こんにちは

奈美です(プロフィール)







もし子供が
外へ出ていくことは自信がないとか
自分に自信がない
こんな自分なんてダメだよ
なりたい自分があったり、動いてみようと思うけどなかなか動けない
人が怖い、人にバカにされてしまうかも
コミュニケーション うまく取れないかも
などと
自分を責めていたり
自分を諦めていたりしたら…




この子は価値がないなんてことはないし
生きるを楽しんでもらいたいのにな
苦しんでいるのかな
自分に価値がないとかダメな自分だなと思うように育ててしまったのかな
学校の体験でもそういう風に思うことがあったのか…




人は鏡と言うから
親である自分が自分をみとめていなくて
自分に価値があるって思えてなくって
いい人をいつもやっている自分、本当は疲れてて
自分に全然自信がなくって
頑張っていたり誰かのために何かをやって初めて自分の価値がある
怖い人がいる
失敗が怖い
と思っていたりする自分
あー その自分の姿を映し出しているのかな…




などと感じてきて
やっぱり自分なんだ
自分が変わらないのならば 自分の目の前も変わらない
だから 自分のことからなんだー



と、自分の内側をみつめたり
自分を癒したりしていき
自分が少し軽くなってきたら
落ち着いた気持ちで過ごせるようになっていきます
それに 子育ての罪悪感をいつまで持っていてもしょうがない 
罪悪感を持たれた方がいやだよね、重いよね
自分を責めないでいこう
と過ごしていけるようにもなっていくでしょう…




ですがそうして時が経っていき
知らず知らずのうちに
自分が元気でいなければ
自分のことが 子供に映し出されるから
子供のことは自分次第だ
子供のことは自分の責任だ
などと思ってしまっていることがあります。




子供のことは自分の責任
そんな重いものは本当にいらないと頭ではとっても理解しているから、そう思っていないつもりなのですが
自分の奥ではすごく責任感を感じていたりするのです。




私はある時自分の中を深くみていたら、自分の内側で
責任感という大きな岩に押しつぶされ、重く
その責任感の岩を支えられなくて潰れそうになっている自分をみつけたことがありました
実際にそんな大きな岩が自分の上に乗ってるわけはないのですが、なんとなくそんな感覚があったのです。




子供のことは子供の課題、 親が変わってあげることはできないとか、すごく頭で理解しているつもりで、まさか責任感をそこまで持っているとは思いませんでした。




知らず知らずのうちに私は
自分がすごく落ち込んだり
自分がどうしようもない沼にはまったり
苦しくて動けなくなったりしたら
子供も元気をなくしてしまう
ということを、心の奥底で強く思っていたようでした
「子供のことは全部自分の責任である」
という思いを、実は自分の奥でまだしっかりと握っていたのです。





責任感の岩はでか過ぎて
ゴツゴツしてる、圧迫されるー
苦しい 支えられない
アップアップする
子育てのことだけではない家族のこととか、全部のことが自分次第 
全部のことが自分の責任だー
責任感がスーパー強すぎる自分がいる
そんな感覚があり、それがわかって
その感覚から緩んでいくと…





子供の体験は子供の体験
自分の体験だって自分の体験
それぞれの道でそれぞれの体験をしてるだけ
しかもその体験をする道を自分で 選んできたから
…などなど
そのようなことが、頭だけでなく、体でも感じられていきました
自分も体験したいものを体験すればいいのよ
さあ今から何の体験を選ぼうかな、それも自由だ
子供が何を選ぶかももちろん 自由
人の体験を奪わないしね
などという感覚も感じられるようになります
だからと言って、すぐにいつでもそう思える人になるわけではなくていいのです
頭だけでなく体感・感覚から腑に落ちたら、だんだんとそれがなじんでいきます。




頭ではかなり理解しているものでも
自分の奥では極端に重いものを持っていることがあります そこを掴み、体感・感覚から緩めていくと、頭で理解していることが腑に落ちる
ということを体験できるでしょう虹




ネガティブをポジティブに変えるのでもなく、元々の自分、先入観や怖れのない自分になっていく