今日でリトアニアともお別れ。


明日、目が覚めるころにはきっとポーランドの大地を南に向かって走っているんだろう。


次の目的地はポーランドの南の中心都市、クラコフ。


ぼろぼろのいぬ


とはいえ、この日はバスの出発時刻まで余裕があったので、最後の観光ということでヴィリニュスからバスで30分ほど行ったところにあるトゥラカイ城に足を延ばした。


ここはもともと訪れる予定になかったところなので予備知識といえるものはほとんど持ち合わせていなかったが、次の世界遺産候補にも挙げられるような観光地だというので、興味が湧き行ってみることにした。


トゥラカイ城1


城に続く小道の途中でどこからか雰囲気のいい音楽が聞こえてきて、少し進むと道端に座ってアコーディオンを奏でている老人がいた。


その曲がトゥラカイの素朴な光景とうまくマッチしていていい気分になる。



城からの帰り道でまたそこを通ると、老人はまだそこで音を奏でていた。


今度は自分に気づいていたんだろう、より俗っぽい音楽に変わっていたが、こちらに一瞥することもなくただ黙々とアコーディオンを弾く彼の姿からは、職人のような誇りを感じてしまう。


老人はその姿と音楽という形で、疑いようもなくその風景の一部を織り成していた。


トゥラカイ城への橋


ヴィリニュスに戻ると、バックパックをピックアップするために一度宿に戻った。


ヨーロッパで一泊700円ちょっとで泊まれるところがあるとは思わなかったし、値段以上に快適な宿だった。


さすが学生寮。

準備を整えた後、そのままバスターミナルへ向かう。



今回の行程で途中ポーランドの首都であるワルシャワを通るんだけど、今まで逆のルートを辿ってきた旅行者に話を聞くと皆同じように、


「ワルシャワで見るべきところはそれほど多くない。それならその日数をクラコフに割いたほうがいいと思うよ」


という答えが返ってきた。



確かにワルシャワの街は、かの世界大戦で壊滅的な被害を受けたそうで、歴史ある建築物はほとんど残っておらず建物の多く戦後再建されたもののようだ。


また、どちらかというと観光都市というよりも政治、経済、ビジネスの中心都市といった感がある。


それに対し、クラコフはポーランドの旧首都であり、歴史、文化、芸術の街である。


戦争の影響もほとんど受けず、今でも昔ながらの街並みが現存するクラコフ旧市街の景観も含め、ヴィエリチカ岩塩坑、そしてあのアウシュビッツ収容所と世界遺産が3つも点在している。


歴史ある建築物も多く見所が多いに違いない。


また、先代のローマ法王、ヨハネ・パウロ2世もクラコフの出身だ。


うーん、これはクラコフだな。


そう思い、ワルシャワの街は深夜に通過することにした。



ヴィリニュスバスターミナル


バスは予定時刻を少し過ぎた17時にターミナルを出発した。


さっきバスの案内板を見てみたら、このバスはどうやらクラコフで自分を降ろした後オーストリアのウィーンまで向かうらしい。


そして、ウィーンからさらに進み最終的にはローマまで行くという。


さすがヨーロッパは陸続きだ。


「外国」の感覚が日本とはだいぶ違うんだろうなということは、こういうところからも想像できる。

国境 リトアニア~ポーランド


21時ごろ国境を通過し、ポーランドに入国した。


そして、新しい国に心躍らせながら腕時計を一時間遅らせる。



15時間のバスの長旅はまだ続く。

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長い間旅をしていると、毎日が観光日和というわけにはいかない。


