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出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 『まなの本棚』ブックレビュー、8回目です。

 今日は、私の好きなエッセイスト、向田邦子さんとのコラボです。

 

 まずは、愛菜ちゃんの言葉から。

 愛菜ちゃんは、百田尚樹さんの『永遠の0』を読んで、次のように書いていました。

 

 よく、「この戦争では○万人以上の人が亡くなりました」「この攻撃で○万人の人が命を落としました」などという表現を聞くことがあります。・・・この本を読んだら、「○万人の一人ひとりに家族がいて、大切な人がいて、それぞれに夢があったんだ・・・と現実のこととしてその重さを感じられるようになりました。

 (芦田愛菜、『まなの本棚』より)

 

 歴史の教科書を読んでも、知識としては増えるけれども、どうも実感に乏しい。

 でも、小説や物語を読むと、その知識に血が通ってきます。そしてそこには、読む人の想像力があります。

 

 この愛菜ちゃんの文章から思い出したのが、向田邦子さんのエッセイです。

 時代劇で悪役の人たちが、バッサバッサと斬られるのを見て、向田さんは思うそうです。

 

 殺されて、あとに残った身内はどうして暮しを立ててゆくのだろう。悪い親分の一味が全滅して、めでたしめでたしはいいけれど、これでは補償金というか退職金も出ず、死に損ということになるのではないかと、気になって仕方がないのである。

 死屍累々という場面を見ると、このあとの始末はどうするのか、こういう場合、葬式は誰が出すのか、費用は、などと余計な気をもんで、心底楽しめないのだから、そんな性分である。

 (向田邦子、『霊長類ヒト科動物図鑑』より)

 

 ・・・すごい想像力です。

 確かに想像力は大事だけれども、向田さんほどにまでなると、小説や映画が喧しいほど語りかけてきて、本を読んだり映画を鑑賞したりするどころではなくなりそうです。

 よかった。私は、ほどほどの想像力で・・・。

 

 

 

 『まなの本棚』ブックレビューの第7回目は、愛菜ちゃんと対談した作家・辻村深月さんの言葉から。

 

 本の世界に入り込むのは「現実逃避」って言われちゃうこともあるかもしれないけど、「目の前の世界だけがすべてじゃない」って教えてくれるのが本だと思うんです。本は、むき出しの現実を生き抜くための心強い武器になります。

 (『まなの本棚』、芦田愛菜と辻村深月の対談より)

 

 辻村さんご自身も、つらい中学校生活を送っていたそうです。それでも、本の世界に居場所を見つけ、なんとか学校に通い続けた、という話を聞いたことがあります。

 辻村さんが昨年、『かがみの孤城』で本屋大賞を受賞したとき、その会場で次のように語りました。

 

 逃げ場のないような気持ちだったとき、私の部屋の鏡は光らなかった。でも傍らには本があった。カバンの底で、本棚の片隅で光って、私を世界に連れ出してくれました。

 (2018年4月14日、朝日新聞より)

 

 本を読んでいると、知らぬ間に、ある時は本の中のヒーローになり、ある時は成長する主人公とともに自分も成長し、またある時は悲しいことを悲しいと涙する、自分の純粋さに気付かされます。本はバーチャルの世界の出来事ではありますが、一方で確かに存在している「自分」に気付かせてくれます。そして、本に励まされ、現実の一歩を踏み出すのです。

 『まなの本棚』ブックレビューの第6回目は、愛菜ちゃんと山中伸弥先生との対談からです。

 山中先生が子どもの頃に読んだSF小説に、次のようなものがあるそうです。

 

 何年間も体が動かせない病気の人がいた。その人は、体が動かないので、意思の疎通ができない。

 そこで、ある科学者が「この人が、前のように家族や周りの人と意思疎通できる装置を作ろう」と一生懸命考え、完成させ、いよいよこの患者さんが何年かぶりに家族と意思疎通ができるようになった。どんなに喜んでもらえるだろうと思っていたら、その患者の言葉として、最初に機械からピーッと出てきたのが「私を殺してください」というメッセージだったという・・・。

 

 最初、山中先生は、これは小説の中だけの架空の病気だと思っていたそうです。

 しかし、医者になってみたら、体を動かせなくなる病気は、いくつもある。そして山中先生は、今、そういう病気を根治しようと研究を続けている。

 

 山中先生は言っています。

 

「昔読んだSF小説に書かれていた病気を、自分が研究するなんて思いませんでした」

 

 子どもの時に出会った本が、知らぬ間に人生の道しるべとなったような、不思議な感じがします。

 

 これほど大きなことではなくても、「本との出会いが自分の生き方に影響を与える」ということについて、思い当たることがあるのではないでしょうか。だから、人はまた、本に手を伸ばすのだと思います。

 

 

 『まなの本棚』ブックレビューの5回目です。

 本大好きの愛菜ちゃんの本ですから、読書についての言葉がとめどなくあふれています。

 今日のテーマは、「本好きになるには」です。

 

 花が好きな人だったら植物の図鑑をめくってみたり、車が好きなら乗り物の図鑑を選んでみたりすると、そこから深まってもっともっと広がっていくのではないでしょうか。「本を読むのが苦手・・・」という人も、図鑑なら、気が向いた時にページをめくるだけでも楽しい世界が待っているはずですよ!

 (芦田愛菜、『まなの本棚』より)

 

 子どもって、結構図鑑が好きです。あまり物語を読まない子でも、友達と楽しそうに図鑑をめくっています。自分の好きなものが出てくること。最初から読み進めなくても、開いたページだけでも楽しめること。写真がいっぱい、文字少なめであること・・・。図鑑には、子どもと本との垣根を低くする秘密が隠されているようです。

 

 ちなみに愛菜ちゃんは、本棚から図鑑を取り出して、適当にパッと開いた所を読むそうです。「何が出てくるかな」と楽しみにしながら、そして、思いがけない知識と出会えることを楽しみにしながら。

 

 

 読書週間中、『まなの本棚』のブックレビューし続ける、の第4回目です。

 今回のテーマは、「テレビ好きは本好き?」です。

 

 年間100冊以上の本を読む愛菜ちゃんですが、本を読むときはいつも、「早く続きが読みたい!」という気持ちになるそうです。そのことについて、次のように言っています。

 

 この感覚を何かに例えるとすると、「楽しみにしていた連続ドラマの放送の次の回を待つ1週間が待ちきれない感覚」に、ちょっと似ていると思います。

 だから、一冊全部読み終わってしまった後は、大好きなドラマが最終回を迎えた時のように、いつも「あぁ、読み終わっちゃったなあ・・・」とちょっとロスというかさみしい気持ちになってしまうこともあります。

 (芦田愛菜、『まなの本棚』より)

 

 よく、「うちの子は、テレビばっかり見て・・・。少しは本を読めばいいのに」という方もいらっしゃいますが、テレビも本も、こういうふうに似ているところがあるんですね。

 

 テレビっ子さんも、こういう感覚で本が読めれば、本好きの子供が増えるのになあ。