太平洋戦争史と心霊世界 -19ページ目

太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


蓮の花 


シルバーバーチなど高級霊の語った霊界通信をもとに、死んだらどうなるのかを解説しています。

 

現在は、人間が死んで霊界入りしてから行く最終目的地、「霊界」での生活について掲載しています。

 

 「霊界での生活」、7回目は霊界ではどう移動するのか、また霊界でも色々な研究・勉強が可能であるということをご紹介します。


霊界一覧図 

 

 

■移動の仕方

 

赤字はシルバーバーチの言葉)

 

――霊界の人たちも行動範囲に限界があるのでしょうか。それとも自由に宇宙を駆けめぐることができるのでしょうか。旅行もできるのでしょうか。探検もできるのでしょうか。

 

 

「もちろん出来ます。ただし、それが出来るだけの資格を手にすればのことです。霊格の問題です。そこに目的意思と言うものが無くてはなりません」

 

(遊び半分、面白半分の宇宙旅行や探検は許されないということ――訳者)

 

 

 

【解説】霊界では目的地を念じれば、一瞬にしてその場所へ移動できます。そのため地上世界のような交通機関や車は必要ありません。

 

 ただしその行動範囲については、霊格により制限を受けます。霊格が高ければ高いほど、広範な行動範囲を持てることになります。


アジサイ 

 

 

■連絡方法

 

 

「霊界へ来てからの精神と霊のすることは範囲が広く際限がありません。

  教養(文化)的なものもあれば教育的なこともあり、一つ一つにれっきとした目的があり、物質界への働きかけもあり、やりたいだけ存分にそれに携わることができます」

 

 

「でも、こういう問題が生じませんか――もしも地上のような時間がないとすると、これから先の予定はどうやって立てるかということです」

 

 

「私が誰れかと会う約束をしたい時などのことでしょうか。そんな時は思念を送って都合が良ければ会うということになります。手紙での連絡はありません」

 

 

 

【解説】このシルバーバーチの交霊会のあった時代はインターネットがなく、通信手段は手紙でした。従って「(霊界では)手紙での連絡はありません」とシルバーバーチは当時の世相に合わせ答えています。

 

 霊界で誰かとアポイントメントを取る、又は会合を開く場合はお互いに直接思念を送り、都合の良し悪しを確認します。

 

 そのため地上のような手紙、メール、電話などの通信手段は必要ないことになります。

 

木陰 

 

■習い事

 

 

――霊界でピアノを習いたい時はやはり練習が必要なのでしょうか。

 

「もちろんです。何もしないで身につくものはありません。霊界には各自の才能に応じて指導してくださる立派な先生が大勢います。

 

地上において経済的理由や社会的環境のために発揮できなかった才能を持つ新参者は、霊界へ来てから驚くほど素晴らしい機会を与えられることがよくあります。

 

霊界では、何ものにも束縛されることなくそれを最高度に発揮することができます」

 

 

 

【解説】霊界でも地上と同様に、音楽、絵画など自分の才能・能力を向上させたいのなら、やはり練習に励むなど、努力が必要となります。霊界でも魔法のように突然、素晴らしい音楽が突然演奏できるようになる、などという虫のよい話はありません。

 

 ただし意欲さえあれば、地上のように経済的な憂慮もなく、無料で一流の指導者に付いて無限に学ぶことが可能となります。

 

 

『シルバーバーチの霊訓』(8)、四章 質問に答える(二)―死後の生活―

『シルバーバーチの霊訓』(2)、九章 この世、そしてあの世

『シルバーバーチの霊訓』(10)、五章 死んだ後、どうなるのか

シルバーバーチの霊訓〈12〉―煌く名言を集めて 総集編/潮文社
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ムンク 


 ここでは『シルバーバーチの霊訓』など霊界通信の考えをベースにして、病気を考えていきます。

 

 地上世界での不幸な出来事は、霊界ではしばしば幸運な出来事として捉えられます。

  例えば貧困は地上では不幸な境遇であると言えますが、これを霊界視点で見るとより霊性が磨かれ、カルマを返上できる幸運な環境に置かれていると言い換えられます。

 

 実は地上では忌み嫌われる病気も、これと同様の意味を持ちます。病も霊界の視点で見ると、以下のように捉えられるのではないでしょうか。

 

 

●病気という苦難が来ることにより、当人が蓄積していたカルマ(前世や現世で作った人生の負債)が解消できる。

 

 

●病気の進行が速いということは、それだけ苦しむ期間が少なくて済むということ。少ない苦難で迅速に霊界へ旅立てるということは、実は恵まれた境遇にいるということである。

 

 なお、高級霊の霊界通信では、霊界は美しく素晴らしい世界であるのに比べ、弱肉強食の地上界は重く、陰鬱な世界であるという対比が指摘されている。

 

高級霊のシルバーバーチは、地上界に生きることを「島流し状態」にも例えている。

 

 

