ついつい立ち寄ってしまった一杯でした。

私の家から出ると、自然とハブのような存在になる駅がこの東中野。
千葉でもそれなりに飲んだのですが、どこかもう一軒、こぼしたい気持ちになってしまい、
ホームからふと見えた「ムーンロード」の灯りに吸い寄せられるように足を運びました。

ムーンロードという名前は以前から聞いていたものの、実際に入ったことはほとんどなかったんです。
自分でも驚くくらいの酒好きなのに、地元で未踏のエリアがあったとは不思議なものです。

中に入ってみると、やはり雰囲気のある通り。
少し敷居が高そうなお店も多く、風邪明けでスナックで騒ぐようなテンションでもなかったところに、
ちょうどいい雰囲気の居酒屋を発見。
その名も**「ちょいと一杯」**という、まるで今の自分の気持ちを見透かしたような名前のお店でした。

中はカウンター中心の小ぢんまりとした空間。
値段を見ると、お酒はどれも手頃で、メガジョッキも200円増しで頼めるという驚きのコスパ。
こういう誠実な価格設定をしてくれているお店には、自然と信頼感が湧いてしまいます。

お通しからすでに抜群に美味しく、
「これは料理も期待できる」と思い、メンチカツを追加で注文してみました。

出てきたメンチカツは、衣がサクサクで中はふんわり。
肉の旨味がじゅわっと広がり、そこに少し酸味のあるソースが絡む。
重すぎず、軽すぎず、絶妙なバランス。
まさに“ちょいと一杯”の名にふさわしい、完璧なつまみでした。

お店自体はこぢんまりとしていて、気取った要素は一切なし。
けれど、フレンドリーな店主さんと、気さくに飲むお客さんたちの空気感が心地よい。
話しかけてもらっても、静かに飲んでいても自然に馴染める――
そういう柔らかい温度を持ったお店でした。

東中野の夜の空気の中で、
切なくて、少し寂しいけれど、それでもどこかあたたかい。
そんな飲兵衛たちが集まる“止まり木”のような場所です。

派手さもなく、奇をてらうこともなく、
ただ「今日も一日お疲れさま」と受け入れてくれる酒場。
こういう場所がある街は、本当に幸せだと思います。

これからも、静かに、しっぽりと。
きっとまたこの暖簾をくぐる夜が来るでしょう。ついつい立ち寄ってしまった一杯でした。

私の家から出ると、自然とハブのような存在になる駅がこの東中野。
千葉でもそれなりに飲んだのですが、どこかもう一軒、こぼしたい気持ちになってしまい、
ホームからふと見えた「ムーンロード」の灯りに吸い寄せられるように足を運びました。

ムーンロードという名前は以前から聞いていたものの、実際に入ったことはほとんどなかったんです。
自分でも驚くくらいの酒好きなのに、地元で未踏のエリアがあったとは不思議なものです。

中に入ってみると、やはり雰囲気のある通り。
少し敷居が高そうなお店も多く、風邪明けでスナックで騒ぐようなテンションでもなかったところに、
ちょうどいい雰囲気の居酒屋を発見。
その名も**「ちょいと一杯」**という、まるで今の自分の気持ちを見透かしたような名前のお店でした。

中はカウンター中心の小ぢんまりとした空間。
値段を見ると、お酒はどれも手頃で、メガジョッキも200円増しで頼めるという驚きのコスパ。
こういう誠実な価格設定をしてくれているお店には、自然と信頼感が湧いてしまいます。

お通しからすでに抜群に美味しく、
「これは料理も期待できる」と思い、メンチカツを追加で注文してみました。

出てきたメンチカツは、衣がサクサクで中はふんわり。
肉の旨味がじゅわっと広がり、そこに少し酸味のあるソースが絡む。
重すぎず、軽すぎず、絶妙なバランス。
まさに“ちょいと一杯”の名にふさわしい、完璧なつまみでした。

