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太平洋戦争史と心霊世界

海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


雲 


 前回も書きましたが、私は最近ガンと診断され、手術はなしということになりました。

 

 そうなると、次は治療をどうするのか決めねばなりません。診断された医療機関では、治療法として抗がん剤を勧められていました。

 

 抗がん剤とは早く言えば、マスタードガスなどの化学兵器から作られる劇薬です。この毒薬でガン細胞を叩くのですが、同時に正常な細胞まで殺してしまいます。

 

 だから抗がん剤を投与するとその副作用として、ハゲ坊主(脱毛)、嘔吐感、倦怠感、白血球減少など色々の症状が現れ、生活するうえでも支障が出てきます。

 

 現在のガンの治療法としては手術、抗がん剤が真っ先に挙げられます。これらが医療機関での標準治療法となっているからです。

 

 一方でネットや書籍を渉猟してみると、抗がん剤は副作用で患者の体力を奪い、かえって寿命を縮めていると主張する医師もいます。それだったら放置して何もせず、転移による痛みが出てきたら、その時対処すればよいということです。

 

 これは「放置療法」と名付けられていますが、現代日本の医学界では異端的主張のようです。

 

 私も色々調べましたが、結果として進行ガンには抗がん剤を投与しても、何をしても治らないということが分かりました。

 

 それなら放置療法の方が良いのではないか。薬を何も投与しないで放置すれば、身体は病状の悪化による負担だけで済みます。でも抗がん剤を始めれば、身体には病状悪化状態プラス、抗がん剤による副作用の症状が加わります。

 

 ガンになった有名人の例でわかりますが、芸能リポーターの梨元勝氏は20106月に、肺ガンで手術もなしということで、抗がん剤治療を始めました。ところが開始してたった2か月後の8月に亡くなってしまいました。

 

 ガンでも普通に生活できる人が、2か月後にガンで急死することはありえないです。ガンとは徐々に体が衰弱してきて死ぬ病気です。くも膜下出血のように突然は死にません。

 

 他にも抗がん剤を打って、わずか数か月で急死してしまった患者さんの体験談やブログを次々と見つけました。何だか危なそうです。こんなわけで私自身、抗がん剤は止めようと思いました。


ビー玉 

 

 ところが身内はこれに我慢ができません。何もしないというのは自殺行為も同然、というわけです。私としては、抗がん剤治療よりも放置療法の方が延命になると考えたのですが、身内は医者の言う通りにしていれば、それが一番正しいと固く信じています。

 

 世間では権威を持つ人や、専門家のいう事が全て正しいと思っている人が多すぎます。原発事故を見れば、「世俗的な権威」の実態はいかほどなものか、一目瞭然だと思うのですけど。

 

 ガン関連のブログや体験記を読んでみても、ガンになったと恐怖のあまり、医者に勧められるがまま、手術や抗がん剤に飛びついてしまう方が多いようです。

 

そういう患者さんが書いたブログ記事や文面は、死にたくないという恐怖で満ち満ちており、読んでいても痛々しいです。

 

 でもその前に、なんでガンについての情報を自分で調べないのだろうと、非常に不思議に思います。巷にはガン患者さんのブログ、ガン関連の本が溢れているのに。

 

 にもかかわらず、なぜ医師の提案におんぶに抱っこになる?なぜ自分で調べない?調べて考えるだけの精神的余裕が失われてしまったのか?私にはわかりません。

 

 これも見方を変えれば、「権威者に自分の人生をゆだねる決定法」とも言えるのかもしれません。「偉い人に任せておけば間違いない」というのが、その方の人生観なのでしょう。

 

 重要な決断は自分で考え、決めなければおかしなことになります。他人が言うが如くに従う人生、それは他人の決断で生きていることになりますから、もはや自分の人生ではありません。

 

シルバーバーチの霊界通信でも、自分の事は自分自身で決定せよ、と何度も述べられています。ただし自由に決められる分、責任も付随してくる。自由と責任は表裏一体です。

 

自分の人生は自分で決め、自分で責任を取る。これが人生の原則ではないかと思います。


 映画には空母が時折登場しますが、これには空母「鳳翔」(ほうしょう)「瑞鶴」(ずいかく)が使われました。空母の外観は瑞鶴、内部は恐らく機密ということで古い鳳翔内部で撮影されたようです。


