太平洋戦争史と心霊世界 -9ページ目

太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


十条駐屯地1 

  十条駐屯地は陸海空が併設された補給部隊です。建物は見たところ、それぞれ陸上・海上・航空に分かれていましたが、それぞれの施設に自衛隊広報コーナーが設けられていました。


十条駐屯地2 

陸上自衛隊・補給統制本部の入口。

十条駐屯地3

  こんな感じで小スペースですが、陸自の広報コーナーがあります。


十条駐屯地4 

  陸自とは別棟に、海上自衛隊のPRコーナー。


十条駐屯地5 

  この日は盆踊り大会だったので、子供用制服コーナーとか設けていました。

十条駐屯地6 

  海自の展示コーナーが一番充実していましたね。


十条駐屯地7 

  海自のビデオとか。

十条駐屯地8 

  航空自衛隊の補給本部。


十条駐屯地9 

  空自の展示はあまりなくて、写したのがこれだけでした。


十条駐屯地10 

  広報コーナーに貼られていた拉致問題を提起するポスター。あちこちの駐屯地で見かけます。


十条駐屯地7 

7月下旬のこの時期は暑かったですね~。暑気がとれて、私自身はやっとブログ更新する意欲が出てきました。暑さは苦手なので・・・。(;´▽`A``


十条駐屯地1  十条駐屯地・広報展示室入口。右の人型は人形。

 

725日に十条駐屯地の盆踊り大会に行きましたが、その際見学した広報展示室をご紹介していませんでした。

 1か月ほど前の事だったのですが、今となっては何だか遥か昔の出来事みたいです。


十条駐屯地2 

 広報展示室の中。盆踊りのイベントで、展示室や史料館を開放する駐屯地は少ないみたいですね。

十条駐屯地3  「昭和10年代 第一製造所弾丸工場の製造風景」

 

 展示は十条駐屯地の歴史的変遷を時系列で解説しています。ここは戦前、陸軍の軍需工場だったのです。


十条駐屯地4  「東京第1陸軍造兵蔽の保育所」。工場内に保育所があるとは、女性が大勢働いていたのでしょう。

 

 明治38年、小石川にあった東京砲兵工廠銃包製造所が、現在の十条駐屯地のある十条台へ移転。

 その後、十条台は陸軍の兵站地としての役割を担うようになりました。


十条駐屯地5 

 昭和20年、ここ東京造兵蔽は米軍の空襲のターゲットになっていたにもかかわらず、なぜか破壊を免れました。

 米軍進駐後に施設を使用するため、わざと攻撃目標から外したという説も・・・。


十条駐屯地6  十条駐屯地内に残されている戦前の遺跡を地図で表しています。憲兵の詰所とか、造兵蔽本部の建物など。

 

 戦後は昭和22年から、十条台は米軍の兵器修理工場となり、火砲・戦車などの重火器の修理を行っていました。

 朝鮮戦争からベトナム戦争まで、重要な役割を果たしていました。昭和
33
年に日本政府に返還され、防衛庁管轄となりました。


十条駐屯地7  「昔の兵站(米軍、日本軍)」

 

 兵站を詳しく解説している所は少ないので、これは興味深かったですね。


十条駐屯地8 

日本軍の輜重(しちょう)部隊は馬、米軍は車両だった。荷車で運んでいるのは野砲、馬の背に乗せて運んでいたのは山砲だそうです。山砲は野砲の小型版。


十条駐屯地9 

「輜重(しちょう)兵と駄馬の昼食風景」

 

 馬も徴集されて一頭も戻ってこなかったんですよね。


十条駐屯地10 

 中国・山西省南部での輜重兵の昼食風景。痩せているけどアスリート体型。


十条駐屯地11 

 小さめの展示室でした。十条台では戦前は兵站を担い、自衛隊の駐屯地となってからもやはりここは補給部隊となっています。

 

しかも陸上・海上・航空すべてが併設されており、全国でも珍しい駐屯地だそうです。


ひまわり 

 

