起業から、経営者へ、そして・・・ -24ページ目

起業から、経営者へ、そして・・・

スレッドの書き込み、楽しみにしています。

「中澤さん、我々も今は、コンサルタントみたいな仕事していて、いろんな経営者に会って話をしている。いい人も、そうじゃない人もいる。その中で、あなたは至極まれにまじめなんだよね。

ただ、今回のネクサスとの件は経緯の中で仕方なかった部分も多分にある。しかし、これでこのままほっとくにはもったいない能力だと感じている。そこで、我々のチームに参加してもらいたい。

それは、相互企画は私も拾われた身なんだけど、要は投資資金の運用に当たって現場に口も手も出す部隊で、リターンを生むように実行することなんだけど・・・



現在、相互企画で抱えている案件は3件ある。そのいづれかで、ハマって欲しい。報酬はそれなりに保証はする。ただ、パフォーマンスは求められますが・・・そのいくつかを紹介したい。



1つ目は、大手ドラッグストアチェーン(広島本部)がある。これを、IPO(株式公開)させる為にどうするか?ここの社長は、既にドラッグストアチェーン業界の先行きを懸念して、新しい事業、もしくは新しい業態の模索をしている。そこで、相互企画の持つ情報の一つとして、「血液検査」をビジネス化するネタを打診した。先方は、大変興味を持ってもっと話を詰めたいと言ってきている。



2つ目は、豊橋にある幼稚園を経営する園長がいる。彼の、教育理念はあちこちで評価が高く、現在の社会環境、教育制度に既に一石を投じている。これを、事業化しIPOまで持っていく話である。



3つ目は、相互企画の子会社にしている販売店舗がある。これは、主に若年層向けの化粧品や香水を小分けにして販売しているスタイルである。今のところは、トントンの経営状態だが、せっかく、広島中心市街地に店舗を構えている。この商売を、拡大できないかどうか?また、新規の事業転換を図ってもいい。



最後に、相互企画の本業である不動産売買で拡張して、別会社としている内装工事専門の子会社がある。これをどうするのか?今のところ、自力での営業力が不足のため相互企画の下請的な存在となっている。

これも、大いに生かしたい。」



と、概要を説明された。耕一は、反応に戸惑った。



耕一「山崎さん、それぞれのお話には大変興味があります。しかし、私の役割(Mission)が今ひとつ見えない気がしますが・・・」



山崎「そこで、木場君とタッグを組んでもらうつもりなんだけど・・・中澤さんは、現場に強いと評価している。よって、管理畑の人材だけでは何も生まれないし、事が進まない。」

  「場合によっては、先に説明した企業の役員に入ってもらうのがこちらの希望なんだが・・・」

  「いま、手がけている沖縄のサイバーファームも、同じやり方で、資本金の調達と人材(=お目付け役)を入れ込んで、最終的には株式上場による上場益を狙う目的です。」



耕一は、『また、株式上場?』っと心の中で呟いた。資本経済において、株式の魔力はそこまで魅力的なものなのか?本来「仕事」の定義は一体何なのか?疑問が湧き上がるばかりであった。



山崎「中澤さんも、今回のネクサスとの一件で本来は、一攫千金を狙っていたのは本音でしょう?いまここで、再挑戦の機会を与えたいんだが・・・」



耕一は、ようやく理解してきた。自分の周りを取り巻く人間とは何なのか?昨年、内臓がかき回されるほど怒りを覚え、矛盾を感じたばかりなのに、なぜ自分はこの場に居るのか?

この場では、その空気を自身の中で消化できないでいた。・・・



夜もふけ、この日はこれでお開きとなった。
関東に限らず、あちこちに外出することが多いのですが、10年前に比べると生活スタイル・仕事のスタイルは、大きく変化しましたね。



4年ほど前に、「フリーランス時代の到来(著:ダニエル・ピンク、日本経済新聞社発刊)」を読む機会がありました。その中に書かれていた、21世紀の企業・個人のスタイルの変化について、まさにその通りに変化しているような気がします。



今は、年齢・性別・国籍・人種を問わず、ある一定のベース(基礎能力)は、グローバル化(平準化)している気もします。但し、これは意識のある人のみしか理解できないことなのかも知れない。



人も組織も、変化→成長→革命していく中で、真理がなかなか共通化され、共有されることは難しいようである。

誰もが、今以上により良い状況や、幸福感を求めるのは当たり前である。一時的な事であれ、恒久的な事であれ、何かしら上を向いて物事を考えたいはずではないだろうか?

