起業から、経営者へ、そして・・・ -25ページ目

起業から、経営者へ、そして・・・

スレッドの書き込み、楽しみにしています。

PART-Iを読んで頂いた方々に、御礼申し上げます。



PART-Iでの最終結末には、色々ご意見も頂きました。多数のご教授を頂き誠にありがとうございました。次回のPART-IIにおいては、中澤耕一が、先のエイペックスジャパンを退く際に、様々な思惑があったところからはじめようと思います。

と言いますのも、余りにもあっけない終わり方でしたが、実はこれからが更にアンダーグラウンドでの出来事があった事実から入るためです。



マスコミでも、様々に経済ニュースを賑わしていますが、皆さんお気づきでしょうか?そのニュースでさえも、事実か?真実か?はたまた虚構か?全く見極めのつかないことも多いのではないでしょうか?真実は、そこにかかわった人間しか知りえないし、またそうであっても個人の受け止め方や解釈の相違で全く異なった事実になってしまいます。

デジタル化が進み文明の利器が発達しても、人間の本質的なものは、それらの変化や速度には対応できていないのではないでしょうか?



もし仮に、貴方の一番大切な何かをある日突然失ったとしたら、当然のごとく悲しみ、憎しみ、怒り、憤り、・・・・等々感じます。もし、それを感じなくなったら?・・・・どうでしょうか?人間はどうなるのでしょうか?

非情になるのでしょうか?それとも、脱殻になるのでしょうか?



かつて、このブログでもご紹介した「駒田史郎」氏の著書にも人間の大切な何かを問い続けることが書かれていました。(ちなみに、第二段が近々創刊されるそうです。)

いづれにしろ、このブログにアクセスしていただいている方々は、人間として血が通っていると確信しております。普遍的は価値観は何なのか?



そんなことを考えながら、綴り続けます。今回は、前回のように毎日更新するのは厳しい状況ですが、2~3回/週のペースで構想を固めております。



今後ともよろしくお願いします。また、ぜひレスも書いてください。



GOEMON

前回の中国出張は、北京が目玉でしたが、今回は上海4日間!

昨年から通算すると、既に5度目の訪中となりました。

いつもは、タクシーで動き回り、アポイントからアポイントへとバタバタと移動するだけでしたが、今回は初日から夜に上海に入り、帰国も夜成田着のパターンに変えました。これが、良いのか悪いのか????毎晩、夜がメインのような行動パターンになりまして、大分、肝臓が疲れました・・・・



写真は、本場四川料理の接待の席上、一番、超激辛料理でした。具材は、ナマズです!私は、大変気に入りましたが、よく朝大変でした・・・



昨日、上野近代科学博物館に「エジプト展」を見に行ってきました。



10年ぶりくらいに、感動しました。ミイラの本物を見たのは初めてでした。

かつて、人間のすり割り人体標本の本物見た時も感動しましたが・・・

今回の感動は別で、生きてるうちにピラミッドを見にエジプトに行きたくなりましたね。凄いですよ。

撮影禁止なので、展示品の写真はお見せできないのが残念です。

もし、興味のある方は今週末18日までのようです。

以下は、私のM氏という友人です。



(前略)



実は、私は入社当初、今の会社に入りたくて入った訳ではありません。



総合商社に入り、海外部門で仕事がしたかったのですが、試験に受からず、とりあえず今の会社が海外部門を持っているので就職した次第です。入社後はパルプ・古紙を扱う部門に配属になり、幸い少々英語でファックス(当時はイーメールなし)を打ったりする機会もあり、いずれは貿易部門に配属になれたらなぁ、との夢を持ちながら仕事に従事しておりました。



しかし、ある時、国内販売部門への勤務を命ぜられました。しかし、そこの部署は上下関係に厳しく、毎日遅くまで残業する部署で一番行きたくない部署でした。

これで海外部門への配属は10年くらい遅れたな、と思いました。しかし、配属された以上、その部署で頑張らなければならない、そこに配属されたのには何かしら意味があると前向きにとらえ、必死に頑張りました。



