初めての感情
このブログの全国10人くらいの読者の方々、こんにちは。ご無沙汰しているうちに謙虚さを学んだモトキです。
さて。
かつて「生きる」とか「生きろ」とか「生きれば」「生きる時」とかいう映画のタイトルを観たことがありますが(後半はウソ)、
その時は「生きる」って言葉はシンプルでいいなってぼんやりと思ったものでした。
でもいま自分が思っているのは「死なない」ってこと。
「死ねない」に近いかもしれない、初めての感情。
いまの自分は、「どうあってもここまでは死ねないな〜」という期限と使命感を抱いて日々生きています。
なんかもう色々ありすぎて、だからこそ「せめてお前は元気でいろよ!死ねないぞ自分!」とハッパをかけている毎日。
今までは、大切な存在が出来た時、その人(人たち)に何かが起こるのが怖かった。何かあったらどうしよう、もし死んじゃったらどうしよう、と不安ばかり募らせていた。
今は、自分に何か起こるのが怖い。いやいや何かあるとか無理だから!こんなに色々抱えてて、絶対何もあっちゃいけないでしょう!と思っている。
ある意味、前向き。
お父さんになったことないけど(これからもないだろうよ)、家族を守る父親ってこんな感じなのかな?
家族だんらん、子供の笑顔を見るたびにヨシッ!がんばれ俺!って思ってるのかな?
まあその割に酔っ払って転んだり、酔っ払ってつぶれたり、酔っ払って千鳥足になったり、酔っ払ってたまに無茶とかもしてるんだろうけど!お父さんも!
・・すいません全部自分でした。
人間、息抜きが必要。空気パンパンはだめよ。
ちくしょー、これからは人生マラソンの折り返し、息も切れて体力も落ちてくるけど、
それなりに穏やかで違う景色が見えるものだと思ってたのに。
なんだよ神様。なんなんだよ。
家族のこと、仲間のこと。(仕事はどうでもいい)
愛するものだからこそ、感情は大きく揺さぶられ、時に途方に暮れてしまう。
見慣れない服を着た君がいま出て行くほど、途方に暮れてしまう。
こうやってふざけているうちはいいのだ。
少し、先まででいい。決めるのは少し先まででいい。
まずは3月、姉の退院まではしっかりして。
そして4月まで、死なないでいよう。
5月は父の卒寿。その時まだ施設にいるのかな。お祝いしなくちゃ。
もちろん7月までも絶対死ねない。
そのあとは、また好き好んで自らいろいろ抱えるだろうから、そこまでは生きればいい。
常に少しだけ、先に目標を立てて。
小学六年生の時、父は癌で入院していた。
修学旅行に着ていく服を、病室の父に見せに行きなさいと母に言われた時、
病名を知らなかった私は、たぶん友達と遊ぶ時間が削られたことに文句のひとつも言っただろう。
ひとみ六年生。あの時の父も、きっと「死ねない」と思ったにちがいない。
現実は人を押しつぶし愕然とさせるけど、
誰かの支えになれるとしたらそれは幸せなことだ。
誰かにとって大事な大事なあなた、
死んじゃいけないよ。
とりあえず、千鳥足には注意して。
今日も元気で。