雷撃隊出動1  空母から飛び立った飛行機より。これは瑞鶴

 

日本には現在正規空母は無いですが、海上自衛隊のヘリ搭載護衛艦などに技術が生かされているのでしょうか。


雷撃隊出動2  遠ざかる瑞鶴。後方に駆逐艦か何かが追従しています。

 

 映画は昭和1912月に公開されましたが、この時すでに瑞鶴は、同年10月のレイテ沖海戦で米軍の攻撃を受け沈没していました。公開時にはこの世に存在しない、幻の空母というのも悲しいです。



雷撃隊出動3  鳳翔と思われる空母内部。士官室のように見えます。背後に明り取りの窓。


雷撃隊出動4  通路にある艦内神社で一礼する飛行士。奥にはラッタル。


雷撃隊出動5  空母の上甲板通路でしょうか。

 

 

 前線での娯楽の場面が幾つか出てきました。


雷撃隊出動6  トランプ(カード)でブリッジをしている最中。確か麻雀は禁止されていたと思います。


雷撃隊出動7  散髪をしている人(左)の後方で野球をしています。

 

「ストライク」と平気で言っていますが、海軍では敵性用語は気にしなかったのかもしれません。

 

反対に陸軍映画「加藤隼戦闘隊」では、加藤隊長が「チャンス」と適性用語をうっかり使ったため、部下から「罰金だ」とからかわれています。


雷撃隊出動8  小さくて見えにくいですが囲碁の最中。


雷撃隊出動9  内地からの慰問映画。途中で空襲になり中断してしまいます。 

 

 今のようにテレビ、インターネットなどない時代なので、時間を持て余して困ったことも多かったのかもしれませんね。


言語:日本語、公開:1944(昭和19)年、製作国:日本、時間:95分、監督:山本嘉次郎、出演者:大河内傳次郎、藤田進、森雅之

 

 

 この記事は大分以前に書いたのですが、一部手直ししてアップしました。それにしても昔の記事はより拙く見えて、我ながら読むのが恥ずかしくなります。



雷撃隊出動1   

 昭和19年の太平洋戦争末期に製作された、南方基地での海軍航空隊3人トリオが主役となる話です。

 

映画の中でも飛行機が不足しているという設定なので、思ったより飛行機の出番はあまりなく、地上での人間ドラマが主体となっています。

 

 「サンカミ(三神?)と呼ばれ、雷撃隊の神様と言われる同期生でした。ある日三上の駐在する南方基地の島(場所は不明)へ着任するため、村上と川上が空母に乗艦して到着しました。



雷撃隊出動2 三上、村上、川上の「サンカミ」トリオ

 

 プロパガンダなので、映画内容も勝ち戦で誤魔化しているのかと思ったら、案外正直に当時の戦局の雰囲気を出していたのには驚きました。

 

飛行機が足りず、常習化する米軍からの空襲・攻撃、物資不足など、昭和19年の末期的状況が、映画でもそのまま表現されています。国策映画なのにこれでいいのか・・・あまり戦意高揚にならなそうなんですが・・・。


雷撃隊出動3 

空襲で壊された日本人の女性オーナー(右)の食堂へ、いつも来る馴染みの予備士官(左)が立ち寄ったところ。このおばさんの言うことが激しい。敵の捕虜が捕まったという話をしています。

 

 

 

士官「(米軍捕虜を)土民が寄ってぶち殺そうとしているのを、やっと止めて連れてきたんだ」

 

食堂のおばさん「なぜ土民に殺させてやらなんだですか!?そういうヤツ、ワシに殺させておくんなまし!ワシが殺してやりますが!」

 

 

 

 この後おばさんは「殺させろ!」と暴れまわって手が付けられなくなります。

 

 現地の人を「土民」と言っているのも気になります。当時はそれが普通の言葉だったのですが、今では差別用語ですからね。


雷撃隊出動4  捕まった米軍捕虜。昭和19年の戦時中なので本物の捕虜を使ったのでしょうか。



雷撃隊出動5  米軍捕虜の尋問後に話し合う士官2人。後方中央は薪を運ぶ部下の飛行士。

 

 

 

士官A「(米軍捕虜が言うには米国は)飛行機もいい、兵もいい、軍艦もいい、大が小なるものに劣るのは成り立たんというのだ。

 そんなアメリカが絶対に負ける道理はない。もし負けたら、世界の真理が逆立ちする時だ。こう言うんだ。

 

