怖れ、自分責めから軽くなり自分を生きるをサポート 

奈美〈プロフィール〉





禅タロット
「比較」




人っていつも誰かと比べて

あの人はあんなにできている
自分はこんなにできない
あの人はうまくいっている
自分はいつまでたってもうまくいかない
みんなは普通に楽しんでる
自分は普通の幸せを楽しめない
…などと
焦りを感じたり
劣等感でいっぱいになったり
どうしようもない孤独感を味わったりします。




でも 自然界では
比べるということがない
それぞれがそれぞれのままでちょうどいい
それぞれのままでいるからこそ調和しています。





お花が鳥をみて
鳥は飛べる、でも自分は飛べない、自分はできない
と自分を責めることなど、もちろんないです
あー、あの鳥のように空を飛べたらな
と鳥になろうともしていないです
菜の花がチューリップをみて
チューリップにならなきゃ
とは思っていない
当たり前ですけどね。





いつも人と比べて焦りがある
できる人にならないと
みんなみたいにならないと
いやいやならなくてもいいからさ
せめて、せめて、せめてこのことについてだけはどうにかしたい…




そんな時
自然界だけではなく
実は人間界でも
今のままで調和がとれているのですよ
と言われても
は?そんなの気休めにもならない
むしろ、そんなはずはない
と思いますよね。





ですが
目の前の相手や子供
目の前の状況が
自分に何かを教えてくれている
自分に何かを気づかせようとしている
確かに目の前のことによってネガティブを感じるかもしれないけれども
そのネガティブを癒やし、本質に気づき、その先へ行くことが実は自分の一番の望みであった
ということに後から気づくことがあるのです。




やはり、目の前の相手や子供や状況って
どうしても自分の前に現れなくてはならなかった人であったり
現象であったりします。 




自分が必要としていた
そういう意味では
自分にとっては
この相手でなければならなかった
この子供でなければならなかった
この状況の体験をしないとわからなかった…




だから
自分にとって一番ふさわしい相手や子供が目の前にいます
今までの体験、今の体験は
自分にとって一番ふさわしい体験
もちろん、その相手が去っていくこともあるでしょう
それは相手との間で気づきたかったものがわかったとか 腑に落ちたとか
クリアしたから
去って行ったり変化していったりするということなのでしょう。




だからやっぱり、人間と人間も全部調和がとれているということですね。





もちろん、自分の中にネガティブな感覚がどっぷり残っている時はそうは思えないでしょう。





先に癒しが必要ですね
癒しが進んでいくと今みえていないものがみえてきます。





今みえていないことに気づいていくと
現状にも今みえていない変化が起こったりします。






それはどんな変化なんだろう?
それは癒しが進んだ自分になるとわかるのです
ネガティブに埋もれている時は、そのネガティブのメガネをかけてみているから、それがみえない
ネガティブのメガネを外してその枠から出て行くと今とは違ってみえるでしょう。




そして自分のネガティブをみていくことは、自分の内側でやることなので
もし
もう焦り続けるのは疲れた
もう周りと比べのは疲れたのなら
外側で人と比べるをやって焦り続けるとか
外側で何かあるはずと探し続けるなどの
その繰り返しから→
自分の内側へと入っていきましょう。






 そして
人と比べて焦り続ける時
こんな自分はダメだよね
こんな状況はだめだよね
と責めている時
体にガチッと力が入ってしまっています
だからすごく体も疲れます。





日々リラックスしていたら疲れが全然違うでしょう
自分の癒しを進めると共に
時々自然界の中に身を置いて
リラックスをいっぱい感じましょう
その時 
自分と自然が溶け合って
リラックスが広がっていく感覚を感じられるかもしれないです
それを味わうことを繰り返してみてください。







自分の内側を深くみながら感覚を捉えて、ネガティブの枠からだんだん出ていく







チューリップ赤不登校、自分の中のネガティブが浮き彫りに


チューリップ黄これまでのネガティブ体験と「なんか違う」の違和感から癒やしを探求してきた 


チューリップピンク親の本音を、代わりに子供の姿が表わしてくれている


チューリップ赤子供のことは自分の責任だ、 でっかい責任感の岩に押しつぶされそうに


チューリップ紫子供や相手を受け入れなきゃと、頑張って 踏ん張ってきて


チューリップオレンジ人間関係が辛い、 人が怖い、 失敗が怖い


チューリップ黄引きこもり、 肩にずっと何かを背負っている感じ