●平均寿命に届かず若くして死ぬということは、一見不幸にも見えるが、白髪、シワ、入れ歯、年金で暮らしていけるか、など老年期の心配をする必要がなくなる。

 

 これを霊界視点で見れば、老年期という厳しい人生の冬は免除されたということである。霊界通信によると、人間の寿命はあらかじめ誕生時に決められている。

 

努力すれば数年ほど余命が延びる可能性もあるが、いくら頑張っても10年も20年も、本来持って生まれた寿命が長くなることはない。

 

人生半ばで地上生活が終わる理由は、人によって様々な理由が考えられるため、内容も一様ではない。

 

早逝とは地上視点で見れば不幸な出来事であるが、霊界視点では「島流し」状態を短期間で解かれ、早々と素晴らしい霊界に帰還できる幸運な状況にあると言える。

 

 

●人間が地上世界に生まれる理由の一つとして、霊性の向上が挙げられる。霊性は人のためになる行為を行う事によっても向上するが、病気などの苦難によってもまた人間性が磨かれる。 

 

 例えば自分が病気になることにより、病気の立場の人たちの気持ちが理解できるようになる。それによって結果的に、自分自身の霊性が向上する。

 

このように霊界視点で捉えると、「苦」というものは自分自身を向上させるために、人生に必要不可欠なイベントということになる。


湖 

 

 

 以上のように、地上視点と霊界視点では価値観が正反対、180度も違って見えることが多いのです。

 

 文中半ばで、「老人にならずに済む」という事を書きましたが、高齢者の方、もしお気に障りましたら申し訳ございません。m(_ _ )m

 

 内容も「病気は幸運」など、健常者が書いたら噴飯ものかもしれませんが、書き手もまた病人ですので、ご容赦くださいね。(;^_^A




【無料・電子書籍】『シルバーバーチの霊訓』

http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/

 
 映画「ミッドウェー」   


海軍では日常用語でも独特な言葉を使用していました。その一部をご紹介します。

 

 

洋手:タオル。

 

 

和手

  手ぬぐい。軍艦の模様などのついた和手が使用されていました。
 

 

 

ギンバイ(銀蠅)

  「ギンバエ」と言うこともあるようです。食べ物にたかる蠅のように、正々堂々と食べ物をかっぱらうことです。

 

 新兵は下士官の食事の面倒を何かと見なくてはなりませんが、時には惣菜に醤油が欲しいだの、味噌をくれだのわがままを言われます。

 

上官の命令は絶対なので、こうして新参兵は炊飯兵に調味料をもらう交渉に行くのですが、炊事班では余計なものは出しません。仕方が無いのでスキをみてかっぱらってくるわけです。


食事2

 

 

お茶をひく

  進級(昇進)もれになること。ちなみに兵の進級はただの「進級」と呼びますが、下士官以上になると進級することを「任官」と言いました。

 

 

コンパ

  これは異性との出会いを求める会合ではなく
、仲良しという意味で用います。

 

 「お前と主計倉庫長とコンパだったなあ、今晩一杯やるんで、鮭缶を5つほど欲しいんだ、何とかならんかなあ」


海軍用語  
 

 

MMK:「モテてモテて困る」の略。

FFK:「フラれてフラれて困る」の略です。あなたはどっち?(^_^;)

 

 

ラッタル

  甲板と甲板の間をつなぐ手すり付きの階段で、ドイツ語の
Leiterか英語のladder(はしご)が訛ったものと言われています。

 

ラッタルは実際に見るとかなり急こう配で、一人がやっと通れるくらい幅が狭いです。



ラッタル 

戦艦「三笠」の上甲板にあるラッタル


烹炊所 

 帝国海軍主計科は庶務、経理、被服、糧食を担当する部署です。糧食のほうは烹炊(ほうすい)と呼ばれ、艦艇乗組員の食事を作るのが仕事でした。

 

 食事係のため、主計兵たちは軍艦内部の烹炊(ほうすい)所で一日炊事作業に明け暮れます。

 

従って戦闘状況下でも軍艦から飛び立っていく飛行士が、戦況をつぶさに観察できる立場にある一方で、軍艦の烹炊(ほうすい)所で働いている主計兵は密閉状態にあり、外で何が行われているのか全く分からない、という状況に置かれていました。

 

1942(昭和17)年65日、戦艦「霧島」はミッドウェー海戦に参加しましたが、主計兵の見た烹炊(ほうすい)所は以下のような様子でした。

 

「ウオーンウオーンと天窓が唸る。釜飯はフル回転で、次々と炊き出される五目飯の湯気は汗と共に天井まで一杯になって、天井からポタリポタリと雫が落ちていた。

 

ズシンズシンと大砲の発射音が伝わってくる。私達は戦況がどうなっているのか、全くわからない。旧兵も下士官も同じであった。みんな黙々と作業を続けている。

 

今までに経験した戦闘からすれば少し様子が違っているぐらいの程度で、特におびえた表情の者はいなかった。私自身も、戦況を想像する余裕もないほど忙しい作業だし、この大きな戦艦が沈む筈がないと思っていた。

