■朽ち果てた館■

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ARIONの預言解読──音楽に載せて

 ①「名称」(Pleiades)    ※『舎頭諫経』

 ②「」(Pleiades)      ※『史記・律書』

 ③「休留」(owl)       ※『日本書紀』       ※【】(50)である。

 ④「mul.mul」(Pleiades)  ※ムル・アピン星表   ※意味は「」(stars)。

 ⑤【PRYHDWSA】(medical treatment500

 

Pleiades」を意味する語、及び、関連する語を列挙してみた。

②「」(Pleiades)&③「休留」(owl)、これらの漢字の字義は、

定かでないが、正倉院文書の用例だと、「(病を治す」である。

」や「休留」の意味が「(病を治す」だとするならば…直ちに、

PRYHDWSA】(medical treatment500)>「Pleiades」である。

 

*   *   *

 

次に、⑤【PRYHDWSA】(medical treatment500)=「Pleiades」ならば、

②「」(Pleiades)のみならず、③「休留」(owl)も、「mul.mul」(Pleiades)、

言い換えれば、③「休留」(owl)も、「mul.mul」()であり、これは、まさに,

休留」(owl)=【】(50)が、【】(Maghā)に当たる、ということである。

 

#「休留」(owl)=【KW十A】(539)=【XMΣYN】(五十539)、という等式は、

#「mul.mul」()が、【】(Maghā)=【】(50)に通底することを示すものだ。(※言葉として)

 

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以上に鑑みれば、枕草子に於ける「星はスバル」という物言いは、結局のところ、

mul.mul」()=「Pleiades」は、「sbՅ-r」(御門375)=「sbՅ」(75)、の意だ。

sbՅ」(75)=「sbՅ」(御門75)=「r」(御門300)とは、「sbՅ-r」(御門375)で、

したがって、「スバル」(御門)は、「sbՅ」(75)=「mul.mul」(Pleiades)の名称だ。

【Q】

 

いま話してきたのは、通時的な話ですね。

共時的な話については、どう纏められますか? 

まず、アッカド語について。

特定の時代(どの時代とは指定しません!)における、

「s」と「ṣ」と「š」の語形交替について、どう纏められますか?

 

一つの特定の時代(〇〇期)について説明したうえで、また、

次の続く時代(△△期)について説明する、といったスタイルで、

複数の共時態を並べ、通時的に説明してください!

 

 

【A】

 

整理して、期ごとの共時態を並べます。


①古アッカド語期(サルゴン朝期、前24〜22世紀頃)

この段階の歯擦音体系は、実はそれ自体が確定した定説を持たず、現在も議論が続いている領域です。第三千年紀のアッカド語における *θ、*š、*ś(あるいはそれに類する音)の扱いについては、地域・書記伝統によって表記のばらつきが大きく、当時すでに一部の合流が進んでいたのか、まだ独自の音価を保っていたのかについて、研究者間で見解の対立があります。つまりこの段階を「共時的にこう整理されている」と一義的に述べることが難しい、いわば再建の途上にある層だとご理解ください。


②古アッシリア語・古バビロニア語期(前20〜16世紀頃)

ここで有名な、いわゆる「s/š の交差対応(crisscross correspondence)」が現れます。同一語根であっても、方言によって s と š が入れ替わって現れるという現象です。具体的には、古アッシリア語の sebûm「7」に対し、古バビロニア語では šabûm となるように、古アッシリア語で s と綴られる語が、古バビロニア語では š として現れる、という対応が見られます。

この共時的なクロス対応は、通時的には「押し出し型連鎖推移(プッシュ・チェーン)」で説明されるのが標準的です。すなわち、一方の方言(バビロニア語)側で、原初の *š がまず s へと変化し、その結果空いた š の枠に、もともと破擦音 *ts だった *s が摩擦音化して入り込んだ、という2段階の変化が想定されています。アッシリア語側ではこの連鎖が起こらなかった(あるいは逆方向に進んだ)ため、結果として両方言間で s と š が「入れ替わって見える」対応関係が生じた、という説明です。

