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ゆうゆうねこの感想ブログ

「会計ねこ子の感想ブログ」から
ゆうゆうねこの感想ブログとなりました。
内容は、本などの感想です~~

 

ツイッターのあの青い鳥が好きでした。

何だか、自由、の象徴のように思えて。

 

でもそんなことは、恐らく最初からなかったのかもしれない。

 

ツイッターが「X」になってみて、

改めてそう思いました。

 

都合の悪い情報は統制される。

江戸時代みたいになってしまうのかもしれません。

 

けれど、織豊時代も江戸時代もいつか崩壊。

 

次の新しいものに変わる。

 

(またこれは、イニシャルで書こうと思います)

 

E女王は「リリベット」、その父は「バーティー」

と親しい家族から愛称で呼ばれていたけれど、

 

C王にも、W、H王子にも親しい呼び名はなかったみたい。

(知らないだけかもしれないけど)

 

E女王は、すべての女性リーダーに道を開いてくれた。

けれど、その代わりにか、家庭の方針は夫に逆らわなかったという。

 

あの、エピソード。

「あなたの妻よ」という。

永井路子さんでさえ、その話は微笑ましい、好きだといっていた。

 

……。

 

C王の父は、Cを厳しい寄宿舎の学校に入れた。

C王は毎日殴られ、水をかけられるような「いじめ」※に遭っていて、

「帰りたい」と手紙を書いても無視されていた、と伝記には書かれている。

 

今でも、C王は子どもの頃のテディイベアを大切にしているというが、

それは、変人だからではないのだ。

 

さみしさ。

 

それは、乳母さんや、家庭教師やらがいるのだから、

それでもましなのかもしれないけど。

 

そういう子供の頃のさみしさは、

大人になったからと言って消えるわけではない、ということ。

 

 

※「いじめ」という言葉の響きは、いまでも誤解を受けますが、「暴行」なのです。

  犯罪であることをいろいろな人に知ってほしい、と思います。

 

愛する6人衆。

 

 

先日、先生から、お写真をいただきました。

 

6人衆に出会ったあの日。

思い起こせば、至らないことばかり。

 

いつまでも、お元気で。

そっとそっと、幸せをお祈りしております。

(ちょっと誤解もありましたので、書き直しました)

 

C夫人。

 

C皇太子(当時)と再婚するときは

「皇太子妃にはならないし、将来も王妃ではなく、

国王夫人(Princess Consort)で」

 

ということでしたが、

 

その後の活動を認められ、

とうとう将来「王妃(QueenConsort)」という称号を名乗ることを

E女王から認められました。

 

「C… will be known as Queen Consort 」

 

とプラチナジュビリーの時に、

E女王は認められました。

 

かつて、C夫人を「邪悪な女性」と呼んだこともあるというE女王ですが、

この配慮は、心からの思いやりだったことでしょう。

(また、生涯を公爵として過ごしたご自分の配偶者のことを思われたのかもしれませんね)

しかし、その後、まもなくE女王は崩御。

 

そして

 

皇太子から国王となったCの戴冠式、

C夫人は「Queen C」として戴冠式の招待状を送っているのです。

あれ?

と思いますが、(やっぱりな)と思った人々も多かったことでしょう。

Kingの配偶者はやはりQueenなのです。

 

招待状には、左右に二つの紋章が。

おそらく左がC新国王で右がC新王妃の紋章なのでしょう。

 

そして

 

新王妃の紋章には、下あごから長い牙をはやしている、

醜い獣の姿が2つ…。

 

かつて、C夫人はD皇太子妃から「噛みつき犬」(ロッドワイラー)と呼ばれていたといわれていますが、

まさか、それですか?

 

そんな悪口さえも勲章としている。

完全なる勝利の姿。

 

C夫人からは、みじんも迷いは感じられません。

 

(生まれながらのクイーンだったE女王。その配偶者がキングではなかったというのも、
 時代とはいえ、おかしな事だったと思います)
 

 

 

 ちょっと用事があって(笑)、慶應大学三田校舎に行きました。

 

 慶応大学のシンボルだという、旧図書館はどなたでも見学出来るところです。

 いつも、創立者福沢諭吉先生をテーマとした展示をしています。

 

 そこで、「巧言令色是亦礼」という言葉を見つけました。

 

 有名な孔子の言葉は「巧言令色鮮し仁」なんですが、

 「口が上手くて愛想のいい人に真の愛は無い」

 という意味なんでしょうか。

 私は、ずっとこれが響いていました。

 

