長崎旅行の続きです。
3日目、チェックアウトは10時だったので、10時までプールや温泉、漫画を読みのんびりと出発。
レンタカー返却の前に、3日目の新地中華街にあるホテルに荷物だけ預けることにして向かいましたか、道路がかなり複雑でうろうろしてしまいました
長崎市内は、路面電車が道路の真ん中を走っているので、どういう道路ルールなのか分かりづらく、ナビ通りに右折しても大丈夫なのか迷いやすいのです。
荷物預けた後、レンタカーを返却。
長崎駅前のニッポンレンタカーでは、駅前または大波止までの送迎がついていたので、返却後、大波止までタクシーで送迎してもらえました。
13時発の軍艦島ツアーの、指定時間の12時半に予定通りチケット売り場に到着出来ました。
予約したのは、やまさ海運の軍艦島上陸ツアー。
いくつかツアー会社があり、会社によってツアー時間や集合場所、所要時間が違いました。
しかし、朝連絡があり、波が高くて周遊ツアーになるとのこと
何でも、長崎市の規定により50cm以上波があるときは上陸が出来ないのだそう。
その日は68cmでしたが、見た目はとっても穏やかだっただけに残念でした。
周遊ツアーになったことにより、2時間半だった所要時間が2時間になり、料金も予約時は家族4人で12000円という決済画面でしたが、周遊ツアーにより10000円に割引されていました。
自己都合のキャンセルは料金かかってしまうようでしたが、周遊ツアーになる旨の連絡があった際はキャンセル可能なようでした。
大波止からすぐの、かまぼこ型の長崎港ターミナル。
ここから、五島列島や対馬などへの船も出ているようです。
12時40分には乗船開始。
まずはモニターで、軍艦島の歴史についての映像を見ます。
軍艦島は、岸壁が島全体を覆う海底炭鉱の島で、外観が軍艦に似ていることから呼ばれるようになりました。
正式名称は端島で、6回に渡り埋め立てられて拡張工事が行われていますが、その外周はたったの1.2キロなのだとか。
それなのに、最盛期は5300人もの人が住んでおり、人口密度は東京のなんと九倍だったそうです。
端島まで行く途中、造船所をいくつか通りすぎます。
長崎に造船技術を伝えたのがグラバー。あの軍艦武蔵も長崎で造船されたのだとか。
しばらくすると、遠くに見えてきました。
下の白い建物は、小学校と中学校。階を分けて使用していたそう。ちなみに高校生は船で長崎市に通っていたのだとか。
学校の上にちょこんとある小さな祠は、端島神社です。
下の写真、中央にあるのは日本最古の鉄筋コンクリートアパート。屋上菜園も行われていたそうです。
エネルギーが石炭から石油に移り変わるのに伴い、端島は1974年4月に閉山し無人島になりました。
端島に高層アパートが建築されたのが1916年なので、端島が故郷という子どもも当時はたくさんいたことでしょう。
上陸はかないませんでしたが、周遊しながらその全体を見るだけでも、日本のエネルギー産業に翻弄され、歯車の一つとしての重みすらないような、文字どおり命をかけて働いた市井の人たちの物悲しさを感じました。
富岡製糸場に行ったときも感じましたが、石炭も生糸も当時の日本の基幹産業であり、これらなくては日本の近代化は語れませんね。
中学受験では、端島はたった一行でしか習わないそうですが、非常に興味をそそられた場所でした。いつか上陸したいです。