謹慎あらため謹新
年末年始、リンゴとお粥しか食べてなかった人、挙手!「はい!
」
カウントダウンの瞬間、年越し蕎麦の海老のように体を曲げて胃痛のツボを押していた人、挙手!「はい!
」
いや~、
謹賀新年。きんしん。
あけおめがあるなら、きんしんもいいよね!
お節もいいけどカレーもね!
今回は来ましたよ、何年振りかの寝込み正月。
寝正月じゃないのよ、「寝・込・み」正月。ウフ。
クリスマス後に胃の調子がおかしいことに気づき、
「ん?」と思いつつ仕事納めまで何とか持たせ、
一瞬「治ったか?」と勘違いするも
翌日から胃のむかつき、もたれ、胃痛、腹痛。
何があっても食欲だけは衰えないこのモトキが、
あまりの調子の悪さにまったく食欲なし。
体重は減るし(ここは嬉しい☆)
楽しみにしていたお節やお餅なんて遠い夢のまた夢。
マジで「ゆく年くる年」をベッドで見ながら、
<合谷(ごうこく)>のツボを必死に押してましたからね。
・・・病院行けよ。
昨日からやっと復活して全粥が食べられるようになったとさ。
そんな訳で新年のご挨拶が遅れました。
本年もよろしくお願い致します。
そして初夢。
いつもアホ夢ばかり見ているモトキとしては、
初夢ではどんなBIGなアホ夢が飛び出すだろう!とワクワクしていました。
もちろん覚えてましたよ!
夢なんでシーンは飛び飛びですが、
①いま住んでるマンションの下の部屋が空いたので観に行ったら
大家に「この部屋の張り出し部分のキッチンはもう老朽化していまにも落ちそう。
いや、このマンション自体崩れそう」と言われる
②凶暴なチンパンジーに怯えるも、子供チンパンだったので
背中におんぶしたらその温もりにほっこりする
③巨大なウツボが家を破壊。パニックで逃げ惑う人々。
空軍(場所がなぜかアメリカの砂漠設定)のヘリが出動。
まあアホっちゃあアホですわね。
③なんてかなりのスペクタクル映画だったし。
そして意味が知りたい!なんて言っても初夢さ!
とワクワクして「夢占い」をネットで検索しようとしたまさにその時。
気づいてしまったのです。
① 年末、「賃貸情報」を読み漁っていた
②と③ 年末に「黄金伝説スペシャル」を観た
注)②と③については分かる人だけ分かって下さい。
無人島にいた猿と、「獲ったど~!」です
それに気づいた時、わたしは静かにスマホを置きました。
わたしみんな気づいてしまった
幸せ芝居の舞台裏
そんな静かな哀しみをたたえつつも、
ウツボを金運の象徴と言われる蛇に脳内変換し、
LOTOをポチッとしました・・
そんな年末年始でしたが、
悪い事ばかりではなかった。
何と言ってもベッドで本がたくさん読めました!
実家にも行けず、お節も食べられなかった正月でしたが、
ものすごくゆったりと過ごすことができました。
休みに何度も読んだ愛読書を読み返す。
最高の休日とも言えるじゃないか!
ありがとうリンゴ
ありがとう池波正太郎
ありがとう秋山小兵衛
今年も色々あると思うけど
心身の健康を保つぞ!
そしてアホ夢をいっぱい見るのだ!


カウントダウンの瞬間、年越し蕎麦の海老のように体を曲げて胃痛のツボを押していた人、挙手!「はい!

いや~、
謹賀新年。きんしん。
あけおめがあるなら、きんしんもいいよね!
お節もいいけどカレーもね!
今回は来ましたよ、何年振りかの寝込み正月。
寝正月じゃないのよ、「寝・込・み」正月。ウフ。
クリスマス後に胃の調子がおかしいことに気づき、
「ん?」と思いつつ仕事納めまで何とか持たせ、
一瞬「治ったか?」と勘違いするも
翌日から胃のむかつき、もたれ、胃痛、腹痛。
何があっても食欲だけは衰えないこのモトキが、
あまりの調子の悪さにまったく食欲なし。
体重は減るし(ここは嬉しい☆)
楽しみにしていたお節やお餅なんて遠い夢のまた夢。
マジで「ゆく年くる年」をベッドで見ながら、
<合谷(ごうこく)>のツボを必死に押してましたからね。
・・・病院行けよ。
昨日からやっと復活して全粥が食べられるようになったとさ。
そんな訳で新年のご挨拶が遅れました。
本年もよろしくお願い致します。
そして初夢。
いつもアホ夢ばかり見ているモトキとしては、
初夢ではどんなBIGなアホ夢が飛び出すだろう!とワクワクしていました。
もちろん覚えてましたよ!
