「妹が欲しい」
こんな馬鹿げたことを思いながら、早一年くらい経っている訳ですが……。
実際に妹が手に入ることもなく、欲しい妹は、「自分のことを嫌わず、受容してくれる甘えたな妹」なので、余計に手に入る訳はないのですが……。
そこで、はて? と思いました。
妹が欲しい妹が欲しいと言ってる訳ですが、何故欲しいのか。考えてみたら一つの結論に行き当たりました。
「ただ、絶対的に受容してくれる存在」が欲しいのではないか、と。
学校でも職場でも何でもいいが、そこで手酷い扱いを受け、自分の味方になってくれる人がいない時。ただ黙って受け入れてくれる存在がほしいのではないか。
そこでアドベンチャーゲームやギャルゲーなどを見返してみて、僕個人の結論は揺るぎないものとなりました。
二次元の少女、多くの場合主人公を受け入れるのです。突き放したりすることもありますが……。だからこそ、僕は二次元に惹かれていた、というのもあるのかも知れません。
受容されない苦しみを持つからこそ、二次元へと依存していくのではないか?
こんな風に考えました。
現実世界で、苦しみを癒す方法は、人それぞれで難しいかも知れません。見つからないかもしれないし。
動物と言う単語を聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか>
犬でしょうか、猫でしょうか。それともハムスターでしょうか。
僕も、ついこの間まで、動物と聞いたらそれらしか思い浮かびませんでした。
しかし、忘れていました。
人間もまた、動物であることを。
この話に触れる機会があったのは、つい数日前の話。とある知り合いが、「動物を物扱いできない」という言葉が発端でした。
それに対し、僕ともう一人の知り合いはこう言いました。「人間含め、所詮動植物は物である」「人間から見れば、犬猫などは愛玩動物で、所有者と物扱いだ」と。
もう一人の知り合いは、更に言い募った。「フォアグラの件で話題だった、”動物は人間のご飯じゃない”は、人間が動物を”所有”している考えだ。しかし元来、人間は動物にカテゴライズされているのでは」。
そう、人間も動物の中の一種類でしかないのである。それが、あたかも他の動物とは別種のカテゴリーにいるかのように振る舞っている。武器を持ち、動物を狩り、植物を引き抜く。
そこで僕は、一つ聞いたことがあることを思い出した。「例えばアフリカでは、食料難などで弱った子供が禿鷹に狙われ、襲われることもある」
この禿鷹にとっては、人間は「大きな餌」に過ぎないのだ。鷲が蛇を捕食するように、禿鷹が人間を襲う。
ここから言えることは、「人間も動物の一種でしかなく、そのカテゴリーから逸脱している訳では無い」と言うことである。そして、もう一人の知り合いが言うように、「人間と動物を分ける考え方は、動物によって生活を脅かされることの無い発展国の考えでしかない。ある程度動物を管理できる能力を持っている故に」。
確かに、人間は動物を支配出来うる能力を身に着けてきました。しかし、それでも動物でしかない我々人間が、他の動物を支配するなどおこがましくはないでしょうか。動植物を完全に支配できるなど、エゴ、傲慢も良いところ。
現に、そういう能力を持たない人間が動物に殺され、植物から害を被っている。同じカテゴリーの中にしかいないのです。
さて皆さん、片利共生、相利共生と言う言葉をご存知でしょうか。例えば、マンタなどに張り付いて動かずとも餌を取れるコバンザメは、マンタと片利共生の関係です。逆に、カクレクマノミは、イソギンチャクを隠れ蓑にする代わり、餌を運んだり掃除をしたりするとされます。
我々人間も、ただの動物として、他の動物と生存圏を共にしている訳です。一方的に、動物の毛皮を剥ぎ取ったり、植物を引っこ抜いて食い荒らすだけでなく。数限りある動物から一方的に貰うものを少なくして、汚染などを極力減らすようにして、同じ生存圏を確保して暮らしていく。同じ動物として人間が出来ることを模索して、実行していくのがせめてもの恩返しじゃないでしょうか。
犬でしょうか、猫でしょうか。それともハムスターでしょうか。
僕も、ついこの間まで、動物と聞いたらそれらしか思い浮かびませんでした。
しかし、忘れていました。
人間もまた、動物であることを。
この話に触れる機会があったのは、つい数日前の話。とある知り合いが、「動物を物扱いできない」という言葉が発端でした。
それに対し、僕ともう一人の知り合いはこう言いました。「人間含め、所詮動植物は物である」「人間から見れば、犬猫などは愛玩動物で、所有者と物扱いだ」と。
もう一人の知り合いは、更に言い募った。「フォアグラの件で話題だった、”動物は人間のご飯じゃない”は、人間が動物を”所有”している考えだ。しかし元来、人間は動物にカテゴライズされているのでは」。
そう、人間も動物の中の一種類でしかないのである。それが、あたかも他の動物とは別種のカテゴリーにいるかのように振る舞っている。武器を持ち、動物を狩り、植物を引き抜く。
