この頃,航空幕僚長を更迭された田母神 俊雄氏のyoutubeを見る機会が多くなった。


 自分は彼,田母神 俊雄氏の自分を曲げない強い意志を尊敬する。 


  歴史観は十人十色であり,思う気持ちも様々と思うが,我々が教育を受けてきた侵略国家を否定しているのもなるほどと思うことが多い。


  「自分の国すら守れず、核兵器反対などと言っても意味が無い。日本の周りをよく見ればわかる。

 北に大国ロシア、隣に,北朝鮮,そして中国・・・何と、核兵器みんな持っているんだな・・・。そんな周りに囲まれている日本がなぜ核武装をしてはいけないのか。中国の脅威が年々増加している。軍事費は世界第二位となり、シーレーンに空母を建設しようとしている。 完全に囲まれてしまえば,身動きできなくなるのはわかりきっていることである。それ以前に,この先、資源問題で中国とは確実にもめる。尖閣諸島の資源を巡っての対立は確実に起こる。」 



 核被爆国である日本は核武装する権利がある。 アメリカとの同盟は必要だが,他国に舐められる国家体制では国とは言えない。


 明治維新後の富国強兵は国家体制の基本基盤であった。 アメリカへセコムしてもらうのも手段だろうが・・・・・日本民族が強い軍隊を持つことで土下座外交もなくなるのである。


 外国は自衛隊を軍隊と思っている。 それを無理やり自衛隊は軍隊ではない!!と政治家がウソを付く。


 田母神 俊雄氏を政治家とし,与党の防衛大臣にすれば自衛隊員たちも誇り高き日本軍人となるだろう。


 戦争を起こさないために強い軍隊が必要と思う自分は間違っていないと思うのだが・・・・・。


 村山談話は日本の歴史の汚点と思う。  歴史は常に勝者理論が優先されるからである。  

阿久根市はこれから市民を二分する住民投票に入る。


 市民は役人や議員に騙され続けたことに気づき,役所出身以外の首長を選挙で選出すれば市民サービス向上に繋がるのは間違いない 。  国も県も嘘つきばかりでそれに対抗できる雄弁な大阪府知事も立派だと思うこの頃である。


 彼ら議員や役人達の無責任高給優遇に待ったをかけている名古屋市長もそうである。


 官民格差、地方の疲弊よりも、竹原氏を降ろすことが最優先となっている。 我々凡人は、それが誰が後ろ盾となって竹原氏を追い詰めているのか冷静に見つめていく必要がある。

 市民は議員や役人よりも薄給で彼らよりも苦労が多い。 そのうえ,彼ら達へ税金を収めるのがバカらしくなってきた。


 自治労が竹原市長を目の敵にしているのは、公務員の高給優遇の真実を国民に知られて各自治体に飛び火するのが困るからだ。


 市民のフリをしている自治労関係者は第二の阿久根市の出現があるのではないかと危惧するだろうし,総務省(旧自治省)出身の首長と役場職員が地方を独裁する体制が崩れれば公務員リストラも間近かになるだろう。  特権が失われていくのである。

 明るい市政?? そんなの当たり前。 当市は固定資産税を安くサービスできます。 市政財政基盤健全化のため,職員給料・議員報酬を半減を実施しています。  税金の安い阿久根市へ引っ越して来てくださいと言える様な市町村競争も必要と思う。


 志の高い福島県矢祭町とも違った感じもするが・・・・・・ふるさとを憂い自分の身を捧げられるリーダーが中々現れない。


 廃藩置県のように役人の大リストラを実施できる国のリーダーも必要だが・・・・・自治労支持団体の民主党では無理である。


 幕末の坂本龍馬のようなリーダーを望む国民性に期待したいと思う。


 郷士でも国をひっくり返せるのだ。 日本はそうゆう良識あるリーダーが出てくる歴史ある国である。

 それにしても・・・・低レベルの議会だけど八百長と学芸会でない分,わかりやすいのが阿久根議会である。                                                                   


 阿久根反市長派議員が「議員をバカとはどういうことだ。あなたがバカじゃないのか。議員だけがなぜ日当制なのか」などと興奮気味に質問。市長は「『議員はバカ』と、私は言いましたかー」と大声を上げ、「言ってない。うそを言うのはやめて」と声を荒らげた。


