摂理、み旨、、、統一されたこの動きは、表裏一体運動作用をシンプルにして複雑な様相を表してるもんや。
基本的に信仰を中心に宗教や伝統文化、慣習、風潮などに潜んでは、表の顔(道)、裏の顔(道)が一体となって動いてるもんや。
大方は、表の顔で陽の目を見る、見せるの切った張ったの世界観から、皆がみ言や~、原理や~言うて、猫も杓子も、バカたれもええかっこしいなこと言うて、上から目線をかもし出しては、言葉を綺麗に使えば、事を足りてるかに思うとんねん。
表は表の道として、この世界観には裏の世界観との繋がりで表舞台を着飾らなあかんもんで、天の父の栄光を表わすとこや。
摂理言うても、本然世界に帰る為の道のりやから、表と裏は別々の道に別れて歩んでるかのように見えるけど、実は常に繋がってなくてはならへん。
裏の道言うてるだけに、陽の目を浴びてへんとことイメージしがちやけど、ここの基軸はとても重要で、表に出ても決して誇示してはあかん、、、っちゅうみたいなもんがあんねん。
別に誰がこしらえたわけやなく、ただ裏の道を歩くもんらの自然な定めになってる。
コインのように表があれば裏があると言ったもんがただ単に在って在るもんなんやて。創造構想にある時から出来上がってるようなもんや。
摂理の裏街のは、人知れず、ただ天の父のみぞ知るかのように、そこには信仰基台と実体基台によるメシアの為の基台がある。
まぁ、なんかおどろおどろしく感じるかも知れへんけど、別に誰にでも持ち得てるごくごく自然なことや。
敢えて言うなれば、霊性の希薄なもんらの無知加減が、敢えておどろおどろしくしてるだけで、誰にでもなければならへん表と裏の世界観や。
森羅万象二極一対の極意、、、って言うようなとこかな?
ごくごく、無為自然にね、、、、あえて庶子とか養子、実子とか構えて言うようなとこは、うさん臭い! 知ったかぶって、全然心情が追いついてへん。北朝鮮に核、ロケットを持たせるようなもんや。