どうしても雨の日にあたることだってある。


雨の公園


もし短期間の旅行であれば,そんな日でも精力的に観光名所を巡るのかもしれないけれど、今はそんなに先を急ぐ必要もない。


のんびり街をあるくことにしよう、そう思って中心部にある公園を抜けて東のほうへ歩いた。



公園にはほとんど人がいなくて、木々の緑を独り占めすることができた。


下に目を向けても、雨で濡れた路面が美しい。



そして、聖アンナ教会、聖ペテロ&パウロ教会と歩いて回った。


聖アンナ教会


教会に来ると、いつもそこには違う空気が流れているように感じる。


人々の信仰心と何百年という歴史のなせる業なのだろうか。


聖ペテロ&パウロ教会


行きは寄り道しながら歩いていったので、結局のところ2キロくらい歩いたんじゃないだろうか。


雨の日ということもあって結構疲れた。


のんびりのはずだったのに。


でも、静かなビリニュスの街並みを眺められたからよしとするか♪



旧市街に戻ると、疲れた体を休めるため夜明けの門のすぐそばのカフェに入って温かいアイリッシュコーヒーを注文した。


ホイップのたくさん乗ったアルコール混じりのコーヒーは、体を温めるにはちょうどいい。



グラスを両手で包みこむように持つと、手のひらからその温かさが全身に広がっていくような気がした。


マフラーをして歩いていたのに、雨だったこともあってか結構寒かったもんな。


体が冷えていたんだ。


まだ9月だっていうのにさ。



少しくらいならアルコールもいいだろうと思っていたのに、体調を崩していたせいか思いの外酔ってしまった。


ひとまず宿に戻ろう。


宿の窓から


そして、そのまま宿に戻り一眠りした後、日記や手紙を書いてすごした。



ときどきこういう日を作ることが、長く旅を続けていくには大切なのかもしれない。


そう思える一日だった。


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ふと思ったんだけど、この前のニダでバルト海とはお別れだったんだ。


次に海を見るのはアドリア海か。


まだ先は長い。





ヴィリニュスでは久々に宿決めでもめた。


さらに風邪をひいていたこともあって、頭がぼーっとしていてなんだか気分があまりよくなかった。


まあ、そんな日もあるさ。



一悶着あったあと町並みを眺めながらマーケットに向かい、パンとミルクを買って観光名所の一つゲティミナス城に上った。


ライ麦パンのサンドイッチにもようやく慣れてきた。


ゲティミナス城


ここからは市内を一望することができる。


青空と、木々の緑と、建物の赤茶色がとてもきれいで、いくらでも眺めていられた。


ゲティミナス城からの眺め


ここで驚いたのは、こんなところにも日本人観光客のツアーが来ていたこと。


見たところ50代、60代くらいの人が多くて、きっと高いツアーなんだろうな思っていたが、中には20代くらいの人もいて、よくわからなかった。


でも、せっかくのビリニュスの景色を日本語の雑談で汚されたような気がしてしまって、なんだかなあという感じ。


考えてみれば、リトアニアで(というよりも旅を始めてから)こんなにも日本語が聞こえてくる環境は初めてだったので、変な感じがした。



とはいえ、ツアーにはツアーのよさもあるので、いずれ年をとったらああいうツアーに参加してみようかな。


今は、ツアーでは行かれないようなところに行っておこう。



その後、郵便局によって日本への手紙を出してからグリーンハウスというナチスドイツ時代の惨劇を展示した博物館へ行った。


展示の内容は、ナチスに連行された人々の遺留品や当時の写真などが主だった。


展示の数自体はそれほど多くなかったのだけど、それでもリトアニア全体のユダヤ人人口のおよそ90%である13万人もの人々が命を奪われたという事実には衝撃を受けずにはいられなかった。


こうして字にするのは簡単なことだけど、とんでもない数だ。

ナチスの蛮行は、決してアウシュビッツだけのものではなかったんだ。



そして、第2次世界大戦の中で杉原千畝 という一人の日本人外交官が彼らを助けるため、外務省の許可の下りないまま日本通過のビザを書き続け、多くのユダヤ人の命を救ったということも知った。


こんな偉大な出来事を、日本人である自分が知らなかったことを恥ずかしく思う。


知らなきゃいけないことは、まだまだ山のようにあるんだ。




リトアニアのカウナスには今も彼の記念館 がある。






そろそろポーランドか。



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列車が動き出すと、彼女の両親もそれに合わせて同じ方向に歩き出す。


日本の電車と違い、こちらの列車は動き出すときのスピードが非常に遅いので走る必要もない。


やがて、列車の速さが普通に歩く速さを超えたとき彼女の両親は歩くのを止め、その場で手を振りながら列車を見送っていた。


彼女は窓から思いきり上半身を乗り出し、後方に過ぎ去っていくプラットフォームを名残惜しそうに眺めていたが、それが完全に視界から消えると、ようやく席についた。



彼女はユルガといい、普段はヴィリニュスに住んでいてヴィリニュス大学に通っているそうだ。


大学が休みの時期など半年に一回ほど実家に戻るようで、この日がちょうど帰省の最終日にあたっていた。


彼女はスウェーデンに興味を持っていて、大学ではスウェーデン語を専攻し、いずれはスウェーデンで働こうと思っているという。


簡単なリトアニア語をおしえてもらったり、簡単な日本語を教えたりしていた。


ありがとうは「アチュウ」、さようならは「イキ」、こんにちはは「ラバス」、リトアニアは「リアトゥバ」というらしい。


途中の駅から彼女の高校時代のクラスメイトも乗ってきて(彼女は医者になるらしい。育ちのよさそうな二人だった)、それからはたわいもない話をした。


リトアニア国旗

その中で出てきた話で、今リトアニアでは「たけしキャッスル」という日本の番組が人気らしい。


これなんだかわかる?