そこで僕は、一つ聞いたことがあることを思い出した。「例えばアフリカでは、食料難などで弱った子供が禿鷹に狙われ、襲われることもある」
この禿鷹にとっては、人間は「大きな餌」に過ぎないのだ。鷲が蛇を捕食するように、禿鷹が人間を襲う。
ここから言えることは、「人間も動物の一種でしかなく、そのカテゴリーから逸脱している訳では無い」と言うことである。そして、もう一人の知り合いが言うように、「人間と動物を分ける考え方は、動物によって生活を脅かされることの無い発展国の考えでしかない。ある程度動物を管理できる能力を持っている故に」。
確かに、人間は動物を支配出来うる能力を身に着けてきました。しかし、それでも動物でしかない我々人間が、他の動物を支配するなどおこがましくはないでしょうか。動植物を完全に支配できるなど、エゴ、傲慢も良いところ。
現に、そういう能力を持たない人間が動物に殺され、植物から害を被っている。同じカテゴリーの中にしかいないのです。
さて皆さん、片利共生、相利共生と言う言葉をご存知でしょうか。例えば、マンタなどに張り付いて動かずとも餌を取れるコバンザメは、マンタと片利共生の関係です。逆に、カクレクマノミは、イソギンチャクを隠れ蓑にする代わり、餌を運んだり掃除をしたりするとされます。
我々人間も、ただの動物として、他の動物と生存圏を共にしている訳です。一方的に、動物の毛皮を剥ぎ取ったり、植物を引っこ抜いて食い荒らすだけでなく。数限りある動物から一方的に貰うものを少なくして、汚染などを極力減らすようにして、同じ生存圏を確保して暮らしていく。同じ動物として人間が出来ることを模索して、実行していくのがせめてもの恩返しじゃないでしょうか。
最近アニメの実写化が進んでいるようで。
『僕は友達が少ない』や『黒執事』などそれなりの評価を下された、或いは下せそうな物もあるようですが……。
個人的な感想としては、やはりアニメの実写化は受け入れたくないと言うのが正直なところです。
アニメはアニメで見てこそアニメだと思うんですね。三次元の人間を使った実写で見たい訳では無い。
三次元の世界では獲得し得ないキャラクターとか、実際にはあり得ないトンデモ設定とか、ド派手な演出とかを、「二次元の世界」で見てみたいんですよ。
そもそも、多くの小説や漫画やアニメなどは、「現実世界では起こりえない事象や世界設定を体験したい人が、それらを疑似的にでも体感できる場」だと思うんです。
そこには、二次元と言う別世界があり、三次元と言う現実世界はそこには介入できない。介入は難しい。
そこにわざわざ、現実と言う世界を持って来て、一体何になるのか。
僕個人としては、そういうのは持ち込んで欲しくない。
しかし、そうばかりも言えない。
僕の知り合いと話をした。その人は、「ビジネスとしてはメディアミックスの一環であり、アニメを見ない層への宣伝にもなる」と語った。「需要層に合わせて作品をすり減らすのも大事。原作ファンがどこまで許容できるかも要」とも。
ただその一方で「メディアミックスは諸刃の剣である」と語った。
只の感情論と理論。
考え方によっては、実写化は良くも悪くもあるという点である。
頭ごなしに否定することも難しそうだから、もう少し考えてみたいと思う。
『僕は友達が少ない』や『黒執事』などそれなりの評価を下された、或いは下せそうな物もあるようですが……。
個人的な感想としては、やはりアニメの実写化は受け入れたくないと言うのが正直なところです。
アニメはアニメで見てこそアニメだと思うんですね。三次元の人間を使った実写で見たい訳では無い。
三次元の世界では獲得し得ないキャラクターとか、実際にはあり得ないトンデモ設定とか、ド派手な演出とかを、「二次元の世界」で見てみたいんですよ。
そもそも、多くの小説や漫画やアニメなどは、「現実世界では起こりえない事象や世界設定を体験したい人が、それらを疑似的にでも体感できる場」だと思うんです。
そこには、二次元と言う別世界があり、三次元と言う現実世界はそこには介入できない。介入は難しい。
そこにわざわざ、現実と言う世界を持って来て、一体何になるのか。
僕個人としては、そういうのは持ち込んで欲しくない。
しかし、そうばかりも言えない。
僕の知り合いと話をした。その人は、「ビジネスとしてはメディアミックスの一環であり、アニメを見ない層への宣伝にもなる」と語った。「需要層に合わせて作品をすり減らすのも大事。原作ファンがどこまで許容できるかも要」とも。
ただその一方で「メディアミックスは諸刃の剣である」と語った。
只の感情論と理論。
考え方によっては、実写化は良くも悪くもあるという点である。
頭ごなしに否定することも難しそうだから、もう少し考えてみたいと思う。
最近、ウルトラマンFERというゲームソフトをプレイしまして。
前作のFE3をプレイ済みだったので、さて今回はどうなることやら、と思いながらプレイした結果。
?
