アカデミー監督賞受賞の監督が、大物俳優・女優陣を集めて大人気ミュージカルの「CATS」の映画化したということで期待が高かったが、ズッコケて、米国では酷評の嵐だった。怖いもの観たさで観たが、はっきり言って、映画化する必要性はなかったと思う。

映画化にあたりミュージカルにはないストーリーが加えられているが、正直、それは悪くない。ミュージカル版は正直、ストーリー性がなくてストーリー重視の人にはなかなか理解が難しい作品だった。全般的に出演陣の演技や音楽シーンは良かったし、テイラー・スウィフトの歌う新楽曲も良い。ただ、最新テクノロジーを使って人間を猫に似せ過ぎたのが失敗だった。ミュージカルだと明らかに人間が演じているのが分かるので、猫の話だということは”観客の想像力”で補うのだが、映画版は猫の毛並など造形をリアルに再現しているのに、手足の先は人間のまま。結果、人間でもない猫でもない異形の生物を作り出してしまった。これが観ている人に嫌悪感を生じさせている。

この本作の猫などの造形に対する嫌悪感は、心理学における「不気味の谷現象」である。人間の写実の精度が高まると、ある一点において逆に違和感・恐怖感が高まる現法だ。例えば、ホンダのロボットASHIMOくんや、スターウォーズのC-3POは好意的に受け入れられる一方で、人間に似せたがどこか人間とは違うロボットやリアルなマネキンだと怖いと感じるだろう。本作だと、毛並などはリアルに再現し、猫に見えなくはない一方で、顔や手足の先は人間なので、この人間に過ぎた猫として「不気味の谷」に嵌ってしまった。最新のテクノロジーなど使わずに、ミュージカルレベルのメイクと衣装で演じればここまでの酷評にはならなかった。最新技術だから良い作品をつくれるわけではない。要は技術の使いようなのだ。なお、同心理現象を指摘したのは、森政弘(東工大名誉教授)である。

 

猫の造形はまだギリギリ許せるが、人間型のネズミやゴキブリに関してはただキモイ。特に後者は悪趣味。その人間風ゴキブリを、人間風の猫が食べるシーンにはとにかく戦慄した。それに服を着ている猫がいる一方で、着ていない猫がいるのが違和感。マキャヴィティがラストでコートを着ないで出てきたときに、「えっ裸?」ってなってしまった。

 

そして、このフーパー監督の作風として人物のアップを映すことが多いが、猫風人間が画面アップで映し出される度に違和感が生じてしまった。監督は手振れの映像をあえて使うが、ダンスシーンが多い本作だと観ていて酔いそうになる。鉄道猫が線路上で歌うシーンでは逆にかなりひいた映像で猫たちの小ささが強調されるが、猫風人間の小ささが強調されて、不気味さしか感じなかった。名曲「メモリー」も最初はいいと思ったが、感情を込めすぎていて、もう少し綺麗に歌って欲しかった。猫風人間にドン引きしている中で、悦に入って歌われても全然入ってこないし、歌ってる人のドアップシーンでは鼻水がすごい気になった。

音楽は良いので、猫風人間の造形が気にならないなら別に悪い作品ではないと思うが、音楽を聴きたいならCD聴けばいい。ほんと映画化する必要性に乏しかった作品だと思う。観るにしてもDVDや動画配信サービスで観るので十分だ。映画館である必要性はない。表現技法として、舞台に適した作品と、映画に適した作品があるが、CATSは前者だ。CATSを映画化するぐらいなら、製作が先送りになっている「ウィキッド」を映画化してほしい。

2020年、私も決意したことがある。それは、すべて売ってしまった日本株を買い戻す検討に入ったこと。まだ、決めたわけではないが、日本株を買うとすれば、成長が期待できるセクターの銘柄を選ぶつもりだ。 -- AERA dot.

