2021年の9月、父親が亡くなる1年ほど前から母の認知症がひどくなり週3日の人工透析を受けていた父親との間にかなりの問題が起こっていました。金曜日にそのまま羽田に向かい帰省することもしばしばで、更にコロナの影響で地元に帰りにくくなり、そのうちに「関東地区からの人間と接触した」という理由で母親がデイサービスに行けなくなるなど、いわゆるコロナ初期の過剰反応で帰省もできなくなりました。
そんな中父親が亡くなり、母親は一人暮らしになるため地元の施設にお世話になることになりました。昨年の5月までは当然面会はできず、施設の玄関の自動ドア越しに顔を見ることしかできずに昨年の9月までその状態が続きました。
今年は久しぶりに年末年始に面会ができるかと思いきや15分の時間制限は変わっておらず、昨年から母親は車いす生活になっており、なおさら外に連れ出すこともできない状況でした。
年末には新幹線が前席指定席に(自由席の設定がない)なったことと、年明けの暦が平日を挟んでいたことで仕事納めと年始に休みをいただいたのですが、それによって「年末年始に休むとはけしからん」と昨日注意されてしまいました。
できる範囲で(定年を迎えたので無理をせず)母親との時間を取ろうと思っていた矢先でしたので、特に遠隔地にいて地元に肉親がいることへの対応については理解を得るのは難しいし、会社の行事に対する重みがわかっておらずこの歳になって注意をされたことへの情けなさでいっぱいです。
仕事は選べても母親や家族は選べない、当時はそう考えて地元へ帰ることも考えましたが私にとっては仕事もない地元での生活は「廃人」そのものでした。そのときは母親よりも自分を取ったので心が痛みましたし、母親を「見捨てた」ような気がして罪悪感も捨てきれていません。
認知症の親介護や考えは皆人それぞれで、いろんな考えや意見があり、決して他人には理解できないことだと思います。良かれと思ってしたことが結果悪い結果になることもよくあることです。たとえ母親に毎週面会いに行けるような状況にあったとしても色々なことが起こっていたと思います。
大事なのは、「理解してほしい」と人に期待するのではなく、何事にも表面に現れていない人の背景にあることを慎重に可能な限り理解したり想像して「ほどほど」にすることだと年始早々勉強させていただきました。
何にしろ、周りに振り回されず、今年は特に自分のやるべきことを粛々とやっていく年にしたいと思います。
「定年後のリタイヤ生活」はすでに夢の夢になっていますが(笑)暗いニュースばかりではなく明るいニュースが始まる日が来ることに期待して、駆け足のように過ぎる3か月を大事に過ごそうと思っています。