話を聞く限りでは、仕掛けられたアトラクションを次々とクリアして行き、ゴールすれば賞金がもらえる番組だという。



さあ、これでわかったでしょ。


そう。


きっと、数年前(いや、もう十何年も前かな)大人気だったバラエティ番組、「風雲!たけし城 」のことだ。


日本人の誰もが、あんな懐かしい番組が、まさかリトアニアで放映されているなんて思わないよね。


面白いもんだ。



また、プロレスラーの高田延彦のことを知っていたので驚いた。


どんな情報が海外に流れているかなんて、日本にいると全く気づけないから、こういう話を聞くのはとっても楽しい。



ある一つの別れ


気づくと列車での旅は、もう半ばを過ぎていた。


途中の駅からは、小学校の先生をしていたおじいちゃんが(リトアニア語とロシア語を話す)も乗ってきて、手話のレクチャーや、彼らの名前は日本語ではどう書くか、自分の名前をリトアニア語ではどう言うか教えあっていた。


いい時間だった。



ヴィリニュス駅


列車は昼の12時頃ヴィリニュス駅に到着した。


首都はやっぱり都市だ。


車が多い。


とはいってもリーガに比べると、まだ穏やかな感じはするな。



さて、とりあえず今日の宿を決めなくちゃいけない。


そう思って、世界遺産にも登録されている「ヴィリニュス歴史地区 」を目指し歩いた。


ヴィリニュス旧市街



目覚ましを5時半にセットしていたので、この日はまだ辺りが暗いうちから目を覚ましていた。


どうしてこんなに早く起きたのかというと、この日はリトアニア の首都ヴィリニュス に向かうため6:55クライペダ 発の列車に乗ることになっていたから。


暗闇に包まれた町を背後に、一人リュックを背負って駅に向かう。


夜のクライペダ駅構内


この時間でもちらほらと人がいたことに驚きながら、改札のないクライペダ の駅を素通りしてプラットフォームへ。


ホームには、既に首都行きの列車が到着していた。


いかにもロシア的な列車がかわいらしい。


ヴィリニュス行き列車



社内に乗り込むと、首都行きの列車だというのに(国内第三の都市から第一の都市に向かう列車であるうえ、一日三本しかないのに)思ったよりも空いていて、自分の乗り込んだコンパートメントを一人で使うことができた。


4人掛け×2のコンパートメント。

8人乗りコンパートメント


ガチャンと大きな音を立てながら、定刻より少し遅れて列車が動き出す。


列車は30分に一度くらいの感覚で駅に止まりながらヴィリニュス を目指す。


東雲の空が美しい。


リトアニア 夜明け



途中のブルンガという駅から一人の女の子が同じ部屋に乗り込んできた。


駅を出発するまでずっと、窓越しに両親と思われる二人と話をしている。



きっと今がお別れのときなんだな。


そう思って眺めていた。



一時間ほど砂丘を眺め、その後ニダの町に下り、その足で一つの雰囲気のよさそうなカフェに入った。


そこで、りんごジュースとバナナクレープを注文し、手紙を書いたり、日記を書いたり。


途中、すずめがちょっかいを出してきたのがかわいかった。


カフェにやってきたすずめ



その街並みからはじめリゾート地のような明るい雰囲気でいっぱいだと感じていたニダは、そこにいるにつれ、だんだんとこの地に夜中の遊園地のようなもの悲しさを覚えるようになった。