と言うのが感想でした。
まず、使えるキャラクターの数。
ウルトラマンは七人(マン、セブン、タロウ、ティガ、ガイア、アグル、コスモス)、怪獣は二十三体(ブルトン、ゴモラ×2、レッドキング×2、エレキング×2、キリエロイド×2、タイラント×3、幻影アグル、ジェロニモン、バルタン星人、ワロガ×2、メフィラス星人、カオスロイド×3、ネオカオスダークネス×2)と大幅に少なくなってしまいました。(怪獣はそうでもないかな)(×が付いている物は改造体、及び強化体含む)
そして、かなりのシステムの変化。
ジャンプ攻撃がかなり出しにくい!(俺だけかも知れんが)それ抜きでも、〇ボタン長押しによる高威力攻撃、一定のボタンを連続で押すことで能力上昇を得られるネビュラコンボシステム、必殺技の発動方法などなど。
ネビュラコンボは面白いけど、他はちょっと面倒臭くなったかな、という印象。
必殺技は演出がド派手になったけど、技は二つから三つしかなく、カスタムして変更出来たりはせず、完全固定(ウルトラマンはキャッチリング、八つ裂き光輪、スペシウム光線の三つ)。
おまけに、技の発動が長い。発動している間に水を飲みに行ったり……。
いくら演出がド派手でも、技が固定なら飽きてしまいます。
ストーリーは完全オリジナル。何かキャスターがうざい。
それと、面倒臭いのは、「ミッションポイント」。
ウルトラモードを一度クリアすると、一定条件を満たすことで得られるポイントですが、これが隠しキャラを出すのに一役買ってます。それだけなら良いのですが、やたら面倒なものもあるのが玉に傷……(ノーダメージ撃破、体力5%以下での勝利、など)。
後、全体的に少し高難度。お子様泣くぞ。
さて、ここで取り上げたかったのはこれでは無く。
オリジナルキャラ・カオスロイドについて(以下カオス)。
メフィラス星人がカオスヘッダーを使って、ウルトラ兄弟の能力をコピーして作り上げた、「ウルトラ兄弟版カオスウルトラマン」
ストーリーとしては、最終話前にポンと出てきてそのまま退場という惨めな扱いですが、その実力は本物。
カオスS(セブン)はウルトラキーを強奪、カオスT(タロウ)は一人でウルトラベルを強奪(原作では六兄弟の力を結集して取り出した)! どんだけ強いんだお前ら。
カオスUは光の国の人口太陽・プラズマスパークを襲うが、ウルトラマンに阻まれます。
しかし――。
カオススペシウム光線でウルトラマンを撃破!
強い! 強すぎる!(この後イベントで消されるわけですが)
新ウルトラマン列伝やウルトラマンギンガ劇場版2でも登場したようですが、いずれも不遇な扱いだったようです……。
カオスSはこのエピソードをクリアすると自動的に手に入りますが、TとUは、隠しです(それぞれ60、90ポイント)
さて、こいつらをプレイヤーが扱うと……これまた強い!
カオスUは、出現が最難度だけあって、一番扱いやすいですね。ほぼウルトラマンの上位互換、攻撃速度早いし。欠点は、転ばせる△技がちょっと使い辛いかな……。
ネビュラコンボは、マンと同じ投げ〇。タイミングもほぼ同じ。しかし、最後の攻撃が全く違う。
倒れた相手の顎を徐に掴み、ぶん回して叩き付ける。
酷い! でも格好いい!
必殺技も度肝を抜かれた! 右腕が巨大な八つ裂き光輪に! 両腕が溶けてスペシウム光線になったり!
しかもレベル2以下の必殺技で勝つと、興味なさげに背を向けて飛び立ってしまう。アグル並みのクールさ!
カオスTも、同じく使いやすい。しかし、ニュートラル□の三段目が大きく前進して隙が大きかったり、右□は遅かったり、少し扱い辛いかも。
しかし、技を選べば大分強い。ネビュラコンボもジャンプ△でタロウと同じ感覚で使えます。
個人的に最も使い辛いのが、カオスS。
攻撃が殆んどウルトラキーを用いての攻撃。リーチが長くなってるところもあるけど、セブンお得意のジャブ攻撃が使えないのが辛い。技はセブンとは全く違います。
そして、「掴み攻撃の判定が離れたところに発生する」という特性。
一見使いやすいように見えるけど……大分困った。
近距離で投げを使おうと思ったら、掴めない! 逆にこっちが投げられる!
ネビュラコンボは↘△。↓〇のセブンよりは出しやすいけど、コマンド入力は同様に早いタイミングが求められる。
しかし、一撃必殺技は豪快。ウルトラキーで星を爆破します。やり過ぎだろ!
