![十条駐屯地1](https://stat.ameba.jp/user_images/20140901/11/zipang-analyzing/c6/c8/j/o0421033613053035329.jpg?caw=800)
7月25日に十条駐屯地の盆踊り大会に行きましたが、その際見学した広報展示室をご紹介していませんでした。
1か月ほど前の事だったのですが、今となっては何だか遥か昔の出来事みたいです。
広報展示室の中。盆踊りのイベントで、展示室や史料館を開放する駐屯地は少ないみたいですね。
「昭和10年代 第一製造所弾丸工場の製造風景」
展示は十条駐屯地の歴史的変遷を時系列で解説しています。ここは戦前、陸軍の軍需工場だったのです。
「東京第1陸軍造兵蔽の保育所」。工場内に保育所があるとは、女性が大勢働いていたのでしょう。
明治38年、小石川にあった東京砲兵工廠銃包製造所が、現在の十条駐屯地のある十条台へ移転。
その後、十条台は陸軍の兵站地としての役割を担うようになりました。
昭和20年、ここ東京造兵蔽は米軍の空襲のターゲットになっていたにもかかわらず、なぜか破壊を免れました。
米軍進駐後に施設を使用するため、わざと攻撃目標から外したという説も・・・。
十条駐屯地内に残されている戦前の遺跡を地図で表しています。憲兵の詰所とか、造兵蔽本部の建物など。
戦後は昭和22年から、十条台は米軍の兵器修理工場となり、火砲・戦車などの重火器の修理を行っていました。
朝鮮戦争からベトナム戦争まで、重要な役割を果たしていました。昭和33年に日本政府に返還され、防衛庁管轄となりました。
兵站を詳しく解説している所は少ないので、これは興味深かったですね。
日本軍の輜重(しちょう)部隊は馬、米軍は車両だった。荷車で運んでいるのは野砲、馬の背に乗せて運んでいたのは山砲だそうです。山砲は野砲の小型版。
「輜重(しちょう)兵と駄馬の昼食風景」
馬も徴集されて一頭も戻ってこなかったんですよね。
中国・山西省南部での輜重兵の昼食風景。痩せているけどアスリート体型。
小さめの展示室でした。十条台では戦前は兵站を担い、自衛隊の駐屯地となってからもやはりここは補給部隊となっています。
しかも陸上・海上・航空すべてが併設されており、全国でも珍しい駐屯地だそうです。