抑鬱亭日乗 -4ページ目

抑鬱亭日乗

複数の精神疾患を抱える者の独言を忌憚なく収録する
傾いた視線からこの世はどのように見えるのか

 電話は突然かかってくる。

 何の前触れもなしに。

 

 固定電話が+から始まる電話番号を表示している。

 出ようかどうか迷ったが、好奇心が刺激され、出てしまった。

 無機質な自動音声が流れる。

 このままでは2時間後に電話が使えないようになる旨を伝えてきた。

 やれるものならやってみよ。

 

 自動音声が最後にオペレーターと会話するなら、「1」を押せという。

 放置するとどうなるのか知りたくなってしまったので、数秒間、放置した。

 すると、「1」を押していないにもかかわらず、オペレーターが登場した。

 「1」を押しても押さなくてもオペレーターにつながるらしい。

 

 オペレーターは「総務省通信~」と名乗る。オペレーター氏との会話を記しておく。

 

 小生 「どちらさんですか?」

 オペ 「わたくし、総務省通信~と申します」

 小生 「要件は何ですか?」

 オペ 「先程、自動ガイダンスで案内しましたが・・・」

 小生 「総務省っちうことは、国家一種の試験合格したん?あ、今は国家総合職か、まあええわ。どこの大学出てんの?

     めっちゃ、賢いんとちゃうん?東大?京大?早稲田?慶応?同志社?案外、立命か?え、どこ出てんの?どこや?」

 オペ 「あのぅ、間違えました」

 小生 「ん?何を間違えたん?ちうか、総務省の人間が電話してくるわけないやろ」

 

 本当はもっとオペ氏と会話をしたかったが、一方的に電話を切られてしまった。

 報道によれば、所属を総務省と名乗り、個人情報を聞き出そうとしているらしい。

 オペ氏は筋書きにないことを矢継ぎ早に言われたら、それに対応できないらしい。アドリブに極端に弱いのだ。

 

 総務省を名乗る御仁から電話があったら、こちらから一方的に質問攻めをすることを推奨する。相手に考えさせる時間を与えずに話し続けるだけで先方が勝手に電話を切る。ケンカを売っておいて何だその対応は。

 

 詐欺電話は犯罪である。 

 

 先月下旬、インフルエンザA型に罹患した。

 職場で感染したものと思われる。

 インフルエンザにかかるのは1997年以来である。

 当時は長野オリンピックが開催された時期であった。

 

 前日から体調が思わしくなく、起床すると37度代の微熱が続いていた。

 風邪を疑い病院へくこととした。

 1月はインフルエンザが流行し、患者が多いのか、電話で初診を告げると冷たく断られた。

 2度とあの病院には行かない。

 別の病院はウェルカムだったので、世話になることにした。

 

 受付で体温を計測すると、38度を超えていた。この時に、流行性感冒を疑った。

 隔離室へ誘導され、30分ほど読書をして診察を待つ。

 完全防備をしたベテラン看護婦さんが登場する。

 青のアイシャドウが印象的だった。

 小生の右の鼻の穴に棒を突き刺し、強い力でグリグリツンツンし始める。

 10秒と言っていたのに、15秒も突き刺した。小生の目は涙目になっていただろう。

 

 20分後、医者に呼ばれ、先程の検査結果を知らされる。

 インフルエンザA型に丸印がつけられていた。B型とコロナには何も記されていない。

 タミフルを投与すると、熱は治まるという。

 しかし、タミフルを呑んで2~3日間、高熱と経験したことのない頭痛に悩まされた。

 「あのヤブ医者が、タミフルがきかへんやんけ」と布団の中で診察してくれた医者を呪った。

 

 だが、タミフルを呑んで4日目にようやく効果が現れ、高熱は頭痛はどこかへ飛んで行った。

 診察してくれた医師に「ヤブ医者」と謗り続けたことに己の器の小ささを再認識する。

 手洗い、うがいを励行し、職場でマスクを着用し続けてもインフルエンザに罹ることを思い知らされた。

 あの時からもう30年が経ったのか。

 今でもあの時の記憶が鮮明に残っている。そして、いつでも引き出せる。

 日常の重要なことはすぐに忘れてしまうのに。

 

 1995年1月17日、午前5時46分。

 熟睡しているはずの小生は午前5時45分に突然、目を覚ました。

 あの地震が起きる30~40秒前だった。

 瞼を開き、ボンヤリとしていると地鳴りのような音がこちらへ向かってきた。

 

 「ん?」と声にならぬ声を出した瞬間、大地震が起きた。

 今までに経験したことのない大きな地震である。

 地震はよく「縦揺れ」又は「横揺れ」と表現される。

 あの時の地震はどちらの揺れ方でもなかった。

 語彙に乏しいため、稚拙な表現しかできないが、グルングルンと家が円を描くように横に回転する感覚の地震だった。

 

 タンスが倒れそうになったため、両親がそれを押さえていた。

 食器棚から食器は落ちなかったが、食器棚の扉は全て開いていた。

 「ガスや、ガス」という父と母はガス漏れが起きてないか確認を始めた。

 それから眠ることなく、朝を迎えた。

 あの日、生まれて初めて死を意識した。

 電視台を視ると想像したことのない映像が放送されていた。

 

 ヒトは自然の前では無力であることを思い知らされた。

 

 2025年がやってきた。

 時間という概念を暦という人間の道具で数値化したので、2024年の次の1年が始まったにすぎない。

 本当は2025年や令和7年など存在しない。

 地球が太陽を公転し続けるだけである。

 

 以前から2025年の7月に何かあるといわれている。

 大地震、大津波、隕石の飛来、疫病等、災難が訪れる可能性が指摘されている。

 このような内容の情報を得ると、「1999年7の月」を思い出す。

 「ノストラダムスの大予言」と呼ばれた騒ぎである。

 あの日、いつも通り学校で授業を受け、早朝テストに落ちたため、追試を受けていた。

 

 2025年7月の災難はかつてのノストラダムスの大予言と大差はないだろう。

 2024年の地球規模での異常気象を指摘した御仁はいたのだろうか。

 水田に二番穂が立派に実るほど昨年は長期にわたり暑かった。

 同年の北陸方面での大きな地震を予知した御仁はいたのだろうか。

 少なくとも小生はこのような事態を事前に指摘する情報は掴んでいない。

 

 いずれ南海地震や東南海地震は発生するだろう。

 再び新型コロナウィルスや新型インフルエンザが蔓延するかもしれない。

 それらが2025年7月に生ずる根拠はどこにもない。

 小生個人は2025年8月に勝負があるため、それに向けて着々と準備を続けている。

 

 2025年7月の災難に関する情報に触れるたびに反吐が出る。

 2024年が終わろうとしている。

 

 一年の経過を早く感じるようになってきた。

 12月から5月までが繁忙期であるため、すぐに半年が経過する。

 忙殺されるとはこのことであろう。

 何が何でも期日までに仕上げねばならぬ。

 このようにして時間が経過する。

 

 2024年も勝負に失敗した。

 せねばならぬことをした上での敗戦なので仕方がない。

 2025年は必ず勝ってみせる。

 

 このブログを覗いて下さる皆様。

 このような駄文にお付き合いしていただきありがとうございました。

 2025年は更新回数をもう少し増やしたいと考えています。

 

 どうかよいお年をお迎えください。

 

 2025年も引き続きよろしくお願いいたします。