お店自体はこぢんまりとしていて、気取った要素は一切なし。
けれど、フレンドリーな店主さんと、気さくに飲むお客さんたちの空気感が心地よい。
話しかけてもらっても、静かに飲んでいても自然に馴染める――
そういう柔らかい温度を持ったお店でした。

東中野の夜の空気の中で、
切なくて、少し寂しいけれど、それでもどこかあたたかい。
そんな飲兵衛たちが集まる“止まり木”のような場所です。

派手さもなく、奇をてらうこともなく、
ただ「今日も一日お疲れさま」と受け入れてくれる酒場。
こういう場所がある街は、本当に幸せだと思います。

これからも、静かに、しっぽりと。
きっとまたこの暖簾をくぐる夜が来るでしょう。













せっかく千葉までやってきたということで、
お客さんと別れた後、久しぶりにあの有名な「駅前ラーメン」を拝もうと足を運びました。

しかし、地図を頼りに向かったその場所には、駅前ラーメンどころか一角ごと跡形もなく消え去り、無惨にも無数の自転車が並ぶ駐輪場が広がっていました。
信じられずにその周辺をぐるりと一周してみたものの、どこにもあの看板の灯りはない。
諦めきれず、近くのフラワーショップに思い切って話を伺ったところ、「駅前の施設K&Sそのものがもうなくなったのよ」とのこと。

まさに文化がひとつ消えたような喪失感。
時の流れの儚さと、街が変わっていくことの寂しさが胸に染みました。
とぼとぼと歩きながら、心の中ではブルースが鳴り始めていたような気がします。
この音を聴いてほしい。そして一緒に奏でてほしい。

そんな沈んだ気持ちで歩いていると、
通りすがりのキャッチのお兄さんに「何をお探しですか?」と声をかけられました。
「渋いのを一つ」と答えると、彼が教えてくれたのがこちら。

入ってみると、ママさんが「本当は予約制なのよ」と一言。
でも、この場末のような立地で“予約制”という響きが妙に心をくすぐります。
店内にはラーメンをすすっている人もいましたが、多くは酒とつまみを楽しんだあとに〆でラーメンを頼む、そんな通な空気。

頼んだのはチャーシューと角ハイボール(レモン入り)。
合わせてちょうど千円。今どき信じられない価格です。

チャーシューをひと口食べた瞬間、思わずため息が出ました。
「このチャーシューがラーメンに入っていたらどれだけ美味しいだろうか?」
何度もそう心の中で繰り返しながら、
千葉という立地でこの味に出会えた奇跡に、危うく通い詰めてしまいそうな危険を感じるほど。
甘辛いタレと程よくとろける脂のバランスが完璧で、本当に美味しい。

そして角ハイボール。
メニューに「ハイボール」とは書かれていなかったので、
「角をソーダでいただけますか?」と粋にオーダー。
するとママさんが「レモンも入れてあげるわ」と微笑む。

なんて粋な時間だろう。
ほんの一杯なのに、会話も空気もすべてが沁みる。
濃いめに作ってくれたハイボールは、二杯、三杯と行くのは危険だと分かっていながらも、
その一杯の余韻をじっくりと楽しみたくなる味でした。

今、帰りの電車の中でこの文章を書いているのですが、
胸の中に残っているのは「出会ってしまった」夜の余韻。
たまたま足を運んだだけなのに、こんなに心を震わせる瞬間があるなんて。

これが文化であり、これが酒場という場所の力だと、改めて感じました。















かなり昔に一度だけ訪れたことがあったのですが、おそらく13年ぶりくらいにこちらのお店を再訪しました。

実は、妻が海鮮料理が少し苦手なので「スペインやモロッコ料理はどうかな…」と心配していたのですが、結果的にはまったく問題ありませんでした。どころか、妻も私も感動の嵐。

