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ゆうゆうねこの感想ブログ

「会計ねこ子の感想ブログ」から
ゆうゆうねこの感想ブログとなりました。
内容は、本などの感想です~~

虎に翼を見るのが楽しみだった。

 

しかし、再婚して再婚相手と入籍せず、事実婚、

というところで引っかかってしまい、

 

その結婚式で法服を着た大学時代のみんなが集まったのに、

裁判で「認めます」なんて、こっぱずかしいのと、

轟が呼ばれてるのに、小橋たちが呼ばれていないことに引っかかってしまい、

(↑そういうのよくないね)

 

忙しかったのもあって、

 

離脱していました。

 

ここが限界かな。

 

なんかチョコの絵のところとか、やはり時々変な感じがする。と。

 

しかしまた復帰しました。

 

のどかの彼氏が、すごかったからです。

虎に翼 

 

「疑いがある

 推測できる

 そう察せられる

 一連の裁判をみていたが、

 あなたがた検察の○言はどれもどこかぼんやりしている」

 

「自白以外の証拠検証があまりにもお粗末じゃないか」

 

という穂高先生の言葉。

 

昨日はお手伝いに赴きました。

 

そして早朝、きりり、と起きて松井田城ふもとにある補陀寺というお寺に向かったのです。

 

開山は、無極彗徹。そしてそこに月江正文が合流したと伝えられています。

 

ここには、川越城主でもあった大道寺政繁のお墓があります。

 

大道寺正繁の妻は、遠山景綱の娘と言われています。

そう、太田康資の妻法性院と姉妹なのですね。

 

ということは、英勝院のおばにあたるということ。

 

鐘が鳴り、

妙な懐かしさを感じ、

 

その後車で松井田城にも行ってから、

前橋のお手伝い現場に行きました。

 

 

だけど、その後ちょっととうつ状態に…。

 

 

SNSっていうのはよくないですね。

2014年の映画。

 

テレ東で観て。


 

主人公は何がしたかったのか。

 

 

仕事をしたって、夫の稼ぎにかなわないし、

 

正社員の今井さんや隅さんでさえ、

どんなにがんばって働いても、課長や部長になれるわけでもなく、

勤続年数が長くなると、給料が高くなるからと、辞めさせようとして、

本社の総務に行かされ、ボールペンなどの備品の管理をさせられるのだという。

それを嫌がって、今井さんは退職したのだという。

 

10年前は、それが当たり前の世の中。

(そうやっておいて、「女性管理職をふやす」と今頃言っても無理だ。)

 

女は、王様と結婚すれば女王だ。

能力があっても仕方がないのだ。

王様に気に入られることが大事なのだ。

 

私の夫はどこに勤めていて~

そんなふうに、話すしかない。

 

主人公の夫だって、浮気するわけでもなく、

夫なりに主人公を愛しているように思う。

主人公だって、夫とのペア時計を買ったじゃない。

 

当たり前すぎて、幸せに気づかなくなっているのか。

けれど、それは本当に幸せなのか。

結局ワルだった大学生(中退しちゃうけど)との情事が本当の幸せなのか。

そんな筈はない。

自分でもわかっているはず。

 

夫と分かれて、大学生と生きていく。

夫との人生を選んで、大学生とは別れる。

どっちにしろ、自分の位置は男性との関係性の中にしかない。

 

覚悟が足りないんだよ。

自分が無さすぎる。

 

イギリスのC王妃を見なよ。

王様と結婚することは、悪いことではない。

王様と結婚したことを誇ればいいでしょ。

 

どっちにしろ、女に生まれたというだけで、そんな境遇からは逃れられない。

隅さんが入社したころは、給料だって安かったんだから。

 

だから、罪の意識も感じずに、逃げた。

主人公は、だから、隅さんに

「一緒に行かない?」と言った。

 

自力で生きてきた隅さんには、何のことだか分からないよね。

 

しかし、

原作は読んでいないのだが、

この映画の展開だと、

「ちょっとズレた金銭感覚の人間が、大人になってもズレた感覚のまま、
 結局犯罪を犯してしまった」

ということになってしまわないだろうか。

 

(これまた少し、事情が分かりましたので、書き直しました)

 

C王妃。

 

D様から「噛みつき犬」(ロッドワイラー)と呼ばれていたといいます。

 

新しく女王となった紋章には、牙のある獣が描かれていて、

まさか、「噛みつき犬」なんじゃないか、

とちょっと私は思ってしまったのですが、

やはりそれは犬ではなく、「猪」ということです。

 

そのうちに、ニュースが流れてきて、

戴冠式にまとったC王妃のドレス、

裾にCRのサイファー。(C王妃という意味)

 

その横に、二頭の犬が刺繍されていたのです。

2012年に保護犬を2頭引き取り、

その犬を刺繍したということ。

 

それから、自分の子供や孫の名前、

英連邦の国々の名前が刺繍してあったということです。

 

 

 

 

………

 

D様、好きでも嫌いでもなかったけれど、

 

W皇太子誕生の記念写真。

距離を取ったE女王と皇太后と、

スペンサー家(書いちゃった)

の人しかあなたを見ていない。

 

