものどうでもいい。



行き場のない怒りが体内を彷徨う。

…いけない、心がネガティブになっている!

その場で一度大きく息を吸い込み、笑ってみた。


そうして、気持ちを切り替えてバスに乗り込み、ストックホルムの街へ向かった。

初めての北欧の地

抜けるような青空が北欧にやってきたことを感じさせるいい日だった。

クアラルンプールから13時間にもわたるフライトの後、飛行機はオランダ 、アムステルダムのスキポール空港 に着いた。

Amsterdam Airport Schiphol

しかし、それからが大変だった。


なにしろ、次のストックホルム行きの便のボーディングまで20分しかない。


KLIAとはえらい違いだ。

すぐさま、案内の示すB9のゲートに向かったが、何とそこには長蛇の列が。


話を聞くと、ここでイミグレーションのチェックを受けるらしい。


焦る焦る。

一部のヨーロッパ国間では、シェンゲン条約 という国同士の往来を簡単にするための条約があって、加盟国間の行き来ならパスポートを見せる必要が無く、国内線のような感覚で利用できる。

それで、今回はちょうどオランダがシェンゲン加盟国だったので、入国審査があったってわけ。

そこで、20分以上ロスして、ようやくそこを抜けた頃には出発の10分前になっていた。

危機一髪!

オランダは完全に霧に覆われていて、離陸のときも辺りは靄の中だった。

空港を出てアムステルダムの街を散策したわけではないので、自分の中のオランダには今でも霞がかかっている。

クアラルンプールに着いたのは16時半。


乗り継ぎの飛行機まで7時間もある。

Kuala Lumpur International Airport KLIA

さて、何をしよう。

一通り空港を歩き回ってはみたが、何しろ1リンギットも持っていない。


もちろん手持ちの金を両替することもできたが、なにも旅の始まりからDFSで散財することはない。

ということで、寝ることにした。


適当な「寝床」を見つけて、荷物をロックし、睡眠体勢に入る。


空港での昼寝はいつも決まってベンチの上。

あの起きたときに自分が世界中のどこにいるのかわからなくなっちゃう感じが気持ちいいんだ。

これは夢なのか現実なのかって。


2004年、夏の終わり、新宿、23時。

このバスに乗ってしまえば、もう3ヶ月は東京にもどることはない。

帰って来る頃には蒸し暑いこの街も、秋の終わりを迎えているんだろうな。

これから先の3ヶ月、いったいどんなことが自分に待っているんだろう。


大きな期待と少しの不安が入り混じった気持ちで、流れ去っていく夜の街を眺める。

旅に出る前のわくわくした感じは、いくつになってもいいものだ。

そんな思いを胸に一路、名古屋に向かう。


来年のセントレアの開港に合わせてその役割を全うする、名古屋国際空港へ。

名古屋駅