そして、配属されてから約4年後、念願の海外部門に配属されることになりました。

正直大変驚きました。しかし、もっと驚いたのは、この国内販売部署に配属されていたことにより幅広い商品知識を得ることができていたことでした。この時、この国内販売部門に配属されていてよかった。むしろこれから海外部門で頑張っていくために、一番近道を歩んでこれたのだな、と実感しました。不思議でした。



夢をあきらめず、努力を積み重ねていくことの大切さ、また、自分が今いる場所で頑張ることの大切さを学び、体験しました。そして、現在は海外駐在するまでに至っております。本当に不思議です。



何かしら使命があるのでしょう。ジャカルタ行きも何か使命があってのことでしょう。今、インドネシア語も勉強しております。英語だけでも仕事上は支障はありませんが、生活する上ではインドネシア語は必要ですし、現地の人とより親密な関係になるにはローカルの言葉が必要になりますしね。







PartIに一区切りつけました。当初予定よりかなり遅くなりました。



さて、PartIIはこれまで、中澤耕一が経験してきた出来事や経験以外にも、まだまだ隠された真実があり、それらと再スタートを切る?耕一が、微妙に関係しております。

PartIでは、会社や金融のほんの触りの部分だけでしたが、実際はもっと複雑です。それ以上に、ビジネスにおいての人間関係はもっと複雑であり、究極はいったい何なのか?

もし、呼んでいただいた方々で、これから起業されようとする方がいるのであれば、何でも質問してください。

決して、私と同じような失敗はしないでくださいね。それ以上に、必ず成功させてください。心より祈っています。



そんな方々に何かのお役に立てればと思い、このブログをこれからも続けていきます。どしどし、書き込みください。



耕一「どうして、あそこに来たの?帰ったんじゃなかったのか?」

智子「ええ、はじめはそう思って駅に行ったけど、なんとなく・・・・」

耕一「びっくりしたな。今日はじめて会ったばかりの君に、あんな事言われるなんて・・・」

智子「でも、そうして?死にたいの?」

耕一「いや、死にたいわけじゃない。ただ、どうにもこうにも会社が上手く回せないんだ。要は、資金が足りないんだけど・・・」

智子「それで、死ぬの?なぜ?いくらになるの?」

耕一「そうだね、生命保険の金額だと1億5000万円くらいかな?・・・」

智子「バッカじゃないの?貴方命はその金額なの?」

耕一「いや、そんな事言ったってどうにもならない状況なんだ。なら、君が資金を融資してくれるか?」

智子「それは、無理よ。でもその会社って、貴方の会社なの?」

耕一「いや、オーナー企業は別にある。」

智子「その会社に貴方はいくら掛けたの?時間じゃないわよ。貴方の自己資金は?」

耕一「100万円だけ・・・資金がなくて、この体一つだけだったから・・・」

智子「そう。なら、貴方が命と引き換えにする価値があるかないか、分かるでしょう?」

耕一「君の言うとおりだが、スタッフや周りの人間に対して何も出来ないでいる。少なからず、この自分のホラに付き合ってもらってきた。それを現実にしたい。」

智子「男って馬鹿ね。頑張ってる人ほど同じような事を聞くわ。でもそれって、男のくだらないプライドじゃないの?」

耕一「・・・・」

智子「私の元の夫も同じように事業してて、一番いい頃に結婚して、贅沢もさせてもらったわ。・・・・」

智子「でも、結婚して3年が過ぎた頃、私が気づいたら夫は親戚縁者全てに借金して回ってた。それを知った頃には、高利貸しにも手を出してて、どうにもならない状態だったわ。」

智子「取立て屋に連れて行かれて怖い思いもしたわ。夫は逃げ回る生活が始まって、結局、自殺したわ。」

智子「最後まで、なぜ借金したのか?どうして相談してくれなかったのか?何も言わないまま遺体を引き取りに行ったわ。でも、一つだけ分からないのは、行った事もないようなところで、一人で首をくくったみたいだけど、そんな事する人じゃなかった。」