あからさまにそっぽを向く人たち。

夫はカメラ目線。

 

どんなさみしい中にいたのか。

 

安らかなれ、と願う。

 

 

 

 

ツイッターのあの青い鳥が好きでした。

何だか、自由、の象徴のように思えて。

 

でもそんなことは、恐らく最初からなかったのかもしれない。

 

ツイッターが「X」になってみて、

改めてそう思いました。

 

都合の悪い情報は統制される。

江戸時代みたいになってしまうのかもしれません。

 

けれど、織豊時代も江戸時代もいつか崩壊。

 

次の新しいものに変わる。

 

(またこれは、イニシャルで書こうと思います)

 

E女王は「リリベット」、その父は「バーティー」

と親しい家族から愛称で呼ばれていたけれど、

 

C王にも、W、H王子にも親しい呼び名はなかったみたい。

(知らないだけかもしれないけど)

 

E女王は、すべての女性リーダーに道を開いてくれた。

けれど、その代わりにか、家庭の方針は夫に逆らわなかったという。

 

あの、エピソード。

「あなたの妻よ」という。

永井路子さんでさえ、その話は微笑ましい、好きだといっていた。

 

……。

 

C王の父は、Cを厳しい寄宿舎の学校に入れた。

C王は毎日殴られ、水をかけられるような「いじめ」※に遭っていて、

「帰りたい」と手紙を書いても無視されていた、と伝記には書かれている。

 

今でも、C王は子どもの頃のテディイベアを大切にしているというが、

それは、変人だからではないのだ。

 

さみしさ。

 

それは、乳母さんや、家庭教師やらがいるのだから、

それでもましなのかもしれないけど。

 

そういう子供の頃のさみしさは、

大人になったからと言って消えるわけではない、ということ。

 

 

※「いじめ」という言葉の響きは、いまでも誤解を受けますが、「暴行」なのです。

  犯罪であることをいろいろな人に知ってほしい、と思います。

 

愛する6人衆。

 

 

先日、先生から、お写真をいただきました。

 

6人衆に出会ったあの日。

思い起こせば、至らないことばかり。

 

いつまでも、お元気で。

そっとそっと、幸せをお祈りしております。

(ちょっと誤解もありましたので、書き直しました)

 

C夫人。

 

C皇太子(当時)と再婚するときは

「皇太子妃にはならないし、将来も王妃ではなく、

国王夫人(Princess Consort)で」

 

ということでしたが、

 

その後の活動を認められ、

とうとう将来「王妃(QueenConsort)」という称号を名乗ることを

E女王から認められました。

 

「C… will be known as Queen Consort 」

 

とプラチナジュビリーの時に、

E女王は認められました。

 

かつて、C夫人を「邪悪な女性」と呼んだこともあるというE女王ですが、

この配慮は、心からの思いやりだったことでしょう。

(また、生涯を公爵として過ごしたご自分の配偶者のことを思われたのかもしれませんね)

しかし、その後、まもなくE女王は崩御。

 

そして

 

皇太子から国王となったCの戴冠式、

C夫人は「Queen C」として戴冠式の招待状を送っているのです。

あれ?

と思いますが、(やっぱりな)と思った人々も多かったことでしょう。

Kingの配偶者はやはりQueenなのです。

 

招待状には、左右に二つの紋章が。

おそらく左がC新国王で右がC新王妃の紋章なのでしょう。

 

そして

 

新王妃の紋章には、下あごから長い牙をはやしている、

醜い獣の姿が2つ…。

 

かつて、C夫人はD皇太子妃から「噛みつき犬」(ロッドワイラー)と呼ばれていたといわれていますが、

まさか、それですか?

 

そんな悪口さえも勲章としている。

完全なる勝利の姿。

 

C夫人からは、みじんも迷いは感じられません。

 

(生まれながらのクイーンだったE女王。その配偶者がキングではなかったというのも、
 時代とはいえ、おかしな事だったと思います)
 

 

 

 ちょっと用事があって(笑)、慶應大学三田校舎に行きました。

 

 慶応大学のシンボルだという、旧図書館はどなたでも見学出来るところです。

 いつも、創立者福沢諭吉先生をテーマとした展示をしています。

 

 そこで、「巧言令色是亦礼」という言葉を見つけました。

 

 有名な孔子の言葉は「巧言令色鮮し仁」なんですが、

 「口が上手くて愛想のいい人に真の愛は無い」

 という意味なんでしょうか。

 私は、ずっとこれが響いていました。

 

 しかし、「巧言令色」も大事だな、と感じることがあって。

 私のライバル、「いぬ子」っていう人がいて、 

 「巧言令色」そのものなんです。

 

 ※「いぬ子」は、複数の人物を混ぜた存在です。
   特定の人ではありません。

 

 しかし、その「巧言令色」。自分も持たなきゃいけないな、

 とつくづく感じました。

 

 そういう風に思っていたからか、

 福沢先生のこの言葉が自分の胸に飛び込んできました。

 

 心にみじんも愛がなくても、

 作れる笑顔。

 

 しかし、それもまた「礼儀」だというのです。

  けれど、笑顔を作る心のどこかをさがせば、

 かけらかも知れないけど、愛があると信じたい。