 

ジム・ロジャーズといえばジョージ・ソロスと伝説のヘッジファンドの創立者である。世界三大投資家とも評されるが、正直、バフェットやソロスに比べると見落とりするのは否めない。たしかに彼は投資で儲けたのは事実だが、ソロスの手腕によるところが大きい。実際、彼の発言がどの程度の信憑性があるのかは分からないが、昨今の発言は節操がないと言わざるを得ない。彼について以前も記事を書いたが(前記事)、迷走ぶりは加速している。

 

彼の従来の主張だと、日本は少子化なのに移民を受け入れないから労働人口激減で経済は疲弊し、日本は2050年に犯罪大国になると主張していた(LINK)。一方で、韓国は朝鮮統一により強大国になると豪語していた。なぜなら北朝鮮の資源と安価な労働力と、韓国には多くの資本があり、専門家多く、これらのコンビネーションにより経済大国になる素地があるという。ただ、ドイツですら東西統一後は経済停滞に追い込まれたのに、独裁の北朝鮮と朝鮮統一なんてしたら、栄養失調の北朝鮮の国民(情報統制の中に生きてきたので現代社会の常識は通用しない)が、韓国に押し寄せて大混乱になることは容易に予想できる。彼の予見は、楽観を通り過ぎてあまりにも素っ頓狂だった。

 

(ただ、ロジャーズの指摘のうち、朝鮮半島が統一した場合、人口規模で一定の勢力になるのは事実だ。歴史的に朝鮮半島は寒冷な気候で濃厚に適していないので人口は多くなく、日本の3~5分の1の人口の弱小国だったが(LINK)、日本統治時代に衛生環境・所得向上で人口が大幅に増加し、現在、韓国・北朝鮮の合計は7700万人にものぼる。これは日本の6割程度の人口規模だが、ここまで人口比が近接したのは歴史上初めてだろう。もし南北統一した場合、タイを上回り世界20位の人口規模になる(日本は現在第10位)。日本は侮っているが、日本が善意(というか間抜けにも)資本・技術を惜しみなく投資したので、朝鮮半島はいままでの弱小国とは違う点は考慮すべきだ。)

 

彼はすでに2013年時点で、望みがないと彼は判断し、日本株のすべてを売却している(LINK)。2019年1月には、彼は、朝鮮統一の実現により、「北朝鮮バブルが来る」「観光が盛んになるから大韓航空の株を買った」(LINK)と発言している。しかし、その後、韓国が仲介したベトナムでの米朝対話は破断し、金正恩は大恥をかいた。南北対話の機運が下がり、さらに韓国で日本ボイコット運動が発生したために韓国の航空会社は窮地に陥り、韓国の航空会社は全社が赤字に追い込まれた。その一方で、日経平均株価は2019年末に24,000円を回復し、現在もバブル後の最高値を更新する勢いだ。はっきり言って、彼の予見は大ハズレだったと評価せざるを得ない。

 

現在のところ南北朝鮮統一は非現実的なものとなった。(もともとジム・ロジャーズ以外の誰も予想していた通り)韓国経済は、左派政策により疲弊してる。親北・親中の韓国はアメリカの反感を買い、政権維持のために反日化している韓国に日本は激怒し、旧宗主国の中国は再び朝鮮半島を勢力化におこうと画策し、ロシアは朝鮮半島を東側に組み込もうと圧力を加えている。さらには、イランは韓国に国交断絶の可能性すら示唆しており、「四面楚歌」どころか、友好国が全くいない「全面楚歌」になりつつある。中国は韓国の技術水準にキャッチアップしており、韓国は近く人口絶壁に直面し、2100年には韓国は2000万の小国に再び転落する。

 

彼は、日本株は今更ながら当面上昇するだろうと予想し、日本株に投資を開始した。しかし、私は逆の予想だ。安倍政権が終焉した場合、政権が不安定化する可能性がある。長期政権の小泉政権後に政権は不安定化した。安倍政権後に長期政権が築けなければ再び日本経済は停滞する可能性がある。何より懸念点は、高齢化社会により、社会全体が保守的になり、新しい技術の導入に消極的な点だ。IT系のGAFAが世界市場を席巻しているが、日本はIT系の人材が圧倒的に不足しており、ましてAIについては、まともな研究者も企業で活躍できる技術者もほとんどいないのが実際だ。日本政府は、文学部等への予算は削減し、情報系の学部への予算を増やすべきだ。このままでは大陸の隅っこのただの島国舞い戻ってしまう。