これと並行して、この段階からGeers の法則(異化則)というアッカド語独自の規則が確認されます。これは、1つの語根内に2つの「強勢音(emphatic)」が共存する場合、そのうち一方が非強勢化するという規則で、歯擦音に関して言えば、語根内に別の強勢音(q や ṭ など)がある場合、本来強勢音であるはずの ṣ が非強勢の s に交替する、というものです。これは方言間対応(s/šのクロス対応)とは別の次元・別の軸で働く共時的制約であり、両者を混同しないことが重要です。


③中期アッシリア語・中期バビロニア語期(前15〜11世紀頃)

②で確立した s/š のクロス対応の骨格自体は基本的に継承されますが、この時期はアッカド語が対外的な国際共通語(リンガ・フランカ)として広く用いられた時期でもあり、非母語話者の書記(特に西方セム語系の書記)による綴りの混乱・揺れが顕著になります。アマルナ文書のようなカナン地域出土のアッカド語文書では、同一語が sa-me-ma とも ša-me-ma とも綴られる例が見られ、これは現地のカナン語(北西セム語)側の音韻・正書法慣習がアッカド語の綴りに干渉した結果と見る余地があり、②で見たような整然とした方言内的対応が、接触による攪乱を受け始める段階と言えます。


④新アッシリア語・新バビロニア語期(前10〜6世紀以降)

新アッシリア語は、②で見た古い s/š の対応パターンを比較的よく保持し続ける、保守的な性格を持つとされます。一方新バビロニア語側では、この対応がさらに整理・水平化(analogical leveling)される傾向が指摘されます。またこの時期には、アッシリア・バビロニア両方の書記が特定のジャンル(文学・学術文書)で共通して用いる、いわゆる「標準バビロニア語」という文語的な超方言(コイネー)も並行して存在し、これは生きた口語の音韻対応から遊離した、より保守的・慣習化された綴りを保持する層として機能します。


まとめの見取り図

②で成立した s/š の方言間クロス対応(押し出し連鎖という通時的説明を伴う)が縦軸としてあり、それとは独立にGeers の法則(ṣ↔sの強勢異化)という別の共時制約が全期を通じて働き、③で言語接触による攪乱、④で保守化(アッシリア)と水平化(バビロニア)・文語標準化という分岐が生じる、という多層構造として捉えるのが、現在の理解に近いかと思います。

なお、②の「押し出し連鎖」という説明自体は広く採用されているものの、なぜ一方の方言でこの連鎖が始動し他方で始動しなかったのかという、より深い動因については、Steiner、Faber、Kogan らの間でなお細部の解釈に相違があり、完全に決着した問題ではないことを申し添えます。

「Cauda Pavonis(孔雀の尾)」の古典籍上の位置づけ

四段階説(黒化 nigredo・白化 albedo・黄化 citrinitas・赤化 rubedo)の起源は少なくとも1世紀まで遡り、Zosimos of Panopolisは、この黒・白・黄・赤という色の展開がMary the Jewess(マリア・ヘブライア)に知られていたと記しており、同様の色彩展開はPseudo-Democritusの『Physika kai Mystika』(現存最古の錬金術文献の一つとされる)にも見られます。

その四段階のうち、Cauda Pavonis自体はこの中核四段階には含まれない副次的な色彩段階で、諸文献間で位置づけに揺れがあります。

  • 黒化と白化の間に置く伝統:17世紀の『Theatre of Terrestrial Astronomy』(Edward Kellyに帰属)、18世紀の『Hermaphroditische Sonn-und Mond-Kind』
  • 白化と赤化の間に置く伝統:Rosarium Philosophorum(薔薇園、15世紀)、Splendor Solis(太陽の輝き、16世紀)

いずれの場合も、実験室内での記述としては、物質が黒色(腐敗・鍛焼段階)から急速に虹色(紫・緑・金・青など)を呈し、その後最終色相(白または赤)へと安定していく現象を指す点は共通しています。15世紀以降は citrinitas(黄化)を rubedo に吸収させ三段階とする文献が増えますが、その場合でもCauda Pavonisは色彩論の中に残存することが多いです。