とまぁ、全体としては物足りないところもあったけど、個人的にはそれなりに楽しめたかなという感じです。
前作のFE3をプレイ済みだったので、さて今回はどうなることやら、と思いながらプレイした結果。
?
と言うのが感想でした。
まず、使えるキャラクターの数。
ウルトラマンは七人(マン、セブン、タロウ、ティガ、ガイア、アグル、コスモス)、怪獣は二十三体(ブルトン、ゴモラ×2、レッドキング×2、エレキング×2、キリエロイド×2、タイラント×3、幻影アグル、ジェロニモン、バルタン星人、ワロガ×2、メフィラス星人、カオスロイド×3、ネオカオスダークネス×2)と大幅に少なくなってしまいました。(怪獣はそうでもないかな)(×が付いている物は改造体、及び強化体含む)
そして、かなりのシステムの変化。
ジャンプ攻撃がかなり出しにくい!(俺だけかも知れんが)それ抜きでも、〇ボタン長押しによる高威力攻撃、一定のボタンを連続で押すことで能力上昇を得られるネビュラコンボシステム、必殺技の発動方法などなど。
ネビュラコンボは面白いけど、他はちょっと面倒臭くなったかな、という印象。
必殺技は演出がド派手になったけど、技は二つから三つしかなく、カスタムして変更出来たりはせず、完全固定(ウルトラマンはキャッチリング、八つ裂き光輪、スペシウム光線の三つ)。
おまけに、技の発動が長い。発動している間に水を飲みに行ったり……。
いくら演出がド派手でも、技が固定なら飽きてしまいます。
ストーリーは完全オリジナル。何かキャスターがうざい。
それと、面倒臭いのは、「ミッションポイント」。
ウルトラモードを一度クリアすると、一定条件を満たすことで得られるポイントですが、これが隠しキャラを出すのに一役買ってます。それだけなら良いのですが、やたら面倒なものもあるのが玉に傷……(ノーダメージ撃破、体力5%以下での勝利、など)。
後、全体的に少し高難度。お子様泣くぞ。
さて、ここで取り上げたかったのはこれでは無く。
オリジナルキャラ・カオスロイドについて(以下カオス)。
メフィラス星人がカオスヘッダーを使って、ウルトラ兄弟の能力をコピーして作り上げた、「ウルトラ兄弟版カオスウルトラマン」
ストーリーとしては、最終話前にポンと出てきてそのまま退場という惨めな扱いですが、その実力は本物。
カオスS(セブン)はウルトラキーを強奪、カオスT(タロウ)は一人でウルトラベルを強奪(原作では六兄弟の力を結集して取り出した)! どんだけ強いんだお前ら。
カオスUは光の国の人口太陽・プラズマスパークを襲うが、ウルトラマンに阻まれます。
しかし――。
カオススペシウム光線でウルトラマンを撃破!
強い! 強すぎる!(この後イベントで消されるわけですが)
新ウルトラマン列伝やウルトラマンギンガ劇場版2でも登場したようですが、いずれも不遇な扱いだったようです……。
カオスSはこのエピソードをクリアすると自動的に手に入りますが、TとUは、隠しです(それぞれ60、90ポイント)
さて、こいつらをプレイヤーが扱うと……これまた強い!
カオスUは、出現が最難度だけあって、一番扱いやすいですね。ほぼウルトラマンの上位互換、攻撃速度早いし。欠点は、転ばせる△技がちょっと使い辛いかな……。
ネビュラコンボは、マンと同じ投げ〇。タイミングもほぼ同じ。しかし、最後の攻撃が全く違う。
倒れた相手の顎を徐に掴み、ぶん回して叩き付ける。
酷い! でも格好いい!
必殺技も度肝を抜かれた! 右腕が巨大な八つ裂き光輪に! 両腕が溶けてスペシウム光線になったり!
しかもレベル2以下の必殺技で勝つと、興味なさげに背を向けて飛び立ってしまう。アグル並みのクールさ!
カオスTも、同じく使いやすい。しかし、ニュートラル□の三段目が大きく前進して隙が大きかったり、右□は遅かったり、少し扱い辛いかも。
しかし、技を選べば大分強い。ネビュラコンボもジャンプ△でタロウと同じ感覚で使えます。
個人的に最も使い辛いのが、カオスS。
攻撃が殆んどウルトラキーを用いての攻撃。リーチが長くなってるところもあるけど、セブンお得意のジャブ攻撃が使えないのが辛い。技はセブンとは全く違います。
そして、「掴み攻撃の判定が離れたところに発生する」という特性。
一見使いやすいように見えるけど……大分困った。
近距離で投げを使おうと思ったら、掴めない! 逆にこっちが投げられる!
