大ざっぱなO型キャンプ -6ページ目

大ざっぱなO型キャンプ

2023年の夏、2拠点生活の長野でキャンプ再デビューしました。

しばらく放置していた災害への備えですが、改めて重要性を考えさせられました。今この瞬間に関東で災害が起こって断水、停電をしたとしたらどうするか?と昨日点検したところ、長野との二拠点生活でいろいろなものが向こうに流出していることがわかりました(笑)

 

以前は、ガレージにキャンプ道具一式が置いてあったのでいざとなれば何かと便利なものが十分なほど出てくる環境にありましたが、全てを処分して去年1年をかけて長野で再構築したので東京にはメスティンくらいしかありません。

 

で、カセットコンロを長野へ持って行き「ツインコンロ」をしたために(笑)東京の家にカセットコンロが無いことに昨日気づきました。

 

DIYソーラーパネルで、車のバッテリー3個分の充電は常にしてあるのでとりあえず16Vの照明は使えて、スマホの充電も問題なくできます。仏壇にロウソクもあります、電気がいらないタイプの昔ながらのストーブもあります。

 

ただ、ガスボンベはあっても肝心のカセットコンロがない…。

 

今週末はカセットコンロと水と食料の備蓄をすることにしています。

 

長野の押入にしまい込んだキャンプ道具の中から、最低限のもの(ランタン、バーナーなど)コンパクトなものを常に車に乗せておく予定です。

 

災害時に使えるキャンプ道具…という目線で仕分けをしておくことも無駄がなくてよいことかもしれません。

 

2021年の9月、父親が亡くなる1年ほど前から母の認知症がひどくなり週3日の人工透析を受けていた父親との間にかなりの問題が起こっていました。金曜日にそのまま羽田に向かい帰省することもしばしばで、更にコロナの影響で地元に帰りにくくなり、そのうちに「関東地区からの人間と接触した」という理由で母親がデイサービスに行けなくなるなど、いわゆるコロナ初期の過剰反応で帰省もできなくなりました。

 

そんな中父親が亡くなり、母親は一人暮らしになるため地元の施設にお世話になることになりました。昨年の5月までは当然面会はできず、施設の玄関の自動ドア越しに顔を見ることしかできずに昨年の9月までその状態が続きました。

 

今年は久しぶりに年末年始に面会ができるかと思いきや15分の時間制限は変わっておらず、昨年から母親は車いす生活になっており、なおさら外に連れ出すこともできない状況でした。

 

年末には新幹線が前席指定席に(自由席の設定がない)なったことと、年明けの暦が平日を挟んでいたことで仕事納めと年始に休みをいただいたのですが、それによって「年末年始に休むとはけしからん」と昨日注意されてしまいました。

 

できる範囲で(定年を迎えたので無理をせず)母親との時間を取ろうと思っていた矢先でしたので、特に遠隔地にいて地元に肉親がいることへの対応については理解を得るのは難しいし、会社の行事に対する重みがわかっておらずこの歳になって注意をされたことへの情けなさでいっぱいです。

 

仕事は選べても母親や家族は選べない、当時はそう考えて地元へ帰ることも考えましたが私にとっては仕事もない地元での生活は「廃人」そのものでした。そのときは母親よりも自分を取ったので心が痛みましたし、母親を「見捨てた」ような気がして罪悪感も捨てきれていません。

 

認知症の親介護や考えは皆人それぞれで、いろんな考えや意見があり、決して他人には理解できないことだと思います。良かれと思ってしたことが結果悪い結果になることもよくあることです。たとえ母親に毎週面会いに行けるような状況にあったとしても色々なことが起こっていたと思います。

 

大事なのは、「理解してほしい」と人に期待するのではなく、何事にも表面に現れていない人の背景にあることを慎重に可能な限り理解したり想像して「ほどほど」にすることだと年始早々勉強させていただきました。

 

何にしろ、周りに振り回されず、今年は特に自分のやるべきことを粛々とやっていく年にしたいと思います。

 

「定年後のリタイヤ生活」はすでに夢の夢になっていますが(笑)暗いニュースばかりではなく明るいニュースが始まる日が来ることに期待して、駆け足のように過ぎる3か月を大事に過ごそうと思っています。

