出会った言葉たち ― 披沙揀金 ― -37ページ目

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

  先日の日曜日のブログで紹介した、娘の高校総体、最後のバレーボールの試合。結局、自分たちを破った相手校が優勝し、インターハイに出場することになりました。優勝校に、あれだけ頑張れたのなら十分・・・、と思う一方、一つだけ残念なことがありました。

 第2セット、それまでいいところなしだった娘が、立て続けにいいサーブを決めました。一本は、相手チームが手も出せなかったほど。でも、運悪くビデオの容量がいっぱいで、その姿を録画することができませんでした。

 

 頑張った最後の雄姿を残せなかったことを、ちょっぴり悔やんでいたのですが、今日、こんな言葉に励まされました。

 

写真に残そうと思わない時間こそ、

大切なんだと思った。

(明治安田生命の広告より)

2017マイハピネス フォトコンテスト応募作品「休み時間」

(大阪府・田辺里奈さんの作品)

 

 そうか、あの大切なシーンも、しっかりと自分のまぶたに焼き付いている。だから、無理にビデオに残そうとしなくてもいいんだ。思い出に刻まれていれば、いつでもどこでも鮮明に描き、映し出すことができる・・・。

 

 それにしても、この田辺さんの作品、気取らず、飾らず、何でもない日常のひとコマから、やわらかいあたたかさが伝わってきます。写真に残してくれたことで、「写真に残そうと思わない時間が大切なんだ」ということに気付かせてくれました。

“とびきりいい靴を履くの。

いい靴を履いてるとその靴がいいところへ連れて行ってくれる”

(神尾葉子、『花より男子』より)

 

 ガラスの靴がシンデレラを幸せの世界に連れて行ってくれたように、靴は人生の先導者。

 でも、貧乏な私の靴は、決して「とびきりのいい靴」ではありません。

 

 そこで、もう一つの名言。

 

 あのころの大人は、たとえ身なりが悪くたって、靴だけはきれいにしていた。ピカピカの靴はサラリーマンの勲章だった。

   (浅田次郎、『月島慕情』より)

 

 靴を磨いた翌日は、気持ちもピリリとひきしまり、背筋がピンと伸びます。

 すでに気持ちを「いいところ」に連れて行ってくれています。

 

 

 決して高級ではない、このお気に入りの靴を磨いて、

 明日も、この靴と一緒に歩んでいこう。

 

 

 

 

 イチロー選手にもスランプはありました。バッティング・フォームをチェックし、よりよい状態を探っていく、そんな試行錯誤を経て到達したのは、「子どもの頃の自分」でした。

 

 写真に写っていたのはなんと、まだあどけない表情でピッチャーを見すえている一朗少年の姿だったのだ。イチロー選手がたどりついたのは、純粋に、ただ夢中でバットを振っていたころの自分自身のバッティング、一朗少年のバッティング・フォームだったのだ。

 

 「小学生の時のバッティング・フォームがベストっていうのは、変な雑念がなくて、まだ頭でっかちになってないし、ただ、純粋に来たボールを打っていたわけでしょ。それが大人になるにつれてどんどんいろいろ考えてしまうようになる…」

 (義田貴士、『イチロー 果てしなき夢 少年の想い遥かに』より)

 

 

 何をやってもうまくいきそうにないとき、子どものころの思い出や、お正月に立てた新しい誓いなど、拠り所はたくさんありそうです。あの頃の気持ちを思い出して、あの頃の自分に恥じないようにがんばらなければ。

 昨日のブログで取り上げた、このマスコット。

 後輩からの激励のプレゼントかと思っていたら、違いました。

 娘の彼氏からのプレゼントでした。

 彼は、体格のいい野球部の、しかもキャッチャー。硬球もはじき返すかのような指が一針一針縫ったその場面を想像していたら、ちょっとだけ、ほほえましい気分になれました。

 

 後輩から贈られたのは、こちらでした。

 キットカットならぬ、「キット カツ」。

 こちらも御利益がありそうです。

 

 このお守りを持って臨んだ今日の高校総体。1回戦は勝ったものの、2試合目で、優勝候補の一角の学校にやられてしまいました。それでも、高校に入って、周りは経験者ばかりのなかでバレーを始め、ここまでこれた娘の2年間の、いい成長を見せてもらいました。

 

 試合後は、かねてから約束していた「もんじゃ焼き」に。

 娘が(「作り方」を片手に、それを何度も見返しながら)、職人の手さばき(?)で作ってくれました。

 親の知らぬところで、子どもは成長しています。

 嬉しいのだけれど、寂しさもあります。

 今日もまた、娘が私の手から離れていったように感じています。

 

 でも、幼かった頃がなつかしく、かけがえがなく思い出されるように、今の1日1日も、何年か後のなつかしい日になります。

 だから、月並みだけれど、1日1日を大切に積み重ねていかなければ。

 先ほど帰宅したら、机の上のものが目にとまりました。

 

 明日は、高3の娘の最後の総体です。

 これは、後輩たちが激励の気持ちをこめて作ってくれたのでしょう。

 

 これまで、試合のたびに何度も送り迎えをしてきました。

 大雪が降り、車がすべって、「もう今日は無理」と思ったときもありました。

 近道をしようと山道を抜けようとしたら、どんどん道が細くなり、Uターンすらできなくなったこともありました。

 

 ずっとまとわりついてきていた幼い頃から、だんだんと一緒にいる時間は減り、高校になってからは、車の中が二人でいる数少ない大事な時間でした。何を話すというわけでもなく、眠り姫は、いつもすぐ熟睡してしまうのですが、そんな空間を味わえるのも明日が最後です。

 明日は、試合の応援だけではなく、車の中も、試合後に約束したもんじゃ焼きも、大事な時間をまるごと楽しんできます。