3.11だからといって
3.11だからといって殊更にあの日を想い出すのはどうなのか?
いや、そういう節目に想い出すのが大事なのだ。
そんな論争も起きないほど、当時幼児だった以外の日本人ならば
あの日を忘れることはないだろう。
当日、私は自宅でパソコンの前に座っていた。
体験のない揺れにうろたえつつ、、とっさにぐわんぐわん揺れる食器棚を押さえながら、
テレビ台からずり落ちそうになっているTVを右足で後ろ蹴りして位置を戻した。
ほんとうの揺れが収まったあとは、わくわくわくわくと膝が震えた。
食器棚の下敷きになっていてもおかしくなかっただろう。
繰り返される津波の映像に胸が苦しくなり、
一人でいてはいけないと、実家に帰った。
3.11の昨日、父が肺炎で入院した。
89歳、肺炎が命取りになる年齢。
酸素マスクをしてストレッチャーに乗り、運ばれてきた父の真っ白な顔は、
昔の祖父そっくりだった。
ふだん、「もう天寿全うだから」
「孫やひ孫の顔を見れて、幸せだったね」
と思って、いや思い込もうとしていた気持ちはあっという間に崩れた。
生きてほしいと思った。
小さく小さくなった父の手を握ると、柔らかく握り返してきた。
父が小さな男の子に思えた。
私の手を、12歳で失くした母親の温かい手のように思ったのかもしれない。
検査、担当医の話、入院手続きまでは気が張っていたけど、
用事を済ますために一度東京の自宅に戻り、
パソコンの前に座った時に涙がボタボタこぼれてきた。
最近は施設にいる父に会いに行く時間がなかった。
自分の忙しさを優先していた。
でも、明日からは毎日父に会いに行こう。
仕事が終わったあとでも2時間は一緒にいられる。
眠っているだけでも顔を見て、耳元で昔話をしてあげよう。
そのあと、東京に戻ってやるべきことをやろう。
そう決めたら楽になった。
体はきつくても、心が楽になることを選びたい。
自己満足なのは重々承知していても、
それが唯一、いまの自分を救うことになる。
女友達に愚痴を吐いたとき、
「でもあなたがつぶれたり倒れたらだめでしょ」と言われたけど、
本当にだめなのかな?
もうとうに終わっていてもよかった人生、
別にいまさら怖いこともない。
3.11
父が大好きだった伯母が眠る三陸の海は美しい。
小さいとき、一度だけ髪を梳いてもらったことがある
優しい伯母だった。
六年前のあの日、空は快晴、満点の星だったらしい。
都会の夜も満点の星。
どうぞ安らかに。
星になった方も、生きている人も。
どうか安らかに。