zappaはzappingがお好き -8ページ目

エセ

雪~!雪~!ヾ(@^▽^@)ノ

二月生まれです。

と、さりげなくバースデー月をアピール。

小さい雪だるまを作ってみた。




こういうのにもセンスが見えるね。

アートの才能がある人なら、完璧に仕上げるんだろうなあ。

雪で出来てるから雪だるまって言い張れるレベル。
目なんて「おとなのふりかけソフトたらこ」に入ってた海苔だしね。


さておき。

最近ワタシがエセ関西弁を喋るもんで、真正の関西人に笑われる。

だって関西弁って便利なんだもの。

わかってることを突っ込まれた時、
「知ってるよ!」じゃなくて「わかってまんがな~」

たしなめたい時、
「だめでしょ」じゃなくて「あかんやろ~」

有名なところでは「なんでやねん!」のツッコミがありますね、これは皆よく使ってると思う。

あ、ワタシが「でんがなまんがな」や「~まんねん」などの濃ゆい関西弁になるのは
周りにいるヒトタチのせいで。



仕事のことですが、

カスタマーセンターのお仲間は「関西人からのクレームは一番嫌だ」という。

頭っから喧嘩腰な物の言い方が怖いらしい。

中には血が上って「あんたアホか!」と怒る女性もいる。

あのカスタマーセンターっていうのは、地域別に設けたらいいのにな。

関西人も同じ関西弁で「そうですねん~」「いやいやいや申し訳ない思っとりますわ~」と言われたら、話早いんちゃうか。

九州は九州。
北海道は北海道。

そんなふうに大きな地域でわけたらいいのに。
まあありえないけどね、カスタマーセンターは「方言絶対NG」だから。

でも話を円滑に進めるのに、地域性を利用した方が丸く収まるのになと思う。

自分は幸い?関西人が周りに多いので、
「あんたアホか」なんて言われると可笑しくなっちゃう。

「アホちゃいますわ~お客さんの操作がそもそも間違ってますやんか~」と言いたくなるのをおさえ、笑いをかみ殺して対応を続ける。


こんな風に関西弁に愛着を持つのも、血筋のせいかも。

生まれて何十年も東北の血だと思っていたものが、
昨年父が「モトキは兵庫の血筋だ」とカミングアウト。

目からウロコどころではなかった。
しかも父は「え?兵庫だけど何か?ちょwwウケるwwみんな驚きすぎ」くらいのテンション。

でも影響されやすい自分は、そこで北海道と言われていたら
「それないっしょ~、まあ、いいんでないかい」などと言っていたかもしれない。


ビバ方言。

東京も今日は大雪。


なまらしばれるね~。


ゴースト 

聴力を失った作曲家の作品がゴーストライターによるものだった、というニュースが出た。

関係者は一様にショックを訴え、特集番組を作ったNHKまでお詫び。

当時、彼の壮絶な制作活動と姿勢に感動した人は多いだろう。私もその一人で、ブログまで書いた。
>>2013/05/06のBlog「呪文」

ただ、私は「裏切られた」「ショック」とは違う感情を持ってニュースを見ていた。

聴力のない彼には、実際演奏された曲が自分のものかゴーストライターのものかは聴こえない。そのことに何とも言えない感情を持った。

なぜ彼は自分ひとりの作品として発表したのだろう。たとえばゴーストとの共同作品であったにしろ、彼の抱える障害を思えばそれは大きな賞賛を伴って世間に評価されたはずだ。

そして自分では聴くことのできない演奏会の場にどんな気持ちで座り、観客からの拍手を受けていたんだろう。

そんなことを考えていたら、なぜか映画のシナリオのようなものが浮かんできた。

聴力を失った作曲家はもがき苦しみ、それでも作曲を諦めなかった。
しかし完璧主義者の彼は協力者を探し出し、作品を作り上げていった。
自分でも出来ると知りながら、どうしても生の耳で聴いた時の「耳障り」にこだわったためだ。
十数年経った時に彼の作品が世の中に大きく羽ばたく時がきた。
彼は協力者であるパートナーが作ったメロディーであることを公表し、
晴れの演奏会の場に自分とパートナーと二人して座った。
演奏が終わり割れんばかりの拍手が二人を包み、二人はステージに上がった。
そのステージで指揮者が作曲家に渡した、いま演奏したばかりの楽譜には
パートナーではなく彼自身の主旋律が書いてあった。
パートナーは「これは僕の曲ではない、君の曲だったのだ」と言った・・・