 

 

 

元日、スキー場からの帰り家族全員から緊急地震速報のいやーな音が鳴り響きました。下りの凍結路をそろそろと下っていたところで「強い揺れに注意してください」を確認した後丁度長いループ橋の上で揺れを感じました。東京での震度3~4には慣れっこでしたが橋の上で増幅されたのかハンドルが取られるほどの揺れを感じました。
 
幸い北信では震度4とのことで被害はありませんでしたが、自宅に戻ると能登半島で震度7で大騒ぎになっておりました。
北信からは比較的近い場所での大地震だったので、輪島の朝市通りには旅行に行ったことのある場所でもあり、必要ならば車でできる範囲の物を現地に持って行こうなど話していたら「個人の支援は控えてくれ」とのことだったので断念しました。
 
輪島の火事も報道され、翌日には航空機事故、そして昨日は目白御殿の火災。波乱の幕開けでしたが、何よりも避難所や現地の状況の報道が緊迫する中、今の時代の映像とはとても思えない環境の中で仕切りもない体育館などで仕切もなく避難生活をされている状況が1週間続いているのを報道で見るにつれ、阪神、東日本の時と同じように素早い対応ができない現実や、道路が寸断されてることもあるのでしょう。ただ、生出演テレビで笑顔を見せる減税メガネ氏、新年会へも参加したとの報道もあり、賛否ありますが、配慮が足りなかったのではないかと感じています。
 
長野でも一昨日は大雪になりました、今日も外にいると手がかじかむくらいの厳しい冷え込みです。支援の環境が整って1日も早く毎日風呂に入れる状況になることを心から期待しています。
 

 

恐らく、新しいカタログの画像が出ていたので間違いのない情報かと思います。

後方確認はカメラではなくソナー、期待されていたフェイスリフトやLEDコンビなど外見上の変更はないそうです。アクセサリのパンフレットにも恐らく変更はないと予想されますが、ナビの選択肢(通信機能のパイオニアかスペーシアで採用されているものを入れてほしいですが工場オプションになるとまた納期が…)ところだけが気になります。

 

 

 

 

今年の1月にヤフオクで手に入れたアトミックのブルースターとデサントのウェア。昨年は購入して履いてみると「こぶし3つ分」くらい腹を引っ込めないと履けないことに衝撃を受け、上着は「何とかファスナーは閉まるがポケットにモノを入れられない」ということが発覚しました。

 

1月の私は「1年もあるから痩せるじゃろ」とタカをくくっていましたが、先週末に長野で履いてみると全く状況は変わっていませんでした(そりゃ何もしてませんから当然です)

これはもうあきらめてダイエットに成功した息子に譲ろうと泣く泣く決心をしたのですが「今風じゃない」と断られ(スキー教室の先生が来てるやつみたい…とも)てしまいました。仕方がないので来年のスキーシーズンまでに痩せることにしました(また何もしませんが…)

 

今年は、短い板でカービングスキーの特訓をして(回転する内側に手のひらがつけるくらいまで練習しなさいとのことでしたので…)何とかブルースターでカービングをするのが目標です。

どんどんと体力が失われていく今になって練習をしなければならないのは、若いころにスキーそのものよりも「他のこと」にエネルギーを使っていたせいです。

 

あのころちゃんとしていれば、今頃はいわゆる「あのジジイめっちゃうまいじゃん」の1人になれていたかもしれません。

 

親切に教えてくれる先輩に「もうボーゲンとかしなくていいっす」と中斜面にはいかず平らに近い斜面をサルのように直滑降で滑っていた自分に鉄槌を食らわせてやりたいです。

 

金曜日は大寒波の中、無事長野へいってこれました。

志賀高原のスキー場にはめぐみの雪で、熊の湯では40cm降ったとか…

 

今週晴れの日が多いので年末年始の雪質はタイミング次第ですが、ふるさと納税でゲットしたリフト券がうまく使えるとよいのですが。

 

 

ハスラーの4駆も依然とスキー場の行きかえりには全く問題なく、チェーン無しでも安心して登攀できました。問題の神輿キャリアはさすがにバランスが悪く撤去しました(笑)

