おでかけ記録です![]()
この日は、西へ電車に揺られ、姫路から二駅手前の御着(ごちゃく)駅にやってきました。
先日、京都の柳原銀行資料館で姫路の白なめしの凄さを知り、姫路の皮革製造の様子を見てみたいと思っていたのです。
汗が滴る猛暑の中、工場や住宅地を12分ほど歩いて、西御着総合センター内にある皮革資料室へ。
もともと皮革製造をしていた70歳男性の地元の方に案内してもらいました。超手厚い専属ガイド![]()
牛の皮
よく見るとM19という焼印が見えます。焼印は、所有者を示すもの。このことから外国産と分かる。国産の牛は、耳標が多いそう。
こちらは山羊の皮
それぞれの大きさで生きている牛、山羊が想像される。
皮は、昔から様々なものに重宝されていたことが分かる革製品がずらりと並んでいます。
革は、丈夫なので、大切なものを保管運搬する道具に使われました。
昔の皮革製造の道具が色々展示されていました。
ニベ
とは、皮の下層の使わない部分。
ニベが何に変身するか分かりますか?私たちが、とても恩恵を受けている材料に変わります。
ニベをぐつぐつ煮て、溶かして、液体になったら、膠(にかわ)液ができます![]()
膠液を型に入れて冷ますとゲル化して、それを細く長く切って天日干しにすると、下の写真のような棒状の膠ができます。膠は、コラーゲンたっぷり。
膠は、牛からだけでなく、魚からもとれます。鯛のあら煮の残りを冷蔵庫に入れていたら、ぷるんぷるんのゼリー状になるのも、コラーゲンのゼラチン化で、仕組みは一緒。
この膠は、天然の万能接着剤
使う時は、溶かして使います。
ヴァイオリンやギター、仏具、日本画(鉱物に膠を混ぜて絵具にする)、家具、マッチ、墨など用途は多様。こんなところにまで、膠が使われているなんて驚きです。
本や書物を収納する文庫
中に入ると、お〜!巨大ドラムがゴロンゴロンと回転しています。
手前の二つのドラムでは、塩漬けされた原皮を洗い脱毛し、奥三つでは、クロムやタンニンなどのなめし剤や染料などを入れて浸透させる。朝一だと原皮が見れたそう。今は全て国産の牛皮。
ちょうど薬液を入れるところ。
皮の厚みのムラを整える「皮濾き」の機械
天井から牛皮がずらりとぶら下げられ、圧巻![]()
たまたま注文の具合で、黒皮ばかりだけど、いつも黒皮というわけではないそう。
アイロンをかけます。
色々な染料
注文に合わせて、ドラム染色以外に噴射させて染色する場合もある。
型押しした皮
牛革のバッグなどの模様は型押しした人工的なもので、本来はつるんと平。確かにつるんとした牛革の製品もいっぱい見かけますね。
クロコダイルの皮の腑模様やダチョウの皮(オーストリッチ)の羽毛を抜いた跡の突起模様、豚革の三角形の三つの毛穴などは、天然。
山羊は細かいシワ模様がある。
ドラムに防水薬品を入れて浸透させたベロア生地
見事に水を弾いています。スニーカーに使われるんだって。
ドラム自体を作る会社は、今は日本にはなくて、もともと狩猟民族で皮革産業の本場であるヨーロッパから輸入するそう。
まさか自分の人生において皮革工場を訪れる時がくるなんて、想像だにしませんでした。開かれた工場マインドに感謝。
皮革資料室へ戻ります。
下の写真は、昔、にわか工場だった建物。奥の背の高い建物は、皮革工場。
ニベを大きな鍋で煮るから、蒸気が逃げるように、上の換気口が飛び出ている。昔は、この辺りに皮革工場だけでなく、膠工場もたくさんあったそうです。
皮革資料室の隣の部屋で、皮に関する約20分のビデオを見ました。
日本書紀や仏教の話から肉食や屠畜に偏見が生まれたのではないかという話、皮は昔から鎧や草履などに重宝し、生活に欠かせないものであった話、薬品を使ってできた革より天然の革の方が優れている話(例えば太鼓では音に粘りがある。薬品のものは音が硬い)、膠も質が悪いと絵具では絵がはげ落ちたり、弓矢では人工接着剤より膠を使用した方が矢が速く鋭く飛ぶ話など、初めて知ることが多く、勉強になりました。
鉱物を使用する絵具には膠は欠かせないし、絵筆は動物の毛でできているし、「絵にも動物の命が生きています」というナレーションの言葉が印象的でした。
