「各」(オノオノ)、あるいは、「各々」(オノオノ)の意味は、「それぞれ一つ一つが(皆) ~」とか、
「それぞれ一人一人が(皆) ~」である。それで、エジプトでは、「wa」(一つ)という言葉を用い、
「wa nb」(あらゆる一つが、あらゆる一人が、各人すべてが)と表現する。これはかなり決定的。
* * *
「wa」(一つ・一人)は、「wa」(各人)の意味を持つのである。このことは、
「倭国」の「倭」(和)が「夜麻登」と訓まれることに大いに関係する。即ち,
この「倭」(和)は、エジプトの「wa」(一つ・一人)であり、この「夜麻登」は、
アッカド語の「yamattu」(each, anyone)である。つまり、「倭」(一)ゆゑに、
「yamattu」(各)と訓まれる。ここで、「一」=「ity」(王)=【M】(水、50)、だ。(※【星】(Maghā)である)
そのさい、「yamattu」(各)には、実は【YMM十A】(pool、622)も重層する。
#今…古事記の島生み・国生みにおける分野説の設定において,
#【星】(Maghā)=【M】(水、50)=「飯豊」(ふくろう)に当たるのが,(※「青海」(シリウス)を含意)
#「大倭豊秋津島」である。当該の「倭」(夜麻登)は、結局のところ,
#【M】(水、50)を表すところの【YMM十A】(pool、622)なのだから,
#これは即ち「倭」(一)=「ity」(王)=「Nippur」[EN.LIL](五十)で,(※最近の既稿を参照のこと)
#「倭」(一)は、やはり、「yamattu」(各)である。これこそ、「日本」だ。(※これの別表記が「日暮里」)
#アッカド語の名称の「Nippur」[EN.LIL](五十)の仮名表記なのだ。
#「夜麻登」(湖)=「飯豊」=「青海」=「シリウス」。そういう話なのだ。
#「梟」は、「休留」=「qūlu」(silence)=「kīṣu」(cool)=「mšrw」(夕刻)。
#つまりは、「mašrû」(wealth)=「Sirius」を含意する。全て「日本」の話。