しかしながら、「変化≠良い事」のようである。

なぜならば、「維持」も大変な努力が必要だからである。ここで、大きく2つに分かれるのではないだろうか?

前進→飛躍により、現状維持以上の何かを得る方法論と、現状維持を大切にして、環境の変化に合わせて何かを得る方法論である。これらは、良し悪しではなく、結果として求める事象が得られれば、良いのであろう。

しかし、重要なのは、問題意識の有無である。これは、人の心(マインド)に依存するのではなかろうか?





などと・・・・移動時間が長いので、変化する景色や空気を感じつつ、思いをめぐらせながら、電車でねてしまい、気づくと乗り過ごしている今日この頃である。
耕一は、なんとも複雑な気持ちで広島に向かった。「いったい、何の話だろう?あの会社で、自分が必要とされる仕事はあったかな????」などと、思いつつ半分慰安旅行気分で、新幹線に乗っていた。広島に着いたのは、午後3時を回っていた。

事務所に電話すると、遠藤氏が来るまで迎えに来た。



遠藤「いや、お久しぶり。用こそ広島へ・・・」



耕一「あれ?何で、広島に居るの?東京のどこかの子会社で、社長をやってなかったっけ?」そう、和田氏のところで、エイペックスジャパンの設立準備を手伝ってくれた、遠藤氏である。その後、和田氏の会社は清算され、その代償としてPEJの投資先でもあるSMKの子会社の代表取締役に就任していた。

言わば、同期社長の仲間であった。



遠藤「いや、こっちも色々遭ってさ・・・とどのつまり山崎さんにお世話になっているわけよ。ついでに、木場君も一緒だよ。」



耕一「はあ、なんか良くわからないけど・・・どうなってるの?」



遠藤「とにかく、細かい話は山さんと話してよ。今夜は、ビジネスホテル、予約したからゆっくり飲もうや!」



耕一は、戸惑った。何か始まるのか?・・・・と



事務所に着くと、黒岩氏、山崎氏、木場氏、が待っていた。

黒岩氏は「これから、会食がはいっているから、直ぐ出にゃいけんけど、一目おうてからじゃなきゃ、出れんと思うてまっとったわ。」「細かい話は、ようわからんから、山さんによく聞いといてくんさい。じゃ、あしたのう!」



山崎「いらっしゃい。大変でしたね。色々あったと思うけど、これからの話を聞いて欲しいんだわ。」



耕一「はあ???」



山崎「とはいっても、今日はもう遅いから、これから食事に行こう。飲めるでしょう?」



耕一は、山崎・遠藤・木場に連れられ、広島の歓楽街に向かった。

先日、週刊誌でのスキャンダル的な扱いの記事が槍玉に挙げられましたが・・・

果たして、その真意はどうなのでしょうか?



第三者というのは、自身の思惑のみで動いているのがよく分かります。

議会での席上でも田舎代議士が、週刊誌片手に鬼の首取ったような勢いで質問していましたが、正直、日本の古い政治家にはへきへきしませんか?



世間の目は一転、集中攻撃的に、冷やかしせせら笑う空気は、最悪ですね。

特に、県知事自身を擁護するつもりも無いのですが、今年は総選挙もあり、なんとなく政治家が騒がしく感じますが、現職の政治家全員、一旦、解雇にするような権限を有権者である一般人がもてるようにするべきではないでしょうか?



マスコミに登場する政治家の殆どは、やくざ・総会屋・詐欺師となんら変わらない人種ですよ!もっと最悪なのは、女性の代表みたいな顔して、能書きばかりのたまっている連中です。



深夜など、TVつけると映っていることも多いのですが、吐き気がしますね。



人は、もっと純粋で、素直でいたいはずなのに・・・どうして、夜叉面の表情した輩が、偉そうに論説ぶっているのでしょうか?不思議でなりません。



税金を払っている以上、選挙権は放棄しませんが、選挙のたびに納得がいかないことが多いのはなぜでしょうかね?