夢なんでシーンは飛び飛びですが、
①いま住んでるマンションの下の部屋が空いたので観に行ったら
大家に「この部屋の張り出し部分のキッチンはもう老朽化していまにも落ちそう。
いや、このマンション自体崩れそう」と言われる
②凶暴なチンパンジーに怯えるも、子供チンパンだったので
背中におんぶしたらその温もりにほっこりする
③巨大なウツボが家を破壊。パニックで逃げ惑う人々。
空軍(場所がなぜかアメリカの砂漠設定)のヘリが出動。
まあアホっちゃあアホですわね。
③なんてかなりのスペクタクル映画だったし。
そして意味が知りたい!なんて言っても初夢さ!
とワクワクして「夢占い」をネットで検索しようとしたまさにその時。
気づいてしまったのです。
① 年末、「賃貸情報」を読み漁っていた
②と③ 年末に「黄金伝説スペシャル」を観た
注)②と③については分かる人だけ分かって下さい。
無人島にいた猿と、「獲ったど~!」です
それに気づいた時、わたしは静かにスマホを置きました。
わたしみんな気づいてしまった
幸せ芝居の舞台裏
そんな静かな哀しみをたたえつつも、
ウツボを金運の象徴と言われる蛇に脳内変換し、
LOTOをポチッとしました・・
そんな年末年始でしたが、
悪い事ばかりではなかった。
何と言ってもベッドで本がたくさん読めました!
実家にも行けず、お節も食べられなかった正月でしたが、
ものすごくゆったりと過ごすことができました。
休みに何度も読んだ愛読書を読み返す。
最高の休日とも言えるじゃないか!
ありがとうリンゴ
ありがとう池波正太郎
ありがとう秋山小兵衛
今年も色々あると思うけど
心身の健康を保つぞ!
そしてアホ夢をいっぱい見るのだ!

順番を守れ
駅のホーム、混みあう八百屋。
あらゆるところで人を押しのけて前へ行こうとする人がいる。
そんな時私はそいつの襟首を掴んで冷静にひとこと。
「順番守らんかいボケしばくぞオラ」
・・すいません、嘘をつきました。
そんな話ではありませんでした。
私の父しげるの話は過去二回書きましたが、
しげるの妻すなわち私の母ヒロ子の話でした。
ヒロ子はしげるより6歳年下。
小さい頃は「むっつむつまじいと言って6歳違いは相性がいいんだ」という
ノロケなのか何だかわからない話をいつも聞かされた。
近頃よれよれしてきたしげるに比べて、
ヒロ子は6つも下のせいか、またスポーツクラブで基礎体力をつけているせいか、
まだまだ元気で口うるさい母だ。
孫(私の姪)も、そのうるささに辟易して
「うるさいな、トリ子は」とよく言ってたっけ(ヒロ子はトリ年)
そんなトリ・・ヒロ子は年をとってよりうるさくなり、
しげるにもいちいち「ほらご飯こぼした」「さっさと歩きなさい」などと
もう聞いている方もうんざりするほどのコケコッコーぶり。
小さいころからお父さん子の私にはそれがたまらず、
「私のお父さんをもっと大事にしてよ!」なんて苦情を申し立てたことも。
でもまあ母も色々大変なんだろうと思い、
また最近体の調子を悪くして落ち込んでるとのことから、
たまには気晴らしさせてあげようと、
野球好きの母のためにチケットを取った。
そのことを話したら、一瞬「行けるかな・・?」とためらいを見せた母は
それでも好きな野球のことなので、体調を整えて楽しみにしているねと言った。
東京ドーム、クライマックスシリーズ。
巨人×阪神。黄金のカード。
仕事を終えて急ぎ足で水道橋駅に着いた私は、
待ち合わせの改札を出たところにしゃがみこんでいる小さな老人を見つけた。
・・ヒロ子だ!