ネビュラコンボは↘△。↓〇のセブンよりは出しやすいけど、コマンド入力は同様に早いタイミングが求められる。
しかし、一撃必殺技は豪快。ウルトラキーで星を爆破します。やり過ぎだろ!
とまぁ、全体としては物足りないところもあったけど、個人的にはそれなりに楽しめたかなという感じです。
気になる記事を見かけたので、ちょっと貼っておく。
http://matome.naver.jp/odai/2135121850594152201
いずれも、「洗顔する際には、手は縦に動かさず、横に動かす方が良い」ということが書かれている物である。
縦洗いすると、筋肉が弛緩して引力に抗えなくなり、顔がたるんでしまう、というものだ。
考えすぎかもしれないが、これらの記事を読んで一つ考えたことがある。
それは、縦と横の関係。つまり、職場などにおける「縦社会」と「横社会」のことだ。
一昔前は、「年功序列制」などで、長く会社に勤めている者が敬われ、立場も上であった。しかし、昨今は、実力主義を取り入れる会社や企業も増え、年功序列が崩れているところもある。
さて、何が関連あるかと言うと。
「縦社会」に従属するだけでは、自らを滅ぼすことになるかも知れない、ということである。実力を発揮できる「横社会」に勤めて、自らが持つ才能を開花させ、発揮できるような環境に身を置けば、かなり良いのではないか、と思う。
筆者自身は、自分の能力が何なのか、未だに分からないままですが……。
http://matome.naver.jp/odai/2135121850594152201
いずれも、「洗顔する際には、手は縦に動かさず、横に動かす方が良い」ということが書かれている物である。
縦洗いすると、筋肉が弛緩して引力に抗えなくなり、顔がたるんでしまう、というものだ。
考えすぎかもしれないが、これらの記事を読んで一つ考えたことがある。
それは、縦と横の関係。つまり、職場などにおける「縦社会」と「横社会」のことだ。
一昔前は、「年功序列制」などで、長く会社に勤めている者が敬われ、立場も上であった。しかし、昨今は、実力主義を取り入れる会社や企業も増え、年功序列が崩れているところもある。
さて、何が関連あるかと言うと。
「縦社会」に従属するだけでは、自らを滅ぼすことになるかも知れない、ということである。実力を発揮できる「横社会」に勤めて、自らが持つ才能を開花させ、発揮できるような環境に身を置けば、かなり良いのではないか、と思う。
筆者自身は、自分の能力が何なのか、未だに分からないままですが……。
つい数週間前まで連載していた、円谷プロダクション創立五十周年を記念した『ウルトラマンギンガ』
この新ヒーローについて、僕はかなり個人的な見解から、考えてみたい。
先に言わせてもらうと、「新しさ」と「つまらなさ」の融合したような作品だったような気がする。
では、「新しさ」から。
一番大きいのは、「変身アイテム」だと思う。
ウルトラマン、怪獣共に、「スパークドールズ」(以下SD)という人形体で登場し、それを特別な道具(劇中では御神体)「ギンガスパーク」と接触させることで、当該人形に変身(ウルトライブ)できる。
これはかなり画期的なモノではないだろうか。
ギンガスパーク(及び分身体のギンガライトスパーク)所持者は、変身するモノを自由に選べる利点がある。戦略的可能性を広げるモノとしては、かなり効果的だったと思う。
これは敵の側にも言えるが(敵も、ダークスパーク及びダミーダークスパークを所持)、この特性を有効活用したのは、石動誠一郎=ウルトラマンダーク・ウルトラセブンダークだった。
初めはマンダークの姿で現れ、ギンガ=礼堂ヒカルと交戦。途中でセブンダークへと変貌(ダークライブ)し、ギンガの動揺を誘った。彼の動揺が収まらないうちに猛攻を仕掛け、ギンガの変身を解除し、ヒカルを気絶に追い込むほどの戦闘能力を見せつけた。
二つ目の新しさは、「主要人物の年齢」である。
総じて、皆高校生なので、考え方が幼かったりする場面もあるが、視聴者にとってはかなり感情移入しやすかったのではないだろうか。(視聴者にとっても年齢は近いはず。そして、誰しも悩んだことがある悩みではないだろうか)
では、「つまらなさ」とは。
・戦う場所が固定化。
これは僕としては、かなり応えた。戦う舞台が、常に降星小学校(主人公の母校)というところで固定されてしまい、新鮮味が無くなってしまった。(一応宇宙で戦う場面もあったので必ずしもこの限りでは無い)
これの要因として僕が考えたのは、「巨人と怪獣の存在は一部の人間しか知らない」という設定と共に、「変身アイテム」が要因なのではないか、と思う。
