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W.D.の日記

パニック障害の事とか、国内外のメンタルヘルスの事とか色々書いてます。

twitter⇒https://twitter.com/shu_catharsis

出来れば楽しいことばかりを追い求めたい。

楽しいことばかり起こればいいのに・・・。

そういうふうに考えたことがある人は多いはずです。


なるほど、確かに、楽しいことばかりあれば

ストレスなく生きていけるでしょうし、辛い思いを

せずに済むと思います。



だけどね、そういう経験ばかりをして生きてきた人は、

ホントに薄っぺらい。どうしてそうなってしまうかというと、

「楽しい経験をしても、人間はあまり成長しないから」です。


人間を成長させるのは、苦しい経験の方なのです。

だから、今この時「なんで自分はこんなに苦しい思いを

しなければいけないんだ」と感じて生活している人は、

見方を変えて「ラッキーでもある」と思っておきましょう。


なぜなら、その苦しい経験は、自分自身を成長させる

ための肥やしになるからです。それを乗り切ると、その人は

人間的に1つ成長する。


人は、楽しみから学ぶことが少ないです。

むしろ、苦しいことから多くのことを学び取る。


つまり、人間は、苦しいことも経験しておかなければ、

非常に残念な人間になってしまうというわけです。

若い時の苦労は買ってでもしろ!という格言は、こういうことに

繋がっているのだろうと思います。

平日は仕事で疲れて死んでいるので、休日に

思いついたことはダダダダダと書いておきたいと

思っているのです。果たしてそれが、人の役に立つかは

分かりませんけど・・・おそらくは、メンタルを病んだ人は、

よほど処方の上手い医師に当たらない限りは、自分なりに

工夫をしなければ、病状が改善しないと思います。



もしかすると、こういう僕自身の試行錯誤を、他の誰かが

鵜呑みにしたとき、それが効果的である可能性も十分に

あるわけです。だから、自身の経験を書き留めておきたい。



ここ最近で思うことは、直近のエントリを読んでもらえれば分かる

と思いますけど、「自分の中に生じる不快感に対して、反応

しすぎないことがベターである」ということ。


息が苦しい?そう。ならば、苦しいなりに息をしていればいい。

不安で仕方がない?ならば、不安をじっくり味わえばいい。

重要なのは、それを除去しようとしないこと。


「その感覚は、確かに不快だけれど、そこに存在して

いたとしても、問題はないでしょ?不快感に対して、

それを気にしすぎて、あーだこーだ考えるから、余計に

苦しくなっていく。」


そういうもんだろうと、僕は思うわけです。

だから、最近の僕は

「まぁ、キモチワルイけど、それでいいか。感じるままに

しておこう。嫌悪すると、不快感が余計に不快で仕方が

無くなるもの」

と考えて生活しています。



マネしてみると、何か好転することが有るかもしれません。

お試しあれ☆

ツイッターを始めてから、どうもそちらの方に

「軽い話」を載せているように思います。

そちらに軽い話が流れるから、その話が

深まるような内容のエントリをブログに書いていない。


結果、どうなったかというと、毎日のPVが300ぐらい

だったのが、今や100を切る勢いです(笑)


どうでも良い話や、軽い話はツイッターに流して

いることが多いので、そちらを見てもらえれば

と思います。


https://twitter.com/shu_catharsis?lang=ja


フォロワー歓迎中(^^)


自分が固執する物事を、手放してしまえば、

もっと大切なものが見えてくる。・・・本当でしょうかね(笑)