こんなオチだったら感動したのにね!
あ、作曲家の役はトム・ハンクスでお願い。

すいません、茶化しているわけじゃないんですよ。

ただ、彼のことを知り感動して勢いでブログまで書いた自分。

あの時の自分は確かに彼によって救われた。
正しくは彼のものとされた制作活動に、だけれど。

あの時慣れない仕事で目まいが起きるくらいストレスを感じていた自分に、喝を入れてくれた。

だから、今回のことは私としてはどうでもいいと感じている。

小説で感動したのと同じように受け止めている。

CDを販売したメーカーや番組を制作したTV局は大変かもしれないけどさ。
少なからずその話題性に乗っかって美味しい思いをしようと思ったわけだしさ。

あっ「いや、彼の人間性に惹かれてこの作品をつくったのだ!深く傷ついたのだ!」なんて怒っちゃやーよ。

「その役ならデンゼル・ワシントンだろう!」なんて反論もやーよ。


このニュース、今後どうなっていくかは見守らないけど、

特集で見た、彼のノートをびっしりと埋め尽くした音符たちは美しかった。


まさに事実は小説より、なニュースでした。

おほしさま

こんにちは、師走。

Twiiterの太宰治botで
「恥の多い生涯を送って来ました 【人間失格】」がつぶやかれるたびに
必ずリツイートしてしまうモトキです。

そんなに恥が多いのだろうか?と思ったアナタ!
ああお前ならそうだろうよと思ったアナタ!
みんなにメリクリ。

「ボラギノールA坐剤」って聞くたびに
太宰治を思い出す、お久しぶりのモトキです。

しかし「人間失格」ってすごいタイトルだよねえ。
「人間☆失格」とかにすると少し柔らかい愛され女子の春先コーデみたいになるかしら?

☆をつけると「つのだ☆ひろ」しか思い出さないそうよ私は昭和の女。
このまえ若い子に「<お勘定>って何ですか?」って聞かれたしね!
姉はウェッジソールを「ジュート巻き」って言うしね!

そう思ったら今でも「ジュートサンダル」って言うらしいね。あらあらきんどーちゃんビックリ。

お・い・と・い・て

あ、先に言いますが今日も特に内容はありませんので
ヒマで仕方がないという方のみお読みください。

この前友人と会ったときに、台湾旅行の写真を見せてもらいました。
あの、開くと四枚入る紙の写真入れあるじゃないですか。あれに入ってて。
それを見てもう一人の友人が
「わ~、ちゃんとプリントしてるんだ!」と。

確かに最近写真って保存するものになっちゃってる。
スマホの中で埋もれて行く写真のいかに多いことか。
保存容量も増えて画像もたくさん保存できるしね。

そんな中、プリントした写真を見るのは新鮮で、とってもいいなあ~と思ったんですよ。

映像もしかり、
撮り溜めた膨大な映像も最初はただの「記録」。
でもそれをつないで順番をかえて音楽やナレーションをつけると「作品」になって
それを観てくれる人には「あの日の感動の想い出」や「二次体験の感動」になるんだなあ。

いまとあるライブ映像の編集構成でヒーヒー言ってる自分、
ふっとそんなことを考えて、よ~しまた頑張るぞ!と思えたのでした。

そして天袋にある昔の写真を引っ張り出し、
「引っ越しの時マンガを読んでしまい作業がはかどらない人」状態で数々の想い出を見ていたら。

決してあってはいけない、「飲み中の写真」が出現した!
もときは、かえんビームで、やきつくした!

そこにはヘアブラシをマイクにして「少女A(たぶん)」を熱唱するモトキが・・
こんな写真が!
特定秘密保護してくれ!

むかし勤務先のT社長に
「飲んでるところを隠しカメラで撮影しようと思ったけど、モトキさんが自殺したら困るからやめた」
と言われた女。

あっ皆さん引かないでね!いまは大人しいもんですからほんと。

年の瀬に自分の過去と向き合う。
内容は隠してそんな言葉を今からツイートしょうと思います。
精神の断捨離みたいなことをしているように見えるかしら?

と・も・か・く。
みなさん、よい☆お年を!

過大評価

暑い日が続いたら涼しくなりもう夏も終わりかと思ったら暑くて眠れない。

これで青春も終わりかなとつぶやいて、みたいな。
痩せたなと思ったら泣けてきた、みたいな。

どっちでもないワイ!
横浜で生まれた女だし!
夏なのに太ったし!

こんにちは。
暑くても涼しくても相変わらずくだらないモトキです。

ああ~ブログも久しぶりだな~(遠い目)

くだらないことが思いつかなくて書いてなかったけど、
久しぶりに気持ちのモヤモヤを文字で昇華しようと思い立ちました。

モヤモヤ。

ええ、わたくし久しぶりの凹み期に突入しておりまして。

ダイエットでいうところの「停滞期」よりもっときつい時期。

ここにハマるとまず身近な人間を攻撃。
そして感情をぶつけまくり、すべてを投げ出す発言を繰り返す。

しかしいつもいつもその原因は、
自分自身への不甲斐なさから起こるものなのです。

まあ大体が仕事がらみでして。
ここでいう仕事とは、毎日OL面して通っているそっちの仕事じゃなくて、
生きがいをもって携わっている仕事のことです。

このブログの三万人のファンの方は知っていると思いますが
(しばらくご無沙汰だったので十万人から三万人に激減)

現場が大好きなモトキとしては、いかにうまく仕切れたか、が
自分の評価になります。

そこが後悔だらけだと海よりも深く落ち込むわけです。

しかしハッと気付きました。
その落ち込みの根っこを深く掘り下げてみた時、

「自分はもっと出来る奴なのに」という思い上がりがあることに。

完ぺきとまではいかないけれど、もっと理想的な仕事っぷりが出来たはず。
進行に気を配りながらももっと和やかに楽しくできたはず。
色んな人に、あと一言、感謝の言葉が言えたはず。
きっちり仕切る事ばかり気をまわして、目が三角になっていなかったか?