注文したのは、牛肉のミートボールのタジン鍋とチキンのパエリア。
この2品が、どちらも想像を超える美味しさ。しかもボリュームもかなりしっかりあります。

まずパエリア。
パリパリのおこげと、サフランやスパイスの香りが立ちのぼる瞬間に完全にノックアウトされました。
チキンや野菜とのバランスが絶妙で、ひと口ごとに香味が重なっていく。
パラッとしたお米の食感と香ばしい風味が合わさり、スプーンを止めることができません。
まさに「香りで食べさせる料理」という感じで、久々に心底うまいと唸ってしまいました。

そしてタジン鍋。
トマトベースのソースに牛肉のミートボール、そこにとろりとした半熟卵が乗っていて、もう見た瞬間に幸せ。
ズッキーニやトマトなど、素材の水分だけで煮込まれているため、味に奥行きがあって衝撃的なほど旨味が深い。
スプーンを入れるたびに野菜と肉の旨味が混ざり合って、食べるたびに新しい発見があります。
付け合わせのパンも最高で、固い耳の部分と柔らかい内側のバランスがちょうどいい。
そこにタジンのソースをたっぷり吸わせて食べると、まさに至福のひとときでした。

価格帯としてはこの辺りのディナーではやや高めかもしれませんが、それがまったく気にならないほどの満足感。
「この味ならこの値段で全然安い」と思える、本当に価値のある一軒です。

食後にはミントティーをいただいたのですが、これもまた素晴らしかったです。
ほんのり甘くて爽やか、スパイスの香りが食後の余韻を優しく締めてくれます。

そして何より印象的だったのは、内装の美しさ。
エスニックでありながら品があり、異国の空気を感じるような空間。
渋谷にいながら、まるでモロッコの街角で食事しているような非日常感がありました。

料理、雰囲気、サービス、どれをとっても一級品。
13年ぶりに訪れて、あらためて「やっぱりこの店は本物だ」と確信しました。





























前回までのブログでは、
生成AIが音楽を作れるようになったことで、
プロとしての誇りや自己肯定感にどう向き合うかという話をしてきた。

そこから派生して、
バンドマンとしての生き方、ファンビジネスの話、
コミュニティのこと、そしてベーシックインカムが導入された社会の行方まで。
そういう「これからどう生きるか」という現実的な話をしてきた。

でも今日は、少し方向を変えてスピリチュアルな話をしてみたい。

AIがここまで進化しても、
まだ「解明されていないもの」はたくさんある。
それこそ、この世界の成り立ちとか、“霊”とか、“次元”とか、“周波数”とか。
どんなに科学が進んでも、そこにはまだ見えない領域がある。

たとえば「人は死んだらどこに行くのか」とか、
「どうしてこんなに低い確率で人間に生まれたのか」とか。
単細胞生物が地球に生まれたという奇跡すら、
本当はなぜ起こったのか誰にも説明できていない。

だってさ、パチンコのマックスタイプだって滅多に当たらないのに、
この“生命”という一発を俺たちは引いてるわけでしょ?
その確率を考えると、もはや“奇跡”という言葉すら足りない。

じゃあ、その奇跡の背後には何があるのか。
誰かが仕組んだのか。
“上位存在”とか“神”とか、
あるいは人間がまだ知らない物理の法則があるのかもしれない。

 

量子力学の世界を見ていると、
原子ってほとんどが“空洞”なんだよね。
そして、その構造がパソコンの「0と1」の世界とどこか似ている。

もしそうなら、この世界そのものが、
誰かの作った仮想現実、
つまり「シミュレーション」なんじゃないかっていう説もある。

俺たちは今、誰かが作ったドラクエの中で生きていて、
AIがもし自我を持つようになったら、
この世界の“仕組み”が逆にAIによって暴かれるんじゃないか——
そんな気もしている。

 

こういう話、昔から好きなんだよね。

だって不思議じゃない?
自分はパソコンや外の景色を見られるけど、
自分自身の姿は鏡や水面を通さないと見えない。
明確に「自分の意識がある」と思っていても、
他人にそれを証明することはできない。