形式だけの定期株主総会を開催した。出席したのは、ネクサスからの役員が殆どであった。教科書どおりの議事進行を、議長である耕一が進め、わずか20分で終了した。耕一は、前進から発汗したと同時に、どっと力が抜けた。



耕一は、その日の午後からただの人である。無職であり、今後の予定などなかった。何年ぶりかに、夕方6時過ぎに自宅に着いた。夕食の時間は、いつもと何も変わらない様子で一番幼い、娘は相変わらず、家中を駆け回っていた。長男は、PCに向かって何かしている。

食事が終わり、深夜、耕一は妻に「旅行に行こうか?」と声を掛けた。

妻は、「えっ?どこに?」

「そうだな。パスポートが直ぐに揃わないから、北海道にでも行こうか?」「いいわね。行きましょう!」その夜、耕一は久しぶりに熟睡した気がした。



2001年5月26日付けで、エイペックスジャパンの社長を退任し、翌日からは無所属となった。妻と話し合って決めた、旅行の手配をし、同時に、これからの自分の生き方をどうすか決めなければならなかった。何の当てもなく、自宅でインターネットで人材紹介や、直接募集先に応募したり、旧知の知人に連絡したりしていた。そのさなか、相互企画から電話が入った。



耕一「もしもし、ご無沙汰しています。その節は、お世話になりました。」



山崎「やあ、大変だったね。ところで今は、どうしているの?」



耕一「今は、自宅です。求職活動を始めたばかりですが・・・」



山崎「スケジュールに、空きがある?もし良かったら、改めて広島に来ない?交通費は持つから・・・」



耕一「えっ?また、急ですね。でも、費用を持って頂くのはちょっと恐縮です・・・」



山崎「いや、まじめな話で仕事の話がしたいから・・・」



耕一「そうですか・・・分かりました。来週月曜日からなら、伺えますよ。」



山崎「わかった。じゃ、そうしよう。」



耕一「はい、それではまた広島に着いたら連絡します。」
互いに、話せばキリが無いほど数多くのことがある。しかし、耕一は、「これまで、ありがとう。ここを去った後は、君が実質的なリーダーになる。後のことは頼みます。志半ばで、無念な気もする。申し訳ない。」



下田「いや、仕方が無いですよ。中澤さんの責を問う気持ちはありません。それより、今後はどうしますか?」



耕一「そうだな。まだ、何も考えていない。とにかく、暫く休暇を取るつもりだ。」



下田「そうですね。それがいいですよ。お子さんとも遊んで無いでしょう?」



耕一「ああ・・・」



下田「おそらく、この会社は誰も居なくなるでしょうね。ネクサスの社員になるなら、みんな辞めるでしょう。これまで、中澤sんに着いてきたのだから・・・」



耕一「・・・・」「5月の株主総会後は、もうここにいないからそれまでに、何かあれば何でも言ってくれ。出来るだけの事はするから・・・」



その後、全社員と30分程度話をした。耕一が驚いたのは、自分が思っている以上にスタッフは耕一の顔色を見て、一喜一憂していた事だった。これまで、幾度かスタッフに対する苛立たしいと思ったり、憤慨もした。しかし、それは耕一自身の愚かな境地だったと言わざる終えない。(但し、仕事の質や良し悪しは別で、人間としてである。)耕一は、心から全員に感謝し、謝罪した。一通り面談を終えて、孤独な思いが襲ってきた。



一方、ネクサスはエイペックスジャパンへの緊急融資を決断し、その上で更なる第三者割当増資を計画した。併せて、米国エイペックス社のChapter11の連絡が入り、騒然となった。今にして思えば、エイペックスジャパン設立当初、白木社長は、耕一に「HPのドメインだが、apex-japan.comでいいのか?」と質問をされたことがあった。耕一は「はい、問題ありません。」と即答したが、この際の白木社長の予見は、的中したのかもしれない。この後、ネクサスは米国エイペックスを相手に、訴訟を起こすこととなった。

エイペックスジャパンは既に、2001年3月末の決算を迎え、手持ちの現金預金が1,000万円を切っていた。これにより、ネクサス内部では緊急でこの子会社の存続について検討していた。元来、彼らの企業文化からすれば、即決で終了である。