あんなことこんなこと出来なかったのは、周りのせいじゃなくひとえに自分自身の不甲斐なさ。
でもその不甲斐なさの根底にある、自分への過大評価。

むかし、オッサン自動車を退職する時にセンパイから言われた言葉。
「自分を出来る人間だと思ってはいけない」
モトキ弱冠二十歳。このセンパイは何を言いたいのか?その頃はわからなかった。

でも今になったらよくわかる。

高みを目指そうとして頑張るのはいいけど、
所詮いまの実力レベルでしか出来ないんだよ。
実力よりも過大評価した自分に追いついてないからと凹むなんて愚の骨頂だ。

わあ~、「愚の骨頂」ってすごい漢字だ。
外人が意味もなく腕に彫りそうだ。
(そういえば「台所」って彫ってた外人もいたね)

ダメダメな自分。
あと何回繰り返せば成長するんだろう。
あと何回寝ればサンタさん来るの?お母さん。

とにかく。

自分の身の丈を思い知れモトキ。

迷惑かけた方ごめんなさい。
お詫びにガリガリ君<梨>を我慢して仕事します。

恥かきながらもこれからも頑張っていこ~!




呪文

呪文。

JUNONじゃないですよ。

呪文ボーイ、なんちゃって。

GWも最終日になればこんなレベルの低いギャグも許せてしまう、そんなことってないですか?

ない、あっそう…。


あの「金スマ」っていう番組は、ゲストがイマイチ好きではないんですが良い内容のものがある。

両耳が全く聴こえないのに、交響曲を書き上げた衝撃の作曲家・佐村河内守。

金スマの前にNHKスペシャルでも特集が組まれたので、ご覧になった方もいるでしょう。


“現代のベートーベン”と呼ばれる日本人がいる。佐村河内守(サムラゴウチ マモル)、49歳。14年前に原因不明の病で両耳の聴力を失いながら、クラシック作品の中で最も困難とされる交響曲を書き上げた。現存作曲家の交響曲が演奏される事がほとんどない中、彼の「交響曲第一番“HIROSHIMA”」は、広島、東京、京都、大阪など5回も演奏されただけでなく、一昨年発売されたCDは、音楽チャートでTOP10入りを果たしJ-POPと上位を競うなど、“偉業”とも言える空前のヒットを記録した。


この人を知った時の感動を説明するには余りにも私の表現力は乏しすぎる。

だから熱くは語らないけれど、彼の半生に衝撃を受けた。

そして取材で示された、若き日の作曲ノート。

一見、何かの模様に見えるそのノートはびっしりと五線譜で埋め尽くされていた。

生活に窮していた若き日、紙が勿体ないからと、白い部分が見えなくなるまであらゆる方向から書かれた音符たち。

とても美しい幾何学模様のようだった。


書き上げた交響曲の演奏会で沸き起こる歓声や賞賛の拍手を、彼は聞くことができない。

目に見える大喝采と、無音の世界の隔たり。

その悔しさや惨めさ(本人の表現)はいまも彼を苦しめているという。

そして聴こえない耳を襲う、耳鳴りや激しい頭痛を抑えるため、毎日何十種類もの薬を飲み、

吐き気と戦いながらトイレの前の廊下に這いつくばって譜面にペンを走らせる。

壮絶。

という陳腐な表現しか浮かばないけれど、壮絶。


えー。

人間、あまりに感動するとショックに近い状態になりますね。

その日から私の中で「サムラゴーチ」という言葉は呪文になった。

いまエセOLとして毎日仕事に通う身になった自分。

悔しいことや腑に落ちないことや凹むことも多い。

その落ち込みは、自分を奮起させる凸と合わないくらい凹みの溝を深くすることもある。

そんな時。頭の中で呪文を唱える。

サムラゴーチ、サムラゴーチ。

人の名前を失礼な話だけれど、その凸は偉大すぎて私のちっぽけな凹を覆い隠してくれる。


人間ってすごいなあ!!!


連休が終わり、明日からまた勤労の日々。

出勤途中、いつも会社に着く寸前に会社ビルのロゴが視界に入ってくる。

それを見た時、めげないように。

サムラゴーチさん。

こんなちっぽけな人間の悩みのためにお名前を借りてすみません。

でも、このちっぽけな人間はお陰様で救われています。


ありがとうございます。