智子「それから、1ヵ月後に見計らったように借金の取立てが来て、結局持っていたビルも全て持って行かれた・・・私には、その結婚生活が何だったのか今でも分からない。」

智子「ただ、先に他界されて残された私は死ぬよりも辛いと思った日々だったわ。見て!この傷・・・・」それは、智子が耕一に差し出した左手だった。リストカットの跡である。

耕一「これは、いつごろ?」

智子「そうね、2年弱くらい前よ。」

  「でもこうやって生きてる。」「今でも、その後遺症はあるわ。」

耕一「君も凄い時間を過ごしてきたんだな・・・でも、僕にこれ以上関わらなくても・・・」

智子「いや!やっと、前に進もうと思ってあった人がまた元夫と同じような終わり方するんじゃ、私は疫病神みたいじゃない!冗談じゃないわ!」

耕一「そうだけど、今日会ったばかりだし、何もお互いに深入りしなくても・・・」



智子は時計をチラッと見て「もう電車がなくなったわ!今夜どうしてくれるの?送ってくれるの?」

耕一は、困った。たまたま、手持ちの現金も無い。この場を何事も無かったように収めたい。すると智子が「いいわ、とにかく出ましょう。」



耕一は、智子に引き込まれるように歌舞伎町のネオンの中に消えた。





翌朝、新宿東口の小さな喫茶店でコーヒーを飲んでいた。耕一の向かいには、にこにこと笑顔の智子が居た。



智子「なんか、久しぶりだわ。この感覚。」

耕一「えっ?何が?・・・」

智子「夫が居なくなって、女を絶ってたの。夕べのことが無ければ貴方でよかったわ。」

耕一「そんなつもりは無かったのですが・・・」

智子「ねえ、夕べの貴方の気持ちは変わった?まだ、死にたいの?」

耕一「・・・・・・・」

智子「いいじゃない。その会社返しちゃえば!」

耕一「・・・・・・・」



そう、耕一には今まで相談して助言してくれる相手が居なかったのかもしれない。この智子の言葉は、耕一をハッとさせた。

行きずりの女性に、事の本質を口にされたのは以外だったが、耕一はなんとなく自分の中の何かに変化があるような感覚を覚えた。



智子「ねえ、またお会いできるかしら?絶対に、自殺しちゃだめよ!今度は私から待ち合わせの場所を指定するからね。分かった?」

耕一「分かった。とりあえずこれから会社に出て、色々かたずけなきゃならん。これで失礼するわ・・・」



そう言い残して、耕一は自分のオフィスに戻った。そのタクシーの中で耕一は『潔く、社長を降りよう。スタッフは、理解してくれるかな?』と思いつつ、煙草に火を付けた。

それから3ヵ月後、耕一は定期株主総会で退任する事となった・・・・



(以上PartI終)
耕一と智子は、ごく普通の自己紹介の後、なぜ「エキサイトフレンズ」に登録したか互いに暴露した。

耕一は、左記の通り仕事上、モニタリングの意図があった。しかし、智子は違った。それは、現在一人暮らしの為さびしい時間が多いとのことだった。更には、未亡人であった。耕一は、なんとも返す言葉がなかった。

それから差し障りのない会話をした。その後、智子は耕一に深々と頭を下げて、「何年ぶりかしら、食事をおいしく感じたのは。今夜は有難うございました。」と礼を言って帰った。

耕一は、帰宅するつもりであったが、思いとは別に足は別の方向に向いていた。どうしても、耕一の頭の中からはこれまでのことが離れない。むしろ急速に広がるカビのごとく頭の中に真っ黒な領域が増えていく・・・・

考える事にも疲れ始めた。呆然と焦点の合わないまま、遠くを見詰め、思考の中での「言葉」でさえ浮かんでこなくなっていた。



耕一は、なぜか勝鬨橋の袂にいた。大きな半弧を描く形状を見上げ、呟いた。

「この高さなら、十分だな・・・」耕一は、橋の欄干から登り始めた。不思議な事に人通りも車の往来もまばらである。もう少しでてっぺんにたどり着こうとしたとき・・・

「だめ~!早く降りてきて!」と悲鳴のような声が聞こえてきた。耕一は下方のあたりを見回した。すると、先ほど別れて帰ったはずの智子が走ってきた。



智子:「中澤さん!何してるの?早く降りてきて!危ないから!」

耕一:「いや、いいんだ。その場所を探していたんだ。」

智子:「何を言ってるの?私は二度もそれに付き合いたくはないわよ!早く降りてきて!」

耕一:「あなたには関係ないことだから、早くこの場を去ってください。お願いです。」

智子:「男って、みんな弱虫ね!つよがててもそうやって逃げてるじゃない!お願いだから、前の旦那と同じ事しないで!残されてそれを見てきた私はもっと耐えられないのよ!」涙ながらに叫んだ。