東田寺の仁王像、阿膠、お薬のカプセル、フィルムなど本当に様々なものに膠が使われていることを知り、自分が気付かないうちに、生き物の恩恵、先人の知恵の恩恵を受けているんだなぁと。
そして、この日案内してくださったAさん(仮名)のお話を聞きました。
「鯨は捨てるところがない」と言いますが、牛も一緒。牛のお肉が食用され、本来捨てるような皮を革に変身させ、膠を作り、膠のかすは、有機肥料になる。日本ではあまり見かけないけれど、ヨーロッパでは牛の血はソーセージ(ブラッドソーセージ)になる。昔は、牛の毛を緩衝材として使用していた時代もあった。
姫路で皮革製造が盛んになったのは、色々な好条件が揃っていたからで、まずは水が豊富ということ。ここら辺には大きな川はないけれど、近くに市川(柳原銀行で見た白なめし製造で出てきた川)という大きな川があって伏流水(地下水)が豊富に流れてくる。
そして、革作りに必要な塩が手に入りやすかった。赤穂が近いですよね。
瀬戸内の温暖な気候で、皮を乾かすのによかった。
そして、皮肉な話ですが、その頃は、就職差別があって、なかなか他で就職できない人達がいたので労働力も豊富だった。
今では、就職差別はほとんどなくなり、人手不足。皮革工場内は絶えず機械が動いており暑いです。冷暖房を完備すると、採算がとれなくなる。
最近は、ベトナム人を雇っている工場もある。ボートピープルがやってきた頃、姫路に定住促進センターがあったから、多くのベトナム人がやってきた。
阪神大震災では、多くの革の取引先だった神戸の長田(革による靴製造が盛んだった)が被害に遭い、長田は工場が壊れ、靴の製造どころではなくなりました。その時は革の売り先がなくなって本当に困りました。それでも人々の生活で靴は必要なので、その間に中国製の靴が輸入されるようになったんです。もともと日本は貿易黒字で輸入をもっと増やせと言われていた時代だったし。
皮革のお話を聞いた後、Aさんご自身のことを聞かせてくださいました。センター長さんと思われる方が、お茶まで出してくれました。おもてなしの心が嬉しい。
Aさんは、現在70歳。中学高校の時は、普通に恋愛をしていました。でも20歳ぐらいになると、結婚も視野に入れるから、付き合い始めの頃に自分の出自(部落出身であること)を話すようにした。友人の中には話さないという人もいて、どれが正解というのではないけれど、あとで知ってトラブルになるより、知った上で結婚をしてくれる人でないなら、やめておいた方がいいと思って自分は話すようにした。
Aさんの場合は、障害なく結婚まで進んだ。友人の中には相手の両親に反対されるケースもあった。
結婚後20年、子どもが3人できて、特に差別を感じずに暮らしてきたけれど、子どもが結婚を考える年齢になり、娘が彼氏を紹介したいと言ってきた時、まず言ったのは「おめでとう」ではなく「相手は自分の出自を知っているのか」ということ。被差別部落に対する就職差別は随分なくなったけれど、結婚に関してはまだ一部残っているという事実を改めて実感し、自分の頃と同じだ、変わっていないという思いがあった。
私は、話を聞きながら続きにドキドキしていました。こういう話は道徳の授業のビデオや島崎藤村原作「破壊」の映画で見たぐらいで、実際に当の本人から聞くことは初めてでしたので。
娘さんは、相手の方に出自について話し、義両親にも知らせ、理解が得られていると。他のお子さんの場合も、同じように、「おめでとう」ではなく、まず「相手は自分の出自を知っているのか」ということを確認した。3人のお子さん皆、障害なく結婚された。
Aさんは、高校生の時、自分も漠然と大学には行くと思っていたのだけれど、縁あって皮革について本場で学ぶためにイギリスの単科大学に行くことを決めた。
高校3年の2月に卒業し、3月に渡英し、9月入学なので、それまでは語学学校に通って英語の勉強をした。3ヶ月ぐらいでやっと日常生活には困らないくらいには話せるようになったけれど、大学に入ったら、専門用語が全然分からなくて大変だった。大学では、製造について学べるのかと思ったら、ほぼ化学だった。