この砂州をまっすぐ、ずーっとまっすぐ行くと、その先端にはこの世の果てがあるんじゃないだろうか、自分をそんな気にさせるような雰囲気がそこにはあった。


そう感じるのは、観光客がたくさんやってくる夏が終わってしまったからかもしれない。


あるいは、人が去ってしまった夕暮れのニダを目にしてしまったからかもしれない。


砂丘から教会を見下ろす


この町には、うら寂しいという言葉がぴったりくるような気がした。



帰り道、わからなかったことが一つ判明した。


それは、行きがけに出会った、山菜採りに来たと思しき人々のこと。


帰りのバスで彼らに再び出会ったんだけど、どうやらみんながみんなきのこ採りを楽しんでいたみたい。


その証拠にきのこで溢れかえったバケツを持った人たちが続々と乗ってきて、通路まで立ち乗りのお客さんでいっぱいになった。


そして、同じようにクライペダ行きの帰りの船も満員だった。


ニダのみなと


宿への帰りがけに、郵便局でさっき書いた手紙をだそうと思ったんだけど、中央郵便局もやすみだったので諦め、スーパーで黒パンやバナナ、チーズ、ヨーグルトなどを買って帰った。


もう辺りは真っ暗になっていた。


まずは街のインフォメーションでこの辺りの地図をもらっ た。


ここのインフォの女性がとっても親切で、郵便局を探していると告げると、わざわざ郵便局に電話をして今日(土曜日だったので)開いているかどうか確認してくれた。


しかし、その電話ではわからず、さらに知り合いの郵便局員にまで連絡を取ってもらったが、結局郵便局は閉まっているということだった。


そして、その女性に心からの感謝を告げて、砂丘にむけて歩くことにした。



ニダの砂丘は、町の中心から約2kmほど。


ニダの葦原


町を抜け、砂浜の海岸路や葦の生い茂る道を景色を見ながらゆっくりと歩き、一時間ほどかけて砂丘のてっぺんにやってきた。


あたりを見渡すと、こちらにはニダの町が、反対には遠くにロシアのカリーニングラード州の領土が見えた。


クルシュ砂州


ここにはロシアのビザを手に入れなくては立ち入ることは許されない。


すぐそこに見えるのにね。



国境。


国境。


日本にいて全く意識することのないこの言葉を、旅行中は何度も意識するようになる。


すぐそこにあるのに足を踏み込むことも触れることもできない。


はめ殺しの窓から眺める外の世界みたいだ。




砂丘の頂上からクルシュ砂州の先端方向を眺めると、確かにそこに続くものは砂漠だったが、サハラ砂漠のようなイメージすることが容易な砂だけの砂漠ではなく、ちらほらと林も見つけることができた。


実際は砂だけの砂漠なんてのは地球上の砂漠の10%以下でしかなく、その90%以上は岩石砂漠だったりする。


前出のサハラ砂漠だって、実はそのほとんどが岩石砂漠。


きっと砂漠と聞いて、岩のごろごろした砂漠を思い浮かべる人はほとんどいないでしょ。


先入観ってわからないね。




そういえば、ここは海のすぐそばにあるのに砂漠になっちゃったってのも面白いな。


水はたっぷりありそうなのに。


あっ、でも考えてみれば鳥取砂丘だってそうか。


ううむ、どういうことだか興味深い。


朝9時ごろに宿を出て、一路港へと向かう。


目的地はニダ。



リトアニアのクライペダ からロシアの飛び地(*1)カリーニングラード (ケーニヒルベルグ)にかけてクルシュ砂州 という砂州(*2)が広がっていて、その全長は100キロにもなる。