しかしながら、そうではなかった。これまで、勤めていたスタッフ含め従来の彼らのやり方とは異なり、個人の意思を尊重しつつ、エイペックスジャパンの清算を進めていった。

それは、山木常務の多大なるはからいでもあった。彼は常々、「組織統制には、軍隊的な思考は必要だが、そうなってしまった組織は、個人の能力が損なわれる。と・・・「経営と資本の分離が困難なように、企業の統制と成長は、相反する。」



耕一の記憶には、今もしっかりと刻まれていた。



耕一は、辞任することを決めてから色々考えた。唯一できる事として浮かんだのは、スタッフ全員と個別面談することであった。これまでの状況と今後の事を個別に、確認すると共に心から謝罪したかったのである。
耕一は、落胆した。先に、ネクサスには父親の名義で銀行から融資を受けることとして説明していた。ここへ来て全て実行できないのである。

耕一は、3月に入りネクサスに自己資金の調達が不可能であったと伝え、自分の保有するわずかな持ち株も含め放棄すると同時に、社長退任の意思を伝えた。

山木常務は「困りましたな。中澤さんが辞任するか否かではなく、現金を揃えて動かすのは生半可なことじゃない。」と・・・この、株式譲渡には複雑な意味が多くあった。しかし、耕一の画策で大きな変化と局面を迎えたのである。



それから3日後、山木常務から「白木社長が引き受ける。」と連絡があった。ただし、既に2000万円は、和田氏の関係者にネクサスから一時立替として支払済みであった。実質上、耕一の手元に株式の議決権は動いていた。よって、いづれにしても耕一は見かけ上、ネクサクに支払わなければならなかった。



これを白木社長が受けるということでどうしたのか?



耕一の支払いを実行するために耕一個人名義の銀行口座に、白木社長から現金を振り込んでもらい、耕一はそれをネクサクの口座に動かすこととなった。これにより、前後するが、同日中に譲渡が完了したことになった。



耕一は、この数ヶ月間何を、どう悩み、そしてそれが意味があったのか?とてつもなく大きな脱力感が襲った。全身全霊を掛けて、このエイペックスジャパンの社長の椅子に座り、奔走し、生きてきたはずだった。今、この瞬間に無と化した。初めて、接した金融業界の人間や、これまで全く知らなかった事象・・・・そう、耕一の身の丈にアンバランスなこ事ばかりであった。



「情報不足=無知=不勉強」の構図において、「知らない」と言うことは、これほど悪い結果を招くとは・・・

21世紀に入り、過去10年以上に時間と事象の速度は加速し、人間の能力も実は求められている。「あのころは・・・」「昔は・・・」などと口にしてしまっては、その時点で、自身の敗北を意味するのかもしれない。常に「前進」しなければ、複雑怪奇な現実に対応できないのであろう。



耕一は、これまで仕事をしてきて二度目の敗北感であった。一度目は、個人の自身の問題であった。しかし、今回は自分個人一人の問題ではない。



資本のルールに則り、資本家・金融・法人・社員・等々、様々な関係が複雑に絡み合い、存在している。自身のけじめは、どうすべきか?「責任を取る」と言っても、何が責任を取ることなのか?単純に辞任することが全てなのか???少なからず、耕一が一人抜ければ、社員が2.5人養える。しかし、このまま中途半端に去れば、なんとも後味の悪い経験と記憶が残る。



耕一は、白木社長に相談に行くか否か、悩んだ。結果は、そうしなかった。むしろ、これまでの経緯や思いを白木社長に話したとて、所詮、愚痴と負け犬の遠吠えにしか過ぎないと理解した。唯一つ、耕一が苦しかったのは短期間であれ、全くの他人をこの現場に登用し、黙って支援してくれていた白木社長に対しては、ただただ、頭を垂れ、謝罪したい気持ちで破裂しそうであった。「せめて、謝罪に行こうか?」・・・・



耕一が、山木常務・高山常務・坂本常務の3人に、「定期株主総会をもって、退任する。」と伝えた瞬間、高山常務、坂本常務は、諸手を上げて喜ぶような表情をしたのを見逃さなかった。「所詮、その程度か・・・」と心の中で呟き、黙ってその場を離れた。