ウルトラマンギンガのSDは常時ギンガスパークに収納されているから良いとして、それ以外のSDは、どこか収納できる場所を確保しなければならない。そうなると、常に大量の人形を抱える必要がある。当然動きは鈍るし、見た目を頂けない。変身アイテムを変えた結果が場所の固定化につながったのではないかと考えている。
・新規怪獣は登場しない
これも萎えた原因の一つ。登場怪獣を上げてみると、
ブラックキング・サンダーダランビア・ケムール人・キングパンドン・ラゴン・ドラゴリー・タイラント(及び素体の七怪獣)ダークガルベロス・ザラガス・レッドキング・アントラー・ジャシュライン・スーパーグランドキング・ジャンナイン
登場ウルトラマンは、
ウルトラマン、ウルトラセブン、ウルトラマンタロウ、ウルトラマンティガ
実質的に、新規怪獣は登場せず、新規ウルトラマンはギンガただ一人となる。おまけに、怪獣の方は、初代ウルトラマンのそれが大半を占める。
一番分かりやすいのかも知れないが、逆に知っている僕からすると、物足りない感じが否めないのである。
そして、つまらなさとは関係ないかも知れないが、敵味方共に、不明な点が多々あったことも、疑問点だった。
最後の敵ダークルギエルは、”全ての生命の時間を止める”と言っていたが、止めた後はどうするのか。世界の覇者になりたかったんだろうか。
そしてギンガも、”未来から来たウルトラマン”と最後で明かされたが、この”未来から来た”という設定が今一生かされていないような気がした。
こういう点で、少し勿体無かった気がした。
可能性を秘めたウルトラマンギンガ。劇場版スペシャルⅡの放映での展開が楽しみだ。
この新ヒーローについて、僕はかなり個人的な見解から、考えてみたい。
先に言わせてもらうと、「新しさ」と「つまらなさ」の融合したような作品だったような気がする。
では、「新しさ」から。
一番大きいのは、「変身アイテム」だと思う。
ウルトラマン、怪獣共に、「スパークドールズ」(以下SD)という人形体で登場し、それを特別な道具(劇中では御神体)「ギンガスパーク」と接触させることで、当該人形に変身(ウルトライブ)できる。
これはかなり画期的なモノではないだろうか。
ギンガスパーク(及び分身体のギンガライトスパーク)所持者は、変身するモノを自由に選べる利点がある。戦略的可能性を広げるモノとしては、かなり効果的だったと思う。
これは敵の側にも言えるが(敵も、ダークスパーク及びダミーダークスパークを所持)、この特性を有効活用したのは、石動誠一郎=ウルトラマンダーク・ウルトラセブンダークだった。
初めはマンダークの姿で現れ、ギンガ=礼堂ヒカルと交戦。途中でセブンダークへと変貌(ダークライブ)し、ギンガの動揺を誘った。彼の動揺が収まらないうちに猛攻を仕掛け、ギンガの変身を解除し、ヒカルを気絶に追い込むほどの戦闘能力を見せつけた。
二つ目の新しさは、「主要人物の年齢」である。
総じて、皆高校生なので、考え方が幼かったりする場面もあるが、視聴者にとってはかなり感情移入しやすかったのではないだろうか。(視聴者にとっても年齢は近いはず。そして、誰しも悩んだことがある悩みではないだろうか)
では、「つまらなさ」とは。
・戦う場所が固定化。
これは僕としては、かなり応えた。戦う舞台が、常に降星小学校(主人公の母校)というところで固定されてしまい、新鮮味が無くなってしまった。(一応宇宙で戦う場面もあったので必ずしもこの限りでは無い)
これの要因として僕が考えたのは、「巨人と怪獣の存在は一部の人間しか知らない」という設定と共に、「変身アイテム」が要因なのではないか、と思う。
ウルトラマンギンガのSDは常時ギンガスパークに収納されているから良いとして、それ以外のSDは、どこか収納できる場所を確保しなければならない。そうなると、常に大量の人形を抱える必要がある。当然動きは鈍るし、見た目を頂けない。変身アイテムを変えた結果が場所の固定化につながったのではないかと考えている。
・新規怪獣は登場しない
これも萎えた原因の一つ。登場怪獣を上げてみると、
ブラックキング・サンダーダランビア・ケムール人・キングパンドン・ラゴン・ドラゴリー・タイラント(及び素体の七怪獣)ダークガルベロス・ザラガス・レッドキング・アントラー・ジャシュライン・スーパーグランドキング・ジャンナイン
登場ウルトラマンは、
ウルトラマン、ウルトラセブン、ウルトラマンタロウ、ウルトラマンティガ
実質的に、新規怪獣は登場せず、新規ウルトラマンはギンガただ一人となる。おまけに、怪獣の方は、初代ウルトラマンのそれが大半を占める。
一番分かりやすいのかも知れないが、逆に知っている僕からすると、物足りない感じが否めないのである。
そして、つまらなさとは関係ないかも知れないが、敵味方共に、不明な点が多々あったことも、疑問点だった。
最後の敵ダークルギエルは、”全ての生命の時間を止める”と言っていたが、止めた後はどうするのか。世界の覇者になりたかったんだろうか。