少し会わないうちに小さく弱ってしまった母がそこに居た。
「ほら!私なんかこんなに足があがるんだから。お父さんしっかりしなさいよ!」
と父を叱咤していた母はそこにはなかった。
立って待っていることもできない。
さっさと歩くこともできない。
ドームへ向かう橋を少しずつ歩みを進める母に私は愕然とした。
なんと・・・
父ばかりマークしていたので、母はまったくノーマークだった。
もしかしたら父より早く母の方が逝ってしまうのでは?
そんな恐れを抱いた。
そして心の中でつぶやいた。
おかあさん、
それは順番違うよ。お父さん看取るんでしょ。
順番守ってね。
その時、思い出した事がある。
自分が大きな病気にかかった時、
親より先に逝くのは最大の親不幸とわかりながら、
小さいころから寂しがり屋で
反抗の限りを尽くしながら人一倍家族を意識して生きていた自分は
このまま、親や親族に見守られて逝くのもいいなと思った時があった。
寂しがり屋の自分には、それが一番幸せな去り方だと。
なんつー自分勝手。
なんつー思いやりのなさ。
とぼとぼ歩くヒロ子、
GIANTSのタオルを買って喜ぶヒロ子。
人工芝に目を細めながら試合に見いるヒロ子。
そんな母を見ながら、心の中で自分自身に向かって叫んだ。
順番を守れ、自分。
順番を決して間違うなよ、おまえ。
GIANTSはボロ負けしたけれど、母は楽しそうだった。
これからは父の様子だけではなく、母の様子もたまには伺おう。
そして少しくらい口うるささが戻っても
それは元気な証拠だと思おう。
そして姪っこたちと笑おう
「トリ子はうるさいな~」と。
あらゆるところで人を押しのけて前へ行こうとする人がいる。
そんな時私はそいつの襟首を掴んで冷静にひとこと。
「順番守らんかいボケしばくぞオラ」
・・すいません、嘘をつきました。
そんな話ではありませんでした。
私の父しげるの話は過去二回書きましたが、
しげるの妻すなわち私の母ヒロ子の話でした。
ヒロ子はしげるより6歳年下。
小さい頃は「むっつむつまじいと言って6歳違いは相性がいいんだ」という
ノロケなのか何だかわからない話をいつも聞かされた。
近頃よれよれしてきたしげるに比べて、
ヒロ子は6つも下のせいか、またスポーツクラブで基礎体力をつけているせいか、
まだまだ元気で口うるさい母だ。
孫(私の姪)も、そのうるささに辟易して
「うるさいな、トリ子は」とよく言ってたっけ(ヒロ子はトリ年)
そんなトリ・・ヒロ子は年をとってよりうるさくなり、
しげるにもいちいち「ほらご飯こぼした」「さっさと歩きなさい」などと
もう聞いている方もうんざりするほどのコケコッコーぶり。
小さいころからお父さん子の私にはそれがたまらず、
「私のお父さんをもっと大事にしてよ!」なんて苦情を申し立てたことも。
でもまあ母も色々大変なんだろうと思い、
また最近体の調子を悪くして落ち込んでるとのことから、
たまには気晴らしさせてあげようと、
野球好きの母のためにチケットを取った。
そのことを話したら、一瞬「行けるかな・・?」とためらいを見せた母は
それでも好きな野球のことなので、体調を整えて楽しみにしているねと言った。
東京ドーム、クライマックスシリーズ。
巨人×阪神。黄金のカード。
仕事を終えて急ぎ足で水道橋駅に着いた私は、
待ち合わせの改札を出たところにしゃがみこんでいる小さな老人を見つけた。
・・ヒロ子だ!
少し会わないうちに小さく弱ってしまった母がそこに居た。
「ほら!私なんかこんなに足があがるんだから。お父さんしっかりしなさいよ!」
と父を叱咤していた母はそこにはなかった。
立って待っていることもできない。
さっさと歩くこともできない。
ドームへ向かう橋を少しずつ歩みを進める母に私は愕然とした。
なんと・・・
父ばかりマークしていたので、母はまったくノーマークだった。
もしかしたら父より早く母の方が逝ってしまうのでは?
