抑鬱亭日乗 -5ページ目

抑鬱亭日乗

複数の精神疾患を抱える者の独言を忌憚なく収録する
傾いた視線からこの世はどのように見えるのか

 あの時からもう30年が経ったのか。

 今でもあの時の記憶が鮮明に残っている。そして、いつでも引き出せる。

 日常の重要なことはすぐに忘れてしまうのに。

 

 1995年1月17日、午前5時46分。

 熟睡しているはずの小生は午前5時45分に突然、目を覚ました。

 あの地震が起きる30~40秒前だった。

 瞼を開き、ボンヤリとしていると地鳴りのような音がこちらへ向かってきた。

 

 「ん?」と声にならぬ声を出した瞬間、大地震が起きた。

 今までに経験したことのない大きな地震である。

 地震はよく「縦揺れ」又は「横揺れ」と表現される。

 あの時の地震はどちらの揺れ方でもなかった。

 語彙に乏しいため、稚拙な表現しかできないが、グルングルンと家が円を描くように横に回転する感覚の地震だった。

 

 タンスが倒れそうになったため、両親がそれを押さえていた。

 食器棚から食器は落ちなかったが、食器棚の扉は全て開いていた。

 「ガスや、ガス」という父と母はガス漏れが起きてないか確認を始めた。

 それから眠ることなく、朝を迎えた。

 あの日、生まれて初めて死を意識した。

 電視台を視ると想像したことのない映像が放送されていた。

 

 ヒトは自然の前では無力であることを思い知らされた。

 

 2025年がやってきた。

 時間という概念を暦という人間の道具で数値化したので、2024年の次の1年が始まったにすぎない。

 本当は2025年や令和7年など存在しない。

 地球が太陽を公転し続けるだけである。

 

 以前から2025年の7月に何かあるといわれている。

 大地震、大津波、隕石の飛来、疫病等、災難が訪れる可能性が指摘されている。

 このような内容の情報を得ると、「1999年7の月」を思い出す。

 「ノストラダムスの大予言」と呼ばれた騒ぎである。

 あの日、いつも通り学校で授業を受け、早朝テストに落ちたため、追試を受けていた。

 

 2025年7月の災難はかつてのノストラダムスの大予言と大差はないだろう。

 2024年の地球規模での異常気象を指摘した御仁はいたのだろうか。

 水田に二番穂が立派に実るほど昨年は長期にわたり暑かった。

 同年の北陸方面での大きな地震を予知した御仁はいたのだろうか。

 少なくとも小生はこのような事態を事前に指摘する情報は掴んでいない。

 

 いずれ南海地震や東南海地震は発生するだろう。

 再び新型コロナウィルスや新型インフルエンザが蔓延するかもしれない。

 それらが2025年7月に生ずる根拠はどこにもない。

 小生個人は2025年8月に勝負があるため、それに向けて着々と準備を続けている。

 

 2025年7月の災難に関する情報に触れるたびに反吐が出る。

 2024年が終わろうとしている。

 

 一年の経過を早く感じるようになってきた。

 12月から5月までが繁忙期であるため、すぐに半年が経過する。

 忙殺されるとはこのことであろう。

 何が何でも期日までに仕上げねばならぬ。

 このようにして時間が経過する。

 

 2024年も勝負に失敗した。

 せねばならぬことをした上での敗戦なので仕方がない。

 2025年は必ず勝ってみせる。

 

 このブログを覗いて下さる皆様。

 このような駄文にお付き合いしていただきありがとうございました。

 2025年は更新回数をもう少し増やしたいと考えています。

 

 どうかよいお年をお迎えください。

 

 2025年も引き続きよろしくお願いいたします。

 郵便料金の値上げにより、カネと唾液を多く要するようになった。

 郵送料が上がったのでカネがかかることは容易に推測できるであろう。

 問題は「唾液」である。

 

 職務上の事情により、書類を郵送することが頻繁にある。

 重さは100g~150gほどである。

 定形外郵便で130gの書類を送ると、270円の切手を貼らねばなぬ。

 100円切手を2枚、50円切手を1枚、10円切手を2枚要す。

 

 小生は切手をレロレロ舐めてから封筒に貼り付ける。

 130gの書類を郵送するには、5枚の切手をレロレロする。

 100円切手がなく、50円切手を使用する場合には、7枚の切手をレロレロせねばならない。

 配送中に切手がはがれてはならないため、入念にレロレロする。

 入念にレロレロすると、切手は左右の部分が少し反る。

 レロレロした切手を封筒に貼り付ける際に、きれいに貼れるようにに注意を払わねばならない。

 

 郵政民営化は誰のための政策なのか。

 小泉純一郎の手淫と評価せざるを得ない。

 

 嗚呼、また切手をレロレロせねばならぬ。

 

 

 先日の衆議院選挙で自民党は大敗を喫した。

 自民の幇間も議席数を減らす結果となった。代表者が落選する体たらくである。

 一方、野党は大きく躍進し、議席数の過半数を占めることとなった。

 

 そこで、自民党は国民民主党の力を借りようと苦心している。

 国民民主と結託すると、議会運営が円滑になると考えたからであろう。

 自民党からオファーを受けた国民民主党は自らの政策を実現させるためか、前向きに捉えているように思われる。

 

 国民民主党のウェブサイトを覗くと「手取りを増やす」というキャッチフレーズが目に入る。

 ニュースなどを視聴していると、減税を実施することで、個人の手取りを増やそうとしているようだ。

 基礎控除の見直し、年少扶養の復活により、個人の手取りを増やす計画である。

 この「手取りを増やす」という政策に小生は疑問を抱いている。

 

 減税により、個人の手取りを増やすことばかり考えているようだが、この政策には大きな問題点がある。

 国家の税収が減少し、税収の財源調達機能が低下する恐れがある。

 財源調達機能とは、国家が租税により資金を調達し、その資金により、国民に有形・無形をもたらすことを指す。

 社会保障や公共工事といった大きなプロジェクトは徴収された税により実行される。

 しかし、減税は国家収入を減らすこととなるため、これらの大きなプロジェクトの実行に支障をきたす。

 

 個人の手取りを増やすことばかり考えていると、社会全体という観点でみると大きな落とし穴がみえる。

 個人のカネは増えたが、国家全体の収入が減少し、本来国家がなすべき政策の推進に支障をきたしかねない。

 手取りのカネで、社会保障や公共事業等を行うことは困難である。

 減税により手取りは増えるものの、減税はいいことづくめではない。

 減税を全面的に主張する政党が政権を握ると、別の大きな問題が姿を現す。

 為政者には財政学を学んでほしい。

 自らが主張する政策の問題点に気付くために。