神も悪魔も人間の姿 ─『カラマーゾフの兄弟(上)』(ドストエフスキー)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 『蛇にピアス』で芥川賞を受賞した金原ひとみさんが、この『カラマーゾフの兄弟』について、「上巻読むのに4か月。一気に3日で中下巻!」と言っています。

 その上巻を読んでみました。

 確かに手強い…。

 

 『カラマーゾフの兄弟』という題名の通り、主人公は「カラマーゾフの兄弟」です。

 放蕩無頼な長男ドミートリイ。冷徹な知性人である次男イワン。敬虔な人物である三男アリョーシャ。

 この3人を通して、ドストエフスキーは何を描こうとしているのか、読み解くのに苦しみました。この3人の誰かを善とし、誰かを悪と位置付けようとしているのか。それとも、兄弟3人を通して人間の姿を描こうとしているのか。あまりにも難解です。

 

 それでも、神(宗教)と人間について考えさせられる部分がたくさんありました。

 例えば、イワンとアリョーシャの会話から。

 

「もし悪魔が存在しないとすれば、つまり、人間が創りだしたのだとしたら、人間は自分の姿かたちに似せて悪魔を創ったんだと思うよ」

「それなら、神だって同じことですよ」

 (ドストエフスキー、『カラマーゾフの兄弟(上)』より)

 

 人間には、神様のような心もあれば悪魔のような心もある。そもそも人間がそういうものであるなら、だれがそれを肯定したり否定したりできようか…ということでしょうか?

 世界文学屈指の名作と言われるこの長編を読み解く鍵は、ここにある…のでしょうか?

 もう一度読み返しながら、またブログをしたためていきます。