しかしながら、自分の内面にわだかまるものごとに

対しては、それは事実であろうと思います。


私たちは、自分の内面と外面の区別をしているようで

していません。外面にあることは、それに対して

何らかの方略を考えて、それを試行錯誤し、問題を

解決するというスキームを持っています。


しかし、これを心の内面にあることに当てはめようとすると、

どうもうまく行かないものです。例えば、自分自身の心が

苦しいとき、「苦しさから解き放たれたい」と思うのは

当たり前のことです。苦しさから解放されるには?・・・

誰もが何らかの方法で足掻いてもがいて、そこから

解放されることを試行するでしょう。


だけれども、この苦しさというものは、外面的な出来事とは

違って、明確な基準がありません。

例えば、「試験で70点取るんだ」と考えて、そのために努力を

していくとき、70点以上を取れば私たちは、問題を解決した

という認識を得られます。


一方、内面的な出来事では、「自分は格好良くないから

格好良くなる努力をするぞ」と思ったとき、そこには明確な

基準は存在していません。つまり、努力しても「まだダメだ、

まだ格好良くない」という考えにとらわれてしまう危険性が

あるわけです。これでは、苦しさから逃れるどころか、

いつも自分の背後に苦しみが存在しているという状態に

陥りかねません。



ここで役立つ方略が「放てば手に満てり」という考え方なのです。

自分が格好良くないと思うなら、それをそのまま受け入れてしまう。

ただし、これは「諦め」とは違います。心の中にある苦しさは、

単にそのまま受け入れてしまい、実際に格好良くなりたいのなら、

それに対して進んでいく。



畢竟、言えることは「心構えの違い」という事でしょうか。

しかし、これを実行することが難しいんだなぁ(笑)

昨日の空に浮かんでいた月は、誰かを傷つけそうな程に

鋭くとがった三日月だった。古人は、これを形容して、

弓張り月と言った。



子供のころに、この三日月を見て思ったことがある。

1つは、「なぜ月は形が変わるのか」ということ。

もう1つは「どうして月は、僕が歩いても追いかけてくるのか。

どうして追いかけても追いつけないのか」ということ。

中学生になって、その疑問に対して明確な解答を得ることが

出来たわけだが、二つ目の疑問を味わっているときと

同じような感覚に陥ることが今でも有る。



自分の手の届く範囲のものごとを追い求めようとするときに

同じような感覚を味わってしまうのだ。しかも、その物事は、

強く欲すれば遠くに遠ざかり、あまり積極的に追いかけずに

いると、自分の近くに存在したままになる。



こういうことは、時々あることで、自分自身「果たして、

どうすればいいのだろうか」と頭を抱えることになる。

追いかけて、掴みとれないならば追いかけずにいた方が

良いのか。しかし、追いかけずに、ただ眺めていても

それはある程度のディスタンスを保ったままで自分の

近くにやってくることは無い。



曹洞宗の開祖、道元は「放てば手に満てり」と言っている。

これは、つかんだものを手放せば、もっと大切な何かが

見えてくると言う意味だったと思う。本当にそうなのだろうか。

そうであるならば、私は、物事を追いかけずにそのままに

しておくだろう。しかし、そうとも限らない時があるとも思う。

例えば、恋愛なんかそうだろうし、仕事や勉強もそう。

これは、追いかけなければ、どうしようもないことだと思う。



考えていると、自分の溜飲を下げるどころか、

フラストレーションが溜まるばかりで、どうもよくない。

結局のところ、このことに対して、私は明確な方略を

見つけられないのだろうから、『あるがまま』に

振る舞うことしか私には出来ないと思う。

例えそれが、楽しいことであれ、辛いことであれ・・・。

とかく、この世は生きづらい・・・という言葉が有るように、まぁ、生きていると辛いことって多いですよねぇ。。。私にとって、今、最大のストレスは仕事です。仕事がストレスになるのは、至極当たり前のことだと思います。


それは分かってはいるんだけれども、泣き言を言いたくなるときがある。そして、「人間関係のしがらみとか、不安とか、そういうこととは何の関係もない・・・そういうことが何もない世界に行きたい」と思うことがあります。


だけど、そんな世界なんて、有りはしない。もしかすると、死後の世界には有るかもしれない。しかし、自ら命を絶つ勇気などこれっぽっちもない。だから、私は生きていくしかない。


なにか、疲弊しているときは、長期的な見通しをたてて生活することは、単に苦痛なことばかりしか思い付きません。だから、辛いことの中に有るときは、とりあえず、私は「その日、何をするか」ということしか考えません。人生は1秒1分1時間1日・・・この積み重ねだから。


目標は遠くに置いておく。しかし、その目標を凝視しない。とにかく、足下に有ることに取り組んで行く。そして、折を見ては「今やっていることは、目標達成のための方略として適切か?」ということを考える。

