終業式に学校から支給されたタブレットを持ち帰って来ました。
秋以降、タブレットを使用した学習が始まるやいなや、授業の中で、何でもかんでもタブレットを活用するようになったそうで。
うちは、今はタブレットはパスコードを設定し時間を決めて与えているので、タブレットなんて貸し出されると、自由に遊んでしまうので困ってしまいます
そんな中、昨日読んだ本がこちら。
コロナ前の社会では、スマホやタブレットを子どもに与えるのは良くないという共通認識があったように思いますが、このコロナであっという間に変わりましたね。
可もなく不可もなく、インフラの一つとして必要に迫られている以上仕方ないわけですが、うちは小学校入学前は際限なくiPadを与えていたのですが、今はやめています。
スマホやタブレットの依存性を感じたからです。
使いすぎることの弊害があるのは、ゲームだけではないと身にしみています。
今は、次男には勉強した時間だけ、タブレットを与えるようにしているのですが、それでもYouTubeを見たいと言って、人の状況を考えることなく主張する時があるんですよね。
そういう時の彼は、半ばキレ気味にすらなっている。
前はなかった、そういう兆候がタブレットを使うことで出てきているので、今はどんどん時間を少なくしています
考えてみれば次男、今年の初夏を過ぎてから、やたらに反抗するようになりました。
何でもかんでも中間反抗期のせいにしていましたが、考えてみると自粛期間とも重なるし、タブレットの使い方、見る時間にも原因があったのかもしれません。
次男は、映像の内容もタブレットを使うことでむしろしっかり覚えられるし、自分の頭の中でも情報をきちんと咀嚼しているように見えました。
だから、タブレットを与えても全く問題ないとずっと思っていましたが、おそらく理解できるかどうかは関係ないんですよね。
ハンセン氏は、精神科の医師としての見地だけでなく、人類の進化の過程から、「スマホはドラッグである」とまで、言い切っています。
確かに、たまたま乗り合わせた車両にいる人たちほぼ全員がスマホを見つめ、スクロールしている光景を見たことはありませんか?
私はけっこうあるのですが、考えてみれば異様ですよね。
誰もが情報に乗り遅れまいとして、結果として情報の洪水から取捨選択することができないばかりか、自分で意思決定が出来なくなっているのかもしれません。
例えば私も、料理するときはスマホが手放せないのですが、何回同じものを作っても、覚えていないから見なければ作れない。
逆にいえば、見て作るから、脳が作業工程を記憶することを拒否しているとも言えるのではないか。
この本の著者、ハンセン氏が語るように、私たちが持つ太古からの遺伝子は、スマホやタブレットが持つ報酬体系(即座にドーパミンが得られる)に適応していない。
知りたいことや見たいものにクイックレスポンスをしてくれるネットの世界は、いとも簡単に人から集中する力を奪っていく。
そして重要なことは、ジョブズを始めとした開発者たちは、このタブレットが人に与えるリスクを理解していたということです。だから彼らは我が子にはある程度大きくなるまで与えようとはしなかった。
とはいえこのコロナ禍では、タブレットをすべて否定するわけにはいきませんし、ホリエモンや落合陽一氏など幼児のうちからどんどんスマホを使わせろ!と主張する方たちもいるので迷うと思いますが、これはもう各家庭で考えるしかないですね。
スマイルゼミやチャレンジたっちなどのタブレット学習は親の学習管理が楽そうなのでいいなと思っていましたが、やっぱり選べる状況にあるならば、紙ベースが無難かもしれません。
ハンセン氏は、書籍の中でタブレット時間として費やしていいのは大人も子どもも一日あたり二時間までとして、8歳未満は一時間が限度だと語っています。
週に3回45分(週2時間)、できれば心拍数が上がり汗をかく運動をすることが集中力を上げるために望ましいそうです。また、時間にかかわらず、例え5分でも運動すると勉強における記憶力や集中力に効果があるといいます。
スマホは寝室や勉強、仕事部屋にはおかない。
電子書籍も同様に、タブレットは睡眠や仕事の質を妨げるので、就寝一時間前には見るのをやめる。
これは、私もまず身をもって試してみたいと思います。
スマホ脳、今とても売れているようですが、改めて家庭におけるタブレットの取り扱いについて考えることができる良書だと思います。