 竹原市長の専決で議員報酬日当一万円にされた腹いせだろう。 とにかく議員達の報酬を引き下げたのはバカではなく寄生虫で働いてないということだ。


 八百長と学芸会もできない議会になったから,役者であった議員達は要らなくなった。 役者がバカだから市民も「うそを言うのはやめて」と叫んだ。  けど反市長派議長は市民を本当のことを言った市民を退席させたのである。


 この場合,バカと言い始めた議員を退席させるべきだと思ったが,議長とともにオール反市長派の寄生虫議員は議決に必要ということだろう。


 市民感覚からかけ離れた職員給与と同じ高い報酬を貰いたい一心でバカ発言となったことも理解できる。


 だから,阿久根反市長派議員はバカでなく寄生虫なのである。 


 リコール成立で寄生虫は自分達の報酬を戻したいだけ。 そう言われたくないなら,阿久根の将来のために仕事すべきである。


 


  

 名古屋市議会は臨時議員総会を開き、市長が主導するリコール運動を「議会制民主主義を否定し、憲法や地方自治法の精神を踏みにじるもの」と非難する文書を採択した。


 何が民主主義だ。 自分達の報酬を守るための保身決議をしているだけだ!!


 市民が思う政治を理解しているどころか市民から巻上げた税金をムダに使うだけの能無し市議が多いということだろう。


 減税して市民生活を支えつつも健全な財政を作るという本来の仕事をしないだけでなく,自分達の報酬取り分を優先する議員は淘汰されるべきである。


 八百長議会をしている自分達がリコールされるのはおかしいと決議しているのが滑稽である。

だったら自主解散して,市民に信を問うのが議員達の務めだろう。


 市長も議会が解散すれば辞職して市民に信を問うと公言しているのだから,リコール批判よりも解散選挙で戦うのが名古屋市議たちの選択だろう。


 なぜ,選挙で戦わず名古屋市議会の民主、自民、公明の3党市議団が、市議報酬を月額約10万円引き下げ、期末手当を含めた年額報酬を約1393万円とする方針を出すなど,市民がリコール署名をさらにしたくなるような動きをするのだろう。


 こういったアンポンタンを早く落選させて,市民感覚の議員に変えていけば,全国の地方議員達も年800万円の報酬で議員活動をするだろう。


 名古屋市民が日本を変える試金石となることを希望したい。 河村氏は国会議員時代は議員同僚からもバカにされていたが,庶民感覚は,誰よりもずば抜けている。


 特権意識が高い国会議員たちも考えさせられるリコール運動だろう。

 元鳥取県知事・片山善博氏の「地方議会は八百長と学芸会」発言に基づいた北海道庁のルポ特集がイヤに懐かしくなった。


 なぜなら阿久根市のように市長が専決するだけで市政が改革できるのである。 自分らの議員報酬を下げてくる名古屋市議も市民感覚もないバカ議員であると証明している。


 議会は自主解散すれば・・・・・手厚い報酬を放棄して選挙でお金が掛かるから絶対に解散選挙はしようとはしない。


 議員活動と称して海外観光旅行できるし,政務調査費をゴマカして後援会活動に流用できる。 すべて税金であり,それを食い潰すのは議員の特権だからと思っている。


 そのお膳立ては自治体職員が行う。

 八百長と学芸会の議会を自分達に都合のいいように演出している。


 議員と自治体職員の関係を清算出来る市長を市民が選ばない限り,シロアリされてしまうのである。


 首長は公約実行あるのみである。 そのために選ばれた。 それを邪魔しようとする議会は県民市民の孫の代まで借金を残すだけの存在にしか思えない。


 地方議員たちは役者にでもなろうというのか。  八百長に慣れれば県民市民を騙す。 そんなヤツラ達の利権活動議会は不要と思う。 

 福島県南部の久慈川のほとりで、名物といえばアユくらい。人口7千人弱の矢祭町(やまつり)は、01年10月に議会が「市町村合併をしない矢祭町宣言」を決議して、一躍注目されました。


