お父さん、またね
ふざけたブログばかり書いているので、父が亡くなったことをどのように書けばいいのかわからない。
SNSなんかやっていると、何かしらの報告をしなければいけないような気になってしまうね。そんなこと関係ないけど。
でも読むこと書くことの好きだった父の娘だから、
月並みだけれどお父さんへの手紙を書くとしますか。
お父さん
小さいころから「ひとみはお父さんっ子だね」と言われ、
なかば暗示にかかったようにお父さんが大好きだった。
お父さんはいつも冷静で言葉少ないけどとっても頼れる父で。
そして絶対に家族に感情をむき出しにすることはなかったね。
私が不安定女子高生で心配ばかりかけてた時も、
母には殴られたけど、お父さんに手を上げられることはなかったね。
お父さん。
あの頃のことはよく覚えていないんだ。
でも、家を離れ一人暮らししてから、
いつかお父さんが死んでしまうんだって想像するだけで涙がじんわりするようになったよ。
でもねお父さん。
実際、あなたが死んでから、せいいっぱい泣けないんだよね。
なんだか気持ちや足元がふわふわして、お父さんが死んだってことがよくわかってないみたい。
お父さん、生きていることと死んでいることの差がよくわからないよ。
ほんとうに死んだのかな。
お父さん、
最期の日の前夜、呼吸が荒くなって、母も姉も私も、「ああ来たか」って思ったよ。
みんなをいったん寝かせたあと、
枕元で夜通し、話をしたよね。
いままでのお礼とお詫びと。そしてその時が来たら明るいほうへ歩いていくんだよって。
怖くないよ、おじいちゃんもおばあちゃんもおじちゃん達もみんないるよって。
でもお父さんは持ちこたえた。
だから、私はほんの数時間、家を空けたんだ。
その日、大好きな場所に行くために。最後になるかもしれないライブを見届けるために。
お父さん、姉から電話があったときは、もう呼吸が止まってたんだね。
その時、慌てて携帯を握りしめて外に出たら、冷たい雨がさあっと降ってきた。
その瞬間、「すぐ帰るよ」って言えなかった。
言えなかったんだよ。お父さん。なんでだろう。
生きて、そこに居る人たちを選んだんだよね。
なんて冷たい娘だろうね。
みんなと普通に喋っている事が不思議でならなかったよ。
そのあと、徒歩2分の駅まで迷って迷って10分かけてたどり着いて、
家に帰ってお父さんの顔を見た時もあまり泣けなかった。
そこからは、まるで仕事をこなすように葬儀の準備をしたよね。
葬儀の手配、写真のセレクト、BGM。
友達もたくさんのお花を送ってくれて、棺の中は花でいっぱいだったね。
わたし、ちゃんとできたかな?仕切れたかな?
お父さん。
最後の辻褄合わせの介護をさせてもらったから、わたしなりにやり切った感はあるんだ。
だから悲しみはない。
でも、とても寂しい。
お父さん、
初七日を過ぎて東京の自宅に帰ってふた晩め。
夢に出てきてくれたね。
夢で私はわあわあ泣いて、目が溶けるくらい泣いて。
死に目に会えなかったことと、
早く施設から引き取らなかったことを謝った。
「どんなに家に帰りたかったか、帰りたかったよね?」って。
でもお父さんは、「うん」と言わなかった。
ひどい東北弁と外国語が混ざったような、分からない言葉でしゃべってた。
言葉は聞き取れなかったけど、目覚めは悲しくなかったよ。
お父さん、心配ばかりかけてごめんね。
お父さん、子供のころに約束した、豪邸に住まわせてあげられなくてごめんね。
お父さん、最期に居てあげられなくてごめんなさい。
お父さん、覚悟する瞬間を何回かくれて、ありがとう。
お父さん、自宅に帰るまでがんばってくれてありがとう。
自宅に帰る前に死んだら、娘が後悔を抱えて生きていくって思ったんだね。
お父さん、夢で赦してくれてありがとう。
お父さん、あなたの娘でよかったけれど。来世も娘になりたいってよく言うけど。
来世では、私がお父さんの母親になるよ。
母親になって、命をかけてお父さんを生むよ。
そしてお父さんを育てて、慈しんで、心配かけられて。
そして今度はお父さんに看取ってもらうよ。
いや、私のように、看取れないとしても。
それでも私たちは、気持ちは通じているね。
だからお父さん、その時までね。
またね。
(父繁、4/22 18:50逝去
たくさん、たくさんの感謝をこめて)
希望
3.11だからといって
3.11だからといって殊更にあの日を想い出すのはどうなのか?
