抑鬱亭日乗 -27ページ目

抑鬱亭日乗

複数の精神疾患を抱える者の独言を忌憚なく収録する
傾いた視線からこの世はどのように見えるのか

 美術館や博物館を愛してやまない。

 新型コロナウィルスが出現する前は月に2~3回の頻度で訪れていた。

 朝は神戸、昼は大阪、夕方は京都のはしご美術館を何度も繰り返していた。

 美しい絵画や出土した古いものをいくら眺めていても飽きない。

 それらが発する何かを受信しに行くようなものである。

 

 しかし、2020年2月頃から新型コロナウィルスが蔓延し始めた。

 美術館や博物館の特別展の大半が中止され、建物は閉鎖された。

 今年1月に京都の高島屋で開催された「伊藤若冲展」と兵庫県立美術館での「ゴッホ展」の二つは観た。

 それ以後、一度も美術館・博物館へ訪れていない。

 

 夏頃から美術館、博物館が新型コロナウィルス対策を徹底して開館した。

 混雑を避けるため、チケットは時間指定のものしか買えない。

 例えば11月4日の14時入場というチケットを買わねば観ることはできない。

 諸般の事情から美術館へ行く都合がつくのはその数日前である。

 「この日のこの時間」を指定することが難しい。

 

 現在、大阪の国立国際美術館で開催されている「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」も時間指定のチケットでしか入れない。

 昨年からこれを楽しみにしていたのだが、チケットが買えそうなのは繁忙期に入ってからである。

 「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」も諦めざるを得ない。

 なんとか時間を確保できても、コロナウィルスの動向次第で、期間中の閉鎖の可能性もある。

 楽しみを奪われた苦痛は筆舌に尽くしがたい。

 

 仕方がないので、数分前にネットで図録を購入した。

 本物が発するエネルギーを図録では傍受できない。

 図録は写真でしかない。

 美術館・博物館を堪能できる日が到来することを祈るばかりである。

 ようやく秋の大騒ぎが終わった。

 ハロウィンというらしい。

 その起源は諸説あるらしいが、古代ケルト人の収穫祭兼魔除けのようだ。

 現代の日本では、若者が変装し、乱痴気騒ぎをする日である。

 

 米国では子供が仮装し、近所の家に「おやつをくれなきゃ、イタズラするぞ」と言い、菓子を巻き上げる。

 小生はそのような子供には菓子をやりたくない。

 「君らにやる菓子はない。さっさと帰れ」といって追い返す。

 小生が仮装し、各家庭のインターホンに「○○しなきゃ、イタズラするぞ」というとすぐに警官諸君が来るだろう。

 

 秋の乱痴気騒ぎがおわると、商店街の雰囲気が変わる。

 12月の乱痴気騒ぎへの準備である。

 すでにクリスマス系の飾り物が店頭に並んでいる。

 クリスチャンにとっては大切な日である。

 大半の日本人にはクリスマスは乱痴気騒ぎや性交やビジネスチャンスでしなかい。

 嗚呼、神よ。許し給え。

 

 半月前からおせち料理の受付が始まった。

 ホテルや料亭が監修した商品は少量でも壱万円はする。

 おせちは作るものだと思うが、近年は買うものになった。

 

 2020年の終わりが見えてきた。

 新しいモノが好きという御仁が運営する会社の財務諸表を作らされた。

 残念だが赤字決算である。新型コロナウィルスの影響を受けている。

 多くの自然人、法人に悪影響を与える罪深いウィルスである。

 

 小生は所有していないが、その会社でビットコインという「仮想通貨」を保有している。

 この仮想通貨の取り扱いがよくわからない。

 現金のような「決済手段」なのか、短期で売り買いを繰り返す「短期な投資」なのか。

 上記二つの性質とは異なる「長期的な投資」なのか。どれだろう。

 期末に時価評価をするのだろうか。売買損益の取り扱いはどうするのか。

 代表者は「仮想通貨を購入したい」という意思のみで購入した。

 

 さあ、仮想通貨をどのように位置づけるのか。

 仮想通貨を決済手段と捉えるべきか、投資資産とすべきか。

 現在、仮想通貨の会計基準は完成していない。

 実務上の取り扱いが公表されているので読んでみたが、完成度は低い。

 

 個人的に気になるので、研究論文を読むことにした。

 大学の図書館にそれらが存在することを突き止めた。

 本日は土曜なので、混雑していないだろう。

 「よし、決行だ」と勇み足で大学の図書館へ向かったが、学生以外は立入禁止であった。

 

 新型コロナウィルスは小生をも困らせる罪深いウィルスである。

 朝晩の気温が低くなってきた。

 季節は秋から冬に変わりつつある。

 毎日のように霧が発生している。

 

 マスクをしたまま夜に自転車に乗ると、眼鏡がくもる。

 眼球の下あたりから吐息が漏れているようだ。

 気温と吐息の温度差で眼鏡がくもる。

 前方が見えにくいので、危険である。

 眼鏡のくもりとは関係ないが、初めて会った御仁の名前と顔が一致しない。社会人失格である。

  

 嗚呼、マスクがいらない日々を過ごしたい。

 ハンコを不要にしようとする考えが世に広まりつつある。

 実際、多くの場面で印鑑を押さねばならない。

 行政機関に提出する書類や組織内の内部文書で印鑑は不可欠である。

 印鑑をもらうのに手間がかかり、時間を浪費することもある。

 このような事態を打開すべく、ハンコをサインに変える動きが始まっている。

 

 印鑑が不要になると、生活に困る御仁がいる。

 印鑑専門店や職人である。

 小生が居住する田舎でも印鑑専門店がある。

 店内は高価な印鑑から100円のものまで幅広く取り扱っている。

 ハンコが不要になれば、この店も不要になる。

 

 時々、新聞の広告欄等で印鑑の広告を見かける。

 水牛の角や羊の角で認印、銀行印、実印を作りませんか?というものである。

 所管の事情から小生はこの広告で印鑑を頼んだことがある。

 送られてきた商品にはハンコを彫った職人の名前とメッセージのようなものが同封されていた。

 小生の本名は画数が多く、彫りにくい。

 小生の実印を彫った御仁は報酬より手間がかかったに違いない。

 水牛の角を斬る御仁の仕事もなくなってしまう。

 

 ハンコをなくすと、多くの関係者の生活が脅かされる。

 行政改革大臣の鼻息は荒く、印鑑文化を絶やすことに躍起になっている。

 今後、印鑑関係者の生活はどうなるのだろう。

 これらの人々の生活をどうするのか考えたうえで、行政改革をしてもらいたい。