 その当時の町のリーダーであった町長の根本良一氏が宣言を起草した。 


 町長自身,宣言を出しただけで、中身は何もないんだもの。これが、のちに、職員が発案した行財政改革につながった。という。


 国(総務省)は市町村「合併しないのは、根本町長や議員の保身のためだ」と得意の圧力をかけた。


 根本町長は国を「平成の合併は財政の論理ばかり。自治体の経営効率を上げ、行革を進めようと。国も借金ばかりで、地方に回すカネを減らしたい。それでいて、合併特例債という借金奨励策を打ち出す。矛盾だらけで、あきれた。」と評している。  もっともだと思う。


 根本町長だけが志が高かったわけではなかった。 町議会議員も志が高かった。 参考に決意宣言の一部を紹介したい。


矢祭町議会決意宣言「町民とともに立たん」

 町議の責務として「町議会議員は、町民の信託を受けた町民の代表である。議員は、町民の声を代表して、矢祭町の発展、町民の幸せのために議会活動に努める」とうたわれている。我々は常に町民の一人ひとりの立場に立って町政に参画しなければならない。町民の生活こそが、日々の議員活動の中で、最も気に掛けねばならない問題である。

 我々が受ける報酬は、町民が汗を流してかせいだ税金であることを忘れてはならない。

 議員報酬の経過を辿れば、執行部とのもたれ合いの中、報酬審議委員会なるものを隠れ蓑にして、その額を住民の目に届かないところで決めていたと指弾されても、それに反論する言葉を我々は持たない。右肩上がりの時代からのお手盛りを重ねてきた結果が、現在の議員報酬につながってはいないだろうか。50年後、100年後もびくともしない矢祭町を作り上げるためには、議会はもう一度原点に帰らなければならない。我々議員は、町民の艱難辛苦を憂い、嘆く声を聞き、見たとき、現在の報酬制度にあぐらをかいているわけにはいかない。そして、我々は報酬制度を根本から考え直すことを決意した。その際、我々は世間一般の常識にとらわれない。矢祭町はいかにあるべきか、矢祭町議会はいかにあるべきか―― ここが我々の議論の出発点であり、すべてである。

 私たちが描く日当制は実費支給が原則であるから、町民の目からも透明度が高く、議員活動に対する対価という意味合いがより厳格化される。これによって、議員の活動状況も分かりやすく、評価もしやすくなる。また、これから議員になろうとする人も、欲の固まりのような金の亡者は消え、真摯に町を思う若い人や女性も進出しやすくなるなど、有権者の選択肢が拡大するに違いない。「選挙には金がかかる」との風説があるが、この日当制の導入によって、「金のかからない選挙」が実現できるだろう。選挙運動のあり方にも一石を投じることは必至だ。何よりも経費の削減によって生まれる余財を、町民生活を豊かにする町民密着の政策に差し向けることができることを我々は何よりも喜ぶ。
 
 幕末を思わせるような出来事だったと思う。 そして自分らから身を削って町民の見本となった。

それは,議員定数を減らし,議員日当制にした。町長以下3役も給料を減らし,総務課長と同じ報酬にした。


 阿久根市も名古屋市もこうあるべきだったと思う人もあるだろう。  地域性や都市化した市民の政治への関心の薄さもあって苦労が絶えないと思うが・・・・・・議員も市職員も権利意識だけが先行して,市民生活はカヤの外になっていると思う。


 初心や原点に戻れる議員や市職員がいないことで市民が怒っているのである。 矢祭町物語の次に物語ができる市町村が現れて欲しいものだ。

 