スキーに行く予定の時にだけ取り付けるようにしました。

 

あれこれ年末までにやろうとしていたことが今年も半分もできておらず、日曜日の午後に火がついて、材料だけ揃えていた棚やキッチン周りのDIYをバタバタとやってきました。いつものように遠くから眺めてみると水平が出ていない部分が数か所あり、いつもながらの大ざっぱさにため息でしたが、年末に落ち着いて定規を使って真っすぐに調整しなおす予定です。

 

なかなか未だにもやもやしているジムニーのタイヤ問題ですが、ヤフオクで色々とショップを捜してみると1本販売をしていらっしゃるショップがあったので、夏タイヤとコロラドのホイールを1本購入することにしました。

 

ホイールはいろいろ悩んだ挙句、冬タイヤ用にショットガンを使うことにしました。

今回1本購入したセットが予想通りの感じだと良いのですが。他の細々したアクセサリ類と違い、結構な金額がかかる割に実際に実物を目で見ることができないのがタイヤとホイールです。人生最後の車(になるかもしれない)ので慎重です(笑)

 

 

タイヤは、ジオランダーM/Tとまだまだ悩み中ですが、M/Tタイヤはさすがに高速道路での不安が残るので、1本目のタイヤは最初に決めていたBFGのA/Tタイヤにしました。タイヤのバランス具合を実際に確認してみようと思います。意外と16インチの方がしっくりくるかもしれません。

 

もうじき後方障害物確認装置の規制(4月から?)に向けて、カーナビのラインナップが変わるのではないか?という説もあり、スズキの発表を待ってスペーシアと同じアラウンドモニターシステム付きの純正ナビが出るかどうかでもう一つの大きな買い物を車輛価格に含めるか、アマゾンで購入するかという選択になります。なかなか価格値上げも含めて発表がでません。(ダイハツショックでスズキは大忙しな2024年になりそうです)

 

今週もあと4日の勤務です。最終日は午後から大掃除と納会なので実質3.5日になりました。今年と来年はリタイヤ後の準備と東京の住処の断捨離をしようと今年の年初に嫁と話していたのですが、断捨離は来年と再来年に延期となりました(笑)

 

 

 

 

もう都市伝説ではないのでは?と思うほど「お上がなにかやらかしたら何か大きなニュースが出る」という法則ですが、かつてはビッグモーター、自動車損保、芸能人の自殺、今回はかなり大きな「お上」の問題が報道され始めたので「今度は何が出るのだろう?」と思っていたら、大手石油元売り会社の経営者のセクハラ?事件、デンソーの燃料ポンプ、そして昨日のダイハツの出荷停止まで大事になった偽装事件、減税メガネ氏が脱税メガネ氏になってもちきりだったタイミングで大きな事件が…。

 

自動車の開発には、確かに膨大な評価試験が科せられているのですが中には耐久テストなど長時間を要するものもあり、当然途中で壊れたり不具合が出たら設計変更をして試作品を作り、それで再びテストをしなければなりません。

 

寒いところや、過酷なところを走り回る試験もあり、それで壊れたりするケースも当然あります。自動車メーカーの開発スケジュールは、販売店への実車展示や営業マンへのレクチャー用に販売を開始するかなり前から前倒しとなりますから、ただでさえギリギリのスケジュールを飲んで受注している自動車部品メーカーは、あるところで「もう対策する時間はない」という日程を迎えます。

 

そのタイミングで不具合が出たら大変ことになります。が、実際に不具合は出ますし、厳しい内容の緩和(法規に触れない部分のメーカー独自の規定)や1日単位での納期延期の交渉をします。それを克服するように自動車メーカーは部品メーカー(下請け)に要求してくるし、部品メーカーもかなりの無理をして頭を使って対策した良品を赤字覚悟で納品して1つの車両開発が終ります。

 

今回のダイハツの事件は「偽装」も当然あってはならないことですが、そもそもスケジュールに組込まれて実施されたテスト結果がうまく行っていれば「偽装」をする必要がない、つまり「テストに不合格だったから偽装をせざるを得なかった」という点だと思います。

 