それなのにこっちじゃ優秀な操縦者が、飛行機がなくて薪を取っている。(画像中央、後ろ姿の人物)こんなバカなことがあるか!」

 

士官B「こっちが一人死んで、あっちの10人殺しゃいいんだ。それ以外にこっちの戦争に勝つ道はないよ。

 

敵の最大の弱点は人命を失うことだ。その弱点を一番有効に使うのが俺たちの雷撃隊よ。輸送船なり、母艦なり、こっちが一人命を捨てりゃ、たった一発の魚雷でやっつけられるんだ。そんなボロい話はないぞ」

 

 

 

この辺がやはり、戦時中に作られた映画だと感じました。

 戦後製作の映画だったら、「もっと人命を大切にしろ」などと突っ込む士官が出てくると思います。戦後は人命が大事ですから、そのような価値観の方へ話を誘導せねば、視聴者から共感を得られません。

 

でも映画ではこの会話の後、そのようなフォローはなし。では特攻で逝こうという流れになってしまいます。



雷撃隊出動6 

   米軍の物量に勝つには特攻しかないということで、かき集められた飛行機で最後に特攻が始まります。



雷撃隊出動7  「サンカミ」トリオのうちの村上と川上(中央)は特攻に出撃。爆撃機の操縦桿を握り・・・



雷撃隊出動8  最後に米軍の軍艦に飛行機ごと突撃し戦死してしまいました。

 

あとには参謀だった三上だけが生き残りました。

 

戦争の状況が末期的様相を示していることがあからさまに語られており、驚きの映画でした。

 

まだ東京大空襲(昭和203月)など、本土空襲が本格化していない時期ですが、もう日本国内にも「これは負けるのでは」という空気が蔓延していたのかもしれません。

 

 映画では実物の飛行機や空母が登場します。特に空母は近影や内部が見られ興味深い映像となっています。


雷撃隊出動9 


草 
  
  

 シルバーバーチなど霊界通信の視点から、自分の病気について取り上げていますが、今日は特にスピリチュアリズム的というわけではないですね。医者が病名を患者に宣告する際、実際はどんな様子なのかを書きます。

 

 まず私の病気ですが、今後も記事を書く上で必要なので出しますが、ガンです。告知された時点で手術はなし、という病状でした。あまり詳細は書けませんが、これで進行程度がどれ位なのか分かると思います。

 

 病気が確定する過程では診察・検査を受けて、最後に病気の告知となりますが、この場面はテレビドラマなどでもドラマティックに演出される場面ではないでしょうか。

 

 ところが実際の場面では、医師は淡々と事務的に患者に病名を告げるだけで、ドラマで通常期待されるような情に溢れた態度や、患者に同情するような素振りは見られませんでした。

 

 これは私の担当医だけかと思ったのですがそうではないようです。病気の方のブログなども拝見すると、やはり医師は流れ作業的・事務的に告知をしただけだった、冷たい、などという不満噴出気味の所感が見られました。

 

 私自身は告知以前から、自分の病状がどんな具合か悟っていたため、医師から病名宣告されても特に驚きはありませんでした。

 

また変に情に訴えるような「温かい告知」より、淡泊に告げられた方が、かえって私自身の性格に合ってしっくり来るので、私としてはそっけない告知でも問題ありません。

 

 担当医師も仔細に観察すると、特に人間的に冷たいわけでも、コミュニケーションが下手な人物であるとも思えませでした。

 

その証拠に患者がショックを受けそうな単刀直入な言い方は避け、慎重に言葉を選んでいましたから。「進行性」は「暴れん坊のガン細胞」(暴れん坊将軍!?)など、言葉の言い換えをしていました。

 

だから実際の告知というものは本来事務的でそっけなく、別にドラマのように絵になる場面でも何でもありません。ドラマにありがちですが、熱血医師に「ガンです」と告知され、「ガーン!」 と患者がショックを受ける場面は多分創りものですよ。(^_^;)

 

ではなぜ、患者から時には不興を買われる事務的な告知になるのかというと、それにも理由があるようです。以下にガン患者の治療・緩和ケアをしている医師同士が対談した、発言の一部を載せて説明します。


虹 

 

 

 