 しかし、「巧言令色」も大事だな、と感じることがあって。

 私のライバル、「いぬ子」っていう人がいて、 

 「巧言令色」そのものなんです。

 

 ※「いぬ子」は、複数の人物を混ぜた存在です。
   特定の人ではありません。

 

 しかし、その「巧言令色」。自分も持たなきゃいけないな、

 とつくづく感じました。

 

 そういう風に思っていたからか、

 福沢先生のこの言葉が自分の胸に飛び込んできました。

 

 心にみじんも愛がなくても、

 作れる笑顔。

 

 しかし、それもまた「礼儀」だというのです。

  けれど、笑顔を作る心のどこかをさがせば、

 かけらかも知れないけど、愛があると信じたい。

ある調査研究発表会に参加した。

 

その時、聴衆の質問に対して、尊敬するある研究家が「北条は滅びる運命にあった」と答えた。

 

ある「現象」があれば、その現象が起こる「要因」は必ずあるのではないか。

歴史というのは「現象」の連続である。

「滅亡」というマイナスな現象があったのなら、その要因を考察し検証することが、

歴史研究に対する社会の要請ではないだろうか。

 

そうした社会の要請を考えない研究は、小中学生がやっている「調べ学習」と大して変わらない。

「トリビア」的な「新発見」がもてはやされているように思えるが、

そんなことは、正直どうでもいいのでは。

 

それまで、関東を制圧しようとしていた大北条が「滅びた」ことは事実。

 

(いや、狭山藩として続いた、という考え方もあるが、 わずか1万石という規模)

(それを言っていいなら、劣勢だった太田道灌の後裔は幕閣となり、完全に北条を逆転している)

 

「北条は滅びる運命にあった」

 

社会の要請に応える研究のためにも、「史料の保存」は大切だ。

これをやってくださったことに敬意を表する。

しかし、私たちはとても貧しい。

帰り際、石灰で真っ白になっているあの山を見た。

朝、南こうせつ氏と石川さゆり氏の「二人のビッグショー」

 

なんとなく朝見ていた。

 

そして、「神田川」。

 

銭湯からからいつも「あなた」よりはやく出ていた「私」。

「私」は、「あなた」が冷たくならないように、

本当はいつも、少し早めに、と出ていたのだろうか。

 

そして、「祭りのあと」と、

 

そして、デビューの時の

エンジェルハットのさゆり。

 

 

さゆりが勝ったね。

太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」

 

すごくいい歌だと思っていた。

 

「恋人よ」で始まるけれど、「僕は旅立つ」

彼は、「東」おそらく東京へ行ってしまったのだ。

華やいだ街で、「君への贈り物を探すつもり」と。

愛する彼女への贈り物もぱっと見つからないほどに、

東京は華やかだったのだろうか。

 

彼女は気づいたのか。

「いいえ、欲しいものなどない」

と答えた。う~ん。

 

ネットなどない時代。

 

彼は手紙を書いて来た。

手紙には、スーツを着た自分の写真を入れて。

「恋人よ」と。「スーツ着た僕の写真を見てくれ」と。

けれども彼女は、またもや「いいえ」と。

そして「木枯らしのビル街、体に気をつけてね」と。

若いころの私は「都会とはなんと味気なく厳しいところなのだろう、

そんなところにいずに、彼女と田舎で暮らせばいいのに」

と無邪気に考えていた。

そうじゃあないのだ。

都会は本当に楽しい。

たかが池袋(に勤めています)であっても、本当に楽しいのだ。

 

今日は昼、どこかの新入社員が「先輩俺アイス買っちゃった」と、

騒いでいた。

(そういう楽しさじゃないかもしれないが)

 

彼は、「すごいね」と、言ってもほしかっただろう。

 

彼女の田舎に何があるのか。親とか学校の友達とか。

だけどそんなのより、「彼」の方が大事じゃないのか。

 

「やっぱ東京来ちゃった」

でよかったのではないか。

彼のお部屋に飛び込んでよかったのではないか。

つもり」が気にはなるけれども…。

やらなければならない、なんてことは無いのかも。

 

そうではなくて、やりたいのです。

 

失敗もあり、

人望もないなか、

あるのは、

「アイディア」。

 

輝くような、

「アイディア」。

 

みんなに惜しみなく、

与えてきたつもりです。

 

けれども無くなったりしない。

 

それは、無限に出てくるから。

 

生きていく中で。