いや、そういう節目に想い出すのが大事なのだ。
そんな論争も起きないほど、当時幼児だった以外の日本人ならば
あの日を忘れることはないだろう。
当日、私は自宅でパソコンの前に座っていた。
体験のない揺れにうろたえつつ、、とっさにぐわんぐわん揺れる食器棚を押さえながら、
テレビ台からずり落ちそうになっているTVを右足で後ろ蹴りして位置を戻した。
ほんとうの揺れが収まったあとは、わくわくわくわくと膝が震えた。
食器棚の下敷きになっていてもおかしくなかっただろう。
繰り返される津波の映像に胸が苦しくなり、
一人でいてはいけないと、実家に帰った。
3.11の昨日、父が肺炎で入院した。
89歳、肺炎が命取りになる年齢。
酸素マスクをしてストレッチャーに乗り、運ばれてきた父の真っ白な顔は、
昔の祖父そっくりだった。
ふだん、「もう天寿全うだから」
「孫やひ孫の顔を見れて、幸せだったね」
と思って、いや思い込もうとしていた気持ちはあっという間に崩れた。
生きてほしいと思った。
小さく小さくなった父の手を握ると、柔らかく握り返してきた。
父が小さな男の子に思えた。
私の手を、12歳で失くした母親の温かい手のように思ったのかもしれない。
検査、担当医の話、入院手続きまでは気が張っていたけど、
用事を済ますために一度東京の自宅に戻り、
パソコンの前に座った時に涙がボタボタこぼれてきた。
最近は施設にいる父に会いに行く時間がなかった。
自分の忙しさを優先していた。
でも、明日からは毎日父に会いに行こう。
仕事が終わったあとでも2時間は一緒にいられる。
眠っているだけでも顔を見て、耳元で昔話をしてあげよう。
そのあと、東京に戻ってやるべきことをやろう。
そう決めたら楽になった。
体はきつくても、心が楽になることを選びたい。
自己満足なのは重々承知していても、
それが唯一、いまの自分を救うことになる。
女友達に愚痴を吐いたとき、
「でもあなたがつぶれたり倒れたらだめでしょ」と言われたけど、
本当にだめなのかな?
もうとうに終わっていてもよかった人生、
別にいまさら怖いこともない。
3.11
父が大好きだった伯母が眠る三陸の海は美しい。
小さいとき、一度だけ髪を梳いてもらったことがある
優しい伯母だった。
六年前のあの日、空は快晴、満点の星だったらしい。
都会の夜も満点の星。
どうぞ安らかに。
星になった方も、生きている人も。
どうか安らかに。
初めての感情
このブログの全国10人くらいの読者の方々、こんにちは。ご無沙汰しているうちに謙虚さを学んだモトキです。
さて。
かつて「生きる」とか「生きろ」とか「生きれば」「生きる時」とかいう映画のタイトルを観たことがありますが(後半はウソ)、
その時は「生きる」って言葉はシンプルでいいなってぼんやりと思ったものでした。
でもいま自分が思っているのは「死なない」ってこと。
「死ねない」に近いかもしれない、初めての感情。
いまの自分は、「どうあってもここまでは死ねないな〜」という期限と使命感を抱いて日々生きています。
なんかもう色々ありすぎて、だからこそ「せめてお前は元気でいろよ!死ねないぞ自分!」とハッパをかけている毎日。
今までは、大切な存在が出来た時、その人(人たち)に何かが起こるのが怖かった。何かあったらどうしよう、もし死んじゃったらどうしよう、と不安ばかり募らせていた。
今は、自分に何か起こるのが怖い。いやいや何かあるとか無理だから!こんなに色々抱えてて、絶対何もあっちゃいけないでしょう!と思っている。
ある意味、前向き。
お父さんになったことないけど(これからもないだろうよ)、家族を守る父親ってこんな感じなのかな?
家族だんらん、子供の笑顔を見るたびにヨシッ!がんばれ俺!って思ってるのかな?
まあその割に酔っ払って転んだり、酔っ払ってつぶれたり、酔っ払って千鳥足になったり、酔っ払ってたまに無茶とかもしてるんだろうけど!お父さんも!
・・すいません全部自分でした。
人間、息抜きが必要。空気パンパンはだめよ。
ちくしょー、これからは人生マラソンの折り返し、息も切れて体力も落ちてくるけど、
それなりに穏やかで違う景色が見えるものだと思ってたのに。
なんだよ神様。なんなんだよ。
家族のこと、仲間のこと。(仕事はどうでもいい)
愛するものだからこそ、感情は大きく揺さぶられ、時に途方に暮れてしまう。
見慣れない服を着た君がいま出て行くほど、途方に暮れてしまう。
こうやってふざけているうちはいいのだ。
少し、先まででいい。決めるのは少し先まででいい。
まずは3月、姉の退院まではしっかりして。
そして4月まで、死なないでいよう。
5月は父の卒寿。その時まだ施設にいるのかな。お祝いしなくちゃ。
もちろん7月までも絶対死ねない。
そのあとは、また好き好んで自らいろいろ抱えるだろうから、そこまでは生きればいい。
常に少しだけ、先に目標を立てて。
小学六年生の時、父は癌で入院していた。
修学旅行に着ていく服を、病室の父に見せに行きなさいと母に言われた時、
病名を知らなかった私は、たぶん友達と遊ぶ時間が削られたことに文句のひとつも言っただろう。
ひとみ六年生。あの時の父も、きっと「死ねない」と思ったにちがいない。
現実は人を押しつぶし愕然とさせるけど、
誰かの支えになれるとしたらそれは幸せなことだ。
誰かにとって大事な大事なあなた、
死んじゃいけないよ。
とりあえず、千鳥足には注意して。
今日も元気で。