そしてギンガも、”未来から来たウルトラマン”と最後で明かされたが、この”未来から来た”という設定が今一生かされていないような気がした。
こういう点で、少し勿体無かった気がした。
可能性を秘めたウルトラマンギンガ。劇場版スペシャルⅡの放映での展開が楽しみだ。
※この文章には、18歳未満の方には相応しくない言葉が多少含まれています。
18歳未満の方は、直ちに引き返して頂くか、周りに誰もいないことを確認してから、読み進めてください。
※筆者個人の考えが多分に含まれているため、間違いがあるかも知れません。指摘して頂けたら幸いです。
今回、僕が考えたのは、性行為についてである。
ある一文を読んで、はたと思ったことがある。
まず、その一文とは、「男性が自慰をすると、男性ホルモンが減少するが、女性がした場合には女性ホルモンが増加して、美しくなる」といった具合の文である。(多少改変しております)
これを読んでみて、僕が思い出したのは、欧米の神話、物語に登場する、”淫魔インキュバス・サキュバス”のことである。
悪魔の子孫を残すために、狙いを付けた女性(男性)の理想の男性(女性)に化けて、精を注ぎ込む(精を搾り取る)。
この二つの中に、僕個人は関係性を見出した。
男性は理想の女性に弄ばれ、精を搾り取られて腑抜けていく。
女性は理想の男性に弄ばれ、もっと構ってもらおうと綺麗になる。
生物学的に証明されているこれは、古い神話の名残なのではないか、と考えたのである。
さらに、これを現在の社会に当てはめて考えてみた。
一昔前までは、政治、軍事に携わるのは男性の仕事だった。だが、時間が経つにつれて、女性の社会進出が徐々に進む時代となった。女性が男性を凌ぐことも多々あるようになってきた。
女性の社会進出のための、神の贈り物。
セックスや自慰などは、そういうことではないか、と僕は想像する。
男性は、あまり女性に溺れ過ぎないよう……。
18歳未満の方は、直ちに引き返して頂くか、周りに誰もいないことを確認してから、読み進めてください。
※筆者個人の考えが多分に含まれているため、間違いがあるかも知れません。指摘して頂けたら幸いです。
今回、僕が考えたのは、性行為についてである。
ある一文を読んで、はたと思ったことがある。
まず、その一文とは、「男性が自慰をすると、男性ホルモンが減少するが、女性がした場合には女性ホルモンが増加して、美しくなる」といった具合の文である。(多少改変しております)
これを読んでみて、僕が思い出したのは、欧米の神話、物語に登場する、”淫魔インキュバス・サキュバス”のことである。
悪魔の子孫を残すために、狙いを付けた女性(男性)の理想の男性(女性)に化けて、精を注ぎ込む(精を搾り取る)。
この二つの中に、僕個人は関係性を見出した。
男性は理想の女性に弄ばれ、精を搾り取られて腑抜けていく。
女性は理想の男性に弄ばれ、もっと構ってもらおうと綺麗になる。
生物学的に証明されているこれは、古い神話の名残なのではないか、と考えたのである。
さらに、これを現在の社会に当てはめて考えてみた。
一昔前までは、政治、軍事に携わるのは男性の仕事だった。だが、時間が経つにつれて、女性の社会進出が徐々に進む時代となった。女性が男性を凌ぐことも多々あるようになってきた。
女性の社会進出のための、神の贈り物。
セックスや自慰などは、そういうことではないか、と僕は想像する。
男性は、あまり女性に溺れ過ぎないよう……。
世界規模で運用し続けているSNS、Twitter。
最近気になるツイートを見かけました。
Twitterがアパートである、という旨のツイートでした。
趣味の合う人たちが、一つの部屋に集まり、語らう。「おはよう」や「おやすみ」の挨拶をしてくれる。
言葉を見れば、理想的な空間です。
実際、現実世界で趣味の合う人々と会うのは、簡単なことでは無いと思います。そうそう見つかりませんし、表立って趣味を晒すのが嫌だという人もいるでしょう。
そういう点では、顔を晒さず、匿名で付き合えるネットという環境は、かなり心地よいものでしょう。(実際私もそうですし)
さて、趣味が合う人の話をしましたが、挨拶に関して……。
何故挨拶まで、ネットの中に依存してしまうのか。
(あくまで私個人の考えですが)現実で逃げたくなることがあるのではないでしょうか。
口煩い親。自分を弄る現実世界での知り合い。その人たちに関わりたくなくて、Twitterに逃げ込んでいるとしたら。
逃げたくなるような精神状態にいる人に、苛烈に言葉をぶつけるのは、どうでしょうか。
余計に逃げ込む口実を与えるだけです。
では、どうすればいいのか。
教科書のような考えですが、その人の痛みを取り除く努力をするしかないのではないか、と思います。
そして、逃げたくなる人も、現実と向き合う覚悟を持つべきだと思います。
