『カラマーゾフの兄弟』の中でも有名なくだりの一つに「大審問官」があります。「大審問官」は、カラマーゾフの次兄イワンが創作した話で、大審問官がキリストに詰め寄る場面を描いています。
「お前は彼らに天上のパンを約束した。だが、もう一度くりかえしておくが、かよわい、永遠に汚れた、永遠に卑しい人間種族の目から見て、天上のパンを地上のパンと比較できるだろうか? かりに天上のパンのために地上のパンを黙殺することのできない何百万、何百億という人間たちは、いったいどうなる?」
(ドストエフスキー、『カラマーゾフの兄弟(上)』より)
「人はパンのみにて生きるにあらず」
キリストの有名な言葉です。上の引用文で言うところの「天上のパン」とは、“心の幸せ”の比喩でしょうか。人を信じたり愛したり、神を尊んだり、キリスト教的な教えを含んでいるものと考えられます。
しかし本当に貧しい人たちにとって、「地上の(現実の)パンよりも、天上のパンをこそ」という教えに従うことはできるのか、それが問われています。
神の教えが尊いのは分かります。大切にしなければならない心も知っています。でも、その気持ちをずっと維持できない弱さがあるのも人間です。神を裏切るような行為をしたら、「神への冒瀆だ」と責められ不幸になるような世の中は生きづらい。あらゆる人が崇め、忠誠を誓わざるを得ないような神のいる世界には、少しおそろしさを感じます。
イワンは、善人としては描かれていません。くせのある人物です。でも私は、イワンの語るこの「大審問官」のくだりを、神への反抗として全く退けてしまうこともできないのです。