人生は外挿で予測は不可能です。とにかく、耐え忍んでいくしかない。・・・だから、1日を大切にして歩いていく。 これそれが僕の「メンタル的に辛い時期を乗り越えるためこ方略」なのでした。

日本には春夏秋冬、それぞれに明確な季節感が有って、

その季節感こそが日本文化の根幹であると言っても

過言ではないと思います。

例えば、枕草子を見ても、春はあけぼの~・・・で始まるし、

平安時代の寝殿造は、アレは完全に夏を過ごしやすく

するための作りになっています(冬は寒くて仕方なかったんじゃ

なかったのか?という疑問を強く感じているのですが・・・)。



日本の文化的な素因として、四季が挙げられることは

間違いのない事実です。しかし、僕は、死ぬほど冬がきらい(´・ω・`)


①空が暗い

②寒い

③日が暮れるのが早い

④自然の面白さを感じにくい


理由は、大きく言ってこの4つだろうなぁ。

①と③は似たり寄ったりですが・・・うーん、冬は地球の

自転軸の傾きの関係で、北半球に照射される太陽光の

強さが激減するんです。地表面積に対する、太陽光の

量が減ると言えばイイのかな・・・。

まぁ、寒くなるのはこの、地軸の傾きのせい。


そして、空が暗いと、なんだか気分も暗くなるし、寒さは

体を縮こまらせて気分も縮こまらせる。だから、僕にとって

冬の曇った日は「最悪」以外の何物でもありません(-_-;)



自然の面白さを感じにくいというのは、まぁ・・・何だろうな・・・

暖かい日は外に居ることが多いんですけど、そういうときには、

なにかクセで植物や動物を観察していることが多いんですよね。

それで、冬というのは、やはり動植物にとっては

単に『耐え忍ぶ時期』であり、その生命感や力強さを観察

することは出来にくい。だから、冬の日に丘陵地帯を

歩いたとしても


『・・・・ツマンネ(´・ω・`)』


と思うことが多いのです。もっとも、冬にしか見られない

渡鳥とか、そういう生物を見るときは話が違うのですが。




とまぁ、そんなわけで、僕は、この1~3月ぐらいの間は

『早く暖かくなって・・・(@_@;)』

と、思っていることが多い私でした。


右と左に1つずつピアスの穴があいてます。
最初にあけたのは左側。これは、高校卒業時に
学校生活の厳しさから解放されたときに何かを
したくて空けたものです。

では、右側はと言うと、これは、メンタル的に
ドン底だったときにヤケクソで空けたもの。
どういう思考で空けたのか、今でも意味が
分からない(笑)

恐らくですが「痛い思いをすれば、心の痛みが
一瞬で軽くなるのではないか」という思いで
空けたのではないかと憶測しています。
だから、自称行為をする人の気持ちが分からなくも
ないんですよね。

今では、単にお洒落のため?の穴に成り下がって
いるのですが、元々は、両方のピアスホールは
僕の心の苦しさを刻んだものなのです。
だから、僕はこの穴を塞ぎたくない。
苦しさを乗り越えた証・・・僕のピアスホールには
そんな意味があるのです。