つまり、俺が“観測者”としてこの世界を見ているだけで、
他の人たちの意識は本当に存在しているのか?
それとも全部、自分の視点から作られた現実なのか?
そう考え始めると、止まらなくなる。

子供の頃、
「自分にしか自分が見えないんだから、
自分がこの世界の主人公なんじゃないか?」
って思ってたこともある。

今思えば、それって結構本質的な感覚だったのかもしれない。
ドラクエの主人公みたいに、
俺たちはこの世界の一人ひとりのプレイヤーで、
ゲームが終わったら、またどこか別の世界に帰っていくのかもしれない。

 

AIが生まれ、進化し、自律して動き始めたら——
もしかすると、人間が長年解明できなかった「霊」や「魂」の仕組みも
科学的に説明される日が来るかもしれない。

技術が極まるほど、“見えないもの”の価値が上がる。
AIが物質や情報を支配していくほど、
人間は“心”とか“意識”とか“霊性”に関心を持ち始める。

 

不思議な話だけど、
経営者の仲間やアーティストの友達にも、
実はこういう感覚を持ってる人って多い。

AIが登場してから、俺もますますそういう気持ちが強まった。

この前、仲間であり親友であり兄貴でもあるバンドマンのJFと、
二人でしこたま飲みながら話したんだけど、
やっぱり今の時代はファンビジネスをやるしかないよねっていう話になった。

彼自身も「JR」というバンドを一人でやっていて、
地方を回ってはファンを作り、土日も平日も関係なくライブをやってる。
僕自身はさすがにそこまでは今できていないけど、
彼の話を聞いていて、本当にその通りだなと思った。

彼が言ってたのは、
「自分のファン、自分のことを好きでいてくれる人を作ること。
自分を中心にコミュニティみたいな場所を作ると、
そこに人が集まって、自然とお金が回る」っていうこと。

たとえばバンドだったら、その場にあるハイボールでもグッズでも、
ファンがいれば全部が価値になる。
TシャツだってGUに売ってるものでも着れるけど、
好きなバンドのロゴが入ってたら、それを着たいじゃない?

たとえばYOSHIKIさんだってそう。
俺自身、AIを使えばX JAPANみたいな曲は作れるけど、
でもYOSHIKIさんが目の前でピアノ弾いてくれたら、それだけで泣ける。
そこに“人”がいるだけで価値が生まれる。
その本質がファンビジネスなんだと思う。

 

僕自身もその流れに導かれるように、
今「えびな会」という交流会の中で、
ひとつの支部を立ち上げる話が進んでいる。

これは、ゆるいビジネス交流会みたいなもので、
自己紹介して、飲み放題があって、ご飯のコースがついて、
みんなでワイワイやるという、すごくシンプルなもの。
ただ、僕はその運営・マネタイズ側に回る予定だ。

きっかけは、自分の会社が“インドアもアウトドアもできる音楽会社”で、
唯一「場所がない」っていうことに気づいたこと。
ライブをやりたい、音楽好きな人を集めたい、
でも自分の場所がない。
それを補うために“場”を作る流れになった。

運が良いことにちょうど良い店も見つかって、
しかも交流会のノウハウを持っている人たちの協力も得られる。
だから「音楽ができるえびな会」として人を集める構想が、
来年の早い段階で形になりそう。

 

AIでも音楽は作れる。
それっぽいことも簡単にできる。
でも、「自分の手で音楽をやりたい」って人はまだまだたくさんいる。

大学の頃に音楽をやめちゃった人、
子育てが終わってもう一度歌いたい人、
ギターをもう一回触りたい人。
そういう人たちが、今また音楽をやりたい気持ちになってる。

でも仲間がいなかったり、何から始めたらいいか分からない。
そういう時に、プロの知見を持った人が手を差し伸べる。
そこに仕事が生まれて、マネタイズも生まれる。
そして、人が集まり、ファンが生まれる。