衝突試験で偽装したということは、実施した何度かの衝突試験に不合格だったから偽装したということになります。記者会見で経営者が言っていましたが「衝突試験、ダメでした」という声を現場が上にあげられない社風があったと言っていました。

 

それはダイハツ内部の問題であり、衝突したら何らかの危険(定められた強度にたいする不足など)がある製品をこっそり販売したことにあると思います。

 

ただ、試験の基準には「安全率」「普段ではありえないような状況を考えた最悪条件」をふまえた大変厳しいものになっていますから、今回の偽装が原因での重大な事故に至る可能性が低いことをダイハツが現在行っている「再試験」で確認することが急ぎの対応だと思います。

 

半面、三菱のタイヤが外れて隠ぺいした事故やタカタのシートベルト事故など、想定した基準を超えた「ありえないような状況」で発生する事故は起こりえますから、今回の事件はかなりの大事件に発展するように思います。

 

前代未聞の全車出荷停止となっていますが、納車直前とか、年末は新車で、とか楽しみにするものですから、落胆したユーザーが失った信頼を取り戻すことは、かなり厳しい道のりになるでしょう。

 

私は初めて購入した車を除き、約30年間ずっとホンダ一筋でしたが、ある修理を依頼した結果ありえないことが発覚し即日乗り換えました(人間の手術で言うと右の腎臓が悪いのに左の腎臓を摘出したといったたぐいのミスです(笑))未だにホンダ車は選択枝にも入っていません。

 

 

春から閉鎖されるまでの約半年間、草津から志賀高原までの道路を往復して週末の2拠点生活をしています。行きは深夜、帰りは夕刻ということで、野生の動物にもほぼ毎回出会います。

 

一番多いのはウサギ、キツネ、タヌキ、カモシカ、熊、鹿の順です。(麓に降りると猫もいます)鹿は一度だけ、右の崖から降りてきて駆け足で道路を横切り、左のがけ下へ降りていきました。危機一髪ほどではなかったのですが、10メートルほど先の話です。ウサギは左からいきなり飛び出してくるので2~3度は急ブレーキを踏んだことがあります。キツネ、タヌキは以外にもゆっくりと出てきて去って行きます。

 

鹿に会うことはこの先もほとんどないとは思いますが、何か対策はないものかと思い旭川でレンタカーを借りた時についていたものを思い出しました。「鹿笛」です。

ドアミラーの下側にはっつけておけば、風の力で人間には聞こえない笛の音をだすしろものです(笑)

これがウサギやタヌキなどにも聞こえるのかは、「獣除け線香」並みに??ですが、値段もそこそこなのでハスラーにはっつけています。

 

ただ、動物は出てこないことの方が多いですから、効果があって出てこないのか、そもそも出てこないのかを確認することは永遠に不可能なので、「信じる者は救われる」という何ともな商品です(笑)

毎年この時期になると、25~28歳くらいに居た広島での生活を思い出します。丁度「私をスキーに連れてって」が大ヒットした時期ということもあり、岡山から東に行ったことのないもの同士がツルんでいた(笑)だけなのに、なぜかスキーブームが巻き起こりました。

 

特に、東京のガレージに止めてある車のタイヤを交換して一路関越経由でスキー場に向かうシーンに憧れまくり(当時はまだスタッドレスが出回っていなかったのでノーマルタイヤにチェーン)会社が終わった後に1時間ほどの芸北のナイターに向かうのが流行りになっていました。(今思うと、何の真似にもなっていないのですが)

お察しの通り(?)カセットテープにVHSで再生したビデオをラジカセのマイクで録音したものを聞きながらスキー場に向かっていました。(先輩が親とケンカする声とか入ってました(笑))当時は、「広島も東京も雪は雪じゃし、かわりゃあせんが」などとかき氷の雪が固まったナイターのスキー場をきゃっきゃ言いながら堪能した後、帰宅していました。次の日には、「ひろしまタウン情報誌」で当時「広島の原宿」とうたわれていた(なんでじゃ?)パルコのへんに行き(ただ行くだけです)「サンゴ礁」というディスコで先輩とおちあい、「なんとなく私をスキーにつれてって」生活を再現するのが居心地のいい週末の過ごし方でした(解釈曲げすぎで別の映画になってますがな)