 

ジム・ロジャーズの予測の逆をいけば良い投資が出来るかもしれない。彼は投資において良い反面教師だ。彼は訳の分からない駄本を執筆し、無知な人に売りつけているが、昨今のチグハグな主張によりそろそろ化けの皮がはがれ投資芸人としての命運も付きつつあると思う。

 

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今年は日本書紀成立1300年。というわけで、東京国立博物館では日本神話にちなみ「出雲と大和」展をやっている。日本の始まりについて考えさせてくれる興味深い展示であった。もともと出雲にあったという強大な国については神話だと考えられていたが、当時は主に九州と近畿からしか銅鐸・銅矛が発見されず、出雲は辺境の地と思われていた。しかし、荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡から大量の銅剣と銅鐸が発見されたことや、伝説と思われていた巨大な出雲大社を支える柱が発掘され、高層の神殿が事実だったことが判明し、出雲は辺境の地だったとする通説がひっくり返ったのだ。出雲には何か強大な王権が存在していたのだ。伝説だと思われていたが、遺跡の発見で実話だったと実証された「トロイの木馬」レベルの驚きだっただろう。

 

興味深いのは、出雲を中心にあった「四隅突出墳」が、ある時期を境に姿を消して、大和王権の特徴である「前方後円墳」が隆盛を極めた点だ。これは、出雲王朝が、近畿に興った大和朝廷の支配下に入っていったことを示唆する。そして、日本神話の「国譲り」は、そうした王朝の移り変わりを神話的に記述したものと考えられるのだ。本展示の射程外だが、九州に王朝があったことは既知である。つまり、古代日本は、大和朝廷・出雲王朝・九州王朝があり、それらが征服なりを経て、大和朝廷に収斂されたと考えられる。その王族の子孫が現在の天皇家なのだ。だが、古代日本には記録が残っていないのでかなり謎が多いし、日本神話との整合性もよくわからない。「古事記」・「日本書紀」は大和朝廷からみて都合の良い歴史でしかなく、別にある「出雲国風土記」とはかなり相違点が多い。どこの王朝がどこを征服したのか、はたまた王朝同士が融合したのかは不明である。中国の歴史書に残る「邪馬台国」も存在したのか、ただの「ヤマト」の聞き間違い・書き間違いなのかすら現状は分からない。

 

しかし、科学的調査で、新しくどんどん通説が覆るのは面白い。稲作は弥生時代では縄文時代には始まっていた可能性が高く、また、日本の稲の遺伝子を調べると、実は朝鮮半島から伝わったと思われていたが、実際は、中国江南から直接伝わったようである。また、朝鮮半島南部からは前方後円墳が見つかっており、朝鮮半島南部は古代日本の勢力圏だったことが分かっている。

 

本展示ではかなり貴重な展示も多かった。古代の遺物にペルシアからの伝来品があったが、古代日本は広く交易を持っていたのだ。古代日本にロマンをはせることが出来る良い展示だと思う。

 

上記の展示を観終わったあとで、天皇即位式の高御座を無料で観れたので観てきた。奈良時代から天皇の即位に関する重要な儀式に用いられてきた。

 

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テレビで観るよりも荘厳で、威厳があった。

 

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※ 高御座(奥)と、皇后陛下様が入られた御帳台(手前)

 

その後、改修が完了した「旧東京音楽学校の奏楽堂」を見学。東京音楽学校は現在の、東京芸大だ。入館料300円だが、たまたまチェンバロのコンサートをやっていたので、少し聴けた。日本最古の洋式音楽ホールで、日本初のオペラもこちらの奏楽堂で開かれたという。フジコ・ヘミングも、奏楽堂のコンサートが評判を呼び一躍ブレイクした。日本のクラシック音楽の黎明期をリードした貴重なホールである。上野は周辺を散策するだけでも楽しい。いま引っ越し検討中だが、上野付近に引っ越したい。

 

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「AIが人類を超える!」というような無責任な言説が昨今では流布されている。カーツワイルという未来学者の予想だと2045年にシンギュラリティ(技術的特異点)が訪れ、AIが人類を超えるという。しかし、著者はそうしたSF的な見方にはかなり慎重である。著者は工学博士だが、哲学などにも言及しながら、そうしたシンギュラリティの予測の甘さを指摘している。薄い一冊だが、様々な知見に基づく冷静な分析をしている良書だ。