逃げたところで、それは課題を先延ばしにするだけですから。
私個人も、逃げたくなることがありました。しかし、その当時はSNSが今ほど普及していなかったため、逃げ込む場所なんてありませんでした。
今は、愚痴を言うところがあります。幸せなことだと思います。
辛い時には、心の鬱憤を吐き出して、気を楽にして、問題と向き合うことが大切です。
余りにアパートに依存しすぎると、本当に立ち上がる術を失ってしまいます……。
最近気になるツイートを見かけました。
Twitterがアパートである、という旨のツイートでした。
趣味の合う人たちが、一つの部屋に集まり、語らう。「おはよう」や「おやすみ」の挨拶をしてくれる。
言葉を見れば、理想的な空間です。
実際、現実世界で趣味の合う人々と会うのは、簡単なことでは無いと思います。そうそう見つかりませんし、表立って趣味を晒すのが嫌だという人もいるでしょう。
そういう点では、顔を晒さず、匿名で付き合えるネットという環境は、かなり心地よいものでしょう。(実際私もそうですし)
さて、趣味が合う人の話をしましたが、挨拶に関して……。
何故挨拶まで、ネットの中に依存してしまうのか。
(あくまで私個人の考えですが)現実で逃げたくなることがあるのではないでしょうか。
口煩い親。自分を弄る現実世界での知り合い。その人たちに関わりたくなくて、Twitterに逃げ込んでいるとしたら。
逃げたくなるような精神状態にいる人に、苛烈に言葉をぶつけるのは、どうでしょうか。
余計に逃げ込む口実を与えるだけです。
では、どうすればいいのか。
教科書のような考えですが、その人の痛みを取り除く努力をするしかないのではないか、と思います。
そして、逃げたくなる人も、現実と向き合う覚悟を持つべきだと思います。
逃げたところで、それは課題を先延ばしにするだけですから。
私個人も、逃げたくなることがありました。しかし、その当時はSNSが今ほど普及していなかったため、逃げ込む場所なんてありませんでした。
今は、愚痴を言うところがあります。幸せなことだと思います。
辛い時には、心の鬱憤を吐き出して、気を楽にして、問題と向き合うことが大切です。
余りにアパートに依存しすぎると、本当に立ち上がる術を失ってしまいます……。
最近母親が口煩い感じがします。
あれをしろ、これをしろだの。
昔はもう少し、静かだったんですけどね。
そして、僕自身の考え方や感じ方も変わってきてしまって、昔は言われても何も思わなかったのに、今では不快に思う訳ですね。
ですが、何だかんだ言っても、僕の母親です。
母親の庇護が無ければ生きていけません。
そうでなくとも、僕のことを気にかけてくれるのは、あの人くらいしかいませんから。
仲良くしていきたいと思います。
あれをしろ、これをしろだの。
昔はもう少し、静かだったんですけどね。
そして、僕自身の考え方や感じ方も変わってきてしまって、昔は言われても何も思わなかったのに、今では不快に思う訳ですね。
ですが、何だかんだ言っても、僕の母親です。
母親の庇護が無ければ生きていけません。
そうでなくとも、僕のことを気にかけてくれるのは、あの人くらいしかいませんから。
仲良くしていきたいと思います。
僕の身の上話。
小学二年生の頃でした。
国語の授業で、漢字の成り立ちについて調べよう、という授業でした。
僕は「死」について調べました。
別に他意があった訳じゃありません。単なる興味本位でした。
担任に止められました。
縁起が悪いから、と。
強制的に別の漢字を調べることになりました。
この時の担任って、身勝手なんだなと思っていました。
子供心に。
何故、それくらい子供の自由にさせてくれないのか。
もしかしたら、そういうネガティブな発想だけで凝り固まらないように、気を使ってくれたのかも知れない。
でも、身勝手だった。
「死」を調べただけでは、縁起が悪いも何もないだろうに。
こういうのは、身勝手な大人の一例かと思います。
皆が皆こうである、とは思いませんけどね。
小学二年生の頃でした。
国語の授業で、漢字の成り立ちについて調べよう、という授業でした。
僕は「死」について調べました。
別に他意があった訳じゃありません。単なる興味本位でした。
担任に止められました。
縁起が悪いから、と。
強制的に別の漢字を調べることになりました。
この時の担任って、身勝手なんだなと思っていました。
子供心に。
何故、それくらい子供の自由にさせてくれないのか。
もしかしたら、そういうネガティブな発想だけで凝り固まらないように、気を使ってくれたのかも知れない。
でも、身勝手だった。
「死」を調べただけでは、縁起が悪いも何もないだろうに。
こういうのは、身勝手な大人の一例かと思います。
皆が皆こうである、とは思いませんけどね。