そんな恐れを抱いた。
そして心の中でつぶやいた。
おかあさん、
それは順番違うよ。お父さん看取るんでしょ。
順番守ってね。
その時、思い出した事がある。
自分が大きな病気にかかった時、
親より先に逝くのは最大の親不幸とわかりながら、
小さいころから寂しがり屋で
反抗の限りを尽くしながら人一倍家族を意識して生きていた自分は
このまま、親や親族に見守られて逝くのもいいなと思った時があった。
寂しがり屋の自分には、それが一番幸せな去り方だと。
なんつー自分勝手。
なんつー思いやりのなさ。
とぼとぼ歩くヒロ子、
GIANTSのタオルを買って喜ぶヒロ子。
人工芝に目を細めながら試合に見いるヒロ子。
そんな母を見ながら、心の中で自分自身に向かって叫んだ。
順番を守れ、自分。
順番を決して間違うなよ、おまえ。
GIANTSはボロ負けしたけれど、母は楽しそうだった。
これからは父の様子だけではなく、母の様子もたまには伺おう。
そして少しくらい口うるささが戻っても
それは元気な証拠だと思おう。
そして姪っこたちと笑おう
「トリ子はうるさいな~」と。
しげるの話その2
しげるはマイファーザー。
しげるはナベツネ似。
しげるマイラブ。
吉田拓郎の歌で「たえこマイラブ」っていうのがあったなあ。
こんにちは。
中学生のころ好きになった男子が拓郎好きで、
エレックの2枚組を探して横浜市内のレコード店に電話をかけまくったモトキです。
暑いですね。
この暑さでしげる87歳もさぞかしノビていることでしょう。
いやマジ、親も年取るとですね、さすがに実家に電話する回数も増えますよ。
猛暑といえば電話。
地震といえば電話。
集中豪雨といえば電話。
お財布が寂しくなれば電話。
手が出ない美味しいものが食べたくなれば電話・・・
まあとにかくそんなわけで、
先日両親と食事に行くことになり。
いつものように横浜近辺にしようか、という相談をしているうちに、
はたと
「新横浜ラーメン博物館に連れて行きたいな」と思い立ちました。
新横浜ラーメン博物館(ラー博)っていうのは、
全国の色んなラーメンが味わえるのですが、
建物内部が昭和33年の街並みを再現したもので、
ノスタルジー感たっぷりのテーマパークなわけです。
しげる世代にはまさに懐かしさのオンパレード!
きっと喜ぶに違いない。
最近ちょっとボケボケしてるけど、
「思い出し療法」として昔の街並みを歩いてみるのもいいかも!
そして梅雨も明けようというある暑い日、
新横浜まで付き添ってくれた優しい姪っ子マイラブと両親で、ラー博を訪れました。
B1にエレベーターで降りた途端
「わあ~これは懐かしいな!」
「よく出来てるなあ」
などという感嘆の声を期待してワクワクしていた自分。
とどめは「来て良かったなあ」で決まりだ!
しかし!
私の後ろを歩く父は終始うつむき加減。
「どこの店で食べるんだ?」と目的しか問わず、ろくに回りも見ていない。
ほらお父さん見てご覧、裕次郎の映画の看板だよ。
こっちの白黒テレビでは力道山をやってるよ。
上も見てごらんよ、物干しざおにダッコちゃんがいるよ。
この駄菓子屋にいるおばちゃんも割烹着だね。
そんな私の嬉々とした説明にも
「ああ」とひとこと。黙々と歩く。
母は期待通り「珍しいね、よく作ったわね」と興味深く喜ぶものの、
しげるは・・
でもね、
仕方ないよね。
昔は何をするにも父が先頭切っていた元木家。
山歩きも海水浴も、
父の背中を見ていれば安心だった。
頼もしい父。
でも、「きっと喜ぶだろう!さあ喜べもっと楽しめ!」というのは
押し付けなんですよね。
公私にわたり、人に何かをやってあげるのが人一倍好きで
こんなことをしたらどんなに喜ぶかと考えるだけで、楽しくて仕方ない。
でも感謝や喜びを表されないと寂しく辛くガックリしてしまうめんどくさいワタシ。
寝る前にマザーテレサと十回唱えて寝ろジブン!