 

正直、私はAIが人類を超えるということにはかなり懐疑的だ。人間の・思考・意識・知性をPCで再現するなら、PCが認識可能な二進法でそれらを記述する必要がある。しかし、そもそも人間の思考・意識・知性がなんなのか科学的に解明されておらず、それを二進法でそれを記述可能なのかも分かっていない。人間の思考・意思・意識がもし脳の細胞特有の現象であるならば、PCでの再現は不可能だ。よく囲碁・チェスなどでAIが人類に勝ったというが、それは戦術が計算可能な対象であるからだ。現在存在するAIはすべてある機能に特化した”専用AI”であって、よく映画等で出てくる”汎用型AI”はいまだすら存在していない。カーツワイルの予想だと2029年には登場するそうだが、依然としてAIが言語の意味すら理解できていない段階なのに、あと9年で汎用型AIが登場するとは到底思えない。

 

シンギュラリティが訪れるのが2045年と予想されているが、それは単にムーアの法則(半導体の集積率は18か月で2倍になる)という経験則から、AIが人類を超えるのはそのぐらいだろうと大雑把に予測しているに過ぎないのだ。ムーアの法則が示しているのは、単に「1秒間に100個の処理をしていたCPUが、18ヶ月後には同じ面積のCPUで200個の処理ができるようになる」という経験則的な事実に過ぎない。処理速度の上昇と、汎用型AIの誕生とは全く問題だし、ムーアの法則があとどのぐらい延命するかも分からない。

 

現状では、AIは人類の話す言葉の”意味”は理解できない。たしかに一定の文法や、蓄積された過去データの分析によって、ある文章を別の言語に翻訳することは可能だが、AIは”意味”を理解しているのではなく、機械的に計算し、それを出力しているに過ぎない。AIを使えば確かに大学受験レベルの選択問題は正答が可能だが、それは単に選択肢の中の単語の”共起度”を計算しているに過ぎず、問題文を理解しているわけではない。

 

カーツワイルのシンギュラリティばかりが一人歩きしているが、カーツワイルの予想では2045年に人類は死をも超越し、生物と機械の区別は無くなり、現実とヴァーチャルは融合するという。たしかに分子レベルでの脳の再現は進んでいるが、著者は古典的な人間機械論の延長にある妄言だと切って捨てる。そもそも人間の・思考・意識・知性に関する無知さがこうした主張を生むという。生物種特有の心を、二進法のコンピューターが再現できる確証などどこにもない。仮に”それらしいもの”ができたとしても、人間の意識・心と、それは別物なのである。

 

結局、人工知能についてよくわからない言説が垂れ流されるのは、記者は文系が多く、理系の知識に乏しい一方で、理系は自己の知識を分かりやすく大衆に広げるコミュニケーション力や伝達力が低いためである。たしかに単純作業がAIによって自動化されるのは事実だろうし、AIが良い補助ツールになることになるのは事実だろうが、それは人類が不要になったり、人類の知性をAIが超えるなどということには決してならないのだ。

 

AIに関するSF的な言説に対する冷静な視座を与えていくれる良書だと思う。

 

当方も、友達に「AIで法務業務なんて真っ先に最初に代替されるでしょ?」なんて言われたことがあるが、正直、門外漢の戯言だと思う。例えば、1つの契約書を完成させるプロセスは、概ね「先方との交渉担当の契約書のドラフティング(もし作成者で質疑があれば法務担当へ確認が入る)→法務担当が社内レギュレーションに照らしてチェック→先方へ提示し、先方での検討→両者での契約交渉(修正案があれば応諾可能かの判断)→妥結の場合は各社で承認し押印へ or 妥結しない場合は協議し方法を模索し妥結しなければ契約は破断し、妥協出来たならば社内承認し押印へ」。結局、AIで代替可能なのは、ドラフティングと、社内レギュレーションに照らしてチェックすることぐらいだ(文章を修正するなどの作業はいまのところ出来ない)。また、法務AIにもコストがかかるが、もし人件費の方が安いなら、人を雇っておいた方がいい。人間同士の交渉・説得の場面は、いまのところAIでは代替不可能だ。だから、補助ツールとしてAIはたしかに伸びると思うが、AIが法務担当者にとって代わるなど、相当未来の話なのだ。