 竹原市長の市政運営が独善的だとして、今月17日から住民グループが市長のリコールに向けて署名集め8420人の署名が集まった。


 リコール成立に市長不信任をしなかった反市長派議員達はホッとしているだろう。


 減税となった固定資産を元に戻す。議員報酬日当制一万円を否決,職員ボーナス半減を戻しなど市役所職員と反市長派議員は臨時議会で自分達の取り分を提案可決させて終了となる。


 問題となる専決については司法判断となるだろうが,しょせん役人の鹿児島県知事は副市長専決を違法と断定している。


 市民のための専決なのか,市職員と反市長派議員のための議会なのかを住民投票で市民が決めることとなる。


 市民の良識な判断を望みたい。


 将来の阿久根市の次世代のために何を今しておくか。 これに尽きると思う。


 税金を食い漁る市役所職員と反市長派議員もバカではないだろう。

 
 市民という名の税金を食い漁る市役所職員と反市長派議員たちと改革すべきと思う市民と二分する戦いが,阿久根市を暗くするような気もする。


 


 高齢者の所在不明問題を巡り、大阪府東大阪市で、江戸時代の文久元年(1861年)生まれとなる149歳の人を最高齢に、120歳以上の高齢者が228人、戸籍上、生存したままの状態で戸籍が残っていることがわかった。



 149歳の人が統計上,数多く生存していれば長寿王国である。



 実際に長生きの人は多いとは思うが・・・・・しょせん役所仕事である。 もしかしたら江戸時代生まれの統計が女性の長寿世界一という理由を作っているのではと疑う人も多いだろう。



 役所が長寿の方の所在を役所仕事でやればこんなことになってしまうということだ。  いかに公務員は仕事をやっているようで実は全く何もしていないのだ。



 こんな公務員達が統計を作っているから・・・・・まったく統計資料は信用できない。



 それにしても時代は,文久の年に坂本龍馬が土佐勤皇党へ加盟した年に生まれた人が149歳である。  時代は文久・・・元治・・・・慶応・・・そして明治と続く,すばらしいお役所もあったのだ(苦笑)


 日本は怪しいを通り越した・・・・・戸籍制度なのだ。

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長は23日、県庁で伊藤祐一郎知事への面会を求めた。


 知事は竹原市長への解職請求(リコール)の手続きが始まっていることを理由に挙げ、面会を拒んだ。


 突然訪問した竹原市長は伊藤祐一郎知事が絶対に面会しないということを前提にマスコミに「知事は所詮役人の代表」という事実を報道させたのである。


 マスコミも竹原市長と伊藤祐一郎知事の対立構図を書きたかった。 知事はしょせん役人の親玉であるから,面会を拒むと読んでのパフォーマンスである。


 仮に知事が竹原市長に面会したなら・・・・・・パフォーマンスした竹原市長の完全敗北である。  


 私はこう思う。  県知事はどっしりと構えて・・・・・竹原なんぞは小僧だろうというような大人の対応すればマスコミも知事に友好な記事になっただろう。


 伊藤祐一郎知事よ!!オマエは竹原市長へニコニコしながら「阿久根市政を頑張ってください。」と言えないのか。


 県民は役人に囲まれて竹原市長の陰口しか言えない知事をどう思うだろう。


   

