1960年ごろの東京都立高校入試の話。
当時、例えば都立日比谷高校は、毎年東大に100人以上の合格者を出していました。日比谷に入学したいが故に、住所をそこに移して受験させるということも多々あったようで、そのやり方に、都民からは「おかしい」という声も出ていました。
そこで「公立校は平等であるべき」と考えた当時の教育長が教育改革に踏み出しました。進学実績の高いところとそうでないところを2、3校ずつの「学校群」にし、受験者は「学校群」を選んで受験する。そして合格者は抽選でその中のどこかの学校に振り分けられるという方式をとりました。つまり、日比谷高校に入学したくて、その学校群を選んで合格しても、入学するのは別の学校、ということもあるのです。
ところが、勉強のできる子どもやその親にとっては「冗談じゃない」という話になり、これを樹に優秀な受験生の都立高離れが加速して、それと裏腹に急激に私立高校のレベルが上がっていきました。私立の御三家(開成、麻生、武蔵)誕生のルーツはここにあるそうです。
「受験戦争」とも言われていた当時の過酷な状況をなんとかしたい、という思いから始まったこの改革も、結果的には正反対の方向に進んでいってしまいました。
教育改革は難しい。何かをやると、別の何かが思わぬ形で顔を出したりすることもあるわけです。
(池上彰、佐藤優、『教育激変』より)
それでも、世の中は、一歩一歩、いいほうに進んでいると信じたい。
森絵都さんの『みかづき』の言葉を思い出しました。
常に何かが欠けている三日月。教育も自分と同様、そのようなものであるのかもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑽を積むのかもしれない。
(森絵都、『みかづき』より)
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