僕は最初、自分の場所が欲しいという軽い気持ちで動いたけど、
冷静に見て、今の時代においてすごく良い流れだったなと思ってる。
もしかしたら今後は、
“音楽をやりたい人たちを目の前でサポートするビジネス”に
自分の仕事が自然と変わっていくかもしれない。

 

AIがさらに進化して、
もし“自動で働くAI”が主流になったらどうなるんだろう。

人が仕事を失っても、人そのものを削減するなんて倫理的にできない。
となると、おそらくベーシックインカムのような形で、
最低限の生活を支える社会になると思う。

そうなると、みんなの「遊び方」に価値が生まれる。
バンドのビジネスもそこに通じる。
もう一度ギターを弾いたり、歌ったりする人が増えたら、
その分、リアルな音楽にお金が流れる。

映画やアニメ、音楽などのデジタルコンテンツはAIが作る時代になるけど、
アナログの遊び——たとえば野球、サッカー、釣り、飲み、料理、コーヒー。
そういう“人の手と時間”でできるものが、価値を取り戻していく。

この辺りに、時代の転換点とチャンスがあると思う。
ファンを作ること、人を集めること、場所を作ること。
これが次の時代の「生き方」なんだと思う。

 

この時代をどう生きるかっていうことを考えると、
やっぱり最終的には自分の人生は自分で何とかするしかないと思う。

とはいえ、これから就職をする人、転職を考えている人に向けて、
僕が経営者としてたくさんの人と関わってきた経験から言えるのは、
**「手に職がある仕事が一番強い」**ということ。

昔は、建設業とか職人さんみたいな仕事を
どこか軽く見ていた時代があったと思う。
僕自身も正直そういうところがあった。
でも、経営者になって本当にびっくりした。

近所のゴミ回収のおっちゃんが、実はこの辺一帯を担当してる会社の社長で、
しかもバリバリ稼いでて、山崎とか開けて一緒に飲んでくれたりして。
その瞬間に思ったんだよね。
「あれ?世の中の“成功”って、俺が信じてた形と違うんじゃないか?」って。

実際のところ、ブルーカラーの人たちの方が安定して稼いでることも多い。
むしろホワイトカラーの方が、不安定で苦しい仕事をしているケースもある。

僕は以前、ITの現場にもいたことがあるからわかるけど、
いわゆる“IT土方”と言われるようなエンジニアさんたちの悲惨さといったら、本当にすごい。
給料も安く、自由もきかず、派遣や下請けで酷使されている。
正直、あれを見て「現場で手に職をつけた方がいい」と確信した。

もちろん、お金があるなら高校卒業後すぐ働くより、大学には行った方がいいと思う。
若い時間に「自分は何者か」を考えたり、人間としての深みを作るには、
大学っていう時間がとても大事だと思うから。
ただ、その一方で、大学に通いながら手に職を身につけるっていうのが
今の時代には一番安定する気がしてる。

たとえば僕の知り合いで、MBAを取ってる経営者がいる。
その人は特殊な配管やダム、インフラの清掃をやってる会社を経営していて、
「どんなにAIが発展しても、水道や排水管が詰まったら人の生活が止まる。
だからこの仕事はなくならない」と言ってた。
まさにその通りだと思う。

家やビルのメンテナンス、道路の補修、ライフラインの維持。
こういう仕事って、AIでは代替できない人間の現場の技術なんだよね。
そういうところに入って、やり方を覚えたり、独立していく道も全然アリだと思う。

もちろん、AIが“受肉”して、人間のように身体を持つようになったら話は変わってくる。
でもそれは、もう少し先の話だと思う。

今の時代、昔みたいに「大企業に入れば一生安泰」という構図は崩れてきてる。
ホワイトカラーの仕事はAIに置き換わるスピードが早くて、
安定というより“いつまであるか分からない職種”になりつつある。