 暑さも峠を越えましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

暑さが苦手なのと、PCが熱でまたヘタるのではないかとブログから遠ざかっていましたが、そろそろ再開しようと思います。

 

 休止の間は旅行に行って体力が衰えているのを実感したり、病院で再検査し病状がちょっとずつ進行している現状を眺めたりしていました。

 

 まあこれは仕方ないと受け止めています。霊界通信の視点から言えば、人間は生前、守護霊等にアドバイスを受けながら自分の地上での人生設計を計画し、誕生してきます。

 

 そうすると寿命の長さも自分自身で設定し、潜在意識下では自分も了承済みであったイベントですからね。

 だから病気に対し悲観的には考えず、病気になったのも自分自身の責任であると捉えています。カルマ(人生の負債)をこれで返せると思うと、現実にも耐えられますから。

 

今では出来る事はブログの更新くらいになってしまいましたので、ブログは可能な限りは続けたいですね。最近も期待していますとのコメントをいただき、ハッパを掛けていただきましたので、記事の方も再開したいと思います。

 

ということで、これから書いていきますので、少しお待ちくださいね。(^_^;)


靖国神社本殿 


 あれやこれや所要と、暑くてPCが駄目になる!という恐れがあって、しばらくブログから遠ざかっていましたが、久しぶりに書いています。いっつも夏にPCを壊してしまうものですから・・・。(^_^;)

 

 815日、今日は終戦の日です。当ブログをご覧いただく方は、靖国神社や護国神社に参拝される方も多いのではないでしょうか。

 

 もし都合で参拝できない方は該当施設へ行かなくとも、現在おられる場所から祈念すれば思念は適宜、目標に定めた場所に一瞬で到達します。念波に距離は関係ないからです。

 

 私自身は自宅から、戦死後に未だ霊界入りできなくて、地縛霊として彷徨っている方々に、早く現状に気付いてくださいということで、お祈りしておきました。

 

 『シルバーバーチの霊訓』によると、大半の人は死んで霊界入りを果たし、一部が自分の死に気付かず、霊界に入れず地縛霊化していると述べています。

 

だから先の大戦の戦病死者も、大部分は成仏(霊界入り)し、一部の方は既に再生(生まれ変わり)しているのではと私は推測しています。

 

祈念する念波も、その人の霊性レベルと同じレベルの人にしか到達しません。自分の霊格以上の所へは届きませんから、たとえお祈りしても相手と念波が合わず、祈りの念が相手に届かない、ということも起こり得ます

 

 これはよくラジオの周波数に例えられますが、自分と同一レベルの周波数でないと念波も拾えないのです。

 

 祈念に当たりこんな問題もあるのですが、自分の念が該当場所へ届くかどうかはさておき、とにかく今日は必要な場所へ向けてお祈りをしておきました。

 

 「終戦の日」もそれぞれの信条において、各自の方の納得ゆく形のイベントを行えば良いと思いますよ。




霊界へ乗って行く馬と牛 


風鈴 


 いつもご覧いただき、ありがとうございます。m(_ _ )m

 

 最近引っ越しなどを控えており、ブログ記事を更新するのが難しくなってきました。また引っ越しに当たって新たな病院も探さねばならないのですが、現在交渉中でなかなか決まらずにおります。

 

 この件もまた、記事に掲載するかもしれませんが、現在の手術⇒抗がん剤という標準治療から外れた選択をすると、受け入れてくれる病院も限られてくるという現実があります。

 

 そんなわけで、戦史・霊界通信等の記事は多忙のため、今月は少なくなると思います。それに伴いペタもしばらくの間、止めさせていただきます。

 また引っ越し後、落ち着いたら再開したいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 

 本当は今日も横須賀で大きな海上自衛隊のイベントがあったのですが、酷暑で体調不良が懸念されるため、泣く泣く断念しました。大変残念です。


海    すいか。    朝顔         海     花火