動物と言う単語を聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか>
犬でしょうか、猫でしょうか。それともハムスターでしょうか。
僕も、ついこの間まで、動物と聞いたらそれらしか思い浮かびませんでした。
しかし、忘れていました。
人間もまた、動物であることを。
この話に触れる機会があったのは、つい数日前の話。とある知り合いが、「動物を物扱いできない」という言葉が発端でした。
それに対し、僕ともう一人の知り合いはこう言いました。「人間含め、所詮動植物は物である」「人間から見れば、犬猫などは愛玩動物で、所有者と物扱いだ」と。
もう一人の知り合いは、更に言い募った。「フォアグラの件で話題だった、”動物は人間のご飯じゃない”は、人間が動物を”所有”している考えだ。しかし元来、人間は動物にカテゴライズされているのでは」。
そう、人間も動物の中の一種類でしかないのである。それが、あたかも他の動物とは別種のカテゴリーにいるかのように振る舞っている。武器を持ち、動物を狩り、植物を引き抜く。
そこで僕は、一つ聞いたことがあることを思い出した。「例えばアフリカでは、食料難などで弱った子供が禿鷹に狙われ、襲われることもある」
この禿鷹にとっては、人間は「大きな餌」に過ぎないのだ。鷲が蛇を捕食するように、禿鷹が人間を襲う。
ここから言えることは、「人間も動物の一種でしかなく、そのカテゴリーから逸脱している訳では無い」と言うことである。そして、もう一人の知り合いが言うように、「人間と動物を分ける考え方は、動物によって生活を脅かされることの無い発展国の考えでしかない。ある程度動物を管理できる能力を持っている故に」。
確かに、人間は動物を支配出来うる能力を身に着けてきました。しかし、それでも動物でしかない我々人間が、他の動物を支配するなどおこがましくはないでしょうか。動植物を完全に支配できるなど、エゴ、傲慢も良いところ。
現に、そういう能力を持たない人間が動物に殺され、植物から害を被っている。同じカテゴリーの中にしかいないのです。
さて皆さん、片利共生、相利共生と言う言葉をご存知でしょうか。例えば、マンタなどに張り付いて動かずとも餌を取れるコバンザメは、マンタと片利共生の関係です。逆に、カクレクマノミは、イソギンチャクを隠れ蓑にする代わり、餌を運んだり掃除をしたりするとされます。
我々人間も、ただの動物として、他の動物と生存圏を共にしている訳です。一方的に、動物の毛皮を剥ぎ取ったり、植物を引っこ抜いて食い荒らすだけでなく。数限りある動物から一方的に貰うものを少なくして、汚染などを極力減らすようにして、同じ生存圏を確保して暮らしていく。同じ動物として人間が出来ることを模索して、実行していくのがせめてもの恩返しじゃないでしょうか。