でも
今や自分のあとをよろよろとついて歩くしげるも
もしかしてちょっとは楽しいかもしれない。
脚は疲れたかもしれないけど
寝る前に何か思い出すかもしれない。
それでいいんだ。
自分がこれだけしてあげた。
それに見合う見返りを求めるから、
寂しくなったり腹が立ったりするんだ。
何をしてあげたいか、じゃなくて
何をしてもらいたいか。
それこそが真のホスピタリティなんだよね。
年老いた親は自分にまだまだ色んなことを教えてくれる。
しげるありがとう。
今度は混んでない時にまたラーメン食べに行こうね。

しげるはナベツネ似。
しげるマイラブ。
吉田拓郎の歌で「たえこマイラブ」っていうのがあったなあ。
こんにちは。
中学生のころ好きになった男子が拓郎好きで、
エレックの2枚組を探して横浜市内のレコード店に電話をかけまくったモトキです。
暑いですね。
この暑さでしげる87歳もさぞかしノビていることでしょう。
いやマジ、親も年取るとですね、さすがに実家に電話する回数も増えますよ。
猛暑といえば電話。
地震といえば電話。
集中豪雨といえば電話。
お財布が寂しくなれば電話。
手が出ない美味しいものが食べたくなれば電話・・・
まあとにかくそんなわけで、
先日両親と食事に行くことになり。
いつものように横浜近辺にしようか、という相談をしているうちに、
はたと
「新横浜ラーメン博物館に連れて行きたいな」と思い立ちました。
新横浜ラーメン博物館(ラー博)っていうのは、
全国の色んなラーメンが味わえるのですが、
建物内部が昭和33年の街並みを再現したもので、
ノスタルジー感たっぷりのテーマパークなわけです。
しげる世代にはまさに懐かしさのオンパレード!
きっと喜ぶに違いない。
最近ちょっとボケボケしてるけど、
「思い出し療法」として昔の街並みを歩いてみるのもいいかも!
そして梅雨も明けようというある暑い日、
新横浜まで付き添ってくれた優しい姪っ子マイラブと両親で、ラー博を訪れました。
B1にエレベーターで降りた途端
「わあ~これは懐かしいな!」
「よく出来てるなあ」
などという感嘆の声を期待してワクワクしていた自分。
とどめは「来て良かったなあ」で決まりだ!
しかし!
私の後ろを歩く父は終始うつむき加減。
「どこの店で食べるんだ?」と目的しか問わず、ろくに回りも見ていない。
ほらお父さん見てご覧、裕次郎の映画の看板だよ。
こっちの白黒テレビでは力道山をやってるよ。
上も見てごらんよ、物干しざおにダッコちゃんがいるよ。
この駄菓子屋にいるおばちゃんも割烹着だね。
そんな私の嬉々とした説明にも
「ああ」とひとこと。黙々と歩く。
母は期待通り「珍しいね、よく作ったわね」と興味深く喜ぶものの、
しげるは・・
でもね、
仕方ないよね。
昔は何をするにも父が先頭切っていた元木家。
山歩きも海水浴も、
父の背中を見ていれば安心だった。
頼もしい父。
でも、「きっと喜ぶだろう!さあ喜べもっと楽しめ!」というのは
押し付けなんですよね。
公私にわたり、人に何かをやってあげるのが人一倍好きで
こんなことをしたらどんなに喜ぶかと考えるだけで、楽しくて仕方ない。
でも感謝や喜びを表されないと寂しく辛くガックリしてしまうめんどくさいワタシ。
寝る前にマザーテレサと十回唱えて寝ろジブン!