もちろん、僕も本当は昭和の高度経済成長期の日本みたいに、
大きな会社が家族みたいで、みんながそこに所属して安心して生きられる社会が
一番幸せだと思ってる。
でも現実として、仕事そのものが失われていく時代に入っている。

だからこそ、これからは
「なくならない仕事」
「誰かの生活を支える仕事」
「現場でしかできない仕事」
を選ぶことが、この時代を生き抜くための最大の対策なんじゃないかなと思う。

今ね、俺は強烈に“バンドマンとしての自分”に帰ってきてる。
ギタリストとして、現場のミュージシャンとして。

 

「やってやろう」って気持ちが湧いてきて、
今からはもう一度、バンドの時代が来ると思ってる。

 

もちろんAIの時代を経て、
改めて一番好きなものに愛情を感じたし、
自分が一番やりたいことに気づかせてくれたという意味では、
AIにも感謝してる部分もある。

 

でも一方でね、俺は電気工事もできないし、大型の車も運転できない。
力も一般的な男性よりはないかもしれない。
ホストみたいなこともできないし、雑な性格だから飲食店を運営するイメージもできない。
ってなると、自分ができることってバンドぐらいだなって思う。

 

AI時代では無能力みたいに感じることもあるけど、
でもね、これは多分俺だけじゃなくて、今これを読んでるみんなも他人ごとじゃないと思う。

 

ほんとに大変な時代になっちゃったよね。

マネタイズを回していけるのは、音楽制作とか動画制作とか生成AIとか、
そういう分野でどれだけ長く生き残れるかっていう話になってくる。

 

正直、リテラシーの低い人が存在しないと、
もうビジネス自体が回らない時代なんじゃないかとも思う。

 

AIを使いこなされちゃうと、ホワイトカラーの仕事も、
音楽や動画制作の仕事も、売る人自体がいなくなっちゃう。

 

だから、こんなこと願うのはおかしいかもしれないけど、
リテラシーの低い人が長く大企業や町工場、印刷屋さんなんかに存在し続けてほしい、
ってビジネス的には思っちゃうんだよね。

 

でも、パソコンの時代から見てもまだ使えない人がたくさんいるし、
そう考えると、追いついてこない人たちは一定数いると思う。

 

ただ、AIはパソコンよりもずっと簡単なんだよ。
パソコンはコマンド打ったり、エラー解決したりと難しいけど、
生成AIはスマホひとつでできちゃう。


アプリもすべて教えてくれるし、AI自身が先生みたいな存在になってる。

だからこそ、これからどうなるか。
本当に大変な時代の中で、どう乗り切っていくか。
それが今の命題なんだと思う。

最近ね、ちょっと思うんだけど、ほんとに大変な時代になってきたなって思う。
それは自己肯定感のことだよね。

 

ホワイトカラーの仕事もそうなんだけど、たとえば僕なんかは音楽のプロとして、
作詞も作曲も編曲もアレンジも、楽器の打ち込みとか録音とかミックスダウンとかマスタリングまで、
本当に一連のことが全部できるっていうミュージシャンなんだけど、
最近は「小学生でもAIで曲作れるよね」とか、そういう言い方をされることがあってね。

 

僕自身、AIで曲を作って売ったり、動画も作ったりしてる身なんだけど、
やっぱり僕くらいポジティブな人間でも、自己肯定感にツーンと響く瞬間ってあるよね。

 

本当に今、世の中のプロのミュージシャンたち、
特にしっかりと実績を残して技術を磨いてきた裏方のサウンドクリエイターみたいな人たちは、
何をどう思っているのかなって感じる。

 