(※以上、Claude君の出力)

 

*   *   *

 

以上の引用から、「孔雀の尾」は、一種の中間状態において、「虹色」を呈する、

その「虹色」の状態を指す…と読み取れる。ところが、【DNWBA D・ΘWRA

孔雀の尾171)=【ASΘWMKA】(171)=「嘆き」(長息)なのだ。結局は,

当該の「孔雀の尾」は、「嘆き」(長息)が到来している時の状態を指す言葉…だ。

孔雀の尾」=【】(80)=「」(カラス)=「karašu」()=「嘆き」(長息)、だ。

 

 

出典 訳者・時代 王の呼称 表記の性質
T1300 摩登伽經 竺律炎支謙(呉) 帝勝伽 音訳(Tri-śaṅku の音写と推定される字面。「栴陀羅摩登伽種」の王と説明)
T1301 舍頭諫太子二十八宿經 竺法護(西晋) 摩登(晋曰有志 摩登伽Mātaṅga=種姓名)」と王の固有名が同化した表記/意訳注記「有志」付き
T0551 佛說摩鄧女經 安世高(後漢) (王・前世譚は不出) 該当なし。「摩鄧」は母の名としてのみ出現し、種姓語「摩登伽」の異表記
大毘婆沙論 巻101 (説一切有部論書) 三鈎 意訳(tri = śaṅku = の語義分解に基づく漢訳と推定)
 
*   *   *
 
このまとめにおいて、注目すべきところは、いくつかある。一つは、そもそも、
śaṅku」()であること。これは、【AWKMA】(91)、「大角」を含意する。(※「nīru」(yoke)を含意)
勝速日」(迩藝速日)=「nīru」(六百)=【】=「makūru」(boat)を含意する。
 
#もう一つは…「トリシャンク」が、「摩登伽」=「Mātaṅga」()であり、
#古代エジプトの「Յbw」(エレファンティネ12)に繋がっていることだ。(※【QWQY十A】(929)へリンク)

バルダイサンインドへの好奇心から、おそらくエデッサで出会ったインド使節団と交流を持った。

>使節団はエラガバルス皇帝(218~222年)のもとへ向かう途中、この地域を通過していた。

バルダイサンは著作の中で、使節団から学んだことの一部を記しており、インドに関する彼の

>考察の断片は、新プラトン主義の哲学者ポルフィリオス(305年没)を通して現代に伝わっている。

ポルフィリオスは著書『ステュクス川について』の中で、バルダイサンバラモン教徒の間で

>一般的な水による試練について述べている一節を保存している。同じ著書の中で、

ポルフィリオスバルダイサンが、いわば創造の原型とも言える両性具有の宇宙創造像について

>述べている別の抜粋を紹介している。この像はインドの洞窟にあると言われている。この洞窟では、

バラモン教徒が祈りを捧げ、像の意味について議論し、自己吟味の儀式を行うとされている。

(※Ute Possekel『Bardaisan's Influence on Late Antique Christianity』(2018)より)

 

ギリシャ語圏シリア語圏バルダイサンに対する反応がこれほどまでに異なった理由の一つは、

メソポタミア北部のシリア語圏では、バルダイサンの教えが長きにわたり無視できない勢力であり

>続け、時にはバルダイサン自身の教えよりもはるかに過激な教義で既存の教会に挑戦してきた

>という事実にある。バルダイサンの記憶がこれほどまでに乖離しているもう一つの、そして全く

>無関係ではない理由は、シリア語圏ではバルダイサンの名が主に彼の宇宙論(後に異端と

>判断された)と結びついていたのに対し、エデッサ以西の地域のキリスト教徒は、バルダイサン
>を主に天体決定論に対する彼の見事な反駁者として記憶していたことにある。

(※Ute Possekel『Bardaisan's Influence on Late Antique Christianity』(2018)より)