でも
今や自分のあとをよろよろとついて歩くしげるも
もしかしてちょっとは楽しいかもしれない。
脚は疲れたかもしれないけど
寝る前に何か思い出すかもしれない。
それでいいんだ。
自分がこれだけしてあげた。
それに見合う見返りを求めるから、
寂しくなったり腹が立ったりするんだ。
何をしてあげたいか、じゃなくて
何をしてもらいたいか。
それこそが真のホスピタリティなんだよね。
年老いた親は自分にまだまだ色んなことを教えてくれる。
しげるありがとう。
今度は混んでない時にまたラーメン食べに行こうね。

当事者
え~
当事者ったって、都議会で野次を飛ばしたのが私です。
ってネタじゃないんですよ。
ああ神様。
この、くだらない前置きをしないと済まない病を治して下さいアーメン。
え~。
最近よく考えることがあるってネタ。
言っとくけど面白くないですよ。読まなくてもいいです。
長く音楽業界から離れていた自分。
昔関わったアーティストやバンドのことが
「自然に」耳や目に入って来ることはない。
そのアーティストが売れた人たちだったりした場合は
トリビュートや再結成のネタが一般人としての自分の耳や目に入る事はあるけれど、
まあほぼ無いといっていいだろう。
なにせ「B級ロックンロール事務所」にいたからね!(これ誇り)
けれど、
いまはネット社会。
「あの子たちどうしてるのかな~」と気になれば
カチカチっとキーボードをたたけば色んな情報が出てくる時代だ。
そんな中。
相変わらずライブツアーを回り、新譜を出し、
頑張っている人たちを見つけた時。
「まだやってるんだ!」と思ってしまった自分がいた。
あの頃二十代だった彼らは
いま何歳?三十代も超えて四十代?
あの時事務所に連れてきた赤ちゃんはもしかして成人?
それでまだこのルックスでこの目つきでこのタイトルで。
やってるんだ。
ごめんだよ~
そう思ってたよ~。
そして、いまやお手伝いとして,とあるバンドに関わる身。
彼らは厳密には昔事務所にいたバンドじゃないけど、
二十代や三十代でもない。ははは。
自分がそんな当事者(スタッフ)になるに当たって、
あの時思った「まだやってるんだ」という感覚が
大事なんじゃないかと思った。
普通は、
そう思うよね。
普通は、
ちょっと痛い感じに見えるかも?
でもだんだん
「そんなのどうだっていいじゃねえか!好きでやってんだから!」
と思えてきた。
そこに傍観者と当事者の違いを感じた。
例えば私がいまもなお音楽業界にいたとしたら。
この、四十代になってロケンロールしてる彼らをどう見ただろう?
もっと若い、いまどきのバンドに夢中になり
見向きもしなかっただろうか?
その自分と
今の自分と
何が違うんだろう?
そんなのわからない。でも。
結局は「言いたい奴には言わせておけ」になるんだろうな。
音楽が好きで
音楽から離れられなくて
例えば過去の栄光を思い出すこともあって
それにすがる時もあって
でもいまの自分が最高と思いこんで
やっぱり音楽を続けている。
そんなやつらを応援したいと思う。
「いまの」音楽業界人が言った。
「そんな誰もやらないバンド、やってもしょうがないだろ」
わたしは思う。
「そんな誰もがやりたいバンドのどこが面白いんだよ」
みんなそれぞれの立場があるからいいけどね!
音楽業界どっぷりだったら分からなかった事。
それがいまの自分の最大の強みだ。
そう信じてやっている。
そんなことを考える梅雨の合間。
さあパアッと出かけるか!
当事者ったって、都議会で野次を飛ばしたのが私です。
ってネタじゃないんですよ。
ああ神様。
この、くだらない前置きをしないと済まない病を治して下さいアーメン。
え~。
最近よく考えることがあるってネタ。
言っとくけど面白くないですよ。読まなくてもいいです。
長く音楽業界から離れていた自分。
昔関わったアーティストやバンドのことが
「自然に」耳や目に入って来ることはない。
そのアーティストが売れた人たちだったりした場合は
トリビュートや再結成のネタが一般人としての自分の耳や目に入る事はあるけれど、
まあほぼ無いといっていいだろう。
なにせ「B級ロックンロール事務所」にいたからね!(これ誇り)
けれど、
いまはネット社会。
「あの子たちどうしてるのかな~」と気になれば
カチカチっとキーボードをたたけば色んな情報が出てくる時代だ。
そんな中。
相変わらずライブツアーを回り、新譜を出し、
頑張っている人たちを見つけた時。
「まだやってるんだ!」と思ってしまった自分がいた。
あの頃二十代だった彼らは
いま何歳?三十代も超えて四十代?