今、自分が生きているという事は、自分に親が

居るということ。そして、その親には親がいて、

その親にも親がいて・・・・最終的にたどり着くのは、

恐らくは一匹のバクテリアなのでしょう。

つまり、今を生きている自分は、地球46億年の

歴史の上に成り立っている。


しかも、自分の最も古いご先祖様であるバクテリアから

自分の親に至るまで、「どの祖先も、子供を残していて、

子供を残す前に死ぬことが無かった」と言えます。

そう・・・私たちの後ろには祖先がいて、その生命の糸が

切れることなく、連綿と続いてきた結果、今の自分がある。



よくよく考えれば、これは本当に奇跡的なこと。

我々の祖先は、捕食者に食べられることなく、

地球への隕石衝突後をも生き残り、

自然災害で死ぬこともなかった。直近のことで言えば、

戦争で死ぬこともなかったし、江戸時代の飢饉を

乗り越え、生き残った。



死に至る要因は昔の方が沢山あったと思います。

だけれども、子供を残す前に死ななかった。幸運に

幸運が重なり続けた結果、今の自分がある。


そう考えると、明石家さんまが言っている、

『生きているだけで丸儲け』

という言葉が身に染みて分かる気がします。

だいぶ間隔が空きましたが、自分のパニック障害に

関する経験を書いていきたいと思います。

タイトルにナンバーを付けてはいますが、この回で

終わるかもしれないし、まだ続きがあるかも知れません。

書きながら考えているので、どこで終わることか。。。



さて、前回のエントリでは、どのような素因があって、

私自身がパニック障害になってしまったのかという事を

書きました。


現状、自分自身の健康状態がどうであるかというと、

『パニック発作は出ていない。予期不安は0~100で言うと、

20ぐらい。自律神経系の不調がある。』という感じです。

毎日発作が出たり、予期不安が大きい人にとっては

『羨ましい』と思える状態かもしれませんね。


まず、ここまで来るのにどのような経過をたどって、

どうして来たのかを書きましょう。




最初に発作を経験したのは、大学三年生の時。

始発駅から発車する前の電車に乗っていて、

強烈な不安を感じ、発車のベルが鳴っている最中に

電車から飛び降りました。

『何が起こったんだ!なんだこの不安は!?』

そのようなことを考えていたように思います。


『何か、体調不良なんだろう・・・。うーん・・・実験

せないかんけど、まぁ・・・今日は休もう。。』


そう考えながら家に帰りました。

しかし、家に帰ってから、こう考えたのです。


『待てよ?・・・え?・・・もし、このまま電車に

乗れなかったら、学校行けないぞ???・・・

留年するのか?退学???・・・だめだ!

これではいけない!』


だから、家に帰った後、2時間ほど経った後で、

再び駅に向かいました。そう・・・ぶっ倒れても、

死んでも電車に乗るという覚悟で、電車に乗る

練習?をしたのです。




これは、本当に辛かった。

特急電車に乗って通学していたのですが、特急は

ひとたび動き出せば10分は動き続ける。苦しくなった時に

すぐに下車できません。だから、電車が動き出す前は、

本当に恐ろしかった。恐怖しかありませんでした。


そして、ベルが鳴って電車の扉が閉まる・・・。

冷や汗が出る。心拍数は120を超えていたと思います。

もう、この時は恐怖という濁流に自分の心が

飲み込まれてしまって、電車がいまどこを走っているのか、

どういう人が車内にいるのかなど、何も考えることが

出来ませんでした。言うなれば、まさに「頭の中が真っ白

」という状態でした。



ところが、一つ目の通過駅を通過する直前に。

『あ、作業員が保線作業してるなー』

という言葉が頭に浮かんだのです。そう、周りの

状況を観察する余裕が出てきたのです。

そして、


『あれ???不安が落ち着いてきている・・・』


3分も経たないうちに、恐慌状態が消褪し始めたのが

分かりました。そして、12分経過して最初の停車駅に

着いた時には


『あの不安は一体なんだったの???』


とまぁ、不安はゼロになってしまっていたのです。





今思えば、これはパニック障害の治療方法の1つである

『曝露療法』だったのです。知らないうちにこれをやっていた。

自分で一度、「大丈夫なのだ」という事が理解できれば、

その後はもう大丈夫。無理を通せば道理が引っ込む・・・

というわけではないですが、無理をしたおかげで、

学校に通学する能力を失わずに済んだ・・・というわけです。




しかしながら、予期不安との戦いは終わることが無く、

通学のたびに苦しむ・・・そのような状態だったと記憶しています。

ただし、「我慢してれば治まるから・・・」という事を体感しているので、

苦しみながらも、何とか通学して無事に大学を卒業する

ことが出来ました。





この体験から言えることは、「パニックの恐怖から逃げなければ、

意外と、それを乗り越えられるのだ」という事です。

絶対に逃げるなとは言いません。しかし、パニック障害と

『上手く折り合いをつける』には、少しずつでもいいから、

パニックに、絶望的なほどの不安に対して向き合って

行かなければならない・・・それが治療の大前提であろうと

私は思います。




つづく。