惑わされて、繁殖。 | 評議会のブログ

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みんながやってるから、、、江戸時代以降、村落で行われた私的制裁の村八分が根付いたように、社会的潮流ともなれば、仲間外れは怖いもんかもしれへん。多少ヘンな流行であっても、乗ってまうんが人間の性でもあるが、ニッポン人ともなれば、 かなりインパクトが大きい。

そんな中、あるものが、1つの風習・行事として根付く場合がある。「伝統」やなんて言うたら、説得力倍増や。すると古くから伝わるもんなんやと虚言が生ずれば、絶やしたらあかん言うて、義務感が生まれたりもする。

ニッポンの伝統に最も馴染み深いんは、正月や。無病息災などを祈願する為、多神多霊多仏に初詣に行く人らは多いが、この風習、なんとなく大昔からあるような感じるかもしれへんが、実は誕生は明治中期からや。

幕藩体制がなくなり、人々、特に商い人らは、人々の往来があれば儲かる。多種多様の縁起もんがあれば、そこで古来からの行事を組み合わせ、縁起もんをつくりあげ宣伝文句としたわけや。人が動き、銭が動けば、政治行政も動き、これを守ろうとする戦略によって定着するわけや。これらが奏功するだけでなく、伝統として定着できたら、商売人としてはこの上ない喜びやし、政治はこれらを利用する。

そもそも存在せえへんかった創作疑のある風習が、権威とともに前面に押し出しされたりすると、さすがに違和感は拭えへん。

様々な組み合わせで迫力が増した例は他にもある。京都の由緒ある場所を利用した「平安神宮」や。平安神宮は、「平安」と言うもんが付いてるくらいやから、平安時代からあるような気がするが、実際は1895年に平安遷都1100年を記念して創建された神社や。

新しい伝統は他にもある。いかにも日本っぽい野菜の白菜は、1875年に中国から伝わったものやし、パッと咲いてパッと散るさまがニッポンの美意識を表しているとされる桜・ソメイヨシノは明治生まれや。なにかと話題となってるニッポンの国技・相撲は、興行としては400年ほどの歴史はあるものの、「国技」と呼ばれだしたんは、1909年の国技館誕生からやけど、ニッポンには法令で国技と定められた競技はないねんで。
 

こうして見ると、ニッポンの伝統とされるもんは、明治以降である場合が多い。100年近く続いてれば「伝統」と呼んでもええかもしれへんけど、明治以降、国家体制になって、隣国の韓国朝鮮、中国を凌駕しようと背伸びしたことで、悪性を含んでる人間ニッポン国家体制がやってきたことは、ニッポンを取り戻すことやなく、虚偽と歪曲で虚勢を張ってきたもんやった。

せやから、様々な思惑が伝統を形作ってきた。伝統があって、人間があるんやなく、人間があって、伝統があんねん。ニッポン人統一教教徒らが言うてきた虚勢のニッポン伝統文化には、なんらメシアの為のうんちゃらかんちゃらなどない。新しいニッポン人となって伝統をつくってるんやなく、負け惜しみ的に虚勢を張って、ようわからへんニッポン伝統があって新生しようとわけわからへんもんへと進んで行っただけや。

伝統やから大切にするんはわからんでもないが、伝統やから従わなければならへんなんてことはないねん。権威付けやらビジネスやら、様々な思惑を真実なんてことにならへんように、、、

 

 

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