あの時事務所に連れてきた赤ちゃんはもしかして成人?
それでまだこのルックスでこの目つきでこのタイトルで。
やってるんだ。
ごめんだよ~
そう思ってたよ~。
そして、いまやお手伝いとして,とあるバンドに関わる身。
彼らは厳密には昔事務所にいたバンドじゃないけど、
二十代や三十代でもない。ははは。
自分がそんな当事者(スタッフ)になるに当たって、
あの時思った「まだやってるんだ」という感覚が
大事なんじゃないかと思った。
普通は、
そう思うよね。
普通は、
ちょっと痛い感じに見えるかも?
でもだんだん
「そんなのどうだっていいじゃねえか!好きでやってんだから!」
と思えてきた。
そこに傍観者と当事者の違いを感じた。
例えば私がいまもなお音楽業界にいたとしたら。
この、四十代になってロケンロールしてる彼らをどう見ただろう?
もっと若い、いまどきのバンドに夢中になり
見向きもしなかっただろうか?
その自分と
今の自分と
何が違うんだろう?
そんなのわからない。でも。
結局は「言いたい奴には言わせておけ」になるんだろうな。
音楽が好きで
音楽から離れられなくて
例えば過去の栄光を思い出すこともあって
それにすがる時もあって
でもいまの自分が最高と思いこんで
やっぱり音楽を続けている。
そんなやつらを応援したいと思う。
「いまの」音楽業界人が言った。
「そんな誰もやらないバンド、やってもしょうがないだろ」
わたしは思う。
「そんな誰もがやりたいバンドのどこが面白いんだよ」
みんなそれぞれの立場があるからいいけどね!
音楽業界どっぷりだったら分からなかった事。
それがいまの自分の最大の強みだ。
そう信じてやっている。
そんなことを考える梅雨の合間。
さあパアッと出かけるか!
しげるの話
昨日は我が父、しげるの87回目のバースデー。
そしてシド・ヴィシャスのバースデーでもある。
美味しいネタ持ってるな、しげる!
本人はシドが誰なのか全く知りませんが。
でももっと美味しいネタを持つしげる。というかしげる兄妹。
そんな昨日、5月10日が父の誕生日なわけですが、
なんと父の兄弟姉妹のほとんどが5月10日生まれ!
子供のころに
「おじいちゃん(父の父)が5月10日という日が好きで、
子供たちの出生届を5月10日付けで出した。
だからお父さんたちはみんな5月10日生まれなのだ」と聞いた時に、
「そんなバカな話あるわけない」と思ったのですが、
ある小学生の夏休み、岩手の父の実家に親戚一同集まった時に
試しに、一人の叔父に「誕生日いつ?」と聞いてみたら
「俺は5月10日だ」と!!
そしてその下の叔父にも聞いてみたら
「俺も5月10日だ」と!!
!!!
ファンキーだなじいちゃん、ファンキー弥五郎。
その事実は子供心に大きな影を落とす・・
わけもなく、従姉とみんなでウケまくったのでした。
そんな叔父たちも一人逝き、二人逝き、と
いまでは父と叔母を残すのみの元木家兄妹。
87歳まで長生きして、バースデーを優しい孫と可愛いひ孫、そして
「わ~い、今日は江ノ島でお祝いか!ビール飲んじゃお」と笑う
ノーテンキな次女(独女)に囲まれ、祝ってもらって幸せだな!
そんな父、さすがに最近よれよれしてきた。
記憶もあいまいになってきて、
同じことを何度も聞いたりとんちんかんなことを言ったりする。
さすがに私のことはまだ「ひとみという娘」と認識はしているけれど。
昨日、移動中の車内で父に
「お父さん、幸せだね。こんなふうに誕生日祝ってもらえて」と言った時の事。
父はこう答えた。
「ああ、幸せだな。これであとはひとみの子供の顔が見られたら言うことない」
お父さん!!!
あなたの娘、ひとみの年齢をいくつだと・・・?