 春爛漫、皆様にはお変わりなく、お過ごしのこととお喜び申し上げます。
 さて、このたび任期満了により、矢祭町長職を退任いたしました。
 顧みれば、6期24年間にわたり、皆様には、ご支援、ご指導、あるいは、ご叱正を賜り、深く感謝申し上げるしだいであります。
 今、この場に立って胸中によぎるものは、ご存じ陶淵明の「園田の居に帰る」の詩であります。
 少(わか)きより俗に適うの韻(しらべ)なく/性もと邱山を愛せしに/誤って塵網のうちに落ち/ひとたび去って二十四年/羈鳥は舊林を戀い/池魚は故淵を思う
 そして24年間という歳月を振り返るとき、一寸の光陰軽んずべからず、そして、光陰矢の如し、短い、あるいは長い年月であった、と思う次第であります。
 さて、顧みますと、平成13年10月31日、本町議会が「市町村合併をしない矢祭町宣言」を全会一致で採択しました。爾来、本町は地方自治の本旨に基づいて住民本位の政をひたすら進めてまいりました。
 そして今、ある意味では矢祭町の進むべき道は、確立されたと自負しております。
 今、日本の国の全体を暗雲が覆っているのは、指導者が国民の立場に立っておらないということであり、自分の立場本位の判断に終始しているからに他ならない。このことは国民にとっても非常に辛いことであります。
 しかし、矢祭町に限っては、議員をはじめとする指導者は町民のために全力を挙げて、町発展のために役割を果たして参りました。そして何よりも敬服することは、役場職員が決して楽なことではないはずだけれども、黙々と全体の奉仕者の役割に徹せられ、昼夜を分かたず全力を挙げて職務に精励されました。このことは、全国の自治体より称賛され、独立・自立する自治体のお手本とされております。今の矢祭町はご存じのとおり、名前は全国区、そして中身も7割まで達成しているはずです。このことは、言うは易く行うは難し、矢祭町以外の役場で進めることは、私は不可能に近いと判断しております。吾が身をかえりみず、郷土愛を高く掲げ、一筋に取り組んでこられた役場職員の諸君、ありがとう。このことは町民の皆さんも高く評価されて、それならば私たちも応援しますと、自分たちの町ですから、理想郷の実現に一緒に頑張って行きましょうというのが、今の矢祭町であります。
 これまでどおり、役場・議員・町民が三位一体となって進めてきた町づくりをさらに進めていくならば、私、根本良一に拘ることではないと思います。新体制に大きな期待を寄せる次第でもあります。
 さらに、平成18年度からスタートした「矢祭町第3次総合計画」は、平成22年度までの5カ年計画です。この計画の大きなタイトルは「郷土愛」とし、共に支えあいながら暮らせる町づくりを推進し、その実現のために「元気な子どもの声がきこえるまちづくり」を政策の中心に据えています。それを貫くための町の憲法たる「自治基本条例」を制定し、平成18年1月1日から施行されました。本条例では、町政の基本理念を謳い「町の最上位の条例」として位置づけております。前文では「法令を以って命令されない限り合併せず、自主独立の道を歩む」ことを改めて宣言しており、まさに自治基本条例は矢祭町の進むべき道を示したバイブルです。総合計画を忠実に実行することにより「元気な子どもの声がきこえるまちづくり」の実現をはかり、さらに自治基本条例という町の「不磨の大典」を後ろ盾に、まちづくりが今、ダイナミックに進んでおります。
 矢祭町が50年、100年後にも微動だにしない将来に向かってのレールは敷かれました。矢祭町は名実ともに全国一を目指して、道半ばではありますが、目標の後半に差し掛かっています。誰が矢祭町の為政者になろうと、私に代わって立派にやっていけると確信しております。私はこれまで、常に全力投球で町政を進めてきましたので、思い残すことはありません。
 さて、この場に臨んで、やはり政にある者は出処進退、さわやかなるべし。これは変わらぬ信念であり、24年間、思わない日は一日たりともありません
 維新革命の寵児、高杉晋作
 おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり
 激動の維新を駆け抜けた高杉の心境にあい通じるものを感じます。
 人生とは、人間とはいかにあるべきか、そして、出処進退はさわやかに、ようやく間に合いました。
 もう一度、役場の諸君、ありがとう。
 町議会をはじめとする指導者の皆さん。皆さんは素晴らしかった。
 何よりも、郷土愛を高く掲げる町民の皆さん、大変お世話さまになりました。
 平成19年4月吉日               根本良一拝