 

当時は「バブル」まっさかりでしたが、広島の我々はタクシーを1万円札で止めたことも、止める人も見かけませんでしたが、本通りから平和公園を横切って自宅に帰ることに何の疑問も感じませんでした(笑)「今は「バブル」なんだからわしらもバブルじゃ」と訳の分からん解釈をしておりました。(そのくせ崩壊したら思いっきり影響ありましたけど…)

 

今では巨大企業になった「ユニクロ」も当時は本通りの裏にありました。メンズBigiやメルローズなどが並んだ通りもありました。

 

バブル崩壊のあおりを受けて転勤させられた(笑)私が横浜に引っ越したのは29歳の時でした。もうあれから30年です。スキーもあの頃の自分が今の自分を見たとしたらじだんだを踏んで悔しがるような「自宅でスタッドレスに履き替えて関越を通って志賀高原に向かう」ということになっています。あれほど喉から足が出るくらいほしかった無線機も、デジタル簡易無線を手に入れました。

 

アトミックの板も買いました(笑)

 

ただ、当時の「ごっこ」遊びに近い数年間を懐かしく今でも思い出します。道具も車用品も、着る者も食べるものも、まだまだ都会との格差があった時代です。カセットテープに吹き込んだ映画を聞きながら、給料も安く、仕事もミスだらけで、車もおんぼろでしたが、ブランドとか値段とか、雪質とか、何も拘らずにスキー場に向かったり、「広島の原宿」に歩いて通っていた頃が一番楽しくて幸せだったと思えてなりません。

 

私の記憶では、その数年前に「Friday」が創刊され、子供の自殺が報道され始めたころだったように思います。新卒の給料も30年間で?というほどしか上がっていません。

景気が良い、「この波に乗るために来年が大事」と減税メガネ氏がいうほどの実感もなく、コロナもあり、我々のような幼稚なものではないにしろ、若い人が我々がやっていたように、形は価値観は変われど「あの頃は楽しかったな」と思えるいろいろな数年間を今過ごしていると願いたいです。人をうらやんだり、人を蔑んだり、バカにすることで自分の存在をかろうじて見出すことにならないよう(当時も居ましたが(笑))

 

今の減税メガネさんのグループがあたふたしているのを見て心から思います。

 

 

 

 

 

 


 

年末年始に向けて、スキーキャリアを取り付けました。本来ならば、システムキャリアにスキーキャリアを取り付けるのですが、夏のキャンプの際に購入したルーフバスケットがついているのでどうしたもんかと。

「外せばいいや」と安易に思っていたのですが、うちのハスラーにはフォグランプがついていないのでルーフラックの先端にアマゾンで買ったLEDの小型のフォグランプを取り付けていたのでバスケットだけを外すわけにいきません。このフォグランプがなかなかのスポットで、夏の間に志賀草津道路から草津に抜ける山道で大活躍をしてくれたので、雪山のトンネル走行が一部あるので手放すわけにはいかない存在になっておりました。

 

 

なので、前の車で使っていたシステムラック用のバーをU字ボルトでバスケットの上に渡して、その上にスキーキャリアをつけることにしました。

 

 

 

スーパーの駐車場でナットを締めること16か所、何とかバーを固定して自宅に戻りました。

 

1週間後の週末、買い物に行こうと駐車場に行ったところ異様なバランスの悪いハスラーが停まっておりました(笑)ハスラーの屋根からまずシステムキャリア、その上にルーフバスケット、その上にバーが止まっています。その上にスキーキャリアです。バランス的には、上に鳳凰が乗っていたらまさに神輿です。本当にかっこ悪いバランスです(笑)

 

 

なので、やはりルーフバスケットは夏場だけにして取り外して今週末に長野で正規の位置にスキーキャリアを取り付けることにしました。肝心のフォグランプは、ボンネットに取り付ける予定でいます。

 

 

 
 

 

なかなかつけたり外したりが絶えないハスラーですが、これもいつか納車される予定のジムニーシエラにつながっています。(無駄なものを購入しないための試練です)そう自分に言い聞かせています。