イギリスでは普通の家庭にホームステイしていた。1956年にイギリスに行きたいという日本人女性がいて、その女性が行ける方法を探し、ユニセフで行くことになり、その女性のホームステイ先が、その後、Aさんのホームステイ先となる。
その女性は、帰国後、東大農学部の教授と結婚し、夫の生徒さんがイギリス留学をしたいということで、自分がホームステイした夫婦を紹介した。
その学生が2年して帰ってくる時に、たまたまいとこがその学生と知り合いで、その紹介でホームステイ先が決まった。
ホームステイ先の夫妻が家族の一員のように接してくれて、一緒に行動して、色々な場所に連れて行ってくれたし、交友関係の中にも混ぜてくれて、その夫妻の周りは多国籍でそこでは差別を感じることはなくて、でも街へ出るとやっぱりアジア人差別を感じる時があって、この違いって何なんだろうと考えた。
自分の狭い世界に閉じこもっているより、交友関係が広い方が差別が少ないのでは思った。もちろん、どちらが正解とかはなく、私なりの考えです。
イギリスで最初は言葉の壁が本当に大変だったけど、慣れてきたら、居心地が良くなってきて帰りたくなくなったんだけど、自分は2人兄弟の長男で下は妹だったので、3年で帰国することになった。
話は、出自と結婚に戻ります。20年後、孫が結婚するときに、まず「おめでとう」と言えるような社会になっていてほしいという思いとイギリスでの経験から部落出身の人も普通の人だと知ってもらえるよう、PTA や消防団、自治会などに積極的に参加するようになった。そんな30年だった。そうしたらやっぱりそれは人のためだけでなく、自分もたくさんの人と出会えて、自分のためでもあると思った。
最近は、部落について知らない子どもも多く、このまま忘れ去られていく方が差別はなくなるのではという「寝た子を起こすな」という考え方もあるけれど、それについてどう思うか聞いてみたところ、ネット上ではまだまだ心ない差別が残っていて、黙っていても差別は無くならないから、自分は差別がなくなるように働きかける。
Aさんは、ご自身の経験から自分の考えをしっかり持っていて、でもそれを人に強要するのではなく、何が正解かは分からないから、他の人の意見も受け入れる寛容性もあって、そんな人柄に惹きつけられます。
そんな誇らしく思えるような父Aさんのもとで育ったお子さん達だから、お付き合いする方とその両親に出自について話した上で、Aさんに紹介したいとなったのではと思います。
人との縁をとても大切に思ってくれるAさんだから、今回は私1人のために、約2時間半も専属ガイドになって、色々なお話を聞かせてくれました。感謝しかありません。名残惜しくお別れしました。
電車とバスを乗り継いで、姫路の材木町にある「杢酒場」へランチ![]()
栃木県の夏限定のお酒「かぶとむし」
ユナイテッドアローズとのコラボ商品。飲みやすくて、ほんのり甘くてレモンスカッシュのような風合い。
焼酎もたくさんあって、おしゃれなラベル!どんな味だろう。
藁を炭で焼いている藁焼きのカツオのタタキ
美味しいんだ![]()
鯖の釜飯
八寸
子持ちこんにゃく、初めていただきました。プチプチ食感がおもしろい。料理は、どれも絶妙な味付けで美味しいです。
釜飯で食べきれない分は、おにぎりにしてくれ、テイクアウトできます。
ちょっとだけ小宇宙なご飯茶碗
どの器もとても素敵で私好みで、聞くと丹波焼や有田焼が多いと。
箱階段は、それぞれ段差の幅や高さが微妙に違っていて、泥棒が足を乱すようになっているんだって
「2階はまだ倉庫状態なんですが、登ってみますか」と勧めてくださり、登ってみる。見た目より急な階段。虫籠窓が印象的。お料理を運ぶ時に転けそうだから、2階はお店にしようか迷っていると。
お料理、お酒、器、雰囲気、店員さん、どれも満足な素敵なお店でした。
次に向かった先は姫路文学館。8月7日、司馬遼太郎メモリアルデー記念講演の日です。ちょうど西巻茅子さんの特別展開催中でした。
