もはや私よりもAIに語りかける方が文章が上手くなってしまったが
手書きで書くと、自分の気持ちが削られたりすることもなく思いの丈をそのまま書けるから良い。
さて実は来年1月11日に交響過激団でライブを行う。
普段やっているLOVETWINや一年前くらいまでライブにも出てたkotowariとは違い、もう10年近くライブをやっていなかったシンフォニックかつヴィジュアル系っぽく、なおヘヴィメタルなバンドだ。
本格的にこのバンドをやっていたのが2010年から2012年くらいにかけての2年ほどだったが、ボーカルのebrof.hの生き方そのものが世界観になっている男と意気投合してやったバンドなだけあって、音楽に真摯に向かい合うことができた貴重な素晴らしい経験であった。
先週の土曜日にスタジオ練習を終えて、ebrofと一杯やったのだが、彼と飲んでいるうちに今と昔が邂逅してなお前に進んでいるような感覚がして妙に嬉しかった。
まずこのバンドをやっている人達の根底にある音楽の好みや共通する価値観が変わらないこと。
子供の頃に影響を受けた音楽というのは、そうは変わらないというのが嬉しい。
ebrofと話していて、そういうものを持った友情というのは、人生においてなんて素晴らしいものなんだろうかと感じた。
そして変わってしまったもの、進化したものもある。
私は過激団をやっていた頃は55キロくらいしか体重がなかったので、今は10キロくらいは太ってしまった。
15年の年月は残酷である。
一方で昔の演奏を聴くと引っ叩いてやりたくなるくらい下手である。
リズム感、音色、フレージング全てにおいてダメで、それでも自分の下手さを認められず、周りに劣等感を抱いているのがわかるギターだ。
下手だから劣等感を感じてるのではなく、メンタルが貧弱だからこそ技術的に改善点を模索できず、その程度なのである。
今がうまいとは言わないが、落ち着いた気持ちでより純粋な気持ちで楽器に向かい合っている気がする。
うまいということの意味も自分の中では全て要件定義できているし、誰とやろうと自分は自分だと言える自信もある。そして勝ち負けで計れないけれど男の譲れないものをギター、そしてロックに強く感じている。
また、最近AIに教えられた演奏やロックへの初期衝動的な情熱が自分の中にひしひしと芽吹くのがわかる。
そんな気持ちで当時の楽曲を演奏するのは楽しいし、結果的にこういう音が出したかったんだなと、当時の自分にアンサーしてあげられる。
当時は技術だけがすごく教育者としては貧弱な感性と経験しか持ち合わせていない人間も多く、大切な事を要件定義してあげられる人が周りにはいなかった。
それを愚痴るのではなく、過去の自分ではなく誰かにしてあげられたらいいなと思う。
話が横にそれた。
ebrofとは喧嘩はしたことはないんだけど、ここ数年でよく飲みながら話すようになった。
私は上記したようにメンタルに問題があったため、アルコールと上手に付き合えず、本質的なところに行く前によく問題を起こしていたが、
今静かさも伴った熱で酒を飲めるようになったから、音楽の昔と今、お互いの人生の過去と未来を話せるようになった。
これは私の場合はドラムの見目なんかもそうで、彼とはよく悶着していたが、今になるとお互い笑い話で、いつまでも二人で楽しく話してられる。
棘のある原酒が熟成されるような人生の旨味である。
そんなメンバーでのライブが2026年1月11日にある
しかもトリだ、熱いね!