怖れ、自分責めから軽くなり自分を生きるをサポート 

奈美〈プロフィール〉








子供が長い不登校から引きこもりになっていたら…


もういろいろな情報やアドバイスとかって
もうわかった
理解し過ぎるくらい理解はしている
っていう感じがしませんか?



子供が不登校になったばかりの頃って
たくさんの情報を集めまくる
そしてそれをやってみる
いろんなところに相談してみる
効果があったり、気持ちが落ち着いたりしたから
それを繰り返していく
だけどそれがきかなくなってきたら
また情報を集める
気づきを得る…



そうして、長い長い間にかなり学んだと思うのです
だからもう十分わかった
頭では理解している…
けれども本音では
だからさ、やってるんだよね
とか
いやわかってるんだけどさ

などなどを感じていることはないでしょうか。




子供を信じましょう
誰も悪くないんです
っていう言葉も、はいはい、もういいかなって感じだったりして。




そして
まあしょうがないよね
とりあえず何とか過ごしていくしかないよね
状況を受け入れ
腹をくくるとか
時にすごく辛くなるけれども
もうなんか今更、相談というのもな
また初めから状況を説明するのも疲れちゃうし
という感じで…





今とりあえず落ち着いてはいるけれども
なんか虚しいとか
重くてドヨーンとしている感じ。




長い不登校、引きこもりと言っても
長さっていうのは人それぞれですよね
何年からを長いと言うというわけでもないし
何ヶ月でも長いと感じれば長いですし。




だけど…
もう長くやってきた

もういいんじゃない、その重たいものがずっとある感じから、軽く自由に生きられるようになっても

って思うんですよねー
もう十分、本当に十分やってきたし。





そして
引きこもっている子は自分自身や自分の状況に対して

無価値観
無力感
自分を責めちゃう
自信がない
どうせ無理
外が怖いな

…などなどの感覚を、無意識だけど持っているのではないでしょうか…





そんなことないんだよ、あなたは価値があるんだよ
という言葉を聞きたくもない時期もあるでしょうし
聞いたとしてもすぐにそう思えるわけではない
と思います。




子供の内側コントロールすることはできない。





では自分自身は
無価値観とか、自信がないとか
自分なんて力がないよ
自分が悪いんだ
などなどの感覚を持っていないでしょうか…





自分の姿が子供に映し出される
それはそうなのかも
と思ったらやっぱり自分なんだなぁ
というところにいき着く。




では
自分が変われば子供が変わるのかというと
変わるか変わらないかは子供の自由でもあります。





ですから
子供が変わるために自分が変わろうというのも
求めた結果通りになるわけではないかもしれない。




ですが
自分自身はどう生きたいのか?
子供がどうとか周りがどうとかいろいろあるけど
自分自身が
生き生きと自分を生きたい
重苦しいのは嫌だな、軽やかにすっきりしていたいな
など、自分はどう生きたいかに目を向ける
それも今の状況がきっかけになって
自分の中に生まれてくる問いではないかなと思います。





そしてそれが始まりとなって
自分がいつも重い感覚の中にいるところから→
軽い感覚で安心や穏やかに生きられる
ということへつながっていきます。






深い感覚・体感を捉え、怖れや自分責めから軽くなっていく





チューリップ赤不登校、自分の中のネガティブが浮き彫りに


チューリップ黄これまでのネガティブ体験と「なんか違う」の違和感から癒やしを探求してきた 


チューリップ赤引きこもり、辛いもあるけど、怖いという感覚が大きい


チューリップピンク親の本音を、代わりに子供の姿が表わしてくれている 


チューリップ紫ただ「悲しい」とか「心が痛い」にたくさんのものがくっついている


チューリップ赤子供のことは自分の責任だ、 でっかい責任感の岩に押しつぶされそうに


チューリップ紫子供や相手を受け入れなきゃと、頑張って 踏ん張ってきて


チューリップオレンジ人間関係が辛い、 人が怖い、 失敗が怖い


チューリップ黄引きこもり、 肩にずっと何かを背負っている感じ