「わたしのワンピース」、娘と何度も読んだなぁ。
建物は、安藤忠雄氏設計
司馬遼太郎さんの生誕日に毎年開かれる講演会で、今年の講師は作家の木内昇さんで、演題は「司馬遼太郎の描く幕末」。
参加者は予想通り年配の方が多く、私が最年少では?!という具合でした。
挨拶の司馬遼太郎の義弟・上村洋行さんのお話では司馬遼太郎さんの人柄が分かるエピソードをいくつかお話してくれました。
「街道をゆく」の撮影では、司馬遼太郎さん、朝日新聞社の記者とカメラマンの3人がいればいいんだけど、いつも奥さんとマスコミ各社の人達も一緒に行って、時にマイクロバスで行く時もあったんだそう。
夕飯の後は、毎晩みんなで車座になって座談会が開かれ、最初は皆好き好きに喋っているんだけど、段々と司馬遼太郎の独壇場になるんだって
毎回
そう、まるで知的エンターテイナー![]()
「街道をゆく」の挿絵を描いていた安藤光雄さんも参加した時があって、「千夜一夜」のような楽しいひと時だったと話されている。
木内昇さんは非常に物腰の柔らかい方で、読書会のようなお気持ちでお聞きくださいと。「漂砂のうたう」で直木賞を受賞した木内昇さんは、作家になるだけあって、読書量が半端ないです。でも、子どもの頃は家に本がある環境ではなく、図書館の本を読み漁っていたそう。
小学校の頃1年間に40冊読みなさいという課題があって、課題図書を紹介されるのですが、天邪鬼で、そこに載っていないような本を読んだ。そのひとつが司馬遼太郎作品で「梟の城」などで忍者の動きにはまり、「国盗り物語」では斎藤道三にはまった。
幕末になり、思想がからんでくるとよく分からなくなってきた。尊皇攘夷運動が盛んになり外国を排除しようとするけれど、長州ファイブは密航してイギリスに学びに行くし、外国の思想を取り入れたいのか、取り入れたくないのかよく分からなくて、引っ掛かるようになった。本当は、尊皇攘夷は実態がなく、志士達もよく分かっていなかったのではないか、プロパガンダ的な要素もあったのではと。中学生の時からそんなことを考えていたようです。
萩に行った時に吉田松陰や高杉新作について感じたことや京都の芹沢鴨が暗殺された八木亭に行った時の話を聞き、思わず「そうそう」と心の中で頷いたり、その商店街は行かなかったなぁ、行きたかったな、そんなふうに感じたんだぁと一方的ですが、一緒に歴史を交えた旅行談義をしているような楽しい気持ちになりました。
司馬遼太郎さんは、歴史的な偉業を成し遂げた成功者、完全無欠なヒーローではなく、それまではあまり注目されていなかった欠点の多い人物を魅力的に描き、その人物を読者に好きにさせてしまう、それが司馬遼太郎さんの凄みではないかと話されていました。
リアル世界で司馬遼太郎さんについてお話することは、まずないので、司馬遼太郎さんの世界を共有できた幸せな時間でした。
姫路文学館の敷地内にお屋敷が見え、覗いてみました。元々は、実業家のお屋敷だそう。前情報なく入ってみたら、瀟洒な和風建築に目が忙しくなることに![]()
欄間のデザインが、それぞれの部屋によって違っているんです。粋〜![]()
四連の丸い下地窓も愛らしい。
各所の板絵も見どころ
河鍋暁斎の子、晩雲の作品ではないかと言われています。
襖の引き手も遊び心が。
かなり大きなお屋敷で、奥まで進むと、あっ!2025年の竜王戦の会場になったんだって。やっぱり、格式高い和風建築だったんだぁ。
次は、徒歩で行ける兵庫県立歴史博物館へ
姫路城の断面図
民間向けの防毒マスク
効くのかな??
戦時中に作られた貯金箱
うどん蕎麦の行商屋台
今となっては、こんな屋台があったら、反対に洒落てる。
「竜骨車」、まさに竜の骨。
低地の用水路の水を上に汲み上げる木製農具。高価なものらしい。
妖怪絵巻が展示されていたら有料展示室に行きたかったのですが、展示されていないっぽく、何より軽い熱中症なのか頭痛がしてきたので、無理せず帰ることにしました
それでも、十分充実した一日でした![]()













