・久坂部羊(くさかべ・よう):1955年生まれ、作家・医師。大阪大学医学部卒業。クリニックで緩和ケアなど終末医療に従事。

 

 

久坂部:医学部の同級生や同僚たちは、そんな(病院での)仕事をずっと続けています。

 なぜやってられるかというと、彼らはやはり「治った患者」に目を向けて、治らない)厄介な患者のことは忘れるんです。気にしていると続けられないので、感情をシャットアウトする。

 

 だから、現場の医者が患者の気持ちを理解しなくなるのも、ある意味ではやむを得ない面がある。治らない患者の気持ちをすべて汲み取って、何が良い医療かを考えていたら、医者はパニックになってしまう。

 

 だから、医者と患者のあいだに気持ちの上で溝ができるのは、ある種の必然ではないでしょうか。すべての患者を親身になって世話したら、毎日のように親の死に目に会うような状況になるから、やってられません。

 

 ですから本当は、患者の側もそのつもりで医者とつき合った方がいい。そういうものだと思っていれば、無神経なことを言われても傷つきません。

 

ところがマスコミでは「患者の気持ちがわかる医者」を名医として持ち上げ、映画やドラマでも人情味あふれる医者が活躍します。あれは不幸のタネを蒔いているようなもの。理想と現実のギャップで、医者も患者もお互いに苦しむだけです。

 

 

 

 一方で事務的な告知になってしまう理由には、医師のコミュニケーション能力が低下気味になっている部分もあるからではないか、という疑問も対談の中に挟まれていました。ここでは字数上、その引用は割愛します。

 

 どうやらドラマの中での熱血医師や赤ひげ先生は、やはり仮想空間で創り上げられた幻想のようです。医者にも情緒的な面では過度に期待せず、ある意味ビジネスライクな関係と捉えた方が、お互いの関係もうまくいくのかもしれませんね。

 

 

『思い通りの死に方』、中村仁一・久坂部羊、幻冬舎新書2812012


装備品展示1 茨城県の古河(こが)駐屯地の訪問記、後編です。装備品展示から。

装備品展示2  155mm榴弾(りゅうだん)、FH-70。「英・独・伊の3国で共同開発した火砲」

装備品展示3 

 砲弾は自動装填もできますが、一発目だけは重さ40キロの砲弾を、必ず手動でセットしなければいけないそうです。40キロを持ち運びって腰に来そうですね。


装備品展示4  右手のイケメンの自衛官さんにご説明いただきました。


装備品展示5  AH-1S コブラ。攻撃ヘリ。駐屯地祭でよく見かけます。


装備品展示6 

このヘリ、とっても幅が狭いですよね。攻撃ヘリのため、素早く動けるように幅を狭くしているのかと私は思っていたのですが、お訊きしてみたら違いました。


装備品展示7 

AH-1Sの幅が狭いのは、面積を小さくして敵に見つかりにくくするためだそうです。また風防ガラスの面積も小さくなるほど、その分光を反射しなくなるので、ヘリ自体が発見されにくくなります。


装備品展示8 

  偵察ヘリはAH-1Sの攻撃ヘリほど鋭角的なデザインではなく、全体的に幅広で丸みを帯びた印象ですよね。値段的にも攻撃ヘリの方が、偵察用よりもやや割高になるということです。


装備品展示9  AH-1S、駐屯地祭の最後に木更津(きさらづ)駐屯地へ向かって離陸していきました。


装備品展示10 

駐屯地敷地を一周して木更津へ帰投。



装備品展示11  駐屯地の売店の中。大混雑していたけれど、帰り間際に再度見たら空いていました。


装備品展示12  迷彩バッグ1,000円は安いです。


装備品展示13 

 この「行軍ソックス」、分厚くて疲れにくそうなので一瞬買おうかと思ったんですが、男性用でサイズがちょっと大きめ。あと1センチ小さければ・・・。


装備品展示14 

男性向け雑誌です、みんな。女性隊員さんも見かけたのですが、女性誌は需要が出ないのかも。この類の雑誌、一種のアクっぽさを感じて買うのを躊躇われます。


装備品展示15  棚はこんな感じ。ごっそり買っていく人もいました。


装備品展示16 

最後に往路で、赤字明白のJR宇都宮線。人がこんなにいないのに、車両は呆れるほど長い。まるで霊界の無人列車みたい。 JRの経営感覚って不思議です・・・。