遠くから砂丘を眺める


しかしその幅は最大でも約3kmしかなく、いかに細長い地形であるか想像がつく。


この風と波と砂によってつくられた地形は今も移動を続けていて、現在ではその動きを抑えるために植林などの努力が続けられている。


このクルシュ砂州はユネスコの世界遺産に登録されている。


その砂州の中心となる町がニダ。



*1 飛び地

国の一部分が飛び離れて存在すること。アラスカなんかをイメージしてもらえればわかると思う。


*2 砂州

海流によって砂が運ばれ、それが海岸線に沿って堆積してできた地形。日本でいったら天橋立なんかがそう。




クライペダのメインストリート、マント通りを下って船着場に着くと、土曜日ということもあってそこには既に多くの人々が対岸の町、スミルティネ行きの船を待っていた。


クライペダの船着場で


出港は10時。


時間通りに船はクライペダを離れ、ほんの10分もしないうちにスミルティネに着く。


着くとそこにはニダ行きのバスが待ち構えていて、自分を含めニダ方面に行く乗客はすぐにそのバスへと乗り込んだ。


そのとき自分はてっきり全ての乗客がニダへと行くものだと思っていたのだけど、一人、二人と途中で降りていき、実際に終点のニダまで行ったのは6~7人だけだった。


どうやら他の人々は山菜採りか何かをするようだった。



たどりついたニダはもうリゾート地のようになっていて、その雰囲気もリゾート地特有のそれだった。


街並みもかわいい。


ニダの街並み


クライペダは今までの街とは違い、人口20万にも満たない比較的小さな街。


とはいっても、首都のビリニュスだって55万しかいないので、リトアニアの中では3番目に大きな都市なのである。


バルト海に面した港町で、リトアニアにある二つの世界遺産のうち、一つがここクライペダから一時間ほどのところの砂州にある。


その砂州の名は、ニダ。


自分がここに来たのはニダを見るためでもあった。


魚釣りのおっちゃん


初日は、特に何をするというわけでもなくクライペダの街を歩き回った。


まだリトアニアに入ったばかりで現地の通過を全く持っていなかったので、はじめに駅に行ってお金を下ろした。


リトアニアの通貨はリタス。


当時1リタス約38.5円だった。



ちなみに、


宿代は32リタス(約1200円)


デジカメのデータをCDにして7.5リタス(約290円)


クロワッサン一つ0.55リタス(約21円)


トマト3つ1.5リタス(約58円)


ぶどう一房1.99リタス(約77円)


クリームチーズ0.89リタス(約34円)


でした。


う~ん、こうして見ると食べ物ばかりだ。


漁から帰って来たところ


宿から旧市街に向かう途中、FUJIFILMの看板があったのでそこでデジカメのメモリーをCDに移してもらおうと思ってカメラ屋さんに入った。


入ってすぐ、店主と思われるおじさんに尋ねたんだけど、そういうサービスはやってないんだって。


CDを焼けなかったのは残念だったけど、そのおじさんにいくつかのリトアニア語を教えてもらい、収穫アリだった。


その中でも一番使ったのが、ありがとう=アチュウ。


どこの国に行ってもありがとうは一番重宝する言葉だ。


だから、必ず一番初めに覚えるようにしている。


公園の花


その後、旧市街へと足を進め、観光名所の劇場広場などを見てまわったけど、それほど”観光地”という感じでもなくて、なんだか落ち着けた。



夕方になったら、明日乗る予定の船の船着場を確認しに行き、それからスーパーマーケットでいろいろな食材(上に挙げてあるのはその一例)を買って宿に戻った。


買い物かごを持って食材を選んでるときの楽しいこと楽しいこと☆


日本にはないような珍しい食べものを試しに買ってみたりして、夕食前のひとときをおばちゃんのようにエンジョイした。


ここに泊まっていました。


明日はいよいよニダ!


楽しみだ。

ラトビア の首都・リーガを朝早く出発したバスは、順調にリトアニア の小都市・クライペダに向かう。


ダウガヴァ川


この日の空はからっと晴れ上がり、夏の終わりの肌寒い空気が気持ちよかった。


日本でいったら、冬に入る手前くらいの気候だったかな。


最低気温は10℃くらいまで下がることもあったくらいだから、東京の感覚で夏の終わりと呼ぶのは相応しくないのかもね。



いくつもの畑を抜け、牧場を抜け、川を越え、バスは国境を目指す。

牧場はどこまでも



途中で追い越した小学校のスクールバスから、子どもたちが一生懸命こちらのバスに手を振っていた。


窓ガラスの曇り具合が、バスの中の熱気を物語っている。


楽しそうでいいな~。


バスの中のこどもたち




ご存知の方も多いと思うけど、ヨーロッパでは多くの国で日本のような無料の公衆トイレというものがあまり無く、同じ公衆トイレでもその多くが有料となっている。


バルト三国も然り。


名前も知らない町の市場


とはいっても、金額はたかが知れたもので20円くらいなのだけど、日本人の感覚として、どうもトイレにお金を払う気になれなかった。(自分だけかもしれないけど笑)


だから、極力トイレに行かなきゃならないような機会を避けようとしていたのに、今回の行程でついにお金を払ってしまった。


ラトビアを去るところだったので、現地通貨はもう必要なかったとはいえ、なんかもったいない気がしちゃうんだよねー。


まあ、そんなところで意地はっておなか痛くしちゃうほうが、よっぽどばかなのはわかってるんだけど…




あ、ちなみに20円というのはラトビアの話。高い国では1ユーロってとこもあったのでご注意を!


トイレの話ではいずれバルカン半島の国にさしかかった頃、痛い目に遭うことになるんだよな~。やだやだ。



到着クライペダ

そんなこんなで到着したバルト海に面した港町、クライペダ。


立派な駅、きれいな町。


楽しみだ☆


クライペダ・街並み