 

しかし、こうした話が拡散されるせいか、司法制度改悪のせいか、法務志望者が激減しており、どこの企業も法務人材の人手不足が深刻だそうだ。ちなみに、私の転職時は、法務系の職種の求職者の6倍の募集が出ていた。最近は、グローバル化で英語力も求められるが、そんな条件を満たせるのは極一部だ。知財の専門家の弁理士なんて需要が高まっているのに志願者数は3977人(2018)しかいない。2000年のときは5531人で、2008年がピークで10494人だったから異常な減少ぶりだ。法務職が不人気になっているが、今後、グローバル化する経済で、日本企業は果たして自社の利益を法的に守れるのだろうか。英語も法務も弱いのにタフな交渉など出来るわけもない。私は日本企業全体でみた場合、あまり楽観できないと思う。

 

 

韓国映画初のパルムドール受賞作「パラサイト-半地下の家族」をさっそく鑑賞してきた。監督は「殺人の追憶」「母なる証明」などを撮ったポン・ジュノ。あれ、「オールドボーイ」がカンヌで賞とっていなかったっけ?と思ったが、「審査員グランプリ」だった。日本映画は国際的に評価が高く、カンヌ映画祭ではパルムドール5回、審査員グランプリ6回受賞している。非欧米諸国では最多だ。最近は韓国映画のクオリティが上がっており、国際市場でも存在感を増している。

 

あらすじ:失業中の主人公家族は、半地下の家で細々と暮らしていたが、ある日、長男が裕福な家の家庭教師として働くことになる。徐々にその家族に取り入っていくが、その家には隠された秘密が。そして予期せぬ事態に巻き込まれいくのだった・・・。

 

韓国は、貧富の格差がかなり大きいが、そんな社会の底辺で生きる家族が、裕福な家族に取り入っていく序盤はなかなかコミカルで面白く、その後、その家の秘密が明らかになってからのブラックユーモアもかなり笑える。家政婦が北朝鮮のアナウンサーの物真似をするシーンは爆笑ものだ。後半はシリアスなクライムサスペンスに転じるが、ここはテンポよく切迫した事態を描写していく。社会の貧富の格差を話のベースに据えつつ、次々と話が展開し、ジャンルも一つにこだわるでもないので、その後の展開がほとんど予想がつかず、映画に釘付けになる。出演陣は誰もが印象深く記憶に刻印され、また音楽の使い方も、映像描写も素晴らしい。

 

本作も韓国映画らしく「恨」が見え隠れする。朝鮮半島は寒冷地帯で土地は痩せて人口が少ないため弱小国家で(一貫して日本の人口の2~4割程度しかいない)、周辺を大国に囲まれていたので何度も侵攻され、庶民は貧困に喘いでいた。おまけに李氏朝鮮は仏教を排斥し儒教を尊んだが、儒教は序列を重んじるため社会格差が大きい。李氏朝鮮において500年にわたり、社会的に下位におかれた者は抑圧され、その苦渋・嫌悪・苦痛・憎悪・悲哀・無念などの感情は昇華されずに鬱積していった。儒教には社会規範としての性格が強く、”救済”の概念がないので、その鬱積した感情は、ときに爆発する。これが韓国の「恨の文化」だ。日本人からすると韓国人の感情の荒さは驚くべきものだが、これは文化的なものなのだ。はっきり言って本作の後半の激情や残忍さは日本人には到底理解できないが、あくまで劇中でみると新感覚で素晴らしく興味深い。

 

良くも悪くも韓国らしい映画で、ポンジュノの作家性がよく出ている作品である。韓国映画初のパルムドール賞受賞作ということで、映画好きにはオススメだ。ただ韓国の他のクライムサスペンスに比べてラストはまだ明るいが、やはり残忍なシーンはグロいので、苦手な方にはオススメしない。

 

★ 4.0 / 5.0