耕一は、一瞬躊躇した。・・・・



そうしているうちに、周囲に野次馬らしき人々が集まってきた。

耕一は、慌てて降りた。智子がバックで殴りかかるように近寄ってきた。なぜか泣いている。耕一は、この騒動から抜け出すために、タクシーを止めてそそくさと智子とともにその場を去った。



タクシーの中で智子は泣いていた。

耕一は、困惑した。何も掛ける言葉がない。仕方なく車を新宿方面に向かわせた。

2006年12月29日付けで、ブログが止まっていてすみません。



その翌日、年末も押し迫ってとんでもないことがありまして・・・

ばたばたと年明けを迎えました。

追い討ちをかけて、身内との揉め事も絶え間なく・・・



本来ですと、2006年内にPartIを終え、PartIIに続く予定が・・・・

だいぶ遅れています。頑張って、綴っていきたいと思います・・・



昨年は、どんな年でしたか?



今年は、どんな年にしたいですか?



改めて、本年1月中にPartIが終わったあたりで、都内でオフ会を企画したいと思います。少人数でも、大人数でも、関係ないのですが、是非ご出席くださいね!

男ばかりで、むさくるしいかもしれませんが、20代後半~30代~40代を中心に、「まだまだこれから!」と思いのお持ちの方々、是非お会いしたいです。



それでは、引き続きよろしくお願いします。
耕一は、オフィスを出るとあてもなく歩き回るようになった。

「どうすれば・・・」と、耳鳴りのように頭の中をぐるぐるまわり何も考えられなかった。



ある時、銀座の真ん中で何気なく入ったビルのエレベータが最上階で止まった。降りるとその先に屋上へ続くと思われる階段があった。そこを上ると、難なくビルの屋上に出た。恐らくは、9階建て以上だろうか?

吹く風は、冷たく無機質だった。見渡した視野には、鮮やかなネオンと雑踏の音が交差して感じられた。

耕一は、下を覗いた。一瞬、背筋が震えた。「どうしよう?」立ちすくんだ。色んな記憶が、頭の中を駆け巡る・・・・親兄弟、家族、社員、知人、・・・果たしてこれから・・・何が一番大事なのか・・・

その時、ポケットの携帯電話が震えた。耕一は、躊躇いながら液晶の表示を見た。知らない番号である。



そのまま、放置した。すると、数分後またその番号が表示された。耕一は「はて?・・・」電話に出てみた。すると、落ち着いた声で「あの、先日メールでご連絡していたんですが・・・」