あなたがいつも可愛がっている咲南は孫じゃなくてひ孫ですよ~お~い。
母は(またとんちんかんなこと言って)という顔で知らんぷりしている。
でも今まで、適齢期には親なりにそりゃ「結婚しろ」とも言ったけど
適齢期過ぎ「もう行かないな」という暗黙の諦めを持ってから、
そんなこと口にしたことはなかったのに・・・
私はなんだか申し訳なく、そしてその無邪気な父の発言に
「お父さん、わたしまだ子供産めるかな・・?」と返した。
そして「頑張ってみるね!」というのが精一杯だった。
その話を知人にしたところ、
「お父さんの中ではきっとずっと心の隅にその想いがあったんだね、
でもなかなか口に出せなくて、でもどうしても伝えたかったんだろう」と。
その知人も娘を持つ父親。気持ちがわかったのだろう。
そう思うとちょっとボケるのも悪くないな!
辻褄が合おうが合うまいが、言いたいことを全部口に出していればいい。
最後には私のこともわからなくなるかもしれないけど。
そしたら私は、しげるから聞いた昔話をしげるに語ってあげよう。
しげる、来年は米寿。
来年も「お誕生日おめでとう!」の乾杯をしようね!

そしてシド・ヴィシャスのバースデーでもある。
美味しいネタ持ってるな、しげる!
本人はシドが誰なのか全く知りませんが。
でももっと美味しいネタを持つしげる。というかしげる兄妹。
そんな昨日、5月10日が父の誕生日なわけですが、
なんと父の兄弟姉妹のほとんどが5月10日生まれ!
子供のころに
「おじいちゃん(父の父)が5月10日という日が好きで、
子供たちの出生届を5月10日付けで出した。
だからお父さんたちはみんな5月10日生まれなのだ」と聞いた時に、
「そんなバカな話あるわけない」と思ったのですが、
ある小学生の夏休み、岩手の父の実家に親戚一同集まった時に
試しに、一人の叔父に「誕生日いつ?」と聞いてみたら
「俺は5月10日だ」と!!
そしてその下の叔父にも聞いてみたら
「俺も5月10日だ」と!!
!!!
ファンキーだなじいちゃん、ファンキー弥五郎。
その事実は子供心に大きな影を落とす・・
わけもなく、従姉とみんなでウケまくったのでした。
そんな叔父たちも一人逝き、二人逝き、と
いまでは父と叔母を残すのみの元木家兄妹。
87歳まで長生きして、バースデーを優しい孫と可愛いひ孫、そして
「わ~い、今日は江ノ島でお祝いか!ビール飲んじゃお」と笑う
ノーテンキな次女(独女)に囲まれ、祝ってもらって幸せだな!
そんな父、さすがに最近よれよれしてきた。
記憶もあいまいになってきて、
同じことを何度も聞いたりとんちんかんなことを言ったりする。
さすがに私のことはまだ「ひとみという娘」と認識はしているけれど。
昨日、移動中の車内で父に
「お父さん、幸せだね。こんなふうに誕生日祝ってもらえて」と言った時の事。
父はこう答えた。
「ああ、幸せだな。これであとはひとみの子供の顔が見られたら言うことない」
お父さん!!!
あなたの娘、ひとみの年齢をいくつだと・・・?
あなたがいつも可愛がっている咲南は孫じゃなくてひ孫ですよ~お~い。
母は(またとんちんかんなこと言って)という顔で知らんぷりしている。
でも今まで、適齢期には親なりにそりゃ「結婚しろ」とも言ったけど
適齢期過ぎ「もう行かないな」という暗黙の諦めを持ってから、
そんなこと口にしたことはなかったのに・・・
私はなんだか申し訳なく、そしてその無邪気な父の発言に
「お父さん、わたしまだ子供産めるかな・・?」と返した。
そして「頑張ってみるね!」というのが精一杯だった。
その話を知人にしたところ、
「お父さんの中ではきっとずっと心の隅にその想いがあったんだね、
でもなかなか口に出せなくて、でもどうしても伝えたかったんだろう」と。
その知人も娘を持つ父親。気持ちがわかったのだろう。
そう思うとちょっとボケるのも悪くないな!
辻褄が合おうが合うまいが、言いたいことを全部口に出していればいい。
最後には私のこともわからなくなるかもしれないけど。
そしたら私は、しげるから聞いた昔話をしげるに語ってあげよう。
しげる、来年は米寿。
来年も「お誕生日おめでとう!」の乾杯をしようね!