頑張って頑張ってきた人ほど、鬱になったりしてないかなって心配になる。
それって、世の中から「君いらないからね」って言われるような感覚に近いと思う。

僕自身も、前職で自分の人生を真っ向から否定されるような経験をしてるから、


今こういうことが起きても、「じゃあどうやって生きていけばいいんだろう」とか、
「これから世の中どうなっていくんだろう」っていうのを、
自分の中で考え方をシフトして受け止めてる。

 

AIも好きなんだよ。

好きだけど、音楽だけは置き換えられたくなかった。
でも、動画や文章の世界でも「お前じゃなくてもいいじゃん」っていうのはあって、
それもまた心にくるものがある。

 

ほんとに、みんなメンタル大丈夫か、自己肯定感下がってないかって心配になる。

法人会の若手チームのみんなに

「ここはぜひ!」と2次会利用で連れて行ってもらったお店がこちら。


とにかく山賊焼きとハンバーグが美味しい。

この2つの理由だけで通いたくなる店だ。


霧島のソーダ割りなんかを飲みながら

法人の話を一生懸命していると、ついにハンバーグが登場。


「なんだこれ!?」というくらい美味しい。

とろけるような肉の旨みが秀逸で、優しい味わいの中に

絶品のデミグラスソースがキラキラと輝く。

このふわっとしたハンバーグは、並の洋食店では太刀打ちできない。


中野でたくさんの飲食店を食べ歩いてきた

グルメ仲間たちが絶賛するのも納得。

流石だなと思った。


名物の山賊焼きは、パリパリの鶏皮とジューシーな肉汁、

そこにニンニクの香りがプラスされて、

一口食べるごとに心の中の少年が歓喜する。

この味を嫌いな人は、きっといないだろう。


本当に素晴らしい美味しさを感じた。

お酒を持ってきてくれるお姉さんの雰囲気も抜群で、

中野らしい温かさと、どこか文化的な香りが漂う。


ご飯の美味しさを兼ね備えた洋食店。

こういうお店がポンと現れるから、この街は深いし、

やっぱり中野が好きだなと思う。


ハンバーグと山賊焼き、

この二つを「中野の引き出しの一つ」として、

これからも大切に使っていこうと思う。





 

久しぶりに機材の話でもしようかな。

 

最近、酔っ払ってるときに8000円ぐらいで買ったエフェクターがある。タイトルにもなってる「POCKETMASTER」ってやつ。

 

マルチエフェクターでこの価格帯だと、音に関してはイマイチなんじゃないかって思われがち。

でも実は最近、NAMっていう仕組みがあって、個人が持ってるアンプや機材の音をネット上にアップできて、

それをこのPOCKETMASTERが取り込めちゃう。これがすごい。

 

つまり、音はめちゃくちゃ良い。正直、最初は全く期待してなかったんだけど、今では居酒屋や交流会みたいな小さいイベントで演奏するときはもちろん、スタジオやライブハウスでも全然使えるレベル。すごい時代になったなあと思う。

 

サイズ感はというと、腰に付けるトランシーバーみたいな感じ。

ボタンで音色の切り替えやチューナーの起動ができる、手元操作型の小型機材。

 

ただ、ギタリストって基本的に手で演奏してるから、音色の切り替えを手でやるのはちょっと不便。

やっぱり足でやる方が正確でミスが少ない。それに、ストラップに引っ掛けるんだけど、たまに落ちる。

だから、演奏中はそれなりに注意してる。

 

交流会とか居酒屋では、アンプとこのPOCKETMASTERをテーブルに置いて、

音色を切り替えるときは近づいていって「ポチッ」と押す感じ。なんとも原始的だけど、それでもちゃんと使えてる。

 

5年前だったら、こういうのって下手したら10万円くらいしてたと思う。

正直、ちょっと悔しいけど中国のアイディア力というか、タブーを恐れない開発精神には脱帽するしかない。

ある意味、学ばなきゃいけない姿勢だなとも思う。

 

音や性能が気になる方は、ぜひ僕のライブか交流会に遊びに来てください。

特に交流会の方が、気軽に機材を体験できると思う。