耕一:「どちら様ですか?」

  :「メールでお話させてもらっている、智子です。」

耕一:「あっ!どうも、失礼しました。知らない番号だったので・・・ビックリしました。」

智子:「今夜、お時間が合えばと言う事で、ご連絡お待ちしていたんですが・・・お忙しいですか?」

耕一:「あっ、いやその・・・忘れてまして・・・すみません。いま、どちらですか?」

智子:「有楽町の駅の近くです。お忙しければ、ご無理は申しませんので・・・」

耕一:「そ、そんなことなくて、急だったんで・・・私も今銀座周辺です。これから会いましょう。そちらにいきます。どこにいけばいいですか?」

智子:「そうですか?じゃ、交通会館の地下のマイアミで待っています。目印はななにかありますか?」

耕一:「そうですね・・・じゃ、黒いコートを着てますが、右手に紫色の社封筒を持っています。」

智子:「分かりました。お待ちしています。」



耕一は、我に還りそのビルを降りた・・・



数十分後・・・

耕一は、智子といい女性と待ち合わせをした。智子とは、インターネット上でのエキサイトの出会い系のサイトでメールのやり取りをしていた。これは、まだ当時走りだった、出会い系サイトに関して、匿名で様子を見ていた。エイペックスジャパンが提唱するセールスプロモーションと何か関係はないのか?と言う事であった。たまたま、電子メールの交換で、なんとなく話をしていた。まさか、本人と直接会うなどとは、思ってもみなかった。(今では、それが当たり前のように言われるが、当時は今のようにセックス目的が主体の様子も薄く、単純に他人との出会いのキッカケに過ぎないと、耕一は思い込んでいた。ましてや、他人と何の用事もないのに会うはずもなく・・・・と考えていた。



耕一:「はじめまして・・・」

智子:「こちらこそ、よろしかったんですか?」

耕一:「あ、はい。すいません。待ちましたか?」

智子:「そうですね、30分くらいかな?」

耕一:「じゃ、お食事でもいかがですか?何か召し上がりたいものはありますか?」

智子:「そうですね・・・じゃ、お鮨が食べたいんですが・・・」

耕一:「わかりました。いきましょう。ここからだと築地が近いので、移動しましょう。」とタクシーを止めた。



智子は、落ち着いた声の割には小柄であった。どこか清楚な雰囲気もありつつも、なんとなく影を感じる気もした。年齢は・・・恐らく30代かどうか?耕一は、久しぶりに一瞬仕事を忘れていた。







耕一は、四六時中「資金」のことだけが頭の中をぐるぐる回転していた。

ある時、下田、本間の3人で深夜遅くまで打合せをした。



下田「すでに、1年が過ぎようとしていますが、やはり事業戦略の失敗は否めません。ゆえに、今後のことを考えて何とか立て直す施策を考えるべきではないでしょうか?」

耕一「・・・・」

本間「いや、言葉で戦略とか計画とか言っても、所詮我々の仕事は信頼関係の下に成り立っている。今、親会社であるネクサスの看板がどのように働いているか考えた場合、もっとドラスティックに改革するか、毒を食らわば皿をも食らえ!で、どっぷりネクサスの方針に従うかどちらかではないでしょうか?」

耕一「・・・・」

下田「確かに本間さんの言うことも事実ですが、広告宣伝系のクライアントとあわせて、システム系のクライアントも存在しています。それぞれ、我々に求められるものは異なりますが、エイペックスジャパンそのものの存在価値・立ち位置を見直すべきではないでしょうか?当初、ITとアナログを融合させていくことを目指して、エイペックスのライセンスを手にしましたが・・・」

本間「そのITとアナログの融合ですが、未だに私にはピンと来ません。インターネットの世界観が未だに実感として感じられないのです。果たして、このまま我々の業態でやっていけるのか疑問です。」

耕一「・・・・」

下田「確実に、インターネットのメディアとしての存在価値・認知はされています。ただ、この形の無いものを販売し、ビジネスにするところに未だ敷居が高くて、営業現場ではかなり難しい対応が要求されています。」「広告の営業であれば、クライアントの要求も比較的分かりやすく、見積もりもし易い。しかし、システムに対する認識は、未だ一般企業ではかなり困難なように思えます。この部分を何とか独自の方法を見出さなければならない。また、それにはIT(デジタル)的考えに依存していては無理がある。そこにアナログ的思考を入れていけないものかどうか?・・・」

本間「それは、私にはなかなかアイデアとして出ないですね・・・」

耕一「なんとなく、未だ1年前のスタート時の考えから抜け出せないでいる気がするな・・・」「思い切って、全く違うことを考えると言うのはどうだろう?」

下田「・・・・」

本間「・・・・」



時間は既に、午前零時を過ぎていた。3人で取り止めとなく話し合いは続いた。

その日、耕一はオフィスで一夜を過ごした。

明け方、ビルの屋上に上がり、東京湾を見渡しながら呟いた・・・

「資金は・・・生命保険が使えればこの会社はあと1年は持ちこたえられるかな・・・」

「今の自分に出来ることの一つの方法としては、一番早いかもしれない・・・」