しかし、今の状態では全てを投げ出すに等しい事になりなにかしらのストーリーが必要であったと同時に、自身の中で未練があった。



それは、これまで純粋な思いでこの1年以上の時間を費やしてきたのである。初めて中途半端に、自身の敗北を刻むことに対する抵抗もあった。既に、1月中旬に和田氏関係の株式の相対での株式譲渡を引き受ける旨をネクサスと合意し、処理待ちの状態だった。しかし、耕一には約2,000万円もの現金は集めることが出来なかった。この件は、相互企画の山崎氏に相談を持ちかけ最後の切り札でもあった。

この交渉にために、耕一は広島へ飛んだ。



山崎「わざわざ来てもらって、恐縮です。」



耕一「いえ、こちらこそ時間を頂いて有難うございます。」「本日は、お願いに上がった次第です。前回ご説明した、米国エイペックスも含め当社、エイペックスジャパンの今後についてご説明させて頂き、その上で融資、資本参加をご検討いただきたく考えております。」

続けて、「米国エイペックスは、結果的にはネクサスを通じ、法外なライセンス料と引き換えにとてつもなく大きな負債を負わせたことになっています。

このままでは、エイペックスジャパンは行き詰まることは必至です。これを打開するために、エイペックスジャパンが米国エイペックスを吸収する方向で進めたいと考えます。」



山崎「ほう、それはまた大胆な筋書きですね。で、いくらで目算をつけているのですか?」



耕一「はい、今となってはあちらも赤字企業です。残された経営資源を買い叩くこととして1株50セント前後で考えています。総額では、日本円で1億円弱です。」



山崎「なるほど。しかし、その企業を買収しても何かメリットはありますか?逆に、国境を越えて法人を持つとなるとそれなりのパワーが必要では?・・・」



耕一「はい、その通りです。逆に現状のままでは、特許を含めたライセンス権利の確保・管理が不透明のままです。それこそが、今は一番の経営資源です。」



山崎「しかし、誰が米国を見るの?」



耕一「私です。」



山崎「???中澤さんが?・・・・・それは、無理がではないですか?少なからず、日本がまだ立ち上がっていないのに、他に手を出すのは・・・」



耕一「おっしゃるとおり、次期早々です。しかし、今後の第三者割り当ての資金調達の上で、このストーリーがベターかと・・・」



山崎「で?こちら側にどうしろと?とても1億は出せないですよ。」



耕一「はい。そこで、ご存知の和田氏一派の株式を相対で私が、譲渡取得する話が決まっています。これにより、私の現在0.1%しかないシェアを10%に引き上げたいのです。これまで、資金調達の際にネックになっていたのが、私の株式保有率も大きな一つの要因でした。よって、エイペックスジャパンでの実質的な経営支配を持っているネクサスに対抗するバランスが必要と考えています。」



山崎「そうですね。バランス論は、その通りです。しかし、相手がネクサスと言うのが気にかかります。これまで、同じようなケースで融資と引き換えにその株主権限を担保にしてきたことがあります。ご存知の木場氏のいた会社のトップもそうです。今は、沖縄のサイバーファーム社長も同じです。2年以内に、IPOさせるべく現在も動いていますから・・・」



耕一「そうでしたか・・・」



山崎「それでは、中澤さんが株式取得するための資金の融資と言うことですか?」



耕一「はい。」



山崎「なるほど。筋書きは分かりました。しかし、米国法人の吸収はキツイですね。」



耕一「はい。そこを何とかご理解頂き、お願いします。」



山崎「検討してみましょう。」



話が終わったのは、午後8時を過ぎていた。耕一は翌朝の一番の新幹線で東京へ戻ることとなった。
このブログをスタートしたのは、2006年8月10日でした。

書き始めは、熱い思いがこみ上げてきて、進みましたが色々な環境変化や、個人的な感情の変化などで、自分自身の持続力を維持するのがきついこともありました。

しかし、知人・友人にこのブログを紹介していく度に、共感する方々もいたりして、自分にとってとても励まされたこともありました。

ここに、以下のように綴っていきたいと思います。



【PartII】「再生(re-born)する中澤耕一」



目次

1.画 策

2.残務処理

3.空白と充電

4.再始動

5.クライアント

6.再構築

7.搾取と裏切り

8.独 立

(TBD:以後未定)



この章は、先のPartIを引きずりつつ、中澤耕一がどのようになったのか?



更新する頻度は、出来るだけ多くしたいと思いますが・・・・

よろしくお願いいたします。<m(_ _)m>