医者の病名告知は冷たい | 太平洋戦争史と心霊世界

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海軍を中心とした15年戦争史、自衛隊、霊界通信『シルバーバーチの霊訓』、
自身の病気(炎症性乳がん)について書いています。


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 シルバーバーチなど霊界通信の視点から、自分の病気について取り上げていますが、今日は特にスピリチュアリズム的というわけではないですね。医者が病名を患者に宣告する際、実際はどんな様子なのかを書きます。

 

 まず私の病気ですが、今後も記事を書く上で必要なので出しますが、ガンです。告知された時点で手術はなし、という病状でした。あまり詳細は書けませんが、これで進行程度がどれ位なのか分かると思います。

 

 病気が確定する過程では診察・検査を受けて、最後に病気の告知となりますが、この場面はテレビドラマなどでもドラマティックに演出される場面ではないでしょうか。

 

 ところが実際の場面では、医師は淡々と事務的に患者に病名を告げるだけで、ドラマで通常期待されるような情に溢れた態度や、患者に同情するような素振りは見られませんでした。

 

 これは私の担当医だけかと思ったのですがそうではないようです。病気の方のブログなども拝見すると、やはり医師は流れ作業的・事務的に告知をしただけだった、冷たい、などという不満噴出気味の所感が見られました。

 

 私自身は告知以前から、自分の病状がどんな具合か悟っていたため、医師から病名宣告されても特に驚きはありませんでした。

 

また変に情に訴えるような「温かい告知」より、淡泊に告げられた方が、かえって私自身の性格に合ってしっくり来るので、私としてはそっけない告知でも問題ありません。

 

 担当医師も仔細に観察すると、特に人間的に冷たいわけでも、コミュニケーションが下手な人物であるとも思えませでした。

 

その証拠に患者がショックを受けそうな単刀直入な言い方は避け、慎重に言葉を選んでいましたから。「進行性」は「暴れん坊のガン細胞」(暴れん坊将軍!?)など、言葉の言い換えをしていました。

 

だから実際の告知というものは本来事務的でそっけなく、別にドラマのように絵になる場面でも何でもありません。ドラマにありがちですが、熱血医師に「ガンです」と告知され、「ガーン!」 と患者がショックを受ける場面は多分創りものですよ。(^_^;)

 

ではなぜ、患者から時には不興を買われる事務的な告知になるのかというと、それにも理由があるようです。以下にガン患者の治療・緩和ケアをしている医師同士が対談した、発言の一部を載せて説明します。


虹 

 

 

 

・久坂部羊(くさかべ・よう):1955年生まれ、作家・医師。大阪大学医学部卒業。クリニックで緩和ケアなど終末医療に従事。

 

 

久坂部:医学部の同級生や同僚たちは、そんな(病院での)仕事をずっと続けています。

 なぜやってられるかというと、彼らはやはり「治った患者」に目を向けて、治らない)厄介な患者のことは忘れるんです。気にしていると続けられないので、感情をシャットアウトする。

 

 だから、現場の医者が患者の気持ちを理解しなくなるのも、ある意味ではやむを得ない面がある。治らない患者の気持ちをすべて汲み取って、何が良い医療かを考えていたら、医者はパニックになってしまう。

 

 だから、医者と患者のあいだに気持ちの上で溝ができるのは、ある種の必然ではないでしょうか。すべての患者を親身になって世話したら、毎日のように親の死に目に会うような状況になるから、やってられません。

 

 ですから本当は、患者の側もそのつもりで医者とつき合った方がいい。そういうものだと思っていれば、無神経なことを言われても傷つきません。

 

ところがマスコミでは「患者の気持ちがわかる医者」を名医として持ち上げ、映画やドラマでも人情味あふれる医者が活躍します。あれは不幸のタネを蒔いているようなもの。理想と現実のギャップで、医者も患者もお互いに苦しむだけです。

 

 

 

 一方で事務的な告知になってしまう理由には、医師のコミュニケーション能力が低下気味になっている部分もあるからではないか、という疑問も対談の中に挟まれていました。ここでは字数上、その引用は割愛します。

 

 どうやらドラマの中での熱血医師や赤ひげ先生は、やはり仮想空間で創り上げられた幻想のようです。医者にも情緒的な面では過度に期待せず、ある意味ビジネスライクな関係と捉えた方が、お互いの関係もうまくいくのかもしれませんね。

 

 

『思い通りの死に方』、中村仁一・久坂部羊、幻冬舎新書2812012