 

敵の砲弾より、むしろ殺気立った旧兵の、いつ飛んでくるかわからないビンタのほうが恐かったのが実感だった」

 

結局、主計兵の乗った霧島はミッドウェーでは無事生き残り、内地へ帰還しました。しかし出撃した空母、「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の4隻が米軍により撃沈されたのは歴史の通りです。

 

「私達が次の食事の用意に取りかかった頃には、艦の横揺れは少し少なくなったような気がしていたが、相変わらず天窓は唸っていた。

 

『オイ!高橋!ニンジン(玉ねぎだったか?)を取ってこい!』『ハッ!』『急げ!』

 

私は遮断されている烹炊(ほうすい)所から初めて戦闘中に出ていくことになった。野菜庫は上甲板から二メートルばかり上がったところにある。(中略)

 

やっと飛沫の間を抜けて一気に野菜庫に駆け登り、風圧を受けている扉に手をかけようとしたときである。チラリと私の横顔に、オレンジ色の明るい光のようなものを感じ、ハッとして振り向いた。それは心臓の鼓動が止まる程の驚きであった。


炎上する日本の空母 

 

燃えさかる我が航空母艦の姿が、私の眼に飛び込んできたからだ。距離にして二千メートルあるかなしか、海上で見ればすぐそこに見える位置である。しかも全速力で、我が艦に寄りそうかのように同航しているではないか。

 

私は一瞬目を疑った。が、まぎれもなく僚艦の哀れな姿であった。それが<加賀>であったか、<赤城>であったか未(いま)だに確かめることはできない。

 

飛行甲板の周囲からは、ボーッ、ボーッと炎が吹き出し、艦橋の下半分は煙に隠れて見えない。何であるかはわからないが、飛行甲板の後部あたりから、黒いものがポツリポツリと落ちているような気がした。(黒いものは乗組員だった)

 

燃えながら煙と航跡を後に引いて同航を続ける僚艦を、恐る恐るもう一度見た時の私の眼には、涙が一杯出ていたのを覚えている。

 

命令された野菜を、涙をふきながら配食鍋に詰め込んで、これで見納めとなった僚艦に別れを告げ、また、不気味なまでに静かな通路を烹炊所へと急いだ。(中略)

 

私は見てはならないものを見てしまった気がしていた。烹炊所は、配食棚のシャッターを降したまま、次の戦闘配食作業を続けていた。

 

いつもなら、一つや二つのビンタの音が聞こえるのだが、その日は、旧兵の口数も少なく、天窓の風の音だけが、湯気の中に響いていた。旧兵達は外の状況を知っているのだろうか・・・」



『海軍めしたき物語』、高橋猛、新潮文庫、1982年


木 



 今回病気になって実感したのは、『シルバーバーチの霊訓』等の霊界通信を人に勧めると、その分だけ漏れなく責任が付いてくるという事です。

 

 『シルバーバーチの霊訓』を熟読された方はご存じだと思います。物事を自分で思うままに選択し、自分の意志で行うといった、「自由意志」を行使した暁には、「責任」が必ず付随してきます。「自由意志」と「責任」は表裏一体の関係です。

 

 特に『シルバーバーチの霊訓』をはじめとする霊界通信は、普及させるのはよいが責任重大でもあるとシルバーバーチは述べています。それは一歩先んじた知識でもあり、他人の人生をも左右してしまうからでしょう。

 

 そんなわけで、シルバーバーチの霊界通信に感動し、確信の域におられ、内容もよく把握されている方には、ぜひ広めていただきたいと思います。

 

ところが中途半端に「シルバーバーチがちょっと良い事を言っているから」位の意識で、内容もよく分からず軽い気持ちで人に勧めている方、大丈夫ですか?(・・;)

 

 私が推察したところ、例えばブログではシルバーバーチ関連の記事を掲載すると、その時から情け容赦なく責任がついて回るような運命になっている気がします。

 

 私の場合は毎週1~2回程度、心霊やシルバーバーチ関連の記事を載せていました。が、結局最後には、自分の載せた内容を自分自身で実践し、死が終わりではない事を証明せよと、病気というイベントがやって来たと思っています。

 

 つまり、言いっ放しはダメということです。こうして霊界通信の知識が中途半端であろうと、「よく知らなかった」と弁解しようと、シルバーバーチの話を載せた時点で、情状酌量の余地なく責任という荷物が機械的に負わされるようになっています。

 

 神様って人間の姿をしていて、「あの人間は気に食わないから重荷を負わせよう」などという情緒的な存在ではないですからね。

 

時々良い話を見つけた、一刻も早くシルバーバーチの話を広めて良い事をしなくっちゃ損!みたいにあせっている方を見かけます。

 

でも現時点で自分が本当にその荷物が背負えるのか